前ページ

Pianoでは1本にしか聞こえないこのpassageもキーボードで上手に演奏すると、2本のmelodieに聞こえてくるから、不思議なものである。

 

 

 

 

 

③ペダル操作のいろいろ

アクセント・ペダル

アクセント・ペダルとは、文字通り音楽のアクセントの部分に使用するペダルのことである。
この場合、アクセントと言うのはアクセント記号が付いた個所(音符)という意味だけではない。勿論、アクセント記号がついた音符に対して、アクセント・ペダルを使用するのは当然であるが、それ以上に曲の構成上の音のポイントに対してつけられることが多い。ソナチネのアルバムやソナタアルバムなどで、そういった基礎をしっかりと学ばなければならない。

ハイドンやモーツァルト、初期のベートーベン辺りまでは、pedalの使用は、アクセント・ペダルを中心に学ぶべきである。つまり、感情的な感覚的なpedal操作は、古典派の音楽ではタブーである。古典派の音楽は、pedalの使用は感情的なものであってはならない。当然論理的楽曲分析的に必然的にアクセント・ペダルが使用されるべきでなければならない。

アクセント・ペダルの指導法は、音を出す直前にペダルを踏み込み、音が出ると同時にペダルを離すとよい。

 

特殊なペダル

Beethovenのピアノ・ソナタ「ワルト シュタイン」の3楽章には、ペダルを数小節に渡って踏みっぱなしにするように指定している所がある。楽譜通りに演奏すると勿論、大変な事になってしまう。それこそ、低音を切らないように注意しながら、ハーフでペダルの踏み替えをしなければならない。ピアニストにとっては結構神経戦である。
この曲の演奏に関しては、現代のピアノとは響きの持続時間が全く違うことは勿論であるが、楽器そのもの、つまりペダルの意味が違っているのです。 
それは、ベートーベンの時代から比較的近代に至るまで、3本ペダルのピアノがあった。

私も子供の頃何度か3本ペダルのピアノを弾いた事があるのだが、その3本目のペダルは低音域にだけペダルが掛かるようになっている。
ベートーベンもある時期にはそういった3本ペダルのグランドピアノを使用していた。
以前はレコードではベートーベンの所有していたピアノで弾いたワルトシュタインのレコードが発売されていて、現代の2本ペダルでは表現出来ない効果を出していたのだが、現在その録音がCDで発売されているかどうかは知りません。

3本ペダルのアップライトピアノの思い出

私達が生まれ育って来た戦後の時代(昭和昭和20年代)は、どこの田舎町でもそうであろうと思うが、当時人口5万の諫早市であったとしても、小、中学校などの官公庁を除いては、一般人が個人で(たとえアップライトピアノであったとしても)学校の音楽の先生などを除いては、ピアノを持っているということは稀であった。

私の子供の頃は、戦争未亡人として働きに出掛けている母親に代わって、地方都市である諫早市の本家の祖母に、私は育てられた。夏休みの時期は、祖母に連れられて伯母の経営する雲仙のホテルで従兄弟たちといっしょに生活をした。当時、有名な避暑地であった雲仙には、古ぼけた今にも壊れそうな公民館があって、それは多分避暑に来ていた外人達がダンスなどに打ち興じたダンスホールのように小さな演奏用の舞台があって、しかもホワイエと言うか、中2階の手すり席とでも言おうか、こじゃれた大正の香りのする多目的ホールであったが、すでに長い間、崩れるに任せて放置されており、夏休みの私たちの格好の遊び場になっていた。そこの舞台にはボロボロに壊れていたロゴマークに洋琴と書かれていた大正時代か、昭和の初期に作られたと思われるアップライトのピアノが置いてあった。当然、そのピアノは3本pedalで、もう1本のペダルは真ん中から下半分にペダルがかかるタイプであった。もちろん放置されたピアノであるから、鍵もかかっておらず、夏場の私達のよい遊び道具にもなっていた。

昭和30年代の中頃からは、私は母親のもとで、長崎の町に住んだのだが、その頃には急速に経済力が発展してきて、ごく普通の家庭でもピアノを買うことが出来るようになっていた。勿論それは2本ペダルのピアノである。夕方、郊外の町を散歩すると、家々からピアノの練習する音が聞こえて来るようになっていた。しかしその頃でも、音楽で大学に進学するのは、まだ一部の富裕層が中心であった。

 

左ペダル

Pedalのlectureといえば基本的には右pedalのことを指しますが、ついでに左ペダルのことも説明しておきます。左ペダルは弱音ペダルとか言ったりもしますが、それが誤解を生む元にもなっています。

ピアノを学ぶ者にとっては当たり前のことなのだが、アップライトピアノでは左ペダルはハンマーが弦に近づくので、タッチが軽くなって、音が弱くなります。しかし、音色は基本的には変わるわけではありません。タッチのresponseが短くなって、音が弱くなったので、音色が変わったように感じるだけなのです。

それに対してグランドピアノでは鍵盤全体が移動して、ハンマーが3弦あるうちの2弦を叩くようになります。
そして残りの1弦が共鳴弦になるので、音がとても深い音になります。

ハンマーが2弦を叩くというのは、現代のピアノの場合です。
左ペダルを意味するuna cordaのunaは1、cordaは弦という意味ですから、una cordaは1弦で、と言う意味になります。これはforte-pianoの時代の表記の名残です。今は音量の関係でuna cordaとしていても、殆どの場合のグランド・ピアノの場合は2弦を叩いています。
しかし、ピアノの楽語の指定の中には、当然due corde (2弦,cordeはcordaの複数形)もあります。左ペダルを半分離す。と言う意味です。完全に左ペダルを取る時には tre corde(3本弦で)と言う意味です。due cordeという楽語は、実際には楽譜上では見た事はありません。
という事で、右ペダル、左ペダルと言うのは音量を表現するためのペダルではないのです。

しかし、日本のピアノの指導者は、グランドピアノですら、左ペダルを弱音pedalとしてとらえていることが多いようです。
しかし、本来は霞のかかったような音を出すためのペダルで、弱音ペダルとしての機能は二次的なものであります。
あくまで、弱い音は自分のtouchで作り出さなければなりません。
左ペダルを踏むと、音色がそこだけ変わってしまうからなのです。

グランド・ピアノの左ペダルの持つ霞のかかったような独特の音色が欲しいために、左ペダルを踏んだまま、フォルテシモのpassageを演奏する事もままあります。

ドビュッシーの直弟子であるペルル ミュッテル氏の言によると、ドビュッシーは殊の外(ことのほか)、左ペダルの醸し(かもし)出す音が好みで、ピアノを弾くときには常に左ペダルを踏み続けていたそうです。

左ペダルはグランドでは鍵盤部とアクション部が一体であるから、左ペダルを踏む事は非常に重たく、素早く踏みかえることはほとんど不可能です。

ちなみに、アップライトピアノでは、左ペダルを踏むと、アクション部分だけが、傾いてハンマーが弦に近づきます。ですから、グランドピアノと比較すると、殆ど問題なく軽い感じで、左ペダルを踏むことができます。


発表会等では通常、グランド・ピアノを使用します。
ですから、演奏するのが子供の場合には
、子供に左pedalを使用させることは、まず、それが可能かどうか?あるいは必要かどうか?をしっかりと判断したうえで、細心の注意をもって指導しなければならなりません。
特に、グランドの場合には、子供に過剰な負担を強いる事になるからです。

 

現代の3本ペダル

現代のアップライトピアノでは、3本pedalのアップライトピアノが増えているが、この場合の真ん中のpedalは、ハンマーと弦の間にフェルトの布を入れて、音を弱くするためのものです。
しかしながら、ハンマーと弦の間にフェルトで仕切りを作ることは、フェルトがタッチした本来の音でなく、フェルトが他の弦に擦れるためにノイズが発生し易いし、タッチにも良くなく、またハンマーを傷めやすいといういろいろな欠点を持っています。
そういうわけで、私のペトロフのピアノのフェルトは、取り外してしまいました。
と言うわけで、目下、真ん中のpedalは死んでいます。

又、現代のグランド・ピアノの場合には、各メーカーによって、3本目のペダルに独自の機能を持たせて、そのピアノの売りにしているようですが、いずれにしても、作曲家の楽譜上では指定されていないので、特筆すべきことではありません。と言ったら、メーカーに怒られてしまうかな??




ホームページに掲載中の文章であるのにもかかわらず、未だにしつこく推敲中の原稿1990年より改定継続中


2008年6月
東京、江古田の一静庵にて
芦 塚 陽 二 拝

次ページ