Analyse
(まえがきと、このPageへの文章が難し過ぎるという事への弁解になっていない弁解です。)
Vivaldiのviolinの教育との関わり
ritornellol形式について
以下、rondo形式の説明です。
ここからritornello形式の説明になります。
余談の蛇足で、オケの序列の話ですが、
ritornellolのthemaを繰り返す時の、Vivaldi先生のtrick
basso continuoについてのお話です。
蛇足ですが
basso continuo soloについて
soloのpartの分析
演奏について
楽譜を読むという事
trillerについて
一つを得ると言う事は、一つを失うという事です(ヨージーの法則)
弓の持ち方(一点支持と3点支持)、現代楽器とbaroque楽器
この曲は、次回の発表会、2015年04月29日の千葉の発表会での演奏予定です。
・・・・つまり、このVivaldi Stravaganza Op.WNr.2e mollのPageは、15年4月以前にuploadされた文章です。
そのPageの上に、折に触れて、書き足されていった文章なので、timelineが滅茶苦茶になってしまっていて、それが、この文章を分かり難くする二つ目の要因にもなっています。
なので、昔は(他の論文で、での話ですが)、文字の色を変えて、書き込んだりしたのですが、逆に分かり難くなってしまったので、その方式はやめてしまいました。
という事で、下の文章は、突然、その後、(つまり、15年4月の、発表会以降)の書き込みになります。
こういう風に、timelineが飛びます。
2015年4月29日芦塚音楽研究所付属千葉音楽教室主催の春の発表会です。
演奏は紗來ちゃん(小3)です。
発表会は恙なく終了しました。
VivaldiのOp.WNr.2の、解説のPageは、教室の常設曲のなので、折に触れて改定を続けて行きます。
。
それから、更に、1年後、(16年の4月の発表会以降の「曲決め」の後の書き込みになります。
2016年4月の23日頃から、homepageのrenewalを始めました。
この「論文の内容が難し過ぎる」という事についての(弁解になっていない)弁解です。
一年後(今年=16年の4月)の話なのですが、今回(16年の秋)の発表会で演奏する予定のオケの曲が、再びこの曲のT,V楽章に選曲されたので、soloを演奏するむすめさんのために、保護者の方が、この曲を勉強しようと、この論文を読んだのだけど、「解説のPageと言う事で、このhomepageを開いて読んで見たのだが、全く何が書いてあるのか、分からなかった」という感想を頂きました。
論文を書く際には、大学の論文とは違って、社会人の場合には、必ず読んで頂く相手(対象)を決めて、論文を書かなければなりません。そこが学生の論文との大きな違いです。
という事で、この論文を書いている私自身にとっても、その建前としては、(この論文だけの話ではなく、作曲をする時にも、論文を書く時にも、proとしての心得(建前)として)、必ず読む人、聴く人・・の対象の人を決めてから、その人にとって読みやすいように、書かなければならないのです。
演奏の場合にも、演奏会にいらっしゃる人達の好みを見定めて、曲目を選曲するのが、proとして常識(心得)なのです。
八千代でのコンサートでは、同じ日のコンサートなのですが、演奏曲目が同じではなく、お昼の部と、夕方の部では、演奏の曲目のimageが全く一新されています。お昼の部は、赤ちゃんや子供連れのお母様達が楽しく聴けるような曲を中心に選曲し、夜の部は、じっくりと音楽を楽しみたい人達のために、少し重めの曲を集めて演奏しています。所謂、芦塚先生の鬱々programです。
私がlessonをしている時にも、生徒に保護者の方が付き添われている場合には、必要に応じて、lessonの状況を説明するようにしていますが、lessonの内容自体を、保護者向けにお話をする事も、良くあります。
文章を、読み手に合わせて書く事は、物書きとしては、極めて当たり前の事なのですが、(当然、同じ音楽の論文であったとしても、曲目の解説ならば、かなり、分かり易い文章を書く事は難しくは有りませんが、)曲のAnalyse(分析)やinterpretation(解釈)ともなると、その論文を読みくだすには、かなりの専門的な知識が要求されてしまいます。
ということで、この原稿の内容は、楽曲分析や、演奏法の説明等々、かなり専門的な内容になってしまうので、私としては、文章の内容を、教室の生徒を対象とするならば、専科の生徒達ぐらいならば、読みくだせるのかな?とか、当然、「音楽大学の学生さんぐらいの知識があるのならば、普通に読めるのではないのかな?」というくらいのimageで、これまでは、文章を書き進めて来たのですが、チョッと、不安にかられてしまって、実際に、音大の学生さん達に、この論文を読んで貰って、その感想を改めて聞いて見ました。
すると、「チンプンカンプンで、全く分からない」と言う解答でした。
音楽大学の学生さん達が、理解出来ないような内容を書いた分けでは無かった・・と思ったのですが、この論文を積極的に、読んで頂いて、その文章の内容を、その方のhomepageに引用して頂いたり、お褒めの言葉を書いて頂けたのは、何と、・・・同業者の方達だけ!!のようでした。
まあ、同業者ならば、普通に読めるわな??
確かに、音楽大学を受験(卒業)するぐらいの勉強をして来た分けならば、・・・つまり、それぐらいの音楽の基礎知識のみ・・では、この論文を読み下すのは、少し無理があるのかもしれませんよね??
私としては、一応、音楽の専門の勉強をしているはずの、音大生ならば、充分にこの文章を理解し、読み下す事は出来るのではないか??・・と思ったのですがね???
私としては、殊更に内容を、そんなに難しくした覚えは無いのですがね??
Vivaldiとviolinの教育との関わり
Vivaldiは、一応は、「教会の司祭」という肩書は持っていましたが、音楽家としての立場が優先して、司祭としては、評価されてはいなかった事は事実のようです。
「赤毛の司祭」というアダ名もあったようです。
嘘か本当かは分からないのですが、Vivaldiに関する伝説のような逸話が幾つか残っていますが、まことしやかなのは、司祭としてのお説教の最中に曲のアイデアが浮かんで、慌てて懺悔室に飛び込んで、メモをしていて、司祭を首になったという話を聞いた事があります。
(でも、全く同じ話は、Schubertの話でも聞いた事がありますよね。Schubertが、父親の学校で、子供達を指導していた時に、やはり音楽のアイディアが浮かんで、黒板にmelodieを書き留めていて、授業にならなかった、という話です。
これも、都市伝説みたいなものかいな??)
Vivaldiは、教会から、ピエタ慈善院付属の音楽院(Ospedale della Pieta、オスペダーレ・デッラ・ピエタ)で、捨て子の女の子達を指導する事を命じられました。
このピエタ音楽院は、現代日本の「赤ちゃんポスト」のように、捨て子達を救済する目的で設立されて、貴族や裕福な市民の寄付によって賄われていたのだが、ご多分に漏れず、寄付に頼るには、会計不足で、この音楽院の主催するコンサートによって、賄われていました。
Vivaldiの指導する子供達の演奏は、イタリア中に鳴り響いていて、毎週のコンサートには多くの聴衆を集めていました。
教会という建前上、一般の聴衆からは、演奏する子供達が見えないような場所で演奏していたと言われていますが、寄付をする貴族や裕福な市民達は、身近に子供達と接する事が出来て、見染められて結婚してPietaを去る子供達もいたと言われています。
Pieta音楽院に捨てられた子供達で、結婚によって、Pietaを去る以外の子供達は、一生をPieta音楽院で過ごしたようです。
当たり前の事ですが、当時は、女性が外で働くという事は有り得なかったのですよ。女性が外で働ける様になったのは、戦後、この50年ぐらいの話ですからね。
という事で、作曲家の作品集としては、極めて稀な事なのですが、Vivaldiの作品は、子供達がそれぞれの楽器を学びやすいように、grade別に作曲され編集されているのですよ。
Vivaldiにとっては、Op.は教育教材としての、grade分けなのです。
芦塚音楽教室の、世界的に見ても稀な(唯一無二な)orchestra-curriculumは、そういった教育を目的としたVivaldiの・・作曲上のconceptによることが大きいのです。
Vivaldi 様、様なのですよ。
Vivaldiは、最晩年にwienに旅をしますが、マリアテレジアが即位した事で勃発したオーストリア継承戦争により、「音楽の谷町」どころではなくなった貴族達から見捨てられ忘れ去られて、旅先から、再び国に戻る事が出来なくなってしまって、失意の内にwienの町で旅の途中で亡くなってしまいます。
(昔の伝記では、Vivaldiは職探しで、放浪をしている最中に、Munchenで病に没して、その墓はMunchenにある・・となっていたのですが、Wikipediaでは、少しnuanceが違うようですね。調べ直すと、その都度、内容が変更されているのは、面白い!!小、中学校で習った歴史や科学の勉強が今は何の役にも立たなくなっているのと同じで、時代、時代で、歴史も変わってしまうのですよね。)
ちなみに、日本の**のメトードによって、世界中のviolinを学ぶ初心者の子供達が決まって演奏する、曰く、世界的にも悪評の高い・・Op.3の「調和の霊感 L'estro Armonico」という曲集の、6番目の曲(Vivaldiのせいではないのだけどね〜??) 「Vivaldiのイ短調(a moll)のviolinconcerto」は、キンキン、キャンキャンとした、独特のviolinの音のimageの、(日本のviolinのメトードのおかげで、)、今では、すっかりと悪いimageが定着してしまいました。
私が、orchestraのcurriculumとして、一番簡単な曲として、「Vivaldiのa moll」の曲を、部外の先生達に指導させようとすると、「その曲だけは、勘弁して!!」とか、「Vivaldiは嫌いなのよね!!」という、答えが必ず帰って来ます。
まあ、すっかりtrauma(トラウマ)になっているのでしょうけれどね。・・・・(私はviolinなど、習った事が無いので、traumaはありませんけれどね??)
・・・という事で、CD等で、勝れた演奏団体の演奏を、半ば強制的に聞かせると、「えっ??こんなに綺麗な曲だったの??」と、驚かれてしまいます。
日本の**メトードのキンキン・キャンキャンとした音は、一昔前の人達が犯したbaroqueの奏法への、誤った(勘違いの)解釈による(遺された昔の論文などを、言葉だけで、間違えて解釈してしまった、誤った演奏styleによるimageなのです。。
演奏法を、文章だけで、読み取ろうとすると、どうしても、曲解してしまいます。
今でも、ヨーロッパやオーストラリアの教科書では、日本人は、桜と芸者と新幹線が絵の中に収まっていて、イタリアの人達も、巨大なポックリを履いて、中国の髪と衣装を着た国籍不明の日本人のimageを、正そうとはしないのですよ。「我々の日本人のimageはこうだ!!」と断固として主張して・・・
言葉を曲解したままに、そのまま解釈してしまっていて、それが、楽器の的特性によるものである・・という事を理解しないままに、baroqueの演奏に当て嵌めてしまった、一昔前の解釈による、誤解のままの演奏styleが、そのままこんにちの日本の弦楽器の演奏のstyleなのですよ。
一度、間違えた解釈が定着してしまうと、何をどのように訂正しようとしても、全く話が通じなくなっていく、・・という日本人の悪い癖です。
Tourte(トルテ)が弓を現代のbowに改良して(一つを得る事は、一つを失うという原則がありますけれどね。)弓は力強さを得たのですが、それで、美しい音の伸びを失ったのですよ。
Cembaloが人々から忘れ去られて、改にCembaloが作られた時に、Cembaloが忘れ去られた原因は、音の弱さにあるとされて、強い音を出すために、Macneck(メカニック)が改良(?)されて強い音を出すCembaloに改良された分けです。
NeupertやAmmerの機械式Cembaloです。しかし、1960年代に入って、baroque時代のCembaloが復刻されたり、repair(修理)されたりして、baroque当時の音が再現出来るようになって来た時に、人々は、失われたものの大きさを理解する事が出来るようになり、殆どのCembaloが復刻のCembaloになりました。
しかし、正しいPianoのtouch(タッチ・打鍵法)や、古典派のPianoの美しい音を理解させるために、「forte-piano(フォルテ・ピアノ single actionのPiano)の楽器を、購入したい。」と、相談したのですが、「今が、ちょうど、Cembaloの黎明期であった、60年代で、forte-pianoが一般の人達にも、完成された型で手に入るようになるには、後、30年は掛かる」と言われてしまいました。
技術の世界でも、一度失われた技術を復活させるには、それほど、大変なのですよね〜ぇ??
でも、それはお国芸であるヨーロッパの話です。
日本では、violinやcelloの音を聞くと、どうしても、二胡や馬頭琴の音を連想してしまいます。
日本人にとっては、ヨーロッパで鳴り響いていたviolinの音よりも、やはり、二胡や胡弓の音の方が、身近なのですよね〜ぇ?
でも、私は、ヨーロッパの音楽を学んでいるので、日本人の愛する馬頭琴や二胡の音ではなく、ヨーロッパの音としての、violinやcelloの音を聞きたいのよね〜ぇ?
3点支持で強引に引っ張り上げた音ではなく、baroqueや古典派の1点支持による、石造りの家に共鳴した残響のある音を聞きたいのよね〜ぇ?
ついでに、どっかの音楽大学の先生が、「今のPianoの椅子の高さは、一番低くして弾くのが主流なのですよ。」とか、言っていたらしいけれど、それってぶら下がり弾きで、Horowitzが身長190センチ以上で、普通に弾くと膝がPianoの下にあたって弾けないので、膝を逃がすために、烏賊のような格好で演奏した・・という所から来たのよね。
その先生はついでに、「Pianoの鍵盤に顔を寄せて弾くのは、初心者が自信がないからそうするのよ!」って、言っていたそうだけど、その先生、音を出すという事の意味が全く分かっていないのよね。
音楽から、離れて、日常的に作業をする人達に対しての人間工学というのが、あって、人が机で仕事をする、或いは、パソコンのKeyboardを打つには、どの椅子の高さで、どういう姿勢が一番疲れないで効率良く仕事する事が出来るのか?という事を大学で研究しているのだけど、その研究をしている人達で、「椅子を一番下げてKeyboardを打つのが、一番効率が良い」・・という人はいないけれどね??
音楽の世界は本当に(独自で)不思議な世界だよ!
そういうの、独善的!!て言うんだよ!!
本当に、Stravaganzaだよ!! そうそう、eccentric(エキセントリック=奇妙な)とも言うけれどネ。
初級versionの「調和の霊感」に対して、その次の次の課題として、Vivaldiは、「Stravaganza」と題されたOp.4の12曲のviolinconcertoを集めた曲集を作りあげました。
この曲の題名である、「Stravaganza」の意味は、「奇妙、狂態」となりますので、邦訳されてはいなくて、元のtytlそのままの「Stravaganza」という名前で知られています。
今回のそこの曲は、そのStravaganzaの中の第2曲目の曲です。
勿論、Vivaldiが、「Stravaganza」・・・つまり、奇妙奇天烈(キテレツ)と名付ける程の作品なのですから、Vivaldiにとっては、革新的な技術を網羅した面目躍如とした作品集なのです。
芥川龍之介の「侏儒の言葉」とも一脈相通じる所があるのかな??
今回の「Stravaganza」 Op.4の12曲のviolinconcertoを集めた曲集は、Op.3の「L'estro Armonico」と比べたら、かなりの高度なviolinのtechnic(技術)が要求されます。
2016年5月22日の花園教室でのオケ練習の風景です。(このVivaldiのe mollの練習のみのuploadです。)
音楽の基本の練習です。Vivaldi等のbaroqueの音楽に対して・・という意味ではなく、時代を超えた総ての音楽の基本がそこにあります。
問題は、毎回同じ注意をしなければならない、と言う事です。
小学生の初めて組の生徒達が演奏出来なくって、同じ注意を何度も受けるのなるば、分かるのだが、それを音大生になった生徒が、毎回の注意をどうしても理解出来なくって繰り返し注意されるのだから、暗澹たる気持ちになってしまう。
同じ、4分音符でも、orchestraの低音としての4分音符や、basso continuoに使われる4分音符と、Motivとして使用される4分音符では長さが違って来るのだよ!!これは、曲毎に・・という分けではなく、或る程度の約束上に成り立っているので、ケースバイケースで、覚える事が出来る。勿論、baroqueだけではなく、古典派の作曲家の場合でも同様に演奏するのだよ。
それを、小学校の時から中学校、高校と学んで来たはずなのに、音楽大学に入学した途端に、4分音符としてしか理解出来なくなってしまっている。
同じ4分音符の長さの伸ばしの音でも、orchestraやbasso continuoの低音の場合には、図1のようになって、Motivとして使用される場合には、図2のように、演奏するのだよ。分かり易いようにデフォルメしたつもりなのだが、図1と図2は同じ長さとしてください。
図1を教室では、「エグリbow」と呼んでいて、図2は、暫定的に「baroquebow、古典派のbow」と呼んで、未だ名前を決めていません。
この奏法の名残が伝承的にwienのorchestraにwien奏法として残っているのですが、体験的な奏法として、ウイーン人達だけが演奏出来るtraditionalな口伝のみの奏法として、門外不出として残っています。
wienのviolinist達も、どうしてそんな音が出るのか、論理的に理解して演奏している分けではありません。
Genzmer先生がよく言われている「体験的に出来る奏法」なのですが、そのGenzmer先生の課題も、全部、私はclearしましたよ。体験的に出来る・・なんて、ある分けは無いのですよ。
根本を押さえないから出来ないのです。Menuetのtempoやrhythmが分からければ、歴代の演奏家ではなく、baroqueや古典派の時代のMenuetのdanceを学べば良いのです。
運動音痴で、それが無理なら、よく映像を見てそのstepを覚えて、動いて見れば良いのです。それだけで、絶対的なtempo感とrhythm感が学べるのですよ。音楽から離れる事がコツなのです。
Menuetはdanceであって、音楽よりも先にrhythmがあるからなのです。作曲家はそのrhythmを拝借しているだけなのですからね。
自治会館の練習の時に、Polonaiseの1拍目のskipのrhythmが、生徒達が中々理解出来ないで、どうしてもskipが、タメ(溜め)がなくって、甘くなって、困ってしまったのですが、体が重くて、動くのが大変なのだけど、子供達のために、一回だけなら・・という事で、Polonaiseの1拍目のskipを生徒、先生達の前で踊って見せました。上に思いっ切り飛び上がりながら、足を左右にバタバタと入れ替えるballetでも、超、高級難度の技です。
子供達は「和〜あ!!」と、驚いて、ビックリしていましたが(尊敬の眼差しで・・)、先生達は「出来るんだ!」と、別の驚きを示していました。
太っているので、「絶対に無理!!」と思ったのですよね。
でも、勿論、その一発のみで、息が上がって、心臓パクパクになって、しまいました。
生徒指導も、命がけですよね。
でも、習ってもいないのに、どうして、そんな事が出来るの??って??
それは、私が、昔々学んでいた、古武道(居合や合気道)で、そういった事を学んだからです。
古武道では、先生が一度、生徒全員の前で、その技の演舞をして見せて、「さあ、同じようにやりなさい!」と、言われるのですよ。
一回、見るだけでは、とても動きが早くて細かい所まで、見えないし、古武道の場合には、右手右足、左手左足が同時に相手に対しての攻撃になっていくし、防御と思われた手がそのままに攻撃に代わるので、動きの推移を見て理解するのはとても難しいのです。
しかし、昔々の古武道のlectureは、手取り足取りは絶対に教えてくれません。
一度見ただけで、再現が出来ないと、大目玉で、怒られてしまいます。
京都の豆腐作りの名人に、当時の京都市(府)長が、「もう、高齢になったから、そろそろ弟子を取って、その技術を伝えたら?」と、言ったら、名人は「作っている所は、誰でも見れます。だから、盗みゃあいいのです。」「私は何も隠してはいません。」という答えでした。
まさに、それが本質です。学校教育では何も学べ無いのですよ。
自分から「盗もう」という意識があれば、見るだけで、聴くだけで、その技術を身に付ける事は出来るのです。
私も、昔の時代の学習法で学んで来たので、今のように、手取り足取りの方法は、嫌いです。
職業は各種あったとしても、proの勉強法は一つなのです。
昔々、学んだ古武術の学び方・・・、それがballetの動きを見たりする時の役に結構たってします。
剣道のように、竹刀をパンパンと打ち合わせると、日本刀なら、一瞬で、刃がボロボロになって、人を切る事が出来なくなってしまいます。
古武術の立ち会いでは、刀の刃と刃を、打ち合わせる事はないし、実際に相手の刀を防がなければならない場合でも、居合でも、相手の刀を防ぐ時には、刀の峰(反対側)で受けます。刃の方とは違って峰は相当広いので刃こぼれの心配も、刀が折れる心配もないのです。
昔の古刀では、実際に使用したら、刃こぼれが必ずします。
私の知り合いの鹿児島の人が持っていた日本刀は、薩摩示現流なので、刃こぼれの位置が、切っ先ではなく、もっと内側で、何度も研ぎ直したので、刀身が真ん中の方が細くなっています。
いったい、何人の人を殺してきたのか??恐ろしい刀を見ました。
でも、人を殺した刀は、もう美術品の価値はありませんので、古物商にも売れることはありません。
私が、祖母に居合の練習のために、買って貰った、日本刀は(私の子供の頃は、銃刀法も無かったし、居合や古武術の練習用の模造刀も無かった時代です。)、お公家さん用の刀は古いものですから、峰に実際に刃を受けた後が残っています。
峰で刃を受けると、そのまま攻撃に転じる事が出来るのですよ。
まあ、古武道の話は余談ですが、どう演奏すれば、wien奏法が出来るかは、wienの人達も体験でしか知らないという事で、知らない事は教えられないのですよね。
当たり前の事ですよね・・???