正しい夢の持ち方
                   
 (潜在意識T)

ある日、オーケストラ練習の時に、芦塚先生が子供たちにこんなお話をしました。

世の中で、自分の夢を叶えた人、目標を達成した人、成功した人達の言っているお話についてなのだけど、そういった自分の夢を叶える事が出来た世界的に名前を知られている人達がね、・・・・「夢を叶える方法」、というか、「夢を叶える為の心の持ち方」について、色々とお話をしているのだけど、不思議な事に、そういった夢を叶える事の出来た人達は、みんな、たった一つの同じことを言っているのだよ。

その言葉はどういう言葉か??って、みんなも知りたいよね?!

実は、この言葉は、今から2000年も前の時代にも、お釈迦さまが言った言葉として、仏教で、同じ言葉が言われているのだよ。

つまり、2000年前の夢を叶える事の出来た人達や、現代の成功した人達がみんな
同じことを言っているんだから、そのやり方は、絶対にまちがいないよね!

それで、その言葉とは、一体なんだろう??

「夢を100%、確実に叶える方法」 

それはね、「望めぱ必ず夢は叶えられる」っていう言葉を信じる事なのだよ。

生徒「え一っ?それだったら誰でも夢が叶うじゃん。」

そうそう、そういうことになってしまうね。
誰だって
「有名大学に入りたい」とか「試験でいい成績をとりたい」「コンクールで優勝したい」「ピアニストになりたい」・…というたくさんの夢を持っているし、それを望んでもいるよね。
それなのに、例えば、希望の大学にしても、幾ら一生懸命、勉強しても、入学出来る人もいれば、出来ない人も一杯いるよね。

でも、入学出来なかった人も、本当は、ちゃんと
「合格したい!」って望んだはずなのに、出来なかったのだよね。

では、お釈迦さまとか、ビル・ゲイツさんとか、マーフィーさんとかが言っている
「望めぱ夢は必ず叶えられる」っていうのは、間違いなのかな?嘘なのかな??

本当はね、実は、この「望む」ということのなかにもう一つ大切な言葉が隠されているんだよ。

それはね、「潜在意識的に望む」ということなのだよ。

生徒「洗剤意識?ってな一に?」

センザイイシキというのはね、別に洗剤を使って意識を洗濯するわけではないのだよ。
「潜在」という意味は、心の奥に潜んでいる・・・という意味、つまり脳みその奥深くに潜って、隠れている意識の事を言うのだよね。

別の言い方では「本音」とも言うけど、「本音」と「潜在意識」では、少し、言葉の意味が違う。

潜在意識とは、その意識を自分が気づいていない場合が多いのだが、「本音」の場合には、自分自身で意識として気づいている事が多いのだよね。

例えば、そうね・・・・、一つの例をあげると・・・
本当は、その子のことが大好きなのに、その気持ちに気づかずにいじめてしまったりする場合もそうだね??

本音にしても、潜在意識にしても、実際には、口で言っていることと、やっていることが食い違っている・

お母さんたちに多いのは、口では「うちの子は、ビシバシ教えてください。コンクールに入賞させたいので。」って言っていながら、潜在意識は「つらい思いをさせて迄、練習や勉強をさせたくない。もっと楽に遊ばせてあげたい。」と思っていたりね。

「子供の音楽の勉強を中心にして、家族はそれに合わせて行動の計画をしています。」とか、言いながら、お父さんの都合や、弟の行事で、平気で予定を変えてしまう。
そういう場合は、子供のコンクールの日にちとか、大学の受験日の一週間前に
「子供を連れて、旅行に行きます」とか、とんでもないことを言いだしたりするんだよ。

本当に、
「子供の夢を叶えてあげる事が、親の使命だ」と思って行動している親は、「ブーブー・・」と、文句を言いながらでも、子供のローテーションを第一に考えて行動している。
絶対に、
「家族の都合があるので・・・」なんて、言い訳はしないのよね。

その人の行動は、その人の潜在意識によって動かされるからなんだよ。
だから、無意識に行動してしまう。
これが潜在意識のしわざなのだよ。

親の意識が、本音と言っている事が違ってしまうと、そういう場合、子供は大変ね。
・・・だって、口では
「一生懸命勉強しなさい。」って言われるから、「じゃあ勉強しようかな?」と思ったら、「旅行に行くからついてきなさい。」とか「夜遅くまで起きてないで早く寝なさい。」って言われたら、たまったもんじゃあないよね?!
折角、一生懸命に、勉強しようと思っても、実際には勉強したり練習したりする時間を無くされてしまう。
それで、成績が取れなければ、親達が振り回して、充分に勉強が出来なかった事は棚に上げて、成績が悪い事は自分せいにされて、家族の旅行に着いて行かなければ、また怒られて、だから、一人で勉強をしようとすると、家族の都合で、邪魔されて・・…。

生徒「かわいそ一」

そうね。
潜在意識というのは本人は気がつかないし、他人から指摘されても殆どの場合、その事実を絶対に認めようとしない、・・・ということなのよ。

そういうところに潜在意識の難しさがある。

この例は、親や家族との関係でのお話だけど、本当は、自分自身の場合もあるのだよ。
そこが、この潜在意識のお話の面白い所なのだよね。

誰でも、
「有名な高校や、有名な一流の大学に行きたい!」と思っている。
でも、
「行きたい」という気持ちと裏腹に、潜在意識は「遊びたいなあ。」「テレビ見たいなあ。」「いやな勉強はしたくないなあ。」と思っていたら・・・、或いは、中学生や高校生ぐらいになって、ボーイフレンドの事ばかり考えていたりすると、一生懸命勉強しても、勉強する事が、結局は、いやなことになってしまう分けなのだから、勉強したことが頭の中には入っていかない。

時間的には、机の前に決められた時間だけ座って、本人も、親も、勉強はしているつもりだけれど、頭は、
「嫌だ!嫌だ!遊びに行きたい!!」って気持ちが、心の中を占めていて、勉強の能率は全く上がっていない事になるよね??

本人は、決められた時間の分だけは、ちゃんと座っているから、充分に、勉強したつもりになっているけど、1時間、2時間座っていても、集中している時間は、殆ど5分、10分も
ないにしか過ぎない。

だから、幾ら勉強しても、思うように成績はあげられないし、目的の大学にも入学出来ない。

でも、勉強って、難しくって、つまらないものでは??

それは、違うよ!!
勉強を、他人(この場合の他人というのは、親も含めて、自分以外の人を言うのだけど・・)から言われて、やるのだから、難しくって、つまらなくなるのだよ。
自分がやりたくって、勉強をするのなら、勉強は自分がやりたい分けだから、絶対に楽しいものになるはずなのだよ。

もしも、自分が、本当に有名な大学(目標の大学)に行きたければ、入学試験で、良い成績、・・つまり、合格点をとれば良いだけだから、一流の大学に行く事はそんなに難しい事ではない。
学費や、他の問題がないとしたら、それは、なんの問題もないでしょう??

成績の話だけだよね。

自分が夢を叶えるための勉強である、・・・そのための勉強だ、と思えば、勉強することは、その人にとって、楽しくなるはずなのだよ。
つまり、その人が、「勉強をすることが大好きであれば、良い大学に行ける」ということは、自動的にくっついてくるはずでしょう??

それでも、勉強が苦手だとしたら、それは勉強そのものが、苦手意識があるのだから、そこの所を変えれば良いのだよ。

では、勉強そのものを楽しくするには、どういう方法があるかな。
それは人それぞれ方法が違うはずだよ。

例えば、その勉強が好きになるようなよく解説してある本を探すのも
一つの手だし、グラフに自分の成績を表してみるのもよい。

薄い、(問題数の少ない)直ぐに出来るような問題集を、何冊も解いて、1つ1つに達成感を持つようにする事も良い。

その勉強のやり方が、自分の勉強のスタイルとマッチしていれば、おのずから勉強は楽しくなるはずなのですよ。

ある人は、成績を上げることが楽しいという人かもしれない。
その場合には、先程、あげた、成績をグラフで表す方法が向いている。
ある人は理解や知識を深めて行くのが、その人にとっては、楽しいのかもしれないその人の場合には、色々な本を読んで、その問題に詳しくなれば良いのだよ。

歴史の勉強をしたければ、NHKの大河ドラマや色々な映画を見て、楽しんで見ると良い。不思議な事に、織田信長を主人公にしたドラマと、秀吉を主人公にしたドラマ、或いは、家康を主人公にしたドラマでは、周りの人達の性格や生き方が変わるのが分かる。歴史の面白さは、支配者の歴史ではなく、色々な立場の人達の生き様を学べる事だ。

人には、勉強の仕方は、それぞれにあったやり方がある。
やり方は人それぞれだけど、自分にあった方法がみつかれば、それだけで充分に楽しいはずである。

潜在意識的に望んでいることに対する努力であれぱ、それは自然で楽しいものになる。

例えば、「ヴァイオリンが好き。」「練習が好き。」「ご飯を食べるよりもヴァイオリンを弾いている方が嬉しい。」そして、「ヴァイオリニストになりたい。」
こういう夢を持つ人は、100%、夢を叶えることが出来る人だよね。
(本当の本当は、もう一つ、二つの条件があるのだけど、)

でも、
「練習はあんまりしたくない。」「お友達と遊ぶ方を優先にしたい。」「しかし、ヴァイオリニストにはなりたい。」
…こういう人達にとっては、夢は夢に過ぎなくって、その夢が叶うことは、まかり間違えても、絶対にないのだよ。
その人自身や親達も、ステータスとして、夢を持っているのなら、その夢が高ければ高い程、辛くなってしまうし、夢が叶う事も無くなってしまう。
それでも、
「私達は出来る範囲で、一生懸命にやりました!頑張りました!!」なんて事を言う人がいたりして、困ってしまうんだな???
それに、日本人に多くて不可思議なのは、夢が叶わない・・・達成出来ない・・と、分かり切っているのにする、「諦める事を前提とした、ひたむきな努力」
絶対に無理なのに、ステータスだけで、無謀にも挑戦する受験・・・!!
まるで、日米の大戦の心境だわな??

楽しければ、夢が叶う・・というのは、学者さんになる人なんかも同じでね。
「数字をいじっているのが楽しくて、楽しくて、たまんない!」という人が、数学者になるのだよ。
この話は、ノーベル賞を取った人達がいつもする話だよね。
「自分は勉強が大嫌いでした。」「でも**が大好きで、そればっかり、やっていました。」そんなもんだよ!!学者さんなんてさ・・!!

勉強っていうのはね、所詮、遊びにしかすぎないのだよ。

言い方をかえれば、
「自分の勉強や研究が、ご飯を食べるより楽しい」と思える人が、学者(専門家)になれる人なのね。
もしその努力や勉強が
「つまらなくて、つらくって、やりたくない!!」と思っているのだったら、潜在意識と君の夢が、くいちがっている!!っていうことなのさ。

だから、「望めば夢は叶えられる」というのは、「潜在意識が望めば夢は叶えられる」ということなんだよ。

口では
「こうしたい」「ああなりたい」と言っていても、潜在意識が「あんな大変な勉強はしたくない」「楽をしてたくさん遊びたい」と思っていたら絶対に成功する事はないのだよ。
仮に、一時期に、認められた事があったとしても、それは一時期のまぐれにしか過ぎないのだよ!!

それが潜在意識。

いきづまったり、挫折したりしてしまうのは、自分がこうなりたいという夢と、自分の潜在意識的願望が一致しないからなんだよ。


だから、「本当は、自分は何を望んでいるのか?」という潜在意識を知る事が、人に取ってはとても大切な事になるのだよ。
本当の潜在意識を知る事が、自分自身を知る事になって、それが自分の本当の幸せにつながって行くのだよ。
だから、幸せというのは、潜在意識を活かすように生きて行く事なのだよ。

では、自分の本当の潜在意識を見つけるにはどうしたらいいのか??

これは、仏教の言葉で「内観」と言う。
「内観」の仕方についてはまた今度別の機会にお話ししてあげよう。
内観(潜在意識U)へ

ヨージーの法則より
「人生は、その人が(潜在意識的に)望んだようにしかならない。」

これ、総ての結論よ!!
人生の法則さ!!

芦塚先生は自分の夢は叶ったの??

その答えは難しいなあ!?
つまり、自分に対しての夢は全て叶ったと思うよ。

私は、音楽教室で、ピアノやviolinを教えているから、どうしても、生徒達は私が演奏家に成れなくって、挫折して音楽の先生をやっていると、勘違いしている人達がいる。

しかし、それは、大きな間違いなのだよ。
Pianoは随分遅く、17歳ぐらいから勉強を始めたけれど、一応伴奏ピアニストとしては、演奏活動は出来たけれど、高校生で音楽を始める前から、リューマチの持病は言われていたので、いずれ歳を取ったら、Pianoが弾けなくなる事は分かっていたし、よく人から言われる
「Classic音楽では、生活は出来ませんよね?」と言う話は、それは、皆が音楽大学等で、芸術としての音楽しか習っていない性なので、私のように、最初から職業として勉強して来た場合には、その話は成り立たないと思うよ。

私の所謂、Classic onlyの音楽の生活も、一般の人達と比べても、数倍は、人並以上には、生活出来ている・・と思うよ。

ただ、一般の人達との違いは、その価値観で、私の場合には、家や車に価値を見いだせないのよね。
その代わりに、楽器のコレクション(Cembaloを4台とpipe organや、violin、cello、Kontrabassの楽器はもう、何台を所有しているか、分からんぐらいだし、私の個人的なcollectionである作曲家のfacsimileの楽譜や超貴重書の楽譜や、CD、(今はDVDかな??)を集めると、普通の家族の場合には、家の2,3軒は建っただろうし、音楽界で働こうかという話があった時にも、そこで活躍している人種と私とは異人種だと痛感して、音楽の世界で働くのは断ったし、大学も幾つか誘いもあったし、実際に働いても見たのだが、やはり私の居場所ではなかったし、・・・??

それを突き詰めて行くと、結果的に今の生活になるのだよ。

だいいち、医者になる道を捨てて、音楽に進んだ動機は、作曲家ならば、一人孤独でピアノだけに向かって生きて行く事が出来る・・・と言う風な、高校時代の若気の至りの勘違いから、始まっているのだから、「音楽の世界で有名になりたい」というような、妄想は、絶対に考えた事は、お首にもないのだからね。

但し、今の生活が、ある程度は自分に幸せをもたらしているのか??という疑問に答える事は「難しくはある」のだよな。

「音楽大学で大学生ではなく、一般の音楽教室で、巷の子供を教える」という事は、自分が望んでやった事なので、やぶさかではないのだが、子供達が音楽に対して、純粋に一途にひたむきに、向き合っている姿を見ると、涙が出る程、素晴らしいと思い、その子供達を指導出来るのは、この上ない幸せなのだが、その子供達が段々と、歳を経る毎に、noiseというか、雑念というか、その子供達の人生に、不純な考え方が混じって来て、それに、学校教育や、摩訶不思議な日本の教育社会の、営業本位、の企業で作り上げられた虚構の世界に惑わされている、日本人達を見るにつけ、私自身も、こうすれば夢は叶うのに・・?と、いたずらに思うばかりで、本当の夢を叶えるための教育が出来ない・・・という事の悩みは、何年、音楽教室をやっても、論文で、或いは講演をしても、この40年、50年、理解される事もなく、このまま、一生を終わるのか??と思うと、慚愧の念は尽きないのだよね。

でも、それと、同じ事を、恐れ多くも、天下のお釈迦様も、仰っていたのだがね。
悟りを開いて、自分に苦しみがなくなったのだが、それを弟子達に伝えようとすると、誰も理解してくれないという悩みが出来てしまった・・という事なのだよ。

私も、私自身の夢の事で悩む事は全くないけれど、何時も周りの事・・・、人の事の悩みは、尽きないのだよね。

夢を叶えるには、必要絶対条件があるのだよ。
それを、自分達の家庭の都合で、その必要条件や絶対条件を守ろうともしないで、夢が達成出来なかったら、先生の性にしたり、教室のせいにしたりする。
そりゃ、ないよな〜ぁ??
俺の言う条件は当たり前の条件だし、守れないと言う事は、その夢は、その人の夢では、無い・・という事なのだよ。
つまり、ステータスに過ぎないのだよ。
そこで、夢が叶う事はない・・という話がどうして、分からんのかね。

私は、いつも、はっきりと、言っているよ。
「あなたの夢は必ず叶います。」とか、
「あなたの夢は絶対に叶いません!!」って・・
それは、条件をきちんと誠実に真摯に守ったかの、必然の結果であって、出来る範囲で一生懸命にやりました・・・・という次元の話ではないのだからね。

コンクールでもそうでしょう??
「ここと、ここと、ここが、何%出来たら、何処までの、賞を貰える」
それは、正確なものだよ。
偶然はない。
コンクールに入るのも、簡単なのだよ??
人生も同じだよ。