前ページ

教えてください。そのときブレスはしたほうが良いですよね?

 

「うー1」の左手 シレファ♯・シレソ♯の8分音符のティコティコの部分はどういう練習がありますか。

以前和音を押さえておいて1の指や35の指だけを動かさずに弾く練習はありましたのでそれはやるようにいいました。

が、どうしても遅くなるのは変わらないのでそれを教えてください。

今日もやりましたが上手く出来ませんでした。

 

今後のペース配分を教えてください。

今まだほとんど本選の課題曲にいっていませんがそれはどうやっていったらよいですか。大体で良いので教えてください。

チャイコの左手のベース音は5ですかこれはすぐに教えてください。

よろしくお願いします。

 

200*/**月/**日(月) 7:53

返: 今日のれっすん*・*    

アリアの切れ方(アーティキュレーション)は本番もこれで弾くのですよね?レガートではなく16分音符を2つにきるのはどういう意味ですか。粒を安定させるためですか、それとも奏法などの様式の問題ですか。

教えて下さい。

⇒この話も細かくメールに説明をしたはずですが、

①先ずアリヤと言う事で皆さんが滑らかに弾き過ぎる傾向にあると云う事。アリヤと言うより寧ろメヌエットの方にテンポは近いと云う事

②三拍子のテンポをしっかりと出すために、指が滑らないために、少し強勢を加えるという事

③チェンバロ奏法では少しアクセント気味に弾く事がオーソドックスであること。等説明してあります。

④もしこの曲が本当にアリヤだとすれば、もっと非常に遅く、細かな装飾が施されなければなりません。

それはHändelの他のアリアとして作曲された曲にそのサンプルを見いだすことが出来ます。

それにテンポはこの倍程遅くなければなりません。

 

冗談のフリーズのところのフェルマータは今美音子が4つ完全に数えてしまいその間に左の準備をしようとしていて全然フリーズの感じがでないで困っています。どれでもいい のあとで止まって待つ時は手首で抜きをした体勢で上で準備していれば言いのですか?

教えてください。そのときブレスはしたほうが良いですよね?

⇒あなたの質問は、相手の立場になっていないので意味がわからない場合が非常に多い。

特にメールの場合、その傾向が数多く見受けられます。

 

一体、フリーズの箇所と云うのはどこの事ですか?

多分「いー④」の所を指しているのではないかと思いますが、それならばなぜ最初の約束通り「いー④」と言わないのですか?

そのために、練習番号を付けてわざわざFAXであなたに送ったのではないですか?

そういったところでも、私が少しでも分りやすく配慮したことが、生かされないままあなたの身勝手な言い方に始終しています。

そういった、細やかな配慮を行き渡せる事が、とりもなおさず、父兄達の、或いは子供達の信頼を得るための方法になるのですがね。

「あ、い、う、④」はそれぞれ終わり方が違います。勿論、一番オーソドックスなのは、「あー4」の終止で「いー①」に入る前に、ブレスをします。

「いー4」は切断、突然そこで終わるという事です。

「うー4」は機関車が止まるように段々遅くなっていきますが、休符のところに入っても、遅くなり続けなければいけません。それがrit.の原則です。

切断の演奏の仕方は、切断をしないで、「あー4」のようにそのまま終止させる弾き方をさせます。そしてそれが出来るようになったら、終わる音を弾かないようにします。当然そうするとvorbereitをする場所は休みに入った一拍目の所ではなく、ニ拍目でvorbereitする事になります。なぜならば、頭の中では弾かなくなった終止の音を頭の中では聞いていなければならないからです。

 

 

シレファ♯・シレソ♯の8分音符のティコティコの部分はどういう練習がありますか。以前和音を押さえておいて1の指や35の指だけを動かさずに弾く練習はありましたのでそれはやるようにいいました。

がどうしても遅くなるのは変わらないのでそれを教えてください。今日もやりましたが上手く出来ませんでした。

テキスト ボックス: アルベルティ・バスの練習


⇒Beyerではこのパターンは72番に始めて出て来ます。

小さい子供の場合指の重さや強さでこのパターンは無理な事が多いのです。

美音子がBeyerの72番を終了した状態でこの曲(Bartókの冗談)を弾いているのかどうかが先ず一番大切なことです。

この手の曲のオーソドックスな練習を添付しておきます。あとは幾つでも自分で考え出してください。

 

 

 

今後のペース配分を教えてください。今まだほとんど本選の課題曲にいっていませんがそれはどうやっていったらよいですか。大体で良いので教えてください。

⇒美音子がコンクールに出たいと言った時点で、練習のスケジュールを出して、本選や予選に対しての各曲の練習のバランスというのを説明したはずです。

しかし、いつの頃からか、予選の曲だけを練習のペースにしてしまって、それが、美音子や美音子の親たちにコンクールに対してのゆとり感覚を与えてしまったのではないですか?

私の場合は、すべての曲をローテーションとしてありますので、宿題を出したら次のレッスンでは、次の曲の課題を出しというふうにします。

それで10数曲の課題を半年のローテーションでこなすことができるのです。

つまり、美音子の場合はまだ、自分で家庭でコツコツ練習をすると言う 一番大元の所が出来ていないので、・・・或いはそれに対しての親の協力をあなた自身がさせることが出来ないので、・・・・あなた自身が美音子ちゃんに課題を出しながらでも、美音子ちゃんの練習につき合わなければいけないので、余白の時間は全くないはずです。

しかし、それにもかかわらず、無駄なレッスンや曜日をかなり多く費やしているように思われます。それに対しての最も大きな理由は、その無駄な時間に対してのあなたの弁解が多すぎると云う事です。

それはそのまま、美音子ちゃんの親の、あなたに対する弁解になって帰って来ます。

それを因果応報と言います。

今まだほとんど本選の課題曲にいっていませんがそれはどうやっていったらよいですか。⇒この質問に対して私は何を答えたら良いのですか?

最初に出したローテーションを守れないとすれば、その次に何かより良い方策でもあると思っているのですか?

コンクールや受験に関して、棚ボタ的な事があるわけはないでしょう!

そんな当たり前の事をなぜ質問するのですか?

 

200*/**月/**日(月) 8:18

転送: 今日のれっすん5・3

今後のペース配分を教えてください。今まだほとんど本選の課題曲にいっていませんがそれはどうやっていったらよいですか。大体で良いので教えてください。

⇒今後のレッスンの進め方という事で、ローテーションの大切さという事を説明したつもりですが、あなたには舌足らずで伝わらないと思いますので、補足説明しておきます。

先程の話で、美音子達がエレクトーンやポピュラーの事にまで、気持ちが行ってしまうのは、勿論真剣さが足りないという事よりも、それだけの勉強する材料が美音子にとっては、「無い」と云う事なのです。

あなたは宿題を出したつもりでも、美音子にとってはやるべき課題として理解出来ていないのです。

それと同様に、美音子に対してだけでなく、親に対しても「コンクールまでの達成すべきローテーションがある」と云う事がわかっていなければ、親は当然自分かってな親の都合で動き始めます。

今回はあなたのそういったローテーションの欠如が引き起こした事故であると言えるでしょう。

本選を受けるつもりならば、当然本選の曲の練習勉強に入ってなければならないはずです。

しかも、予選に対して本選の方がNiveauが高いという事は、曲の仕上げも当然それに合わせてレベルを高く持っていかなければならないと云う事が、美音子や美音子の母もちゃんと理解把握出来ていなければなりません。

そういった事がちゃんと先生や生徒、父兄に理解出来ているのであれば、今回の鬼先生の話はなかったものだと思います。

つまり私の目から見ればそういった切迫感が感じられないのです。それは美音子に対してではありません。なぜならば、美音子はまだ勉強途中の子供であって、先生や親からその切迫感を学ばなければ、分かるはずはないからです。

子供の指導の問題や、父兄の相談についても、或いはいつも相談を受ける音楽教室の同僚の鬼先生の話や、その教室のオーナーとのトラブルの話は、あなた自身の精神状態が前向きでなくなる事や、あなたの家庭の問題に振り回されて、それがひいてはレッスンのトラブルとなって現れて来るわけですが、すべてはあなたの持つたった一つの原因から色々な問題が山積していく、という事を理解出来れば良いのです。

 

そのために、私はあなたに耳にタコが出来る程、対処療法と治療の違いを説明して来ました。

つまり、あなたの質問は常に現状を乗り切るための質問であり、その生徒にとってもあなた自身にとっても、根本を直そうという事ではないと云う事です。それが、いつまでもいつまでも同じ注意を受けなければならない原因になっているのです。

 

しかし、私がいつもあなたに言っているのと同じ事を、あなたは美音子や美音子の母親に対して怒っている…。

それが私の目から見れば、lacherlichに見えるのです。

実際的なローテーションの話については、先程のメールでお話しましたように、ローテーションはコンクールの日にちが変わらない限り、絶対条件であり、そのローテーションを変える事は出来ないし、守れないと云う事は、コンクールに合格するラインではないと云う事です。

ですから、ひたむきにそのローテーションを守って練習していくほかはありません。

音楽の勉強に王道はないのです。

 

200*/**月/**日(木) 2:11

videoを見る前に (あなたの手紙に対してのお返事!)

「Händelの楽譜をコピーしないままこれで練習をしてしまいました。」という意味は分りません。書いてある楽譜は同じようにしか見えません。

矢印は当然手首の抜きの私の記号です。

あなたが私から習った全ての曲にその記号は出てくるはずです。

なぜ今更その質問なのですか?

私が何か新しい事でも始めたとでも思っているのですか?

私のmethodeはこの30年何一つ変わっていないのですよ!

あなたが20年前に習ったその儘のmethodeです。

 

手首と指を丸くする事について!

Bartókの曲の解説です。

Point.1

曲全体の目標テンポは126を目指してください。

左手も右手も非常に軽やかなstaccatoですから、それこそ美音子ちゃんの一番苦手な打鍵の位置とleggieroなtouchがコンクールの勝敗の別れ目になってきます。

 

弾き終わった後にゴロニャンのニャンコの手が出来ているように、いつも注意をするように弾き終わった後の形が美しくなければ、コンクールには入ることができません。

右手、左手とも一個、一個の音についてもニャンコの手の型の確認をしなければなりません。

 

打鍵の位置についての解説

(200*/**月/**日(火) 17:33)

返: シールの場所     

打鍵の位置は、昨年、前回のコンクールのlessonの時にパソコンから打ち出した鍵盤と打鍵の位置の絵を送ったはずですが、なくしたのかな?

鍵盤は白鍵と黒鍵の間がちょうど中心ですが、(意味は分かりますよね?!)白鍵の部分のちょうど真ん中の位置に5の指と1の指が来るようにして、黒鍵と白鍵の境目の手前に3の指が来るようにします。黒鍵を弾く時は境目から1センチ以内のセンターよりに打鍵の位置がぎりぎりに来るようにしなければなりません。あなたも小学校の4年生5年生の時に厳しく習ってきたはずですが、お忘れですか?初歩であれ、プロversionであれ、基礎、基本をいかに忠実にしっかりと守るかという事にかかっているのです。

音楽の素人や、はては音大生などの音楽家の卵達も、自分達が学んでいる基礎的な練習法法ではなく、もっと案直な簡単な方法があって、プロはプロでもっと高度な魔法のような練習法があるような、もっともっと高級な何かを指導して貰えるような錯覚にとらわれてる人が多くいます。

演奏活動のための音楽の勉強であれ、初歩の子供達に何かを指導するためのmanualであれ、音楽家たちの勉強は基本に(基礎に)以下に戻れるか!にかかっている、というお話はあなたにとっては?耳タコなお話しではないか、と思うのですが、いかがなものか?それこそ、芦塚音楽研究所に先ず入会した生徒や、或いは講師見習の先生達が先ず勉強させられることが、椅子の位置、姿勢、打鍵の位置の3点でしようね。

一番最初になって、それがマスターできない限り、どんなタッチであろうと、演奏法であろうとマスターは出来ないのではないでしょうかね?

 

図:

白鍵だけの打鍵の位置                    黒鍵の入った打鍵の位置

     

    

音大受験という事ではなく、あなたが教室に入会した時から、打鍵の位置、姿勢、椅子の位置は厳しく指導され、無意識になるまで身に付けさせられたのではないですか?

それが指導と言うものです。

 

 

 

Händelの拍の意味について

スラーのお話

この曲は2小節単位にスラーが付いているのですが、多分、アリアと言う名前でそう思われたのではないでしょうかね?

ですから、legatoでだらだら弾いてくる生徒の(良い言い方をすれば、ロマン派のように歌い込んでくる)方が多いのではないでしょうかね?

でも、本来のbaroqueでは、拍をしっかり出して弾く事が基本です。

そのために、8分音符や4分音符の前後は、はっきりと音を切って拍を出さなければなりません。

とは言っても、アクセントのように1beatずつ 「強く弾く」と言う意味ではなく、あくまで「拍(rhythm)をはっきりと出す」と言うぐらいの意味です。それよりも、強い音では下品になってよくありません。

 

指使い

左手、最初の指使いを5でなく3の指を使うことは弾き始めの音を安定させると言う意味で、とても良いと思います。

2小節目のシbを(1,2小節目の指使いと言う事で5-1の)1でなく、2の指で弾かせる事はとても良いことだと思います。

しかし、2小節目の指使いですが、4小節目と指使いが違いますよね。それには根拠がないようです。ですから、4小節目の指使いは確定ですから、2小節目をそれに併せて(整合させて)、2-3-1-*と持って行きます。

8小節目の最後のソの音が5の指になっていますが、これは、多分9小節目から10小節目に関してのドからファの音を1-2の指で安定させたいからだ、と思われます。しかし、ドとファは広ではなく、広広まで広がってしまっているので、型の範疇には納まりきれません。それに、ファ、ミ、レと1-2-1-3と指使い的にも面白くはありません。ですから、8小節目の最後のソの音を4の指で弾いて、ファミレを2-3-1とした方が自然です。

9小節目は3-2-1で、10小節目が2-3-1になります。12小節目は2-1-2となります。16小節目は3-1234-5,1-2、20小節目が2、23123となります。22小節目は2、12123,5,3,24小節目、2、234、25小節目1,2,4、27小節目と最後の1括弧の小節は3-1-5、3,2,1、です。

 

右手の指使いは基本的にはあっています。これは右手から始める日本の傾向を表しています。

下降の音階の始めの音は4からになっている箇所の方が多いので、その整合性を出すために21小節目の5の指を4からに変えると良いでしょう。

432132、1-2-5、次の24小節目は4ですから、ラは3の指にすると良いでしょう。

25小節目の3拍目の32を、3ではなく、21にして、26小節目のソの音は5の指ではなく、これも4から始めると良いでしょう。4321323とします。

 

トリルの注意

トリルは無理がないように最小から始めると良いでしょう。

お約束は必ず上の音から始めなければなりません。

Baroqueの定説です。一番簡単なパターンがファミファ、ミ,ファ/ファーーです。

最初の音を止めて、ファ、ミファミファ、ミファ/ファーーと言う方法もあります。

 

HändelのMetronomtempoについて

(200*/**月/**日(火) 22:52)

返: 美音子の質問*/**   

①HändelのMetronomtempoは3拍子なので、120では付点4分音符なので40になってしまい、幾らアリアでも遅すぎます。8beatで考えるのならば本来は多分160ぐらいになるのではないでしょうかね?コンクールの用の最低のtempoでも130以上はないとまずいですよね。それでも1拍取りで考えてみると、43という非常に遅いtempoになります。160でも53ぐらいですよね。決して速いtempoとは言えません。

 

Bartókのフォルテの出し方について

大人にとっても、正しいフォルテを出すことは難しい、それ以上に日本の音楽を学ぶ人達は、「体を使ってフォルテを出す」という事すら知らないのです。

井上先生に「お尻の先が指先で感じれるようになったらタッチは本物ですよ!」と話をしたら、「すごく難しいことですね」と言っていました。

そういった音楽の根幹の演奏法が、幾らコンクールを受ける子供と言っても、美音子達、所謂、子供達には、簡単に出来るようになる、とは私は最初から思っていません。

寧ろ、フォルテを作ることよりも、如何に弱く美しく弾かせるか・・・ならば、どんな子供にも無理なくマスターさせる事が出来るはずです。

つまり、大人と子供は所詮タッチの重さが違うわけだから、鬼先生のように「こうやればフォルテは出るだろう!?」では、子供は腱鞘炎になってしまいます。

それよりも、子供が持っている自然なフォルテからよりピアノで弾かせる事の方がよっぽど自然なのです。

「あなたが出来る最大の音量がここまでだから、それからどれくらいのピアノをつくれるの(弱く弾けるの)?」それで充分でしょう!

 

最後の話は、私にとってはもっとバカバカしい話です。

あなたが「どうしても音楽がやりたいので、音楽に進みたい。」と私に行ってきたのは、高校2年生の夏ではなかったのですか?

普通、本当の意味で、子供達が音楽を好きだと言えるのは、早くても高校1年遅くて高校2年だと私はいつも言っているはずです。

それ以前に音楽が好きだというのは、音楽と云うよりも寧ろ先生が好きだとか、演奏して格好いいと言われるから好きだ、とかもっと外面的な理由である事がほとんどだと思います。

そういった外面的なアプローチを、少しずつ本当の音楽のよさを教えていくのが、先生の先生たる役割なのです。

あなたの話を聞いていると、まるで最初から音楽が好きで、プロになりたくて、それでコンクールを目指す小学生がいるような、そういう風な話に聞こえて来ます。

いつも言っているように、そうった生徒がもしまかり間違えていたとしたら、最初から芸大の先生についていますよ。そこいらの音楽教室には来ないって!!

 

私にとってはそんな話は絶対的にありえないと思うのですがね!

美音子が、外面的な事や鬼先生のエレクトーンの話、そういった方向に目を向けると言う事は、あなたが美音子の精神のコントロールを出来ないと云う事ではないですか?

由起子や純子の生徒が、そういった外面的な方向に目を向けた時に、私は誰を責めると思いますか?

子供やその父兄を私が責めると思いますか?

ありえないでしょう!

子供や親が他の外面的な事に目を向けるのは先生の指導力がないせいだけではないのですか?

この話も、私はあなたには何度も何度も繰り返ししましたよね!

それが何度も話さなければいけないと云う事は、あなたの中にそういったことがしみついてないせいなのですよ!

だから、美音子があなたの望むような生徒にならないのです。

 

200*/**月/**日(木) 11:24

メールに対して  

バルトークや他の曲でもきれいなピアノをつくれるよう指導しようと思います。

 

ただ私は子供に夢をみさせる能力がないのだと思います。

しかし自分を思い返してみても私はすごい先生に習っているという誇りみたいなものは子供や親にないといけないし、芦塚先生が時折する外国の話とか昔話などから音楽をがんばっていれば華やかな世界があるのだなとは子供なりにあこがれていたように思います。もう少しそういうところを自分にもだしていかねばと思います。

とりわけ美音子と響子に関しては母親も子も努力は嫌いで華々しいのが好きでなんでものめりこむタイプの親です。二人とも共通してエレクトーンを自分が弾いてみたいという人たちでした。どちらかといえば子供をだしに自分が習いたいという人たちです。

しかしやはり子供の将来を考えた時芦塚先生の名前をだしたとたん「エレクトーンはやらせません、クラッシックピアノでいく」と言ってくるのは思いのほか冷静だったと考えました。

やはり子供のことを大事に思っているのだなと感心しました。

響子の親は音大に行かせたいとまで言ってきました。

それも鵜呑みには出来ませんが。

 

200*/**月/**日(金) 1:07

返: また、また、また、素っ頓狂なメールに対して!  

①指導者は・・・

Händelのtempoに限らず、指導者は目標の最終tempoをしっかりと把握した上で、現在のtempoの指導をしなければなりません。

今のtempoを練習で積み上げて、出来るところまでtempoを上げて行くと言うのでは、あやふやなlessonになってしまうからです。

②ところで突然、またまた「響子」と言う名前が出てきたのですが、これはいったい誰の事なのですか?私はその子供の情報は全く貰っていないのですが・・・!!

以下あなたのメールの本文の質問に対しての回答です。

 

③ピアノとエレクトーンは別の楽器なので、演奏の仕方も全く違うので、エレクトーンの曲は指導出来ないし、『コンクールなどの下見してください』と言われても、曲の作り方が全く違うので、責任をとれないので、『 鬼先生に習いたいのであれば私の方のlessonを趣味にするか、同僚のエレクトーン専門の先生に代わって下さい。』と父兄に言ってみたところ、即答でコンクールのための鬼先生のレッスンはやめますとのことでした。

両方の父兄とも、親が子供を言い聞かせた様子でした。

⇒儒教的な厳しく律していくと言う、指導法は一時的にはそれなりの効果もありますが、子供の成長を伴った長期戦では、挫折させてしまう事のほうが多いと思います。

日本の学校教育等の場合、子供の成長を長期としても1年、短期とすれば一、二週間として指導者が教育するので、そういったガミガミ教育も可能性があるのです。

音楽教育の現場でも、ヤマハ等の大手の音楽教室では、先生が1年の間に3人も変わってしまったり、という事がざらにあるようで、そういったケースに追いやられた生徒たちが私たちの教室に逃げてきます。

親の話では「最低でも1、2年は同じ先生に指導して欲しい。」ということです。「私たちの教室では、だいたい10年のスタンスですよ」と話をすると、父兄はみんな安心するようです。この話の結論は④番の話とダブります。

 

④芦塚先生が時折する外国の話とか昔話などから音楽をがんばっていれば華やかな世界があるのだなとは子供なりにあこがれていたように思います。もう少しそういうところを自分にもだしていかねばと思います。

⇒確かにそういったことは方便(導入)としては効果がある場合もあるけど、そういった憧れだけで生徒の気持ちを引っ張り続ける事は出来ません。

本当の音楽の教育目的は、音楽を通じて自分の心を成長させたり、偉人の考え方や生き方を周りの人達に伝えるために、その技術を自己研鑽したり、音楽を通じて成長する事、そういったアプローチするための喜びや楽しさ、大切さを教える事であります。

華やかな世界に憧れる、その形に憧れを持つことから、だんだんそういった本質的な内容的なことを大切に思えるように育てていかなければなりません。

その中の一つが、私達の教室での思いやりの教育でもあるのです。

思いやりとは、自分の中に囚われて、自己から抜け出せなくなっている現代人が、唯一自分から抜け出すための方法論なのです。

思いやりは他人のためではなく、自己の救済の基にもなっているのです。

 

200*/**月/**日(金) 2:45

返: メールに対して追伸: 

Händelについて、老婆心ながら二つだけ追加で注意しておきます。

①曲のMetronomtempoを厳しく言っているのには、もう一つの意味があります。それは、tempoを8音符取りしていると音楽が間延びしてしまうからです。仮にMetronomを付点4分音符が120で弾いたとしても、8分音符取りをして、120で弾いたのでは曲が流れないで、たどたどしくなってしまうと言う事です。それなら、Metronom40で2小節で強の小節、弱の小節と弾いた方が流れます。あなたはMetronom40で流れて弾いたのと、Metronom120でたどたどしく弾いた美音子の真似の奏き分けが出来ますか?それが私がある程度Metronomを上げて弾いた方が、美音子にとっては有利だと言っている理由なのですがね。遅いと8beat取りをしてしまって、どうしてもたどたどしく音楽がなってしまっているのですがね。

 

②は美音子の片手練習の段階から、同じ音で引っかかるのが直っていません。それが私が何度も注意しているのにかかわらず、相変わらずひっかかったままに、そのままにいまだに弾いています。それを美音子も意識していないし、あなたも意識していません。そして私は毎回同じ注意をしています。つまり音が引っ掛かって弾いているのに、あなた達にとってはそれがわかっていないのです。だから何度注意しても直らないのです。たぶんvideoで繰り返して聞いても、分らないのではないのですか?でも、美音子は10回のうちに4,5回は引っ掛かって弾いているのですがね。

 

200*/**月/**日(金) 3:10

ビデオテープの感想!      

Händelのアリア

アリヤは2回弾き直したわけだが、2回とも明確に不安なところ、転ぶ所、記憶が欠落している所、そういったところがはっきりと出ていると思う。美音子に上手く弾けたのか?と尋ねる前に、先ず何処がミスったのかをチェックさせて見るべきである。それは、美音子自身が自分がミスったという事を分っているのかどうかを尋ねる事にもなる。しかし美音子みとあなたとの会話では、そういった美音子に楽譜をチェックさせるという指導は全くなかった。

それでは今後何十回レッスンを繰り返しても、美音子は上手くなる事は無い。何処が悪いかをわかっていないからだ。

 

Bartók

まず、致命的なのは、「そ う ね」のPとrit.が全く出来ていないと言う事である。

特に、「うー4」はrallentandoとpoco dim.からそのままrit.に入ってPに自然になる。

しかし、そこでPが生かされていないと、次の「・・・それでもいいや!!」で突然フォルテになる事はない。

Bartókは子供が演奏してもちゃんと無理の無いように、フォルテの前にPを置いている。

それが分らなければ、そりゃ無理だよ。

 

200*/**月/**日(金) 10:52

練習のstep up!       (Händelのアリア)

①練習は必ずstep upさせなければならない。Metronomの使用でも馬鹿の一つ覚えではいけない。音楽がたどたどしくなる原因はbeatを大きく取れないことにある。

Step1では、beatをなるべく小さく取り、一粒一粒の音を大切に確信して捉えているか(把握しているか)を見る。Step2では、それが出来るようになったら、(合格したら)同じ速度で、大きなbeatで取る練習をする。8beatが120だったら、付点4分音符で40のtempoで練習する。そうすると音楽は流れるようになる。しかし、粒粒が不安定ならばその段階で、躓いて弾けなくなる。それはstep1の段階をちゃんとクリアしていないからである。見残しや不安な箇所の抜き出し練習をしていない、練習が完成していない箇所があるからである。

②日本人の指導者は一度出来るようになると、二度と同じcheckはしない。プロは出来るようになったら、必ずもう一度初歩の段階からミスは無いか、不安なところはないかをcheckする。片手ずつ、暗譜をして、両手になって弾けるようになったら、必ずもう一度片手に戻ってみる事だ。そこで不安なところがあったら、やはり本番ではミスる。ミスには偶然はない。必ず、練習の弱い必然がある。だから、事前にミスをするところは分る。分らなければ、それはcheckがなっていないからだ。

 

200*/**月/**日(土) 2:10

美音子のレッスン

メールありがとうございます。4通全て読みました。今日は美音子のレッスンでしたがやはりうまくできませんでした。

まず美音子がまた泣き始めました。

「思うように練習が出来ていない」と分かっている時には、「こちらがこうだよ。」「こうひくのだよ。」と言っても受け容れてもらえません。

 

バルトークの「何色がいい??」ー「そうね・・・」。。のところのpが、pになっていないと言葉で説明しても、実際に弾いて「このぐらいの変化を出さなきゃ!」とか、体の動かし方を指導して体で音量を調節するとか、私なりに色々な方法で伝えたのですが、覚えようとはしない・・というより・・[怒られている!][批判されている!]という気持ちが先行するのか、理由は分かりませんが、とにかく私の言っている言葉が美音子の頭に入っていきません。態度もなげやりになっています。

「もう一回やってみよう」が3回続くともう駄目です。

 

迎えにきた母親は、[泣いて押し黙ったままで何も答えない]娘にいらいらして、「一度、家に連れて帰ります。」と言い、後で電話すると・・・母親は「自分と美音子が話し合うといらいらしてしまうから・・。」と、家で(母親が)質問した事を、美音子本人にノートに書かせました。

1、もう膨れません、

2、きちんと言葉で(態度でなく)話します、

3、泣きません

等々、念書のようなものを書かせて、そのノートを教室に持って行かせて、私に見せて「『この約束を本人がやぶった場合は、レッスンを受けさせない』 と本人に約束させたので、先生もこの約束を本人が守っているかどうかを、チェックしてください。」と言ってきました。

 

母親は美音子に対して「コンクールで入賞しろ!」とか「コンクールを受けなければいけない」なんて本人には言っていないし、美音子本人は「遊びたいので、遊ぶ時間が取られてしまうピアノの練習が嫌いだと思っている」と思う、と言っていました。

なので親は美音子に対して「コンクールを今回は、もう受けるな!」と言っても美音子は、さほど傷はつかないし、気にもならないだろうし、「私自身も、美音子がコンクールを受けるのは、今回まででいいのでは?とも思っています。」と言ってきました。「美音子の性格上コンクールは向いていないと思う。」 と言っていました。

 

ただし「ピアノは続けさせたいのでやめさせる事はありません。」みたく言ってきました。

 

やはり母親はやみくも練習をさせたいようで、「理屈ではなく弾けるまでひけ」とかそういうふうに言ってほしい・・・みたく言ってきました。

それについては私が「そういった練習は全く意味がない!」ということや弊害を細かく説明しました。

 

私のせいだと思います。

でもどうしていいか分かりません。

親が私のレッスンに不満がある状態でなにを言ってもだめな気がしています。

今後どのようにしていけばいいでしょうか

 

200*/**月/**日(土) 5:16

返: 美音子のレッスン      

今日は美音子のレッスンでしたがやはりうまくできませんでした。まず美音子がまた泣き始めました。思うように練習が出来ていないと分かっている時には、こちらが「こうだよ」「こうひくのだよ」と言っても受け容れてもらえません。

⇒あなたは「美音子が自分の言った事を守ってくれない!」と、嘆いていますが、その話は私があなたにそっくり返してあげます。

今回のお話もデジャヴのように、何度となくあなたに同じ話をしています。

 

問題は、あなた自身にとっての話と美音子に対しての話の二つを、はっきり分けて考えると良いのです。

ここで言う「あなた自身の話」とは、あなた自身が美音子に指導する内容をどの程度すっきりと把握しているかです。

つまり、小学生の低学年の場合、下手に言葉で説明するよりも、口写しで実際に弾いて指導する先生の方が多いのです。私自身も小学校低学年生までの子供達に対しては弾いて指導する事の方が多いのです。それは小学校の低学年の場合には、語彙が非常に少なく、言葉であれこれ説明しても、その言葉自体を理解出来無い事の方が多いので、ピアノを弾いて指導して、生徒が弾けるようになってから、逆に言葉で説明してもよいのです。小学校の4,5年生までは模倣の時代と言って、模倣することに子供達は特別な感性を持っています。頭脳が成長してきて論理的な理解が出来るようになるにしたがって、その模倣力はだんだん衰えていきます。

子供のコンクールの場合、小学校の5、6年生の音楽のlevelが一番高く、中学生、高校生となるにしたがって、levelが落ちてくるのも、その心理学的な影響があるのです。

つまり、先生の真似をして、その通りに演奏する能力は小学校の5、6年生でピークを迎えるのです。しかし、その後は自我の目覚めで、先生の言う通りには演奏しなくなります。それまでにコピーでなく、ある程度の自主性を育てて、その中でも演奏の水準を保てるようにしておかないと、中学生になった途端に、極端に演奏の技術が落ちてしまう事になるのです。

ですから、私の場合には小学生の場合には原則としてピアノを弾いて指導しますが、子供のlevelが上がるに従って、演奏ではなく言葉で説明をするように切り替えます。勿論、難しい抜き出しの箇所は上級生でも演奏して聞かせることが多いのですが・・・。

 

指導する先生のタイプですが、言葉で説明する先生の大半は、自分がピアノが弾けないか、練習をする事を怠けて、子供の曲を勉強していない場合が大半です。

ちゃんと子供の曲を勉強して指導する先生の場合は、殆どの先生がピアノを弾いて子供に演奏のコツを指導していきます。

ですから、上級生でピアノの模範演奏をする必要がない生徒の場合でも、非常に難しい箇所だけは先生が一緒に演奏してあげなければなりません。(子供にピアノを弾いて聞かせなかったとしても、ちゃんと予習はしておくべきなのです。)

この話も以前同じ話をしましたよネ。

何度話しても話を理解して貰えないのは、あなたの美音子ちゃんのlesson同様、私のあなたに対するビデオlessonでも同じですがね!

 

次に、子供の指導の場合、子供が楽しんで練習をして来るのは、「先生に自分の練習が認められて、何回褒めらえたか!?」に依ると言う事も、何度もあなたに説明していますよね。

もし、それであなたが「美音子が演奏している事で褒める所がない!」と言うのならば、よっぽど指導力がないか、それとも美音子がその年齢で学ぶべきNiveauではなく、もっとより高度なプロversionの要求していると云う事です。

 

いつも言うように、子供は、段階の中で指導していかなければなりません。

Aが出来たからB、BができたからC、とステップアップしていかなければならないのです。

そういう段階を無視して、Aのlevelの生徒にCの技術を要求した場合には、当然、子供はパニックを起こします。当たり前でしょう??

 

私に取って、子供の指導は人生の息抜きです。

人を指導する事が嫌いな私が、何故、「子供を指導する事は息抜き」といえるのか?

それは、私の言う事をこれ程真摯に捉えてくれる人は、大人ではいないからです。

 

大人の場合には、私のlessonを受ける時にさえも、打算が伴うのですが、子供の場合には、何の疑いもなく、私の言った事を信じてその通りにやってくれます。(もっとも、中学生ぐらいになると、子供といえど、打算が働いてくるのですがね。それでも、まだ、かわいいものです。)

 

それは、立場こそ変われ、あなたにとっても同じなのですよ。

 

もしも、美音子があなたが言った通りに練習してくれない、と思うのならば、あなたは「美音子が自分の言った事をどういうふうに理解したのだろうか?」と反省し、「では、どう言えば美音子に理解出来るように話すことが出来るだろうか?」と考えてみればよいのです。

それはあなたが指導しているすべての子供達にそのまま応用出来るからです。

もし、あなたが「子供のlessonが上手く行かない」と悩んでいるとしたら、あなたの周りの 大人社会での人間関係においても、自分が言った通りに理解してもらえない・・・という事で悩んでいるのではないでしょうか?

大人の場合には、それをきちんと理解してもらうために、丁寧に何度も説明し直すのではないですか?

「自分はちゃんと説明をした!」「分かってもらえ無いのは、相手のせいだ!」と思うのは傲慢では無いでしょうか?

こういう時にこそ「傲慢」という言葉を使うのですよ!

人間、謙虚になるというのは他人に対しての自己反省なのです。それは相手が子供であっても変わらないのです。

芦塚メトードの奥義として、純子達に常に言い続けている事は、「子供達と音楽を通じて楽しく遊びなさい!」という事です。

その結果として、子供達は上手くなっていくのです。

「正しい遊び方」というのは、先生の自分の勉強の問題で、子供達には関係ない話です。

もし、子供達が間違えた遊び方をした場合には、指導する先生がただ単に指導不足か勉強不足なだけでしょうからね。

「どう弾かれたら、正しい演奏か?」というのを子供に判断させる事は、子供にとっては無理難題の、伺い知れない事ですからね。

とにかく、レッスンのコツは楽しく遊ぶことと、上手に褒める事です。

そして、う~んと褒めて、気持ちよ~くさせて家に帰す事です。

そうすれば、子供は家で一生懸命練習して来ます。

子供を泣かせる事など絶対にあるわけがありません。

 

 

200*/**月/**日(土) 18:11

バルトーク・リット 

たかたか・だんだん・ゆっくり!

 

200*/**月/**日(木) 12:07

ビデオ  

よくわかりました。

ありがとうございました。

やはり言葉できくとよくわかります!

明日美音子レッスンなのでテープ送ります。

ビデオテープをいれますね。

今日は電車の日なので文字を読むと酔ってしまいダメなのでビデオを・してずっと聴きながらいこうと思います!

ありがとうございました。

 



200*/**月/**日(木) 12:18

返: ビデオ        

rit.などは特にそうかもしれません。タカタカ、だんだん、・・・とか、何小節もrit.が続く所は美音子の年齢ではまだ難しいですね。

 

 
















200*/**月/**日(土) 22:26

バルトーク        

添付ありがとうございました。

美音子は暗譜は出来てきましたが、強弱が全然だめです。

Bartókは「うー2」のところが極端に遅くなりますが動きません。

ここの左手の練習法を教えてください。

 

200*/**月/**日(日) 2:40

返: バルトーク   

添付ありがとうございました。

⇒添付の画像は見れたと言う事で、音楽は聞けたと言う事ですよね。

その確認のための添付のメールだったのですが、その返事は・・・???

美音子は暗譜は出来てきましたが、強弱が全然だめです。

⇒強弱は美音子の年齢では、乱暴にならないようにフォルテを弾かせたりするのは、体力的に無理な事がよくあります。

私のフォルテやピアノの強弱の弾き方を覚えていますか?

ですから、フォルテを弾く時には、絶対に無理な力で弾かせるのではなく、 上体を鍵盤に預けるように、Pianoの時には幾分上体をそらせるように・・それだけでも、もし同じ強さで弾き続ける事が出来るのなら、子供の力でも充分に強弱が表現できるはずです。

 

明確なフォルテやピアノを表現すると言う事よりも前に、美音子にフォルテを弾いているとか、ピアノを弾いているとかいう意識が出来ているかどうかが、その前に問題になります。

弾く事だけに一生懸命だったら、「フォルテ! ピアノ!」と幾ら先生が言っても、ホンの瞬間だけはそれが出来ても、その次のpassage(小節)ではもう出来ないはずでしょう?

それはそれだけの余力がないからです。

ですから、私の場合には体の体勢(姿勢)のformationで強弱を教えるのですよ。

 

Bartókは「うー2」のところが極端に遅くなりますが動きません。

ここの左手の練習法を教えてください。

⇒「うー2」が遅くなると言う事は、「うー2」の左手のトレモロが出来ないという事ですよね。という事は、当然、「いー1」のトレモロも本当は出来ていないと言う事です。

 

この話は何度もあなたには説明しましたが、Beyerの72番で始めてこの左手の重音の型が出てきます。

本当は子供の手の重さがある程度ないと、本当はこのpassageを弾く事は無理なのです。つまり腕の重さと鍵盤のtouchの重さは整合性があるからです。ですから、発表会などの子供の演奏をメインにしたピアノの鍵盤の重さに対して、大人のピアニストを対象にしたコンサート・グランドは鍵盤の重さは非常に重いのです。家庭のアップライト・ピアノのtouchがグランドに比べて軽いのも、同じ理由です。

でも、コンクールなどでは、子供の指の強さなどは、無理を承知の上でやっているのでしょうから、逃げの方法を教えます。

それは軸(stem)の奏法で、アルベルティ・バスの時にあなたに説明したように、1の指を軸にして、軽くleggieroで重音の5と3の指の音を弾く(はじく)のです。

そうすると、意識的には、「あー1」と同じ事を弾いているように感じます。

それで、tempoが遅れないで済むのです。

それでも、重たくって遅れる場合には、むしろstaccatoの弾き方が日本流の叩き込むようなドタドタした力ずくのtouchをしているからです。

正しいstaccatoはいつも言うように、「真っ赤に焼けたフライパンからお菓子をはじき出すように、ピンポン玉のようにはじきあがらなければなりません。決して押し込んではいけないのです。

「『弾く』と言う事よりも『抜く』と言う事(如何に素早く抜くかと言う事)を常に意識しなさい。」と私はあなたに常日頃教えてきたはずです。

最初話をした、強弱の話にも関係して来ますが、左手が必要以上に強くドタドタと弾かれた場合には、当然leggieroの軽やかな感じは出ません。

常に乱暴なtouchになってしまいます。

左手を如何に軽やかに弾くかが、この冗談の課題になるのです。

だからフォルテだからと言って、乱暴に左手を弾かせたら、曲は死んでしまいます。

フォルテを表したかったらせいぜい最初の1,2小節だけをフォルテで弾かせて、直ぐにdecrescendoして、左手をピアノ、若しくはピアニッシモにすれば右手はフォルテになります。

あなたにいつも私が教えてきたように、フォルテやピアノはコントラストに過ぎないのですよ。

 

200*/**月/**日(水) 1:28

FAX    

美音子のFAXは明日にします!

審査結果は妥当でしたし、大概の審査員はヘンデルのアリアはアーティキュレーションを細かくやっていることは評価してくれてはいました。

バルトークは強弱が全くなかったところなどが案の定指摘されていました。

テンポは思ったより批判されておらずむしろ安定していましたと書かれていた方が多いことに驚きました。

 

200*/**月/**日(水) 4:48

美音子のlessonvideo*月**日分Bartókとヘンデル        

**地区のコンクールは終わったわけなので、美音子のvideoを診ても仕方がないのかもしれないのだが、しかし、練習のpointは変わっていないと思うので、一応checkして感想を送っておきます。

 

「うー4」の話

・・・・だから、言葉を言わせる前に手で先生と一緒に叩くとか、手を叩きながら言葉を言う事が先でしょう?それが完全に出来て初めてピアノでひかせるのだよ。それが確実性!

それと、ピアノで弾かせるときに絡め合わせ、a tempoで「ウー5」を弾いた時に、左手が親指に力が入っているのを聞き取っていない。絡め合わせの原則を守ったら、「ウー6」の前まで弾かなければならない。

そうする事によって、左手の親指がshiftしてなく、親指が上がっているのも同時に注意できたはずである。

 

「いー2」の話

「いー2」の先生の指導上の落としは、結構重要である。

2小節目で右手が躓いているのを見落としている。しかし原因はむしろ、左手の理解にあるのに気がついていない。つまり、同じトレモロでも、「うー2」の2小節目、4小節目は6度の型なのだよ。そことの違いが不安なのだよ。塗り絵をさせて、「次は*色という練習をすれば一発で直る。」

「ウー6」の最後は前打音が残ってはいけない。・・・・と注意したはずである。

最後は濁った音が残らないように、しっかりと装飾音の音をはずす事!

 

通し練習

rallentandoの所の最初はintempoで入り込むといったはずだよ。

美音子はrit.の前で全部遅くなっている。

強弱の付け方は響子の姿勢の練習ではとてもよく表現できていた。

でも、美音子の場合には、フォルテもピアノもまったく同じ姿勢のまま弾いている。それじゃ、フォルテピアノは幾ら「付けろ!」と言っても付かないだろうわサ!

まずのめり込む様な姿勢で、少し力強く最初の2小節を弾く、後の2小節でだんだん体を引いて、右手の方に上体を持っていく。右手に体重が乗るように!

あなたも子供時代によくやらされたことを覚えているでしょう!

poco rit.で後ろへ体をそらす。それでピアノが表現できる。

フォルテで弾き始める前に前傾姿勢を取る。

そうすれば、フォルテを忘れる事はない。子供は体で教えるんだよ!

 

200*/**月/**日(水) 13:55

Bartókのrit.の指導(先生自身が、指導から逃げている!)   

Bartókのrit.の所の 美音子のvideolesson風景について考えてみた!

やはり美音子が弱い所は、あなたの指導自体がなっていない。

で、rit.については、メールでも一番多く、あなたに対して注意をしているし、直接電話でも数回に渡って説明をしている。

しかし、相変わらず、rit.に入る前のtempoが遅すぎたりするためにrit.が遅くならなかったりすることを美音子の感情的な問題に摩り替えたりしている。(家で、言われた通りの練習をしてこなかったとか言う理由にこじつけたりして)

しかし、そこの部分も、指導法も電話で説明済みである。

レッスン時間内で、手をたたきながら、段々遅くなるリズムを体感させて行く、と言う練習をさせる。(だんだん遅くすると言う手拍子の仕方も、電話、ビデオの両方で何度も説明したはずです。)

ピアノに向かう前に、rit.の勉強が出来るように、わざわざ私がrit.の箇所の言葉を作ったのに、その言葉を有効利用してピアノを弾く前に、先ず手拍子と歌だけでrit.を理解させようというステップを作ったのに、それを使用して、一つ一つの段階をステップ・アップさせて確実にマスターさせようという姿勢が見当たらない!

丸投げをして、美音子に対して『家で練習してなかったの?』とか「じゃぁ、家でやっといて!」と、言うだけでは、100年経っても美音子がコンクールに入る事はない。

こういう、難しいpointは、あくまで先生が教え込まなければならないpointである。

そういう所は、根性だけの駄目先生はうまいんだよ!理屈抜きに口移しで教えてくるからね。

 

本当にrit.を体感させようと思うのならば、先ず最初は、(古い悪い教え方だとしても、)口写しで体感させるところから、始めて行って、rit.の感覚がちゃんと体得出来れば、その次のstepからは、口移しレッスンは必要なくなるのだよ。

 

私はあなたに解説をしたrit.の部分のメールを読み直したり、電話で説明をした部分のメモ書きをチェックして見たりしたのだが、本当にあなたのレッスンには私のアドバイスが反映されていないのだな。

つまり、「あなた自身が苦手だから、子供の指導の時にも、それと面と向かう事を無意識に逃げている、」としか傍から見てると思えないのだよ。

 

それが今回の22日のレッスンでも、ことrit.の部分になると、全く以前と同じレッスンになってしまって、私のadviceが何処かへ消えてなくなってしまって、自分勝手なlessonを始めるのだ。

美音子のコンクールの合否は、あなた自身の弱い部分のレッスンの仕方にあると思ったネ!

しかし、幾ら弱い部分と言っても、小学校の3,4年生の部門でしょう?!音大を出ているあなたが「弾けない」と言う事はないはずでしょう?それこそ、無意味なトラウマでしょう??

 

もし、その弱い部分を、自分でも意識出来ているのであれば、私がそこの部分をアドバイスしたメールや電話での話或いはビデオのそこの部分だけを抜き出して、書き出したり、編集したりして、そこだけは、メールを見ながらレッスンをするけどね!

 

あなたが日常の私の往復書簡で、いつも私から叱られている事がある。

それは私があなたに対して、幾つかの質問をした時に、あなたは自分の都合の良いこと、差しさわりのない事だけを、一つ、二つ答えて、後の自分の都合の悪いことはすべてなかった事にして、私がその後も同じ質問を2度、3度質問しても、自分の都合の悪いことに対しては無視し続ける事である。

そのあなたの性格的な日常的に繰り返される欠点が、美音子のrit.の上手くいかない箇所などに反映されている。

 

「Handelのなめらかな旋律がどうしても弾けない!」と言うような、のぞみ自身の演奏上の問題としてしまっている。

人間は、日常で嫌な事から目をそらして逃げようとすると、肝心要の仕事でも、最も大事な所から逃げてしまうということにもなる。

これは昔々のヨージーの忠告の法則にも出てくるよね。

人は本当に直さなければならないことは相談しないで、どうでも良いところを選んで相談する。

ってね!

 

この性格の直し方は、あなたにも昔々から、事あるごとに、たびたびと同じ話をしてきた。

つまり、本当に大変な所、重要な所でそれを治そうとすると、とても大変なのだが、日常の差しさわりのない所でそういった癖を直すことは、とても簡単で、ただの怠け癖との戦いであり、勤勉性の問題でもある。

また、あなた自身は、美音子をlessonした後でlessonの時のビデオをチェックしていると思うのだが、しかし、そういった自分の弱い部分は、逃げてなるべく見ないようにしていると言う事なのだ! 

またそれと同じ事を、美音子や美音子の親たちが日頃の家庭練習でもやっていると言う事だよ。

しかし、赤の他人はそういったことには容赦はない!コンクールの審査員達も基本的な事は絶対に見逃さない。

 

だから、私からあなたが注意された時に、先ず注意された箇所だけを、抜き出してチェックをする癖をつければ良いのだ。美音子にも私が何をチェックしたかそれを説明して、一緒に美音子のビデオをチェックしてみると美音子の勉強にもなって、以降の指導が楽になって良い。

またレッスンの仕方等を見るには、レッスンの後に私に送る前に一度、その箇所だけを見てみると良い!

 

200*/**月/**日(水) 4:20

FW: Re:パソコンのリストアの後で!          

昨夜、パソコンのリストアをしました。応急で何とか保存したfileを除いては、あなたとの、ここ2週間のメールもなくなってしまいました。

しかし、この2週間のあなたとのメールのやり取りはあなたの子供さんの入院に関してのメールなので、全く美音子ちゃんのlessonに関してのメールのやりとりはなかったので、コンクールのメールとしては、ほとんど影響はないでしょ。

 

美音子ちゃんだいぶ打鍵位置とか指のかたちは良くなったのですが頭を鍵盤の真上に持ってきてピアノのふたにぶつかるくらい近づいていてしかし手の形は丸くキープしようとしているのでひじが下がりなおかつ背中よりひじが後ろにいくような格好でひきそれが為に音がぬけているのですがそれをどう正せば良いか分からなくてお聞きしたかったのです。

⇒こういう話も、実際には、あなたが子供時代に、私から自分がどう姿勢を直されてきたのかの、記憶が何処まであるかどうかで、指導がうまくいくかどうかが変わってくるのです。

あなたが、美音子のレッスンについて、メールで状況を細かく書いていますが、その状況があっているものならば、私がとやかく注意をして直すところはないでしょう!

あなたの美音子のlessonについての観察が間違えているから、美音子が正しい姿勢で演奏出来ないのではないですか?

つまり、あなたの生徒に対しての観察自体が、主観的主情的になっていて、それが問題の元凶なのではないでしょうかね?     

いつも言っているように、私があなたに指導をしてあげられるのは、正しい観察とその判断がその前提になければいけない、という話を何度もあなたにしているはずなのですがね?!

 

ということで、今回は「美音子ちゃんのレッスンに対して」というわけではなく、あくまで一般論としての話として、お話します。

 

テキスト ボックス: 写真参照:
姿勢のモデル撮影

子供たちは胸をはったまま、前傾姿勢を採ると、体が前に落っこちそうになるので、お腹から上だけをPianoに向かって被いかぶせようとします。

それが以前注意した、足台の話に繋がっていくのです。

正しい姿勢をすると自然に体が前の方へ倒れます。


その重さを指先に感じると手の力を全く入れていないのに、しっかりしたtouchが出来るようになります。それが本当の力を抜いたしっかりしたtouchなのです。

指先に力を込めて、手首の力を抜いて…等という、感情的な指導は現実的には(医学的生理学的には)不可能なのです。

しかし、子供が足台を使用しない場合、どうしても正しい姿勢を取ろうとすると、体が椅子から落っこちそうになってしまいます。

そのためにどうしても上半身だけを(おっぱいだけを)かがみ込むようにしてしまうのです。

ですから、正しい姿勢を最初に勉強する時に、必ず足台を使用するように、注意をするのです!

美音子は私が厳しくそれを注意したにもかかわらず、(レッスン場では足台を使用していたのかもしれませんが、自宅では全く足台を1年間にわたって使わないままに、練習してきたのではないですか?)

それで感情的に屈み込む様な 変なくせがついてしまったのではないでしょうかね?

これは、あくまで私の想像ですがね。家では足台を使って練習してきたのかどうかを、美音子ちゃんの親に確認をしてみてください!(今更、言うことかね??)

 

私がいつも言っているlessonのポイントは、自宅で子供が自分で練習できるようにlessonの指導上のポイントを作るということではなかったのですか?

それならば、子供がどういう家庭環境で練習をしているかを先生が正しく認識することも、先生の必然的な条件になります。

手首が下がってしまうということは、肘の位置が鍵盤よりも下にあるということですよね!

それを、私がいつも子供達に「お臍が天井を向いているよ!」と笑っていたものですよね。

足台の位置が高かったり、子供の意識が抜けていて背中が丸くなっていたりすると、肘の位置が下がります。

 

お腹が丸い状態で、前傾姿勢を採っても、全身の体重は椅子にかかってしまいますので、幾ら体の位置を変えても、Pianoの強弱に関係するわけではありませんので、それこそ情緒的に身体を前後させる(揺らす)(くねらす)だけで、全く無意味な感情的表現となってしまいます。

ほとんどの日本の音楽家たちが体を動かすということを、情緒表現のように勘違いしているのですが、体を動かすということは、音を正しく出すための、理に適った動きでなければなりません。

体を動かすと言う事は、無意味な情緒的表現(正しくは陶酔といいますが)であっては絶対にいけないのです。

 

200*/**月/**日(木) 6:55

美音子の姿勢について

美音子の姿勢についての返事を送ったはずなのだが、何の返事もリアクションも返って来ないのだが、メールが届かなかったということなのか?

次ページ