先ず、通奏低音なのですが、「通奏低音とは、なにか??」という事を知っている人(答えられる人)は、日本では殆どいないと思います。
それは日本の場合に限っては、baroqueを専門に演奏する演奏家も、否、通奏低音も専門家というべきCembalistでさえ、同様だと思います。
勿論、音楽辞典等で通奏低音という言葉を調べると、「チェロやガンバのパートを、一緒に左手で演奏して、パートの上に書かれている和音を表す数字に従って、右手で和音を即興で演奏する。」と書かれています。
当然、日本のCembalistも、その程度の事は知っているとは、思います。・・・思われます。・・・思いたいです。・・・???
しかし、通奏低音を説明しようとすると、和声学の基礎知識のような、そんな単純なものではないのですよ。
その分、通奏低音奏法の難しさを、折に触れて、「通奏低音とは何か?」といthemaで、曲目の解説のページや、Cembaloの解説のページに、割り込ませて、書いてはいるのだが、それでは、何の手助けにもならないので、「通奏低音」のページとして独立して、書く事にした。
baroqueviolinとbaroquecello、Cembaloの演奏、Biber Sonata representiva Junko Saito baroqueviolin 「物真似ソナタ」
これぐらい、古い音楽になると、Cembaloのpartも実にいい加減に書かれています。
「版がヘボいのかしら??」
否、それは違います。
それだけ、maniacな楽譜を出版するのだから、それなりに勝れた原典版なのです。(勿論、高価な楽譜です。)
それなのに、Cembalopartの楽譜は、酷い!!
超、ヘボいのですが、それは、この難曲を演奏する人達は、専門家集団のみだからなのです。
つまり、この曲を演奏するCembalistは、通奏低音の演奏が出来るので、Cembaloのpartは、あくまで、タダの参考迄という事で、ちゃんとしたCembaloのpartの演奏は、Cembalistに任されているのです。
当然、Cembaloのpartの演奏は、ちょうどジャズのセッションの練習の時のように、練習の過程で、violinのsoloのornamentと絡めて、必要な所に加えて行きます。
最終的には、violinのpartもCembaloのpartも、出版されている楽譜とは、似ても似つかないものになってしまいます。それが、basso
continuoの技術であり、ornamentの技術なのです。
最初の話に戻りますが、繰り返し、言うように、「通奏低音とは何か??」 それを一言で説明する事は難しい。というか、それは不可能な事です。
確かに一番簡単な、音楽大学の入学試験のように、通り一遍の回答ならば、上記の音楽辞典の説明で充分だろう。
しかし、これではgeneralbassの数字付き低音という言葉の意味を説明したに過ぎず、「これからbaroque音楽を専門に勉強したい。」という熱心な音楽大学の学生に対しては、余りにも無意味な説明である。
次の曲はHandelのviolinsonateのBaerenreitaerのoriginalの原典版である。
当然、Cembaloのpartは書かれていない。
当時の殆どの、soloの曲は、このように書かれているのです。
伴奏のpartは、Cembaloのpartで書いたのだと、思われがちではあるが、当時は、そういった楽器指定はないのですよ。
教会であれば、orgelで伴奏したのだろうし、Cembaloのような高価な楽器を持たない巷の人達の場合には、guitar(ギター)やLaute(リュート)のような楽器で演奏されたかも知れない。
本当に、楽譜のように、violinとcelloだけで演奏したのかもしれない。
そこらの楽器の編成の厳密さは、baroque時代にはないのですよ。
クライアントが何の楽器を持つかは、作曲者にとってはどうでも良いのだよ。
音域さえ合えば、violinでなくって、recorder(リコーダー)かflute(フリュート)で演奏したかも知れない。
それで、良かったのですよ。
私達の教室でも、対外出演の時には、2本のTraverso(若しくはrecorder)とviola da gambaのために書かれているルイエ(Loeillet)ド ガン(遠州森村の石松のように、或いはヴィンチ村のレオナルドのように、ベルギーのガン(ヘント)出身のルイエという意味ですがね)の美しいmelodieを、Traversoではなく、baroqueviolinで煌びやかな装飾を加えて何度も演奏しましたよ。それはそれなりに美しいのですよ。
今回の発表会で演奏する梨紗ちゃんのProkofievも本当はfluteのsonateなのだけどね。