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次のノイローゼ対策は、新しくビオラを学ばせて、先生方の対外出演に参加させたという事です。入試の時にも受験会場にヴァイオリンとビオラとステージ用のスーツケースを持って行き、試験が終わると、演奏会場に駆けつけると言う事をさせました。

後で彼は「周りの受験生から『何事?』と言う感じで白い目で見られてしまった。」と笑いながら話してくれました。

白い目を向けられたと言えば、実は彼だけ出なく私自身も、彼と同じ年頃の弟を持つ(私のチェロの生徒で大学の心理学の講師でもある)人や私の音大時代の友人で高校の教師をやっている先生等のその道の専門家からも、非難ごうごうでした。「ヴァイオリンやビオラはすぐにでも止めさせて受験に専念させるべきだ。」

大学講師の生徒の弟さんで、同じ浪人生は逆に彼の事をうらやましがり「いいナ。僕もリコーダーなどを習いたいな。」と口走ってしまって、「とんでもないでしょう。今は受験に専念しなさい。」とお姉さんに怒られてしまいました。

そして私に向かって「今は追い込みだから、少々のノイローゼなど当たり前なのです。」と怒っていました。

もちろん結果は言うまでも無く、ヴァイオリンやビオラに専念した彼は、第一目標の大学の国文に見事合格して、私に文句を言ってきた弟子の弟さんは、2浪が決定しました。(今はコンピューター関係ですばらしい仕事をなさっていますが)

これは私のメソードの中の、ストレスの理論によるものなのです。教育論文「よいストレスと、悪いストレスについて」参照

憧れの大学には行った彼は、どう言うわけかそれからもヴァイオリンを続ける事になりました。と言う事で毎週(と言うよりほとんど)教室に入りびたりで対外出演などに参加していました。卒業をまじかに控え、いよいよ教育実習です。子供のオーケストラなどで進行表の計画の仕方や書き方などを教室で教え込まれていた彼は実習でも別格に扱われて、ちょっと天狗になっていたようです。「今はどんな教室にも2,3名の落ちこぼれが居て、その女の子の一人が相談に来たのだけど、4,5名の生徒ならともかく、30名、40名の生徒の家庭環境などを把握する事は無理ですよね。」と言いました。私は怒って「卒業して中高の先生になるのは許さない。大学院に行ったつもりで、大学の特殊を受けなさい。」と申し渡しました。まず、入学した彼が驚いたのは、来ている生徒が学校の先生か教育関係に従事している人ばかりで、彼のように大学卒業と同時に学びに来ている、という人はあまり居なかったということです。次に最初の授業で講師の先生の開口一発「皆さんを半数ぐらいは落ちこぼすつもりでやります。特殊には(現場には)いい加減な人は必要ないのです。」の言葉でした。

しかし、生徒達も必要だから来ている人がほとんどで、それに驚いたりビビッたりする人は居なかったのです。特殊ではいろいろな状況の子と接する事が出来ます。その話は此処ではいたしません。ただ彼の考え方や社会に対する見方がすっかり変わってしまった、と言えば十分でしょう。

この話にはおまけがつきます。

今もそうですが、教員はとんでもない就職難です。

せっかく教員免状を取って、教員採用試験に合格したのに自宅待機です。自宅待機中は別の所へは就職出来ません。

彼の友人(同級生)は5年間の自宅待機の後やっと学校に勤める事が出来ました。大学の特殊を卒業した彼は、ストレートで採用されてしまいました。5年も待って居る(その時は浪人分も含めて、都合3年ですが)彼の友人をさておいてです。

何故なら、男性でスポーツマンで、ヴァイオリンが弾けて特殊の資格を持っている、おまけに進行企画が書けるとなると・・・・採用されないわけが無いでしょう?

県は特殊の出来る先生が欲しくて、わざわざ学校の先生を特殊の勉強に大学へ送り込んでいるのですから。

まさに、急がば回れ、とは思いませんか?

 

音楽教室の場合

私達の教室は音大生以外にも、一般の大学生のオーケストラも指導している関係上、一般の大学生とも接する機会が多いのです。

そして感じる事は「音大の学生達は一般大学の学生に比べて就職にたいする意識が非常に低い。」ということです。

一般大学の場合には就職活動は2年生のときから始まります。3年生の時にはもう就職活動です。卒業年次には職場での研修と大学の二束のわらじですね。「30社回った。」とか「50社回った。」とかは当たり前で、冗談で泣く「100者回りました。」という生徒もいました。

音楽教室に務める場合でも、逆にその音楽教室はどういう先生を求めているかという問題や、音楽教室では自由に教えられる教室と、その教室のシステムに従がって教えなければいけない教室があるということすら知らない人が殆どです。

特に留学帰りの人などにとっては、「教室のメトードで教えてください。」とこちらがいうと憮然とされる人がいます。
自分の今まで勉強して来た全てを否定されて、自分のプライドを侮辱されたように感じるのでしょう。

私は、音楽家が他のメトードやシステムなどを研究することはとてもよいことだと思います。
私は自分の教室の先生には色々なメトードを研究させています。それは、教室としての必要に迫られた切実な事情があるからです。
その事情とは、教室に入会してくる生徒の全ての生徒が教室で学び始める分けではありません。ある程度年齢が行ってから、教室を訪れて来る生徒の多くが、教室に来るまでに、色々な教室の指導で、挫折してくる、それから教室を訪れてくるのです。そういった生徒に、いきなり芦塚メトードで指導したのでは、カルチャーショックを起こすだけで、教室のsystemを(全く別世界で)理解不能で、ストレートには受け入れてはくれないのです。
別の教室で習っていた期間が長ければ長いほど、新しいものは受け入れにくいのです。

その為に、他所の教室からの生徒が入会して来た場合には、まずは、私達の教室の先生はその生徒が前の教室で今まで習ってきたメトードのままで教えます。
そして1年,2年とかけて、一つづつ、徐々に芦塚メトードに差し替えていくのです。

優れた音楽家ならば、そういった事が、極普通に出来なければいけません。
ショパンはリストそっくりにピアノを弾く事が出来ましたし、リストはショパンそっくりにピアノを弾く事が出来たのです。
優れた演奏家は常にいろいろなメトードを研究しています。

アメリカの有名なヴァイオリン奏者でアーロン・ローザントと言う人がいます。
私の弟子達と初めて公開レッスンを見に行った時、「なんだ、まさにジュリアード風じゃないか!」と腹を立てて帰りました。
2年後ぐらいに弟子達が「又、ローザントが来るそうですよ。先生、見に行きましょうよ。」私は「あんなレッスンは見たくないな。」と嫌がっていたのですが、無理やり弟子達につれられて行って、びっくりしました。

何と何と、弓の持ち方から、ヴァイオリンの構え方、音出しに至るまで、全く以前とは逆の事を言い、しかもそのように弾いていたのです。
まさに私達のヨーロッパ・スタイルで・・・・!

「この年になって、自分のメソードの全てを変える事が出来るなんて!」

あらためてアーロン・ローザントの人間性に感激いたしました。

ローザントおじいさんだってがんばっているのに、若い女の子が20代、30代で凝り固まっているなんて信じらンないね!

 

 

就職の為に私達の教室を訪れた某有名大学の学生の中には、自分がコンクールを受けるためにレッスンで通っている先生の所への通り道なので「ついでに寄って教えたい。」などという人もいました。「コンクールを受けるの!すごいでしょう。」「ついでにあなたの所で教えて上げるわ。」そう言った態度が見え見えなのかな。

よっぽど「貴女の受けたがっているコンクールなどは、私達の教室では趣味の子達が全国大会で入賞しているよ。」と言いたかったけど、大人げないのでぐっとこらえて、そういったことがいかに失礼なことなのか、教育とは何かを説明していたら、その子がびっくりした顔(不思議そうな顔)をして一言
「先生は教育に対してプライドをお持ちなのですね。」
と質問して来ました。

「たかが子供を教えるのに、何でそんなに真剣にならなければならないの。」

と言う事なのですよ。

その子は某一流音楽大学の卒業生です。そういった人は面接にも来て欲しくはありません。

「芸術家はどんなに生意気でも許される。」というのは妄想です。極々限られた変人を除いて、ヨーロッパの超有名な音楽家は、とても腰が低いのですよ。それは自分に自信があるからなのです。

 

箴言

自分に甘い人は他人に厳しく、自分に厳しい人は他人に優しい。(ヨージーの法則)

05:4:2脱稿(06年12月1日改定)

一 静 庵 庵 主