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二楽章はtempoが早いので、basso continuoの補筆を除いては、一楽章のように、加筆をする事は演奏の技術上不可能です。
ornament等々の加筆をしても、早いtempoでは、そのornamentは入らないし、もし演奏出来たとしても、それは演奏効果として生きて来ません。
ですから、こういった早い楽章では、シテワキの曲の効果さえ出せれば、それで充分である・・と思います。

この二段譜は、和音の足りない所、和音が欲しい所、音の間違いを少し補筆訂正して起きました。「Telemannの無伴奏がもし、duoだったら」という想定です。あくまでも、単なる参考です。
いずれにしても、このような譜面で演奏しなれれば、imageは付くので、一人で演奏する事になったとしても、その表現の意味は分かります。
但し、violin1本で、シテワキの二人の演奏表現をしなければなりませんので、その表現の落差を付ける事は容易ではありません。
思っている以上に、区別を出して演奏しないと、観客にはその違いが、聴こえて来ませんよ。





Graveについて
勿論、この曲では、緩急緩急の四部構成になっているので、当然、三楽章はGraveの緩徐楽章となります。

baroque時代の作曲家達は、一般的には、緩徐楽章を書く時には、ornamentは書かないのが通例なのです。
右の譜例参照:Handel harpsichordsuite Z g moll sarabande


それが音楽を好きなだけの趣味人達やPiano科の音大生ならば、いざ知らず、卑しくも、Cembalo科の生徒が、
「baroque時代の緩徐楽章はsimpleで簡単だ!」とか言って、Handelのsarabande等の楽章を、楽譜通りに、そのままに、冗長に演奏しているのは、我慢出来ない許されざる行為であるぞよ。

芦塚先生が何を怒っているのか、これでは、突然で、何の話か分からんよね??
これを手前味噌とか、楽屋うちとか言うのだよな。

ある日、ある時に、芦塚先生は、某音楽大学のCembalo科のvortragsabend(Cembalo科の発表会)を聞きにノコノコ行って来たのだが、「怒り心頭・・」で、帰って来たよ!!
「何処が、Cembalo科の発表会なのだよ??」
「ただ、譜面通りにCembaloで楽譜を演奏しているのに過ぎないじゃあないか??」
「それなら、そこらの巷の音楽教室の子供達の発表会と、全く変わらんじゃないの??」
「卑しくも、音楽大学のCembalo科」のvortragsabendなのでは、ないのかよ!!」
「もうチョッと、先生も生徒も、真面目に勉強をしたら、???」


と怒り捲っていたのですよ。
「ヒョッとして、baroqueviolin専科のvortragsabendも下の楽譜通りに演奏して、「baroqueの演奏で御座います!!」と、のたまわっているんじゃないだろうね??」とかね??

フム、フム・・・???

次の曲は同じHandelのHarpsichordsuiteのV番のAriaとVariationのthemaであるAriaです。

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