1.食事と感性

食べ物の思い出

私が生まれて育った頃は、まだ終戦のドサクサの中でした。

食糧不足の折、疎開先の本家の家の畑で母達が大根などを植えていて、大根を抜いた後の穴に幼い私の腕を突っ込んでみたら、穴はとても深くって穴の底に届かなかったという覚えがあります。(勿論、青首大根はまだ作られていないので、日本古来種の大根の話です。)

本家の家は祖母が一人で住んでいたのですが、それは祖母の4人の息子達が(私の父親も含めて)全て戦争で死んでしまったからです。

唯一生き残って、ビルマから復員してきた伯父も、昭和24年には戦地で患ってきた結核のために死んでしまいます。

唯一の祖母の子供は、私の父(末息子であったので)の直ぐ上の姉である伯母だけになってしまいました。

男手が(働き手が)全く無かったということで、私の母親も私が物心ついた頃は、もうすでに1時間かけて長崎の町まで働きに行っていました。

(当時の交通は古いバスか、巨大なトレラー・バスなどで、黒鉛を吐きながら必死に長崎の日見峠の七曲の坂を登って行きました。)


(長崎県営バス:昭和24年)

当然、戦後間も無い頃の食生活は今日では考えられないほど貧相なもので、米が買えなくてご飯が無い時には、かぼちゃ(今ある栗かぼちゃのように美味しいかぼちゃではなく、)を四分の一に切ったものが御飯茶碗の中に1個入っているだけだったりしました。
それでも食べ物が、食べれるだけ幸せだったのです。
というわけで、私達の子供の頃は、好き嫌い等は、考えられなかったのです。

私が4才、5才の頃は、近所の悪餓鬼の子供達と種芋が保存してある小屋に入って、泥のついたままの芋をそのまま(泥のまま)かじって遊んだり、神社の境内に落ちている椎の実を集めて鉄鍋で囲炉裏であぶって食べたりしました。

近所にある小さな小屋のような何でも屋で5厘や50銭で拳骨飴を買ったのが生まれて初めての私の買い物の思い出です。(その頃はまだ一銭硬貨や5厘硬貨がありました。)

私の生まれ育った町は、長崎県のヒトデのような足の中心にある諫早という城下町です。当時は確か、それでも人口は二万人ぐらいだったと思います。
田舎の城下町で、江戸時代そのままの風習や風土。昔のそのままの佇まいが残る門前町に、蕎麦屋がありましたが、全国でもいち早く蕎麦打ちの機械を取り入れて、私達は「おお、すごい。これが機械打ちの蕎麦か!」と驚いたものです。機械をいち早く取り入れたということで当時はずいぶん評判になったりしたものです。

その頃、檀家のお寺が、境内の中に幼稚園を開きました。私はそこの幼稚園の1回生でした。

幼稚園でお昼に出る鯨のステーキと脱脂粉乳は、常に空腹であった私達とっても、草鞋のように硬いし、あるいは脱脂粉乳の独特の臭みは吐き気をもよおすし、とても食べれたものではありませんでした。

そういった貧しい生活の中で、子供が栄養不足になるのを心配した祖母は、結構無理をして、近所の農家からヤギを飼ってくれました。

ヤギはお乳をたくさん出してくれて、私達兄弟の戦後の貧しい食事にたっぷりの栄養を与えてくれたし、(僕にはなついていなかったのですが、兄貴には、まるでお母さんのように兄貴が小学の6年生になるぐらいまで、片道(子供の足で)30分ぐらいの距離を、兄貴の小学校まで、送り迎えをしていたのです。田舎の事ですから、犬もヤギも鶏も、全て放し飼いだったから、勝手に迎えに行っていたのです。)

10年近くの間、本当にずいぶん長い間、私達はヤギさんのお世話になったのです。そのものずばり乳母です。ヤギのお乳は、当然ヤギくさいけれど、とても濃くて子供の栄養失調を補うのに充分でした。

歳を取って体もめっきり衰えた祖母のために、頭の少し弱いおばあさんがお手伝いに雇われてきていたのですが、正月に「ヤギにも正月をさせるんべ〜!」とか言ってお餅をヤギに食べさせて、ヤギは喉にもちを詰まらせて死んでしまいました。好意から出た事なので祖母は、おばあさんを責める事はしませんでしたが、本当にかわいそうなことをしました。

 

 

音楽と味覚

今の学校での音楽教育がどうなっているのかは私は知りませんが、本来は音楽教育に限らず、所謂情操教育といわれるものは究極のところ、感性を磨く事に他なりません。

当然、情操と言う、より高度なstageの感性よりももっとstageの低い(原始的な本能に属する)感性は情操のステージが上がる事によってシンクロして上がっていきます。
それがもっとも顕著に現れるのは、本能の根源である「生存欲求」に直接的に一番支配されている「味覚」です。
ですから音楽の勉強で音に対する感性が磨き研ぎ澄まされれば、当然、それよりもlevelの下に配置される味覚の感覚もそれにあわせて研ぎ澄まされて行きます。

「味音痴の名音楽家はいない。」と断言することが出来るのもそのためです。

しかし、残念ながら、私のいつも主張している「二兎の理論」は、この場合に於いては、逆方向には進みません。

つまり、位置しているstageが違うからです。

つまり、味覚が優れていても、芸術上の感性が優れているとは限らないのです。

「逆は必ずしも真ならず。」 という事なのです。

 

 

合宿の料理

合宿では、基本的には教室のレシピにあわせて、牧野先生が料理を作ります。

狭い花園教室で、みんなが練習しているときに、横で食事を作るのは、なんとも効率が悪い。場所の問題もさることながら、子供たちが練習をしているあいだ、指導出来る先生が一人、料理に掛かりっきりになってしまいます。

と言う事で、ご父兄の方々が、「先生は大変だから食事は作らず練習の方に専念してください。食事は私たちが作りますから。」と親切心で言ってくださる方が居て、そのご好意に甘えて、有志の方に料理当番をおまかせしてみたこともありました。すると、子供たちがあからさまに「今度の合宿は、美味しくない!」と、歯に衣着せずに大声で言うのです。お母様方は小さくなってしまいました。

また、別のときにも、「練習がメインなのだから、先生が食事の用意をするなんて、そんなに大変なことをしないで、仕出し弁当でもとればいいじゃないですか。」とおっしゃられる方も居られましたが、ご父兄の方が私たちのことを心配して、言ってくださっているご厚意のアドバイスではありましても、これはさすがに受け入れることはできませんでした。

 

「みんなで食べるから、楽しくって美味しいのよ。」と言ったお母さんもいました。勿論それは正しいのです。しかし、みんなで食べるのは家庭でも学校でも同じなのです。

学校では給食センターが給食を配送してきます。出回り終わったところから今度は順番に回収していきます。ですから最初の学校などは15分で食器などを回収しなければならなくなります。学校の先生が「早く食べなさい!」と金切り声を上げています。ヨーロッパでは、食育の為に机を並べて、テーブルクロスをかけて、ナイフとフォークでディナーを楽しむ。そのために食事の時間もたっぷりとってあります。

教室ではおしゃべりをしながらでも良いから、ゆっくりしっかり食べるようにしています。当然、大きい子供や食事が早い子供は先に食べ終わります。ある程度食べ終わった生徒が出てきたら先にみんなで一度「ご馳走様」をします。食べ終わっていない生徒は先生達と一緒に(先生達はご飯を注いだりお味噌汁のお代わりをしたり、何かと忙しく子供達と一緒に食べる暇は無いので)ゆっくり食べます。決して急いで食べる事はさせません。始めて合宿に参加した子供は、例えばお茶菓子タイムでも、好きなものだけを大量に取ろうとします。そうではなく満遍なく食べれるだけお皿にとって、食べ終わったらお代わりをすれば良いのです。

 

嫌いなものが、たとえ葉っぱが一枚だけだとしても、食べれたら必ず誉めます。みんなで褒めます。すると、二回目の合宿からは普通に食べられるようになっています。

お味噌汁が嫌いな5年生の女の子がいました。
お母様から、『お味噌汁、ちゃんとたべなさい!」と叱っても、「嫌いだから嫌!」と言って、絶対に飲まないので、困っている、と言う相談をうけました。
でも合宿ではお味噌汁は、喜んでお代わりをします。そこで、*ちゃんに尋ねると、「お母さんのお味噌汁まずいのよね。」と言う答えでした。私が*ちゃんに「じゃぁ、自分で作れば良いじゃないの?先生にレシピ習ってさ。」アドバイスをすると、「あっ、そうか!?」・・・という事で、さっそく牧野先生にお味噌汁の作り方を合宿でお手伝いをしながら、習っていました。その後、家で*ちゃんが、自分用にお味噌汁を作っていたので、お母さんが「ちょっと飲ませて・・」と言う話になって、その後、お母さんが教室に見えられたときに、先生に報告していました。
「ショックでした。うちの娘のお味噌汁、本当に美味しかったのよ。」

 

何故、大変なお思いをして、合宿で先生が食事を作るのか?

それは今やっと社会でもよく話題になってきている、食育にも関係してきます。

心理学上では「わがままな子供は、好き嫌いが多い。」という原則があります。

勿論わがままだから、好き嫌いが多いのですが、実は好き嫌いは簡単に直す事が出来るのです。要するにきらいな食べ物でも、おいしければ子供達は喜んで食べるのですよ。

 

昔、まだ大学に勤めていて、子供と接することが無かった頃の話ですが、私が友人の家に行って一家団欒の食事に御呼ばれした事があります。母親が子供に「肉を食べなさい。」と言っているのに子供が嫌がって食べません。それを夫婦で無理やり、箸でつまんで、食べさせようとしていました。私が見るに見かねて「ちょっと、貸して。」と言ってその肉のお皿を取り上げて、小さくペティナイフで切ってから「これならどう?」と子供にとって上げたら、美味しそうに食べました。要するに、口の中で肉が噛み切れなかっただけの事なのです。

食育の問題は親の側にもその大きな原因があります。

親の好みで、朝昼晩三食ともラーメンだったり、子供が食事を食べないからと言って、朝から甘食(菓子パンのような)を食べさせたりする。或いは親が忙しいからと言ってお金だけを与えてコンビニなどで食事を買わせて済ませてしまう。

 

実際に、母親が全く食事をつくらないという環境で育った子供が、私の教室に来ていたことがあります。中学生ぐらいになって、まったく食事を食べられなくなっていました。彼女の食生活を見ていると、お腹がすいたら、シュークリームを買ってきて、10個ぐらいをぺろりと食べてしまいました。しかし反面、野菜などは全く食べません。勿論肉も魚も、です。極稀にマグロの刺身のように、贅沢なものは食べられるものもあります。

中学生ならある程度話が通じる年齢だったので、食事がいかに大切かと言う話をしました。「今の偏食は将来、10年後いやもっと後の30歳ぐらいになったときに、始めて体に現れる。」と言う話です。

しかし、その子には、もう既にアトピーは出始めているし、手や顔の皮膚はもう白い粉を噴いていました。私の「食事が美人と健康な体を作る」という話の薀蓄がひとしきり終わったら、次に包丁の使い方を教えました。(刃物の扱いに慣れるまではペティナイフで練習します。)まず、lesson oneはトマトの皮のむき方です。トマトを四つとか、八つに切り分けてから、まな板の上で包丁を滑らせて、魚の皮をとるときのように一気にかわを削ぐやり方です。切り取った皮が薄く透けて見えるぐらいに削ぎ落とします。遊び感覚で、すい、すい、すいと、これは楽しい。初めてその子は自分で遊んで皮をむいたトマトを「おいしい。」といって自分から食べました。その生徒は調理師の資格を取って、現在は栄養指導師を目指して勉強しています。

またある小学4年生の女の子は、家庭での普段の食事は、豆腐しか食べない子供もいました。30歳過ぎのダイエットにはいいかもしれませんが、小学生の成長期の子供にはお勧めできた話ではありません。それなのに、お母さんは「でも、他の食事は嫌がって、食べないのですよ。」と諦め顔で言っていました。

 

教室の合宿のルールは、嫌いでも一回だけ一口で良いから食べてみると言う事です。

一般的に食事のルールには二種類あります。食事中は黙って食べると言うルールと、楽しくおしゃべりしながら食べると言うルールです。教室は後者の方です。降り番の生徒や、風邪などでお風呂に行けなかった子は食事のお手伝いをします。小学生でも怪我が無いように、ピーラー(皮むき)が10本近く置いてあります。もっと小さい子供は玉ねぎの皮むきです。よく大人は「子供にやらせると遅いし周りは散らかるし、手伝ってもらうより自分でやった方が早いわ。」と言います。

ですが、これも教育の一環なのです。よく考えて子供に仕事を与えれば、子供にもできる食事の手伝いはいくらでもあるのです。自分でお手伝いして出来た食事は美味しいに決まっていますよね。

 

世の中にはお袋の味というものがあります。

だから味覚が出来上がっていない、まだ研ぎ澄まされていない子供達にとっては、母親の作るお味噌汁は最高の味に違いない、・・・・・とはならないので、困ってしまいます。

お味噌汁嫌いの子供は結構多いのですが、教室では合宿の食事に関しては、好き嫌いは言わせないで、ほんの小さなかけらでもいいから、味を見させることにしています。味を確認してみて、それでも嫌いだったら、それ以上は食べる必要はありません。残してもいいし、最初から嫌いな物を言って、量を減らしてもらう事も出来ます。

最初は鼻をつまんで目を閉じて、一気に飲み込んでいた子供達も、やがて少しずつ食べられるようになってきます。素材が嫌いなものでも、おいしく料理されていれば喜んで食べるのです。

教室のルール、「食わず嫌いは駄目だ」という事です。

 

 

まとめ

私の原理はこうです。

食材の好き嫌いは「わがまま」ですが、「味付け」の好き嫌いは感性の問題です。

子供達が「食事の好き嫌い」を言っていても、よく聞いてみると、本当は料理に問題があることが多いようです。
その殆どは何度か合宿を重ねるうちに治っていきます。
それは食材が原因ではないからです。

私は「食育」という言葉が、実は大嫌いなのです。

食事は学校や社会が教育するものではないからです。

食事は文化なのです。

親の味、〜家の味、故郷の伝統の味、さらに日本料理(割烹料理、会席料理、赤提灯の料理)、そして世界の味、歴史的な味と言うのもあります。ほんとうに伝統に育まれた文化なのです。

 

今はそういう言葉を使う事は全くありませんが、私がまだ若い頃、つまり大学時代には、私は食事を「餌と食事」という言葉の使い分けをしていました。
その頃、同級生に「おい、餌、食いに行こう!」と言ったら、その子から「感じが悪い!」と随分文句を言われたことがありました。
私はその友人に、「空腹を満たすために、まずくても良いから、取り合えづ食べるもの、つまり、生存に必要なエネルギーを得るためだけの食事を餌と呼んでいるんだよ!」 と弁解した事があります。
反対に美味しいものを食べに行くときや、自分達で料理を作ったりするときには、食事と言っていましたよ。

私自身は病院に入院する事が人生の中で多く、病院食という(あくまで昔の話ですよ!)とてつもなくまずい食べ物を食べさせられる事が多かったのです。
勿論カロリーの計算は完璧に出来ていたのかもしれませんが、それはとても食事とはいえませんでした。
鶏のブロイラーの餌でも、カロリー計算さえあっていれば、それで充分だったのです。病人は味の事など、そんな贅沢な事を言う事はゆるされなかったのですよ。
医者や栄養士のいうことさえ聞いていればいいのだよ!・・・・ってね!!
今は昔からは考えられないほど、病院食もおいしくなっていますよね? ね? ・・・? 返事は・・、  ?

つまり、食育の言葉の持つ貧しさ・・・・・「育」では無く、食は「文化」なのですがなぁ・・・!

ですからさっきお話した、あるお母様が言った「みんなで食べるから美味しい」のであれば、一般の父兄の方が作っても、或いは仕出しを取っても、子供達は「おいしい!」というはずでしょう?

そうは行かないから困るのですよね。

付け足しておくと、毎日料理を作られている。お母様の方が、私達よりも数倍子供の料理の専門家のはずです。ではどうして子供はそう思ってくれないのでしょうか?

答えは簡単です。それは「手抜き」です。家庭の仕事が忙しいからと言って、手抜きをすると子供は瞬間的にそれを察知します。

くれぐれも、毎日の食事が、餌にならないように、料理は親の子供への、愛情の表現である事をお忘れなく!


手抜きが、子供達に悟られないように・・・・

くれぐれもお気をつけて! はっはっは・・・・

 

  

 
芦塚先生のことわざ集(ヨージーの法則)より

「料理に興味が無い人の音楽の演奏は、仮に上手くても、味気ない。」