単純にpitchと辞書で引くと驚くほど色々な意味が出てくる。
ボートを漕ぐ人の一分間にオールを漕ぐストロークの回数を意味するピッチ、野球の人の打者に向かって球を投げることを意味するピッチ(ピッチング)、はたまた石油や木炭を蒸留した後に出来る固形の物質もピッチという。山登りなどで坂道の傾斜を表すピッチもある。一般的なのは作業能率を表すための言葉かもしれない。しかし、我々音楽家がピッチと言った場合には音の高低を表す。「ピッチが高い。」とか「低い。」とかだ。

リコーダーなどを買い求めに行くと、それぞれの楽器で、ピッチが違うことがよくある。
リコーダーの場合には、基本的には440サイクルの標準ピッチと435サイクルのバロックピッチが殆どだが、440サイクルの標準ピッチのリコーダーは、その殆どが、学校教材用のプラスチックの安価なリコーダーである場合が多い。高価な木製のリコーダーであっても、精々、1万から4,5万の安い楽器である。
勿論、この安いリコーダーであっても、運指はバロック式の正式な運指の楽器であるのだが、リコーダーの運指については、所謂、ジャーマン式のリコーダーと呼ばれるジャーマン式の運指と呼ばれる(日本では!!)運指がある。
(リコーダーのお話で、今はもう第二次世界大戦の遺構である、世界中で使用されていない、(・・・というか、当のドイツ人さえ誰も知らないであろう、)ドイツ式指使いのジャーマン式リコーダー《繰り返して言うのだが、当の元祖ドイツでは誰も知らないジャーマン式リコーダーなのだが、》 今だに日本の90%近くの小学校がこの不思議なリコーダーをリコーダーとして使用しているのは論外の話ではある。)これは教育制度の問題で、中学校からは、圧倒的にバロック式、或いはイギリス式と呼ばれるリコーダーを買い直させられる場合が多いのだが、それは、中学校からは、音楽の先生は音楽大学を卒業した、音楽の専科の先生達が指導するからという、理由による。
専科の先生が指導するのにも関わらず、イギリス式(バロック式)リコーダーのピッチは440サイクルの標準ピッチであるのは、伴奏をする楽器がピアノであるといった現実的な理由である。学校教育が440という文科省の指定を受けている以上、それに逆らう事は許されないし、且つ又、古楽器のチェンバロを持っている小、中学校は、基本的には無いからである。
ジャーマン式リコーダーが誕生する経緯は音楽のおもしろ話⇒「リコーダーのお話」に少し触れています。

家庭のピアノを調律する時、調律師から「いくつにしますか?」と聞かれることがある。こちらが何も希望を出さなければ、殆どの調律師は440サイクルで調律するのではないだろうか。我々が文化会館などのコンサート・ホールで発表会をする時、会場のピアノにピッチを合わせてヴァイオリンやチェロなどをチューニングするのだが、教育会館などの特殊な所を除いて、殆どの会場のピアノは442~443に調律されている。(教育会館などのように学校が使用するという前提に立っているところは、440の標準ピッチである。)市販の木琴や鉄琴などの楽器の場合は440サイクルと442サイクルの楽器が販売されている。

日本では、A=440サイクルは国際標準高度と標準高度(pitch)とされているが、実際には、A=440のpitchで調律(tuning)されるのは、学校関係の教育会館と小、中、高の学校だけで、普通のコンサートホールや小さなサロンコンサートの会場などでも、一般の演奏会では、通常、調律は、A=442か443サイクルが一番多い。ということで私達の教室の10台以上あるピアノも、全てA=443サイクルの演奏会高度で調律をお願いしている。また私達の教室の生徒サン達にも、絶対音感が身に付き易いように、教室と同じpitchのA=443で調律師の方に調律して貰うようにお願いしている。

ちょっと蛇足になってしまうのだが、あまり知られていない事なので、補足説明をしておく。
この国際高度(pitch)というのは、日本の音楽教育機関が言っているに過ぎない。だからヨーロッパにも標準の国際高度があると思っている音楽家が多くて辟易されてしまう。
実際には、国際高度はそれぞれの国で違う。イタリア軍楽隊のpitchはA=430.4でフランス国際高度はA=435である。所謂、私達がbaroque・pitchと呼んでいる高度だ。日本の音楽や教育の全ては、明治時代にドイツから輸入されたものである。だから、日本のA=440の高度は、ドイツの国際高度を指しているのである。
ちなみに、イタリア軍楽隊のpitchが半端なのは、軍楽隊の使用楽器はブラス(管)楽器なので、その基音(キーを押さなくても出る音)はB♭が456とするからである。
では、何故、456なのか?
ここまでくるともう音響学の領域なので、ホームページのお話ではなくなってしまうけれど、ヒントはC5を2にすると、C1が255.9(理論上は256)となって、B♭が456になるからである。
(折角ここまで書いてしまったので、自棄のやんぱちで)、ついでに、もし、ドイツ国際高度のA=440にすると、管楽器のtuning(音取り)の時に、B♭=466.2という半端な数字(pitch)になってすこぶる都合が悪いのだ。

「たかが1サイクルや2サイクル変わった所で何が変わるんだ。」と思われるかもしれないが、普段のオケ練習等でも、演奏している時の、子供達のノリが、(ピッチが変わると)全く(音楽が)変わってしまうのだから、本当に始末が悪い。

梅雨の時期などに子供達とオケ練習をしている時、空気が重たくて(雨が降りそうで降らないどうしようもない天気で)子供達の音楽の乗りも最悪な時、「じゃあ、今日は気分が乗らないから444でやろう。」といってチューニングをしなおすと子供達が見違えるように生き生きとなってくる。

じゃあ、最初から444でやれば問題は無いように思われるかも知れないが、残念ながら事はそう簡単にはいかない。やっぱり普段は443は443であって、絶対に444では、高すぎるのである。

楽器の中で、ヴァイオリン族などの弦楽器の場合にはフレットのようなものがついていないので、自由に(少し高目とか、低めにとか)ピッチが取れそうなものであるがそうでもない。フレットがない分、一般的には、(音大生やプロのオケマンも含めて)音を取る時に、探り弾き(ほんの一瞬pitchを指で探してしまう)になってしまっている人が多いからだ。教室では、探り弾きは厳禁である。ほんの少しでも探りの指が入ったら、先生に厳しく怒られる。じゃあ、どうすれば、探りをしないで、正確にpitch(この場合には音)を取る事が出来るか??って?・・・・それは、芦塚メトードだから、内緒!

正しく、よい練習をして、楽器を弾きこんでくると、楽器には(弦楽器に限らず、ピアノのような鍵盤楽器ですら)「当たり』と言って、楽器のよく鳴る(よく響く)ツボが出来る。そうすると、ヴァイオリンのように、フレットがない楽器でも、楽器のpitchのツボに指が自然に行くようになる。音が正確に取れるようになるのだ。
あるとき、プロオケのオケマンに頼まれて彼のヴァイオリンを修理している間私のヴァイオリンを貸したことがある。オケマンであるに関わらず、彼の標準高度は440であった。つまり子供の頃から440で習ってきて、プロオケに入ってもそのpitchを治せなかったわけだ。

一月経って私のヴァイオリンが帰ってきたとき、ヴァイオリンが全く鳴らなくなっている事に驚いてしまった。楽器が440の時に響くようになってしまったのだ。指は無意識に一番響く場所を求めてしまう。しかし耳は正しい高度を要求する。大変なことになってしまった。又一から楽器を調教しなおしだ。何年越しで楽器を調教してきて、やっと、せっかく響くようになっていたので少なからずショックであった。ヴァイオリンやチェロ等の楽器が特定のpitch(point)で響くように、調教する事を(適当な言葉がないので、仕方がないので作音と呼んでいる。)しかし、今はやりのサイレント・ヴァイオリンやチェロには、作音は無い。つまり、最初からkonsonanz(共鳴)がない分けだから、作音しても意味はない。だからサイレントの楽器では、「楽器のpitchが変わる』なんて現象は起こらない。幾ら上手に演奏しても、楽器が鳴るという事は無いからだ。それで深夜指(position)の練習をしても、微妙なpitchは分からないので、逆に音程が悪くなるだけである。
という事で、サイレント楽器は、ピアノを除いては推奨しない。

楽器は絶対に他人に貸すものではないということを改めて実感した。

ピッチに関しては音大時代に結構興味を持って調べたことがある。
当時としては最先端の資料を集めて、研究をして、それなりにまとめて見たのだが、結局1980年代に差しかかってバロック時代の楽器やガット弦などが再現されるようになって、それまで常識とされて来たことが覆されて、私の勉強してきた知識は何の役にも立たなくなってしまった。(小中高校で学んできた歴史上の知識が何の役にも立たなくなったように・・・という事よりも、社会や理科のような普遍的と思われる知識も全く役に立たなくなってしまった。当時の常識は現代の、未開人の知識なのだよ。)

私が学生時代から、一貫して主張して来た理論である「音楽の技術様式や表現様式は、その作曲家の育った時代の楽器政策上の技術で決定される。」という主張通り、1970年代後半からの、baroque時代の楽器の復刻や製作を通じて、当時の正しい音楽の表現様式や演奏技術を、我々に教えてくれる。

バロック時代には殆ど村々の単位でピッチが異なっていた。それは村の教会のパイプオルガンが、村にとって一番権威のある物であったからである。つまり音楽を提供していたのは殆どの場合教会である。貴族もと思われるかもしれないが貴族が村民に音楽を提供すると言う事は、まだ貴族階級の力が強く、17世紀や18世紀までは例外的にしかおこなわれていなかった。ジプシーや村祭りで演奏される以外は毎週のゴッテスディンストとして提供される音楽が唯一の村民の娯楽であった。というわけで当然、村で作られる金管楽器はパイプオルガンのピッチによって決定されていたのだ。金管係の楽器は高音の方が響きが良い。だからバロック時代はピッチが低かった、というのは迷信であって、当時448というとてつもない高いピッチを持つ町もあったことは良く知られている。

それに対して弦楽器は切れやすいガット弦に悩まされていたことは事実である。
だからガンバやリュートなどの楽器の場合「その日に一番良く鳴るピッチにチューニングする」というのは全く正しい。
当然ガット弦は(今でも)非常に高価なわけだから、なるべく弦を切らないように演奏するにはある程度低いピッチで演奏した方がよいのだ。しかし、弦楽器もあまりpitchを低くすると楽器の鳴りが悪くなる。という事で、ある程度の高度は必要である。

もう一つのよく日本でも演奏される、バロックピッチである415サイクルであるが、これは全く根拠がない。
現代になって、チェンバロなどがオーケストラなどで使用されるようになって、モダンピッチとバロックピッチの弾き分けの必要が生まれた。
しかし、ヴァイオリンにしてもチェンバロにしても曲ごとにピッチを変えていると弦のみならず、楽器にとって非常に良くない。(最悪の場合、楽器が壊れてしまう)ということで鍵盤をスライドさせることによってバロックピッチを持ってこようということで出来た便宜上のピッチだ。
つまりA(ラの音)を440で調律すると、鍵盤をスライドさせる事によって、半音下げてGis(ソ♯の音)の所にAの鍵盤をもっていくと、Aの鍵盤でGisの弦を弾くのだから、Aの音は当然415サイクルになるということだ。
(私達の教室のように)Aを443でチューニングする場合は、Gisの音は418だから、鍵盤をスライドさせたバロックピッチでは418サイクルになると言う事です。当然、私や教室が所有しているしているCembaloも、このスライド鍵盤の機構を持っている。スピネットタイプのCembaloでもスライド鍵盤を持っている楽器もある。(勿論、バロック時代にはそんなものはなかったがね。)
当然、スライド鍵盤は、電子楽器でも、トランスポーズというスイッチを操作する事で、全く同じように操作できます。
私達が実際に演奏活動をして感じた結果では、バロック・ヴァイオリンでも、415では楽器の鳴りが少し悪いようで、430とかの方が楽器が良く鳴るようです。でも、一台一台楽器が異なりますので良く響くピッチも一台ずつ変わってしまいます。

今までお話してきた事とは、少し、内容が変わってしまうが、先程も書いたように教室ではA=443の演奏会高度を使用しています。
オーケストラの練習等では、Vivaldi等のbaroque時代の作曲家の曲を演奏する場合には、純正調の響きが要求されます。という分けで、次の曲(Vivaldiの「四季」の秋)ではsoloviolinが解放弦を伴った和音を弾くpassageがあります。

上の音が、演奏会pitchでA=443だとして、下の音は平均律ではF=353.23になります。
純正調では、F=355になります。しかし、これはあくまで理論値なのです。
だから、実際にはA=448に取った時に、Fがピュアな純正の音を出します。
理論と実際の感性は全く違うのです。その場合にはF=360にもなっています。
これはえらい事ですよ!!困った!困った!

でも、この話は何も、バロックピッチに関した話ではありません。標準の440のピッチでも、演奏会高度の443のピッチであったとしても、和音の響きには別の条件が入って来ます。
日本の音楽大学では、音楽の基礎としてscale(音階)を厳しく練習させます。
毎日、毎日の1時間、2時間の無味乾燥な音階の練習に耐える根性が無いと、音楽大学を受験するのは無理だと言われます。勿論、入学試験にscaleは必ずあって、当日指定されます。
しかし、そういった苦痛に耐えて音楽大学を卒業した生徒達がヨーロッパの演奏家の人達から、日本人は「音程が悪い!」「音感が悪い!!」と言われて、最初からやり直しをさせられてしまいます。
つまり、日本人がscaleとして、勉強しているのはピアノで弾いているような平均律のscaleに過ぎないのです。
実際の音楽の演奏では、平均律を使用する事はありません。もっとより高度な音感が必要になります。

実例として、次の二つの例を参考にあげましょう。
最初の例は、Saint-SaënsのviolinconcertoのⅢ楽章の始めのpassageです。
譜例:

Ⅲ楽章の始まりは、何でもない4和音のコードで始まるように見えますが、この和音の中の、一番上のミの音と、一番下のソの音は、指で抑えない、開放弦の音なので、pitchを調整する事は出来ません。

だから、ミの音と、直ぐ下のシの音は、完全4度になるので、完全に協和したピュアーな響きを要求されます。
次に、シの音の下の音はミの音なので、これも完全5度という事で、完全に協和したピュアーな響きを要求されます。
次に、3番目のミの音と下のソの音ですが、ソの音は開放弦の音なので、音の微調整は出来ません。
そういう風に音を順番にとっていくと、一番下の弦のソと次のミの音は大変汚い音になってしまいます。

では、下の開放弦のソの音から長6度でミの音をとって、完全5度でシの音をとると、今度は一番上のミの音と全く協和しなくなって、大変汚い響きになってしまうのです。

つまり、大ヴァイオリストであるSaint-Saënsが作った曲であるのに、その解決策はないのです。

と言う事で、通常はviolinは4和音を二弦、二弦と二つに分けて演奏するので、教室では生徒に対して、最初の長6度の和音、(一番下のソの音と次のミの音)を、協和させて弾いて、その次の瞬間にA線上のシの音とE線上の開放弦のミの音を、完全な協和音程の完全4度でピュアーに演奏させます。
ほんの一瞬のタイミングで、音をずらして演奏するのですが、今までの所、それがバレた事はありません。

同様なケースはVitaliの有名なchaconneの冒頭のmelodieのF#の問題です。
この曲はg mollなので、F#は導音になります。
導音は実際の平均律の音よりも、かなり高めに取らなければならないので、殆ど主音にくっつくようなpitchで演奏しなければなりません。
それで普通に美しく聞こえるのです。
(勿論、音楽大学では、正確にピアノの平均律の音と同じ音に弾かせるので、一般の人達が聴くと、かなり低めの音になってしまいます。それがヨーロッパの人達にとっては 「日本人は音感が悪い!」とみなされてしまうのです。)
ですから、教室の生徒達は、Vitaliのchaconneをピアノ伴奏で演奏する時には、ピアノのF#の音よりもかなり高めに音(pitch)をとって、子供達は演奏しています。
少しでも、平均律の音に近づくと「F#は導音のF#なのだから、導音処理をして弾きなさい。」と先生からの檄が飛びます。
しかし、同じVitaliのchaconneなのに、オーケストラbackのversionでは、その導音はかなり低め、(つまりピアノのF# 所謂、平均律のF#よりも低め)に演奏しなければなりません。
それは、オーケストラでは、F#のpassageでは、celloやKontrabass、violaのpartが、弦楽オーケストラ特有の純正のピュアな、g moll(ト短調)の属音となるレの音と、レの音から完全5度上のラの音を弾いていいるから、その間のF#の音は、ピュアー3度の響きで演奏しなければならないからなのです。
オケ全体がF#をピュアー3度で演奏している時に、幾らsoloだからと言って、一人だけ、オーケストラの和音の響きから外れてしまうと、オーケストラ全体としては、大変な事になってしまいます。
聞くに堪えない響きがしてくるのです。
ですから、子供達は同じVitaliのchaconneを弾く時でも、ピアノ伴奏の時と、オーケストラ伴奏の時には、取るpitchを変えて演奏するのです。

これは大変な技術なのですよ。

アハッ、ハッ、ハッ!