阿呆らし・・ついでの笑い話で、
通奏低音による書法(作曲法)はbaroque時代のみではなく、古典派の時代、つまりHaydnやMozartの時代迄、かなり厳密に守られてきた。
典型的な例は、Mozartの彼の有名なトルコ行進曲のpassageにも見受けられる。
譜例:original譜
通奏低音と言う事で、celloやviola da gambaの譜面とその数字だけを頼りに即興で演奏する場合には、melodieの音がその和音上にない場合には、即興で伴奏する演奏者にとっては、いたづらに混乱を招く。そのために、melodieの音が和音上で非和声音になる場合には、非和声音であるという事を表すために、長前打音(appoggiatura・・・Strichの打線がないので、本当は前打(!!)と言う言葉は矛盾していて本来は使用出来ないはずなのだが・・)で書き表した。
つまり、この小さな音符は装飾音を表すのではなく、非和声音を表しているのだ。
だから、敢えて確認するが、この場合にはacciaccaturaとして打音を伴っている分けではなく、小さな音符で書かれているに過ぎない。
(本来の音だからappoggiaturaなのだよ)
(この曲の場合には、その非和声音は何度も出てくる倚音と、schleifer(シュライファー)というglissando(若しくはportato)を表す装飾音の二種類が使用されている)
appoggiaturaの場合には、その演奏する単位の長さで書き表す事が多いので、この場合には、一般的に普通に演奏されるように、16分音符のターンのように演奏される方が正しい演奏である。
ウィルヘルム ケンプという名演奏家がこれを短前打音(acciaccatura)と勘違いをして弾いていた。
当時は、未だ古い古典派の奏法や、baroque時代の通奏低音の奏法が知られていなかった時代の話なので、「まあ間違えて弾いたとしても仕方がないか??」と思っていたのだが、何と、今日のテレビでも、Mozartのこの曲を、短前打音と勘違いして、eccentric(エキセントリック=奇妙に)に演奏している日本人のピアニスト(女性なので、ピアニスティンが正しいのだけど・・)がいた。
このappoggiaturaとacciaccaturaの違いは、随分昔々から言い続けているのだが、こればっかしはなかなか治らんね!!
このホームページでも、あちこちに書いてはいるのだがね。
誰も、読まんか・・・???
八千代のMozartのアイネクの練習の報告
単なる蛇足であるが、BrahmsがSymphonieを作曲する時に、通奏低音の技法を用いてあの複雑なオーケストラを作曲していたと言われている。
同時にBrahmsはCouperinの校訂者としても有名である。
LisztはBach、Sait-SaёnsはRameauの校訂をしている。
Bartokの手によるBachの平均律の校訂版もある。
歴代の大作曲家は皆、謙虚なのだよ。
だから、baroqueの作曲家やrococoの作曲家達、先人達の音楽も、軽んじる事はなく、真摯に研究をしていたのですよ。
大作曲家ですら、然りなのだから、我々も、baroqueやrococoの作曲家達の曲を馬鹿にしないで、先人達を見習うべきだよね。
proの演奏家は、室内楽のツアーが決まると1年近く同じレパートリーの曲を色々な場所で演奏する。
proの演奏家は、一つのツアーで、Apro、Bpro、Cproと、三つぐらいのprogramを準備する。
と言う事で、proとは常に同じprogramを演奏する商売であるのだよ。
私が若かりし頃、チョッとお手伝いをした事のあるNHKのトップメンバーで組んでいたQuartett(徳さんQuartett)って、冗談で呼んでいたけれど、当時、Schubertの死と乙女の演奏をツーリングで100回も演奏していたそうで、勿論、「それで演奏に飽きるような事があったら、proとは呼べないし、より完璧に追求する事が出来なかったとすれば、その時には音楽家は辞めるべきだよね。」って言っていたよ!!
proになりたがっている人やアマproは、せいぜい2,3回も同じ曲を演奏したら、「もう飽きた!」と言ったするしり、逆に、10年経っても同じ曲しか演奏出来ない人もいる。
そういった人間的に未熟な音楽家に会う度に、暗澹たる気持ちになってしまう。
音楽って、なんなのさ??って言いたくなるのだよ。
プライドとブランドばかりを追求してさ!!
まあ、classicにも、そういったgenreがあってもいいけれど、私はそういった人達のそばには、寄り付きたくはないのだな??
100回同じ曲を演奏会で演奏しても、それで演奏を飽きる事があったり、その曲をより向上させる事が出来ないその時には、演奏家をやめるべき時なのだよ。・・とは、俺の言葉ではなくて、徳さん達の言葉なのだがね。
音楽家は謙虚さが大切なのだよ。
蛇足かもしれないけれどね??
蛇足ならいいけれどね???
蛇足がほとんどなのでね・・・???
蛇足しかなかったりして・・・???