前ページ


これはsquare型のClavichordですが、orthodoxなspinet型のClavichordもあります。

下のClavichordは、私が留学中に、ドイツで使用していたClavichordと同型のReise(旅行用の)Clavichordです。




下の写真は、ドイツ留学中のMunchen郊外の間借りの部屋でClavichordを演奏しているところの写真です。
右手はbebung ベーブング(vibrato)中のposeです。
ReiseClavichordなので、足がありません。
だから、部屋のテーブルの上に置いて弾いている所です。




このReiseClavichordは、日本に持って帰って来たのですが、深夜に一人で、鬱々と、弾く以外には能がないので、・・・・つまり、他の人達とのensembleが出来なかったので、Clavichordを欲しがっていた、Cembaloの製作者の人に、東海のspinetと交換してもらいました。・・・・等価交換というわけです。

今は、椎名町の事務所に避難していますが、本来的にはこのspinetのホーム・ポジションは江古田教室です。




今は昔、(Es war einmal・・・、、)日本に帰国したばかりの頃で、教室を作る20年近くも前の頃でしたが、その頃は、生徒を教えるという事は、未だやっていない頃でしたが、それでも、非常に少ない私の子供の生徒達と、或いは、気が向いたら、日フィルや都響等のオケマン達を、私の部屋に呼び出して、当時は全く誰も演奏していなかった、・・というか、そういうgenreがあるという事すら、知られていなかったtriosonateや珍しい室内楽等を、私の個人的な趣味と、一応の建前は、私の個人の勉強のために、毎日曜日に、ビールを飲みながら、やっていました。
その頃の江古田の住まいでは、私は、まだ生徒を教えていなかったので、教室ではなく、私の本当のプライベートの自宅でしたが・・、その頃はまだ江古田には、マンションという名前の建物が全くなく、(それでも、建売の巨大なビルは1,2個はあったのですが、)私が住めそうな、部屋は全く無かったので、当座の仮住まいという事で、江古田の住居を借りる事にしました。
しかし、住まいの広さは兎も角も、七環に面した地の利の利便性で40年以上も借りっぱなしになるとは思ってもみませんでしたがね。
だから、江古田は寓居に過ぎないのですよ。

愚痴に過ぎない愚痴です。

次ページ