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更して演奏させている。
2ndpartをEに変更したので、violaの72小節目の頭の音はGに変更して演奏させている。
kleinigkeit(小事)であり、取り立てて言う迄もない事ではあるが、実際に演奏すると、不思議な事に、意外と演奏が楽になる。(音が安定する。)











また、Ricordi版では、celloとKontrabassのpartが分かれているのだが、それは9小節目と、同じ9小節目の繰り返しである74小節目の「fとpのecho」のためである。

つまり、この2箇所(実際上は1箇所)以外では、Kontrabassとcelloは全くの同じ譜面を演奏するので、敢えて、譜面を分ける必要性は全くないと思われるし、また、Kontrabassを省いたことによって得られるechoの効果もさほどはない。
しかし、無駄な努力と思われるこの区別は、教室のversionでは、Ricordi版に従って、敢えて残しておいた。

格別、それを残すための根拠はないのだが、気が向いたので・・・。











曲の説明
●Bachのviolinconcerto等では、violinとcello、Kontrabassが同じ速度で動くので、Kontrabassにとっては、とても難しい。Vivaldiの曲にしては、Bach程には難しくはないのだが、それでも、cello、Kontrabassが速い速度で音階進行をする。
celloにとっては、この速度で音階を弾く事は難しくないのだが、さすがにKontrabassにとって、この速度でscaleを演奏する事は、Zirkus(サーカス曲芸的)で難しい。
Kontrabassの指使いは、人差し指(1の指)と小指(4の指)で2度の音になる。人差し指(1の指)がドの音の上にいた場合には、小指(4の指)でやっと、レの音になるのだ。
だから、何気なく、fa、ミレドシラソファーと弾く事は、左手の動きは大変な動きになってしまう。
勿論、中学生以上の年長組の生徒達にとっては、それも普段のTechnikなので、何でもないpassageなのだが、さすがに学習途上の小学生達にとっては未だ難しい。

●教室のversionとしてく作るにあたって、「2ndにワキのsoloがあるのを、1stに持って行って欲しい。」という注文があった。勿論、演奏するmemberの都合によるものだ。
2ndのPultmasterがsoloをするのは、所謂、baroque並び(Vivaldi並び)の時に、soloと交唱をする時の立体効果(所謂、stereo効果)を出すための演出である。
と言う事で、本来的には、1stのPultmasterが第2soloをするのは、演奏会の場合には余り良い改訂ではないので、教室のversionとしては、原曲通りに2ndに第二soloを持つversionと、今回の発表会に合わせた1stに第二soloを持って行くversionの二つを作った。
これこそはfinaleのなせる技であり、昔のように、手書きで譜面を作る場合には、こうは、そう簡単には行かない!!!