楽器の王様と言われるStradivari(ストラディヴァリ)には、Schuleと呼ばれる作品が数多くある。
Schuleというのはドイツ語で学校とか学派とか〜派を意味する。
英語のスクールと同じ言葉ではあるが、音楽の世界では一般的な学校という意味よりも工房などの弟子などを指すのに使われる事が多い。
ドイツではマイスターになって自分の工房を持つためには、マイスターに弟子入りをして認めてもらわなければならなかった。
そういった伝統は今日でもまだ生きていて、私の弟子が留学した時ドイツの有名な教授について学ぶのに、私の推薦状と証明書が必要だと言われて書いたことがある。(大学を辞めて個人で教えていたに係わらず、である。)
Stradivariの工房には3千名(これも曲者で、多い時には6千名と言われたり、全く弟子をとらなかったと言われたり困ったものである。)位の弟子が居たといわれる。
Stradivariぐらいになると自称弟子というのも増えてくるからそれが混乱の原因かもしれない。
しかしStradivarischuleと呼ばれる弟子の中の幾人かはStradivariにもまけないぐらいの優れた楽器を製作した人もいる。
音だけでなく、美術的美しさにおいてもである。当然、そういった人の製作した楽器はStradivariに負けないぐらい高価であるはずだが、実際には(高価なことは高価に違いはないが)Stradivariの天文学的値段には匹敵する由もない。
楽器の価値などは、その楽器がどれぐらいの音を出すのかで決まればよいのであるが、楽器の評価は必ずしもそういった音楽的価値のみで決る訳ではない。
骨董的価値はもとより、美術的価値や、或いは投資による思惑などで、楽器の本来の価値とは無縁なところで評価が成されている傾向にある。
脱線ついでに、投資の対象として楽器を買う輩が居る。
十一億とか、二十億とか天文学的な非常識な金額は、投資家が変動の少ない安定した投資対象としてStradivariウス等の楽器を選んだからであって、音楽的或いは楽器本来の評価としての金額ではない。
音楽家にとっては楽器の高騰は迷惑この上ない話である。
Stradivariという楽器は、Stradivari自らが一人で製作にあたった物を、Stradivariと呼びたいのではあるが、実際には無数にあるStradivariの中でそう呼べるものは数本のみだ。その貴重な数本の楽器にしても後世の(自分はStradivariウスより優れているなどと妄想を抱いていたヴァイオリン製作者達の)心無いヴァイオリンの調整によって原形をとどめないようになったものも数多くある。
私の友人であるプロのオーケストに所属しているビオラ弾きの女性であるが、無理をして高価な楽器を買った。ところが小柄な女性なのでどうしても厚みが合わない、ということで側板を削って厚みを薄くすると言い出した。私や回りの音楽家たちの反対を押し切って勇敢にも自分に合わせて側板の厚みを削ってしまった。彼女にとっては理想的な弾き安い気にいった楽器が出来たのであろうが、楽器本来の音やその楽器の持つ文化的な意味は失われてしまった。そういった犯罪とも思える改造や改悪などは、日常茶飯事で常識的なことですらある。
もう一つ大きな問題がある。それはStradivari時代のヴァイオリンはバロックヴァイオリンであって、現代のヴァイオリンではないということである。
つまり「私はStradivariのヴァイオリンで演奏している。」という人のヴァイオリンは現代の演奏会に耐え得るように改造された楽器であるということなのだ。(つい先日、NHKの番組でまだ改造されていないStradivari時代のままの楽器が見つかった、という話をしていた。どういう音がするのか聴いて見たいものだ。)
ごくまれに非常に幸運にめぐまれて生き残ってきたStradivariウス本人の完全な製作になるもの、それ以外にも非常に優秀な門下生との共作によるもの(表板はStradivariウスであるが裏板は弟子の手によるものなど)あるいはStradivariウスの指導のもとに弟子が製作したもの、或いはただ単にStradivariの工房で作られたもの、そういったものも加えると、現存するStradivariの楽器は千台を下らないであろうといわれている。(もちろんいわゆるコピーなどはこの中には含まれていない。)そしてこれらは全てStradivariと呼ばれることが多いが本来的にはStradivarischuleと呼ぶべきである。
弟子を育てた事のある人であれば誰もが感じた事のある悩みかもしれないが、弟子が自分の教えた事とはどんどん違った方向に行ってしまうという悩みがある。
もちろん弟子が新たな方向を見い出して突き進んでゆくのだとしたら、これは師としては喜ぶべき事で、祝福されるべき事なのだ。しかし、ほとんどのケースではこれには当てはまらない。自分がかつて陥った泥沼にどっぷりはまってどんどん間違えた方向へ歩いて行っている。そして本人はそれに気づかず自分は師匠よりも素晴らしい道を見つけたと喜んでいるのだから始末に悪い。こうなると幾ら意見をして道(方向性)を正そうとしても聞いてはくれない。ひどい時には(師匠のジェラシーぐらいにしか見てくれない。)
その誤った方法論を是正するために芦塚メトードは考えられたはずなのだが、ある程度技術が実について上手くなってくると、一般のやり方で認められようとする。一般の人達に認められたくなるからである。(一般のやり方を是正したのが芦塚メトードである事を忘れて!)
Ashizuka Schuleと言っても、これもケース バイ ケースである。単純に考えるとすれば、Ashizuka Schuleに属する弟子は直接私のレッスンを受けた生徒やワン・レッスンでもよいから私のレッスンにふれた生徒、オケや室内楽で私の指導を受けたことのある生徒、上記の指導を受けた事のある先生について学んでいる生徒、ビデオレッスン等で間接的にレッスンを勉強した事のある先生、などなどであろう。
しかし物事はそんなに簡単ではない。私の直接のレッスンを受けた生徒でも、コンクール組や受験組には芦塚メトードは全く使用しないからだ。芦塚メトードは現代の日本の音楽教育を否定し、ヨーロッパの本来の音楽のメトードを取り込むことからなりたっている。芦塚メトードはそのままプロを育成する教育としても成り立って入る。コンクールや音大の延長線上にはプロは無い。コンクールや音大を卒業して全てを捨てて、ヨーロッパで0から勉強しなおして始めてプロへの道が開ける。だから日本***コンクールでも優勝者にインタビューすると必ず「この後海外留学をして研鑽を積みetc.・・・・」という話になる。
その捨てなければいけない部分を最初から(導入の段階から)捨て去って基本の基本から教え始めたのが芦塚メトードに他ならない。しかしその筈であるにかかわらず、私の生徒でもなまじ上手くなりはじめると、周りからおだて上げられて、身近な将来の目標が音大やコンクールになる。そこで日本式メトードに180度方向を転換せざるを得ない。日本のやり方ではよほどの運に恵まれていないと先はないよと、どの様に説明しようと父兄には(今現在を生きているに過ぎない父兄にとっては)目先しか見えないのだ。自分達以外、つまり私達が歩んできた幾十年という経験とキャリヤには目をくれようとはせず、周りのおだてとそれに伴った脅し(「音楽教室じゃだめでしょう。」「やはり芸大の先生じゃないと!」)しか耳にはいらなくなる。と言うわけで10年以上学んできた芦塚メトードは、たったの4年間の100年前から変わらない家元制の音大の教育と生活で見事に忘れ去られる。そして今まで通りの普通の音大の卒業生が出来上がる。(確かに小手先の技は他の音大生より優れているかもしれないが)普通の教育では普通の子供しか育たない、というのがどうして分からないのかな。勉強して塾行って、大学で普通の生活を楽しんで、何かになれるとでも思っているのかな?自分の事考えたら分かるだろうに、自分の子供の事となると頑迷になってしまうのだから。それも日本人独特の傾向です。女性の堕ちて行く時と同じで、どんなに長い時間を懸けて習得したメトードだあったとしても、失うのは一瞬であり、それを再び取り戻すには学んできたのと同じ時間を要する。才能でもセンスでも人より優れた人にはそれを養うような子供時代があったのですよ。(仮にそれが反面教師であったとしても普通では有り得なかったと言う事)