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薄味のうどんや蕎麦のおつゆは塩分が濃ゆい???

先程、うどんのだし汁の色のお話をしましたが、ご存知のように、温かいお蕎麦や素うどんは、関東と関西ではだし汁の色が違います。

料理の本を読むと、殆どの本に、
「関東は色が濃いので、塩分が強いと思われがちなのだが、実際には関西の薄味の方が塩分は強い。」と、書かれていて、九州人の私としては、困ってしまいます。

その料理の本の「勘違い」は、素うどんや素蕎麦(かけ蕎麦、冷たいお蕎麦の場合にはもり蕎麦)を出すお店が、殆ど大衆食堂であって、大衆食堂の味なのだからです。

一流のお店には、素うどんや素蕎麦(かけ蕎麦)は、「menuに無い」事が多いので、その「勘違い」の原因でしょうね。(もり蕎麦は殆どのお店にも、menuとしては、ありますが、やはり、少し物足りないのか、注文する人は少ないようですね)。

それは、素うどん、素蕎麦(かけ蕎麦)が、大衆食堂の手間の掛からない「安かろう、早かろう・・・」のmenuだからです。

超一流の名の知られたお蕎麦屋さんで、偶然、menuに素蕎麦(かけ蕎麦)があったので、
「これは、これは・・??」と思って、喜んで、早速、注文しました。
そしたら、よっぽど、私の顔を見たかったのか、店長さん自ら運んで来たのはいいけれど、「おぼん」を持つ手が震えていたよ。
・・・違う!違う!! 
私は料理研究家でも、料理の批評家でもなく、ただの蕎麦好きのお客だよ!!
それは、ただの勘違いだよ!!


経済大国になった、こんにちの日本では、肉体労働者の人達も、(或いは肉体労働だから)経済的に豊かになったので、素うどんやかけ蕎麦の役割はもうなくなってしまったのですが、本来は、大衆食堂では、素うどんや素蕎麦は、何も食材が入っていない、そのお店での一番安いmenuだったのです。

当時は、素うどんは、働くお父さん達が、毎日のお昼を、安く、しかも、短時間に食べなければならない、というためのmenuでした。
ですから、お店は、素うどん、素蕎麦は、必ず、安く提供されなければならなかったのです。

ですから、「出汁」にお金は、掛けられません。
・・という事で、味を強くするために、お塩で味を強くして、誤魔化します。

一般の大衆食堂の味が塩分が強いのは、もう一つ理由があります。
その、もう一つの理由とは、肉体労働で働くお父さん達には、どうしても、体力的に塩分が必要になるからです。
肉体労働では、汗と共に塩分が失われてしまいます。
肉体労働をする人達は、塩分を必要とするので、高級料理店の塩分濃度を極端に抑えた料理を美味しいと感じる事はありません。
体が、塩分を求めているからなのです。
だから、炭鉱や、漁港、農作業の場所の大衆食堂のお店は、塩分で味を強くします。
これは、必要に迫られて・・・なのです。

一流の料理店では、安い料理に拘る必要はないし、食材をケチる必要もないので、素うどんやかけ蕎麦を作る必要はないのです。だから、menuにないのですよ。
それ以上に、大衆食堂のmenuを出していては、一流料理店の沽券に係わるでしょう??
しかし、素うどんや素蕎麦は、何も入っていない、・・・・それこそ「素」の料理です。
料理の原点です。

だから、「一流処ろ」になれば、なる程、怖がって、menuには無くなってしまうのですよ。
だから、私が料理の評論家か、何かで、そこの味を批評に来たと、勘違いしたのです。

何も入っていないのだから、誤魔化しようがないからね。
だから、批評家に見えたのだよ。

歳も歳だし、太っているから、グルメに見えたのかな??
料理評論家のように、見えてしまったのかな??

余談は、さておき、先程も言ったような理由で、素うどん、かけ蕎麦は、一流のお店のmenuに上がる事は少ないのです。
だから、大衆食堂の味が、standardな味になってしまう。
そうすると、どうしても、塩分が強めの出汁が素うどんの味と思われてしまいます。

私達が素うどんやかけ蕎麦の出汁をとる時には、お塩は全く使いません。
カツオや昆布だけで、しっかりとした味を出すには、それだけの量のカツオや昆布が必要になります。
うどんや蕎麦自体にたいしてお金はかからないのに、だし汁を作るのには、とても、高くつくのですよ。

私が自分で、素うどんのだし汁を作る時には、それだけの量を使っていては、日常のインスタントのmenuにはならないし、時間も手間も掛かるので、ある程度のカツオと昆布で、下味を作って置いて、出来上がった素うどんの具材に、トロロ昆布を一摘み入れます。
そうすると、とろろ昆布から出て来る美味しいダシで、薄味の素うどんが濃いダシに変わります。

忙しい時に、一品料理になって、お味噌汁もお吸い物も作る暇がない時があります。
そういった時には、お椀に本だしの元と、とろろ昆布、あれば、レモンの皮を1,2ミリカケの粒を2,3個入れて香りを付けて、お湯(熱湯)を注ぎます。
インスタントのトロロ昆布のお吸い物の出来上がりです。

こんにちでは、たくさんの会社の色々なインスタントの出汁の素が、売られていますが、殆どのメーカーのインスタントのだしの素は、塩分が強すぎるようで、私の場合には、昆布ダシの元の中で、例外的に塩分が薄い製品を買って、しかも、そのだしの素の一袋の半分の量も使いません。
塩分で濃い味を出したら、次には、もっと濃い味を求めてしまうのですよ。
食材の元の味をしっかりと出せば、味付けは殆ど必要はないのですがね。

カツオダシの素や、一般的なインスタントの出汁の素を使用するときには、本当の食材と組み合わせて、味が物足りなくならないように、調整します。

私達が、料理を作る場合には、お塩は全く使いません。
食材からの塩分で充分だからです。

若い人達には、少し薄味かも知れませんが、兎も角、私のような老人には、塩分の過剰摂取は猛毒になるからです。
もっとも、私が20代の頃、10代の頃も、今と同様に薄味だったのですよ。その頃は、血圧等心配する事はなかったし、痩せすぎだったのですがね。

若い人には、少し薄味かも・・・と、言いましたが、でも、合宿等で、教室で作った料理を食べている子供達で、
「味が薄い!」と、文句を言った子供は、未だに一人もいません。

子供達のお母様、お父様の出身地はそれぞれさまざまなので、子供達も味の好みはさまざまであるはずなのですが、みんな、
「牧野先生の手料理は、とても美味しい」と、言ってくれます。
「それって、教室の先生だから、『不味い!』って言えないのじゃあないの??」
いや、そういう事は無いみたいですよ。本当に、お世辞抜き見たいですよね。

あるときに、保護者の方達が、牧野先生があまりにも忙しいので、見かねて、子供達の料理を作るのを手伝ってくれました。
勿論、いつもの通りの合宿menuなので、レシピは変わらないのですがね・・・。

そうすると、早速、子供達から
「今度の合宿の料理は、美味しくない!」と、クレームです。
牧野先生の手料理ではない事が、一瞬でバレてしまいました。
折角お手伝いをしてくれたお母さん達でしたが、消え入りそうな感じでしたよ!!
という事で、次には、チョッと高めではありましたが、料理店から、デリバリーをしてもらいました。
でも、料理店の料理は、子供の味とは違うので、あまり食べてくれなくて、結局、殆どを残してしまいました。
家庭の味とは違うので、子供達には、美味しくはなかったのですよ。
色々と、試して見たのですが、結局は、牧野先生の手料理に落ち着きました。
私的には、牧野先生も、子供達の指導に回って貰って、料理はお母さん達にお任せしたかったのですがね。
音楽を勉強している生徒達の味覚は大したものです。
それ以降は、お母様達のお手伝いは、配膳や、後片付けに限って、お願いする事になってしまいました。

「一番の味は、母親の味」という言葉が、一般的な言葉でしょうが、音楽を学ぶ子供達にとっては、そうではありません。
昔々のお話なのですが、小学4年生の子供が母親に
「お母さんのお味噌汁は美味しくない!」と文句を言ったので、あたまに来て、「そんなことをいうのなら、自分で作りなさい!」と、怒ったら、「ふん、ふん、」と、本当に子供が自分でお味噌汁を作ったそうです。
お母さんが
「ちょっと、食べさせて。」と言って、味見をしたら、「先生!本当に美味しかったのですよ。」と、驚いていました。

牧野先生が、お味噌汁のつくり方を伝授したのでは・・・??

いえ、幾ら合宿でも、子供達に料理そのものの手伝い迄は、させません。
(仕込み作業のお手伝いや配膳等は、その時間、暇な小学生で、お手伝い希望者に、させる事はよくありますがね。料理の味を決めるのは、牧野先生と斉藤先生と私の三人だけです。)

だから、その女の子は、本当に牧野先生の料理を作っている作業を見よう見まねで、作ってしまったのです。
料理教室では、細かく材料の切り方や、味の付け方等を説明するのですが、教室の場合には、毎回、合宿の参加者の人数が違うので、そんな細かい事はしません。
全て「適量・・」なのです。
何せ、10人前から20人、30人、多い時には、50人以上の料理を作る事もあるのですからね。
だから、適量なのですよ。
適量・・・!!!

料理教室では、食材の材料もレシピも、先生に習った通りに作ります。レンジや、コンロに至る迄、全部同じです。
でも、美味しく作れる人の料理は美味しいし、不味い料理を作る人の料理はやはり不味いのですよ。
不思議ですよね。
何処にその差が出て来るのでしょうかね??

音楽の場合も、日本の有名教授や世界の売れっ子先生になると、proの演奏家になろうとする生徒達がゴマンと訪ねて来て弟子入りします。
しかし、その中で、本当に演奏家になれる人は、殆どいないのです。
つまり、演奏家と呼べる人がそんなに多くはないからです。
言い方を変えると、proの演奏家になる人達は、どんな先生の門下になろうとも、proになれるだろうし、proになれない人はどんなに有名な指導者に師事しようと、どんな有名大学を卒業しようと、なれないものはなれないのですよ。
それは、私達にとっては、極めて、当たり前の話なのですがね。
proに成れる人は、小学生になる前の年齢でも、分かりますし、成れない人達も分かります。
それは、最初から別の世界に住んでいるからですよ。
全く同じ世界に住んでいるように見えていても、4次元に住んでいる人と、5次元に住んでいる人の違いです。
富士山と同じで、上にいる人達からは、下の人達は見えるけれど、下にいる人達には、上にいる人は見えないのですよ。
想像と現実は全く違います。


素うどんではないのだけど

事務所で作業が終わらなくって、食事を作る暇がない時には、お鍋を作ります。
野菜を洗って放り込むだけで良い、簡単料理だからです。
お鍋を食べた後は、うどんを放り込んで、東丸のうどんスープや、茅の舎のダシの素で、味を整えます。

うどんでない時には、冷えたご飯を放り込んで、雑炊を作る事もあります。
おでんの御汁では、ラーメンを作るしね。
色々とリサイクルをするのですよ。

その日の締めのご飯か、次の日の朝や、昼迄の食事がそれで作る事が出来ます。





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