前ページ

なぜならば、Bの後半29小節目からはstrettoになって一気にテンポがアップするからである。

先程も指摘したように、このstrettoを表す時に、Chopinは右手が3拍子のmelodieであるのにもかかわらず、左手のrhythmは2拍子取りで書いている。それで、strettoな感じを表現しているのである。

 

31小節目の2拍目からcrescendoして、32小節目の3連音をsostenutoにして、strettoを収めているのは前半部と同じである。

此処のpassageもmelodieはpoco rall.の2拍目で終わる。

その後の2,3拍目の16分音符+3連音は繋ぎのpassageであり、演奏上留意しなければならない事は、2拍目の裏の16分音符から、3拍目にかけては、実際上は(これこそad.lib.であって)拍子はない。自由に、寧ろ、書かれているslurを意識して注意深く弾かなければならない。

 

 

Cの左手のpassageはバグパイプのような民族音楽特有のドローンを表しているので、拍子(rhythm)が出てはいけない。オルガンのように(それこそバグパイプのように)持続した音で弾かなければならない。

Chopinのpianissimoにsotto voceという指定はとても大切な指示である。なぜならば、このpassageも後半の49小節目からは、rubatoと言う指定があるからである。前半部のpianissimoとsotto voceと後半部のrubatoの指定があるstretto部がコントラストをしなければならないからである。




又、51小節目から52小節目の繋ぎは当然stretto部のrubatoの返しのtempo設定上のpoco rall.でなければならないのは勿論の事であるが、51小節目の3拍目のDes,C(↓注)は8分音符ではなく、付点8分音符と16分音符である事に注意しなければならない。

つまり、それまでの単調なrhythmがそこで、16分音符に変わることで、次に何かが起こることを暗示しているのだ。

そういったChopinの緻密な意図を汲み取って演奏に確実に反映させなければならない。

 

以下、実際にChopinに親しく接した友人や音楽家達はChopinの持つ民族性のrhythmについて数多くの質問をしているのだが、その一文章を参考までに掲載しておく。

 

参考:

参考文献:「弟子から見たChopin」
 ジャン=ジャック・エーゲルディンゲル著 米谷治朗・中島弘二訳 
音楽の友出版者 175ページより
 

チャールズ・ハレ卿 (ピアニスト・作曲家・オーケストラ指揮者・教育者) の手紙より抜粋

ショパンの演奏の際立った特色は, リズムをまったく思いのままに扱う点にある。それがあまりに自然なものだから, わたしは長年の間, べつに驚きもしなかった。
あれは確か, 1845年か6年のことだったはずだ。
ある日わたしは恐る恐るシ ョパンに聞いてみた。
「あなたがマズルカを演奏なさるとき, 小節の1拍目をわざと遅らせてお弾きになるので 4分の3拍子ではなく 4分の4 拍子のように聞こえますが?」 と。すると先生は大きくかぶりを振って、「それではひとつマズルカを弾いてみましよう。」とおっしゃるので、わたしは声を出して数えてみた。やはりきっかり4 拍子ではないか。
ショパンは笑みを浮かべて、「こんな特殊な奏法は、もともとこのダンスがポーランドの国民性を反映したものだからなのです。」と説明してくれた。
彼の演奏で最も注目すべきは、ほんとうは2拍子のリズムを聞いているのに、4分の3拍子のような気がしてくるところである。
もちろんマズルカすべてにというわけにはいかないが、これはほとんどの作品にあてはまる。
後になってよく考えてみると, あんなさしでがましい口をきいても、気を悪くしないで親切に答えてくれたショパンは、よほどわたしに好意的なのだということに気がついて、冷汗をかいてしまった。
マイヤベーアも同じようなことを尋ねたのだが、恐らく刺のある言い方だったのであろう。そのときは深刻な言い争いになってしまった。
ショパンはマイヤベーアをけっして許そうとしなかったと思う。

 

「ウィルフェルム フォン レンツ ロシア皇帝の国政参事官」
が、「多分、全く同じ時の話ではないか?」と思われるのだが、もう少し詳しくその時の状況を説明している。
ある日わたしがショパンの家でレッスンを受けているところへ、マイヤベーアが顔を出した。
もちろん勝手に部屋まで、つかつかとあがりこんで来たのである。彼は王様気取りだった。
わたしたちはそのとき,マズルカ作品 33(の3)ハ長調を弾いていた。
この曲は1ページのうちに100ページの内容が凝縮されているような作品である。
わたしはこれを、マズルカ全体の墓碑銘と呼んでいたが、この曲にはそれほど悲痛な喪の悲しみが漉っている。疲労困壊した鷲が、空を飛んでいくのだ。
マイヤベーアが椅子に腰かけたが、わたしはなおも続けた。
「4 分の2 拍子ですね」とマイヤベーア。
   わたしはもう一度くり返さねばならなかった。ショパンは鉛筆を持って、ピアノの上で拍子を叩き、目をらんらんと輝かせている。
  「4 分の 2 です」 と、マイヤベーアはすましたものだ。
ショパンの我を忘れるほどの激昂を目にしたのは、後にも先にもこのときだけだ。
怒りにふるえる顔も、驚くほど美しかった。青白い頬にはうっすらと赤みがさしているではないか。 「これは4分の3拍子なんです」と、彼は声を荒げた。
「じゃ、これをわたしのオペラのバレエのところに使いますよ。4分の2だってことを証明してあげますからね」とマイヤベーアが答えた (彼はその頃「アフリカの女」というオペラを極秘のうちに作曲していたのである )。
「4分の3だって言うのに!」
いつもはぼそぼそ噴くように話すこの人も、大声で怒鳴りかねない剣幕だ。
わたしを椅子からどかせると、自らピアノに向かった。
そして声を出して数え、足で拍子をとりながら、この曲を3度も弾いたのである。
彼はもう無我夢中だった!
マイヤベーアも頑として自説を曲げず、結局は物別れとなってしまった。
その場に居合わせたわたしも、なんともばつの悪い思いがした。
ショパンはわたしには挨拶もせずに、書斎に引きこもってしまった。
それにしても、やはりショパンが正しかったのだ。
3 拍目がふつうの価値を持たず、ここではテーマの流れの一部と化してはいるものの、けっして消え去ったわけではなく、確かに存在しているのである。

 

「モシェレス / ビューロー」

モシェレスの話によると、嫁いだ娘 ( エミリー・ロッシュ ) がショパンのレッスンを受けていて、彼(モシェレス)にショパンのマズルカの新曲を弾いてくれたこともあったそうだ。ルバートをつけて弾くので、この曲全体が 4分の3拍子ではなく4分の2 拍子に聞こえたと言う。

                                    

 

indexに戻ります

 

[variation形式のテンポ設定]

variationも大きな曲になると、Beethovenの32のvariationどころではなく、演奏時間が30分をゆうに越す作品も珍しくはない。
運良く、と言うか、作曲家が過保護でと言うか、或いは思慮の足らない校訂者の手によるものか、速度標語や音楽表現を指定する楽語が書かれていたりすれば、まだよいのだが、baroqueの作品のように、テンポが極端に遅くなったり、速くなったりするpassage以外では何も書かれていない楽譜が多くて、演奏者をいたずらに混乱させるようだ。

 

私も、baroque時代や古典派の時代のvariationとテンポの設定の問題は演奏活動をする上で、私を悩ませた。Baroqueや古典派の装飾variationの変奏は、変奏が多くなれば成るほど、どうしても、単調で、冗長になってしまって、観客を飽きさせてしまうのだ。

その一例が、VivaldiのTrio Sonateである。 「la folia」の初演の時にも、曲がどうしようもなく単調で、長くってまとまりがつかず
演奏会としても良い出来ではなかった。


勿論、一つ一つのVariationは良い出来なのだが、通して演奏して見るとlangbeilig(退屈)なのだよ。

そういたった演奏不能な曲が、幾つも書庫に眠っていたねぇ。日の目を見ないまま!カワイそうに。

驚く事に芦塚先生の研究に対するしつこさは「ひとつの問題(課題・・・今回はVivaldiのla foliaの話だったが、)を10年以上も考えている事もまれではない。」という事なのですよ。
何故?そんなに時間が掛かるの??って・・???それは、そういった芦塚先生が問題にする課題、所謂、疑問点は洋の東西を問わず、何等かの本に掲載されているわけはないし、ましてや、誰かが教えてくれるわけでもない課題だからです。

だから、と言って数多くのその種の曲を演奏したところで、そこにヒントが見つかるわけではない。
芦塚先生にとって本は「何が書いてあるのか?」という知識として読む分けではなく、寧ろ、m「何が今まで研究されてこなかったのか?」という事を調べるために読むらしい。
そういった、その誰も調べた事のない場所が、芦塚先生の最も楽しい未知の居場所なのだそうな?

そういった研究の狭間のthemaは、どんな学問に於いても、探して見ると結構あるらしい。
という事で、この「揺らし」についても、ちゃんと書かれた論文は無いのだそうな。
 

またまた芦塚先生の文章に戻って、

その後、variationの構成法についてと、その演奏法について、10年近く考えあぐねていたのですが、Beethovenのvariationを研究していた時に、Beethovenが弟子に語った演奏法の言葉の中に、そのヒントがありました。
「長い、variationには、必ずゆっくりになるvariationが何回か出てきます。そこで、そのvariationの一つ前のvariation迄を、徐々に盛り上げていけばよいのです。」
Baroque時代のvariationの場合には必ずしも、全部のvariationを弾く事を想定して書かれているわけではありません。
寧ろ演奏者がその時の気分や演奏時間で適当にselectして弾く事が、常であったのです。
長い曲を大きく、4つぐらいのgroupに分けて、その中で構成をしていきます。
しかし、殆どの曲はそういった、再構成は必要なく、書かれているtempo設定を変更するだけでよかったのです。勿論、テンポの設定は後世の校訂者の書き加えたものであるので、それを変更しても、原曲(作曲家の意図)を傷つけた事にはなりません。
寧ろ、作曲者の意図に戻したと言えると自負しています。
と言うわけで、そのテンポの設定やVariationの配列の変更後は、Vivaldiの「la folia」は、一般の聴衆の方からの好感を持って受け容れられるようになって、色々な会場で演奏する私達の演奏団体の常設曲になっています。

 

Paganiniの70数曲もVariationがある、「Corelliの主題によるvariation」も50曲近くをselectして、配列を変えて、大きな4部構成にして、(原曲には伴奏が一種類しかかいてないので、)新たに伴奏をそれぞれのvariationに付け加えて、演奏会に望みました。これも評判が良かったよ。
それ以降、演奏不能とされていた長大なvariation形式の曲を積極的に演奏活動に取り上げていったのですが、一般のオーディエンスからは、「Variationの形式はつまらない。」と言う評価はなくなったね。
大規模なvariation形式の曲だけでなく、Fugaのような、基本的に形式性が弱いものに対しても、partitionに分けて、大きな構造式(ABAや起承転結等の構造式による)演奏で、演奏をする事が、非常に楽になりましたし、一般の受けも良くなりました。

 

[練習番号について]

「揺らし」と「練習番号」は一見すると、関係ないように思われるのですが、「揺らし」を練習しようとすると「揺らし」から練習するのではなく、「揺らし」のかなり前の揺らす前のrhythm(tempo)から弾き始めなければなりません。そのために、「揺らし」の練習のときには、かなり正確な練習番号の位置決めが必要です。

しかし、一般の出版されている楽譜では、練習番号はそれぞれの楽器の担当者が、なんとなく練習がし易い所に、とても大雑把につけているケースが多いので、皆で集まってきて、実際に練習しようとする時には、役に立つ事はまれです。
一人がその小節に入れても、別の二人がついてこれない・・・とかで・・・・。

ですから、演奏家達は、事前にではなく、みんなで会って練習をする時に、自分達で新たに練習番号を決めて行くことが多いのです。練習番号は、練習していく上では、結構ネックになっています。楽譜によっては、最初から練習番号がついていないものすら多いのです。練習番号はあくまで、出版社のサービスなのですから、殆どの演奏家はgünstig(好都合)な練習番号は自分でつけているようです。しかし、それぞれの楽器の人が勝手に自分の弾きやすい所を主張するので、それこそ喧嘩になってしまいます。

 

[芦塚メトードの練習番号付け]

と言うわけで、上手に練習番号をつける事は、練習を捗らせるもっとも重要なpointなのですが、感情的につけていては、それこそ喧嘩になってしまいます。一般ではコンサートマスター(ファースト・ヴァイオンのトップの人が担当する事に決まっています。)

教室では、オケの参加者が中級、上級になると、オーケストラの出演者が全員で、同じ曲の練習番号をつけます。芦塚メトードでは練習番号を付ける位置は、誰が付けても変わらないからです。

ですから、練習番号付けとして、芦塚メトードのカリキュラムの一環として、オケの練習に参加して比較的早い時期に、「練習番号付け」のレッスンとして子供達に指導します。

一般の練習番号と違って、芦塚メトードの練習番号は「通し番号」ではありません。芦塚メトードの練習番号付けはそのまま「構造式」の分析になっているのです。

一番最初は、大きく4部分か、5つつの部分に分かれます。

それを、探す事は、オケに始めて参加した小学生の低学年の子供達にも分かります。

それを、大きなBuchstabe(文字)A,B,Cとかで、表します。小さな曲では三つ、とか四つ!大きな曲でも五つぐらいで、六つに分かれる事はまれです。

A,B,C,の部分はそれぞれに独立した部分から成り立っているので、Motivまで幾つに細分化できるか、を判断します。初歩の段階はそこの部分は先生が判断しますが、中級や上級生になると、その部分までも判断できるようになります。そういった手法で、練習番号を細かく付けていくと、誰が付けても位置は変わりません。これは音楽形式上で分析した分類なので、誰が練習番号を付けても変わらなくなってしまうのです。

この方法だと、全員が練習を始めるのに、すこぶる都合がよい。しっかりとした切れ目で入ってこれるからです。しっかりした、切れ目と言うのは、必ず、「揺らし」に入る前の大元のtempoです。

しかも、それ自体が音楽の構造分析の勉強になっている。・・・・まさに芦塚メトードの「一石三鳥」の原理です。

ヨージーの法則
二兎を追うものは、一兎も得ず、一兎を追うものは、三兎を得る

注)
私の「二兎」の法則を正しく理解する事は、とても難しく、且つ又、誤解をし易い理論でもあります。
その原因は、対象となる生徒の「二兎」の水準(Niveau)と、三兎の生徒の水準では、目標や習得するlevel(次元)が違うからです。
江戸時代からの一般的な箴言である「二兎を追うものは・・」の原則は、音楽を学び始めた頃の初心者の教育に重要である。その頃の親は子供に色々な可能性を夢見て、子供を潰してしまう。
しかし、子供が音楽にのめり込むようになると、親は恐怖し、学業や他の可能性を同時期に学習させようとする。つまり、専門の教育とジレッタントの教育の区別がつかないのだ。音楽でプロを目指すようになると、色々な物が見えるようになる。つまり、色々な芸術があったとしても、プロは一つだからである。一つがプロの域に達すると、どの分野であろうとプロになる事はたやすい。それは意識であるからだ。
いづれにしても、道を究めるには、一芸をわき目を振らずに歩む方がよい。
音楽を極めようとすると、色々な分野の事も学ばなければならないからである。
私は、先生達や生徒達に、「50分間は、一つのthemaでおしゃべりが出来るように!」と要求している。
それだけの知識はプロには常に要求されるからである。
ホームページ「プロになるには」参照

 indexに戻ります

2010年8月19日脱稿

東京 江古田の寓居

一静庵にて

一静庵庵主

芦塚陽二拝



[1] 感情表出主義という分類は、本来はエマニエル・バッハ等のロココの作曲家の分類に使われていた。だから近現代の(後期ロマン派を引きずっている)演奏家に対しての呼称としてはふさわしくはないということは承知の上である。一般的に使用されている分類でもっと適切な言葉があったらこの呼称はいつでも変更する予定である。




indexに戻ります