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その頃、私のensembleの練習に付き合ってくれた、小学生の子供達との、練習風景です。

左の写真の子供は、小学5年生のピアノの子で、当時、某音楽学校の子供科の生徒達を、数人しか教えていなかったので、その子供科で教えていた極めて珍しい私の生徒です。

その音楽学校でも、私は12名ぐらいの生徒しか指導していませんでしたが、金子賢治くんを始めとして、私が指導した生徒達の半数は、音楽家に育っています。

どういう分けか、私が指導した生徒達の大半は、最初は趣味で学びに来ていたのに過ぎないのに、殆ど全員の生徒達が、音楽への道へ足を踏み外すから、驚きですよ。

本来的には、私は生徒を指導するのは嫌いだったのですが、イタリアの天才少女が、私の曲(Zyklus)を演奏会で演奏してくれて、チョッと子供へのimageが良くなっていました。

最初は、その某音楽学校の学長さんから、
「子供科の生徒達の中から、他のPianoの先生達から 『指導出来ないから何とかしてくれ!』と言われて困っている問題児の生徒達を引き受けてくれれば、子供科の主任と同じ給料を出すから・・」と、言われて、「主任待遇の給料・・!!」という一言に、心を惑わされて引き受けてしまったのですよ。
始めて給料を手にした時、
「騙された!」と思って、ワナワナと手が震えた(チョッとオーバーな!!)のだが、実際に主任の先生に給料の金額を質問したら、それでも、主任待遇の給料に、少し色を付けてあったのですよ。
その後も、他の大学の講師の給料を知ることになって、
「先生というものは・・」と驚いてしまう事になります。

その12名の生徒の中で、たった一人の生徒の問題が家庭の問題であるのを省いたら、それぞれの生徒の問題点をcheckをすると、やはり基礎を間違えて習っている生徒達が大半で、その基礎のやり直しを中心に指導しました。

その学校では、先生達に教育を真面目に指導するように促すために、毎月、何らかの試験(この月はscale、その次の月は、Etude、その次は曲の試験で、その次がBachで・・等々です。)があって、生徒達は、ホールで演奏して、先生達はその一人一人の生徒の好評をして、その後、その生徒全員の評価を、先生達が集まって一人一人の個別の指導に対しての、会議をして、学長さんの指導の元に、checkをしていました。

私の指導する生徒達は、皆、何らかの技術が足りなくって、Pianoが弾けなくって、落ちこぼれになっているのです。
だから、私は、毎月あるその生徒達の試験の課題を無視して、基礎の指導をしました。
生徒達には、「試験なんてどうでもよいから、ちゃんと勉強しようね・・!」とか言って・・。

会議では、自分達が落ちこぼして、私に渡した生徒であるのにも関わらず(本当に自分の生徒であった・・という事を覚えていないのですよ!酷い・・・!!)、
「芦塚先生の指導はめちゃくちゃだ!」「子供の指導はなっていない!」と散々酷評されてしまったのですが、それには一切構わず、無視をして、私は指導を続けました。
勿論、
「芦塚先生は、滅茶苦茶な指導をする、酷い先生だ!」というレッテルを貼られたままに・・ですよ。

やがて、3,・・4ヶ月が経った頃(7月頃)から、生徒が
「先生、来週、試験だよ!」「アツ、そう・・!じゃあ、好きな曲を演奏しといてね。」てな、いつもの普段の会話を生徒達とはしていて、私も通常のカリキュラムで私の指導を続けていたのですが、私の指導した総ての生徒達が、それぞれの学年でトップの成績を上げるようになってきました。

そうしたら、勝手なもので、自分達が放出した生徒達なのに、その事はすっかりと忘れてしまったままで、
「芦塚先生の生徒達は特別に優れた生徒達だけを貰っているのだ。」と言うように、なりました。
ホンの、一月、二月前に、散々パラ、私や生徒達を酷評した事は、もうすっかり忘れてしまって、・・・ですよ。
ほんと、それには、驚いたね!!
そこまでに、自分の指導に責任が無いのかね???
いや~あ~!!ビックらこいたね~ぇ!!

しかし、そうなると、やはり、その音楽学校の中での指導は、うまく行かなくなってしまいます。
不思議に感じるかもしれませんが、集団の社会の中では、一人の先生のずば抜けた教育は、まかり通らないのですよ。

それは、会社でも、学校でも全て同じなのです。
組織にとっては、どんぐりの集団は組織としては上手く行くけれど、ずば抜けた物を作り出す組織ではないのですよ。

私が何時も、某音楽学校というように、「某・・・」言っているのは、その学校の学長さんから、
「他の先生とlevelを合わせて指導して欲しい」という、頼みを断ったのは、「生徒が下手になるように指導する」という事は、私のpolicyにはなかったし、それに、私がその学校から受けた子供科への指導の使命である問題児を、トップの優良児の生徒達に変えてあげたから、私の使命はその時点で終わった・・と言う事で、1年間居ただけで、その学校を辞めてしまったからなのです。

私がその音楽学校を辞めたのは、他の先生達のように「婚活等による円満退社」ではないのですよ。
だから、某音楽学校なのですよ。

他の大学に取っても、指導者は同じ立場になります。

その大学にとっては、或る先生の生徒だけが優れた生徒になると言う事は、学校としては、大変困るのだな・・・??・・これが!!!

それは、会社組織でも同じ事で、あまり優れた人材は、他の一般の会社員の人達をダメにしてしまうのだな??
その意味が分かる人は、もう既に、社会人ですよ。

私が某教育大学で指導していた先生達が、現場の小学校で指導していた時に、その先生のクラスだけが、同じ学年の周りのクラスから、音楽だけではなく、絵画や、漢字その他の教育に関しても、非常にずば抜けた成績を収めていました。
その指導法が、所謂、芦塚メトードの元になったのです。(と言うか、芦塚メトードを実践した実例に一つになったのです。)



という事で、某音楽学校の先生を辞めた後も、子供科の4,5人の生徒達は、私の住まいに、遊びに来てくれました。

私自身の作曲の勉強で、もっとも大切な課題にしていたのは、baroqueから始まって、近現代迄の音楽は、その曲の持つspielbar(訳語はありませんし、多分ドイツ語の辞書にも載っていないかもしれません。)Genzmer先生が、時折おっしゃっていた、職人としての作曲の勉強でもっとも必要な色々な楽器を演奏して、自分の曲の演奏感を試みる事なのです。

日本では、色々な楽器を演奏する・・(色々な楽器が演奏出来る)・・という事は、取りも直さず、
「amateurである」「amateurとしての姿勢である。」・・と言って毛嫌いされます。
特に、音楽大学のようなacademicな所の教授達は、色々な楽器が演奏出来るという事を、頭から馬鹿にしています。

しかし、何もGenzmer先生を引き合いに出さなくても、歴代の大作曲家達は全て、弾けない楽器を探した方が早いぐらいに色々な楽器が演奏出来る分けではなく、それぞれの楽器の演奏も非常に優れていて、名演奏家として名を馳せていたりします。

Handelが、自分の曲をcorelliが演奏出来なかったので、corelliの楽器を取り上げて名人芸を披露する伝説もありますが、そういった伝説的な話ではなく、歴代の作曲家達は演奏の名手でもあります。

Mozartは、Pianoの名手でしたが、父親のLeopold が何時も
「Wolfgangがviolinさえ弾いてくれれば、いつでもヨーロッパ一の名手なのに・・!」と嘆いていたように、ヨーロッパ随一のviolinの名手でもあったのです。
Beethovenですら、酔っ払いの父親の代わりに、年齢を偽って、orchestraでviolinを弾いて、父親の代わりに給料を貰っていたのですからね。

儒教的には天は二物を与えず、と言いますが、ヨーロッパでは、辞書にも「画家アングルのヴァイオリン」という言葉があるぐらい、優れた技術を持った天才が、別のgenreでも、同様の天才である事は、多くのケースで知られています。
勿論、日本でも、そこらのテレビのスターが優れた絵や小説を書くのは驚きですし、ワインが好きだからと言って、ソムリエの資格を取った女優さんもいましたっけね??
・・・あれ??死んじゃった・・・??

日本人が、よく二言目に口にする
「二兎を追うものは、・・」の誤りは、その二兎が、二兎ともにNiveau(ニボー水準)が低いからに過ぎません。
・・・というか、日本人には、Niveau(ニボー 水準)の考え方すらないのですよ。

だから、教室で超絶な音楽技術を持った生徒がいても、親は、一般高校や大学で、二流、三流の大した事のない高校や大学似、必死に勉強させて、行かせようと、します。
Pianoならば、それだけの技術があれば、音楽大学に行かなくても、即、食べて行く事が出来るのに、わざわざ、食べれない道を歩ませようとする、・・・超もったいない話ですよね。

でも、今度は、逆に、高校の2年生迄、一般人をやっていた、教室の生徒を、某国立音楽大学よりも、更に難関の超有名音楽大学に入学させたのですが、親は
「おかげ様で、子供が浪人しないで済みました。」と、言っていました。
これには腹が立ったね!!(16/3/13)
何故、私が腹を立てているのか、分からない人がいたので、敢えて、説明をしますが、
「浪人しないで済みました」という潜在的な意味は、「目的の大学には行けなかったけれど、二番手には入った!」という意味なのですよ。
音楽大学の入試は、一般大学の受験とは違って、一発勝負で、そこはアスリート達のコンペティションと似ています。
どんなに、実力があったとしても、本番で、その生徒の実力が出せなければ、合格する事はないのです。
つまり、失敗したからと言っても、演奏は消しゴムで消せる分けでも、弾き直しが出来る分けでもないのです。
だから、
「練習の大学の受験は演奏だけにしなさい」と注意したのですが、「合否が出る全教科を受験すれば、タダの冷やかしというか、練習に来ている生徒は落とされるよ!」と、何度も注意したのですが、実際に落とされると、shockを受けて、それが本番の受験に影響しているのでは、意味はないよね!
でも、私は、その名門の音楽大学に合格した時点で、他の大学の受験は、終わりにしようかな??と思っていたのですがね。
だって、彼女にとっては、総ての面で、某国立音楽大学よりも、その有名音楽大学の方が合っている・・と思えたのでね。


世間では東大が日本では、一番の優秀な大学ですが、私達にとっては、東大は、コツコツ型の生徒が行く大学で、本当に優秀な生徒達は寧ろ、まあ、同じ国立の大学ではあるのですが、京都の大学や、一般の私立の大学でも、その学部が日本では最高の水準の大学に進んで、受験します。
だから、東大は、私達にとっては、山岳部と合唱にのめり込んでいる、勉強には不真面目な音楽部の生徒達が行く某国立の大学に過ぎないのですよ。

また、一般の大学と音楽大学が違う所は、一般の大学の受験生は、自分が師事したい教授を目当てに、その大学を受験する場合も普通にあります。
専門の教科になると、指導する教授が決まって来るので、その先生に師事する事が出来るのですよ。
私は、音楽の道に進みたかったのですが、高校生の時までは、医学部に進むように周りからは決められていました。
私の父親の生徒達が、ちょうど大学の教授達になった頃なので、私にとっては、大学の医学部は、かなり住みやすい環境だったのですよ。私が高校生の時に入院した時にも、色々な学部の教授達が、高校生の私に挨拶に来たりして・・・ね。


今回、その生徒は、某国立音楽大学の教授連よりも、非常に優れた先生達がいる音楽大学に奇跡的に進学出来たのに、
「おかげ様で、浪人しないで済みました」と言われた時には、本当にムカ!!って来たね!!
だって、その生徒自身が、某国立音楽大学の公開講座を見学して、「この大学の先生には付きたくない!」と、大ショックを受けていたのに、だよ!!それでも某国立の方が良いのかね!!それは親のエゴだろう~!!
知るか!!

音楽大学の事について「無知」といえば、以前も、A音楽大学とB音楽大学に入った生徒と親が、
「B音大の方が家に近いから、B音大にするかい??」と相談していて、驚いてしまいました。
親はPianoの先生なのですから、音大の水準の事を知らないはずは無い・・と思っていたら、本当に知らないのですよね。
「社会的な履歴では、A音楽大学とB音楽大学では、全くlevelが違っていて、比べ物にはならないのですよ。」との私の一言で、収まるべき音楽大学には収まったのですがね・・・・??

何処の大学を受験するのかを高校の先生に任せる親や子供は、今では、当たり前なのですよね??
不思議だよ!!

大学なんて、人生の僅か4年間ですよ。
その後に、60年、70年の人生が控えているのですよ。
たかが親のエゴのために、子供の長い長い人生を代えざるを得ないのならば、それはどんなに損な事なのだろう??
日本人には、不思議な意識があります。
それは、仕事はつまらない嫌な事で、好きな事は、趣味だからなのだ・・という考え方です。だから好きでもない勉強をして、好きでもない仕事に付いて、一生を終わるのです。人生を後悔しながらね。
何と、無意味な人生だろう。何で、好きな事をして、長い人生を過ごさないのだろうか??
私には理解出来ません。
何で、好きでもない男と結婚して、一生を共に過ごさなければならないのだろう??
「一緒に暮らしていれば、その内、好きになるよ!」
それは好きになるという事ではなく、
「慣れ合い」と言う事なのですよ。
幾ら、自分の子供だったとしても、半分のDNAは、相手のものなのですよね。
半分は、相手の顔が子供に表れるのですよ。
「慣れ合い」「愛情」の区別すら分からない、本当に日本人は世界の人達から見ると、不可思議な国民なのですよね。


それに、それぐらいの事を、言うのなら、せめて、中学生ぐらいからは、音楽大学受験の勉強をさせろよ!!
中学、高校迄は、一般人と同じ生活をさせといて、高校3年生になって、いきなり、
「芸大を受験します。」と言われても、そりゃ、無いだろうよ。
腹立つ!!!

まあ、巷の音楽教室の先生なのだから、無理難題も、仕方ないか・・・・、ね・・ぇ???
まあ、音楽の勉強を全くしなかった、なんちゃってな生徒の方が芸大にはちゃんと合格したしね~ぇ??
それ以上のlevelの音楽大学に入学出来たのだから、それなりには、ちゃんと俺にも感謝して欲しかったよね~ぇ!!
兎に角、私は怒っているのです。


一芸は道に通ずるの諺のように、一つの事を追求すれば、総ての事が見えて来ます。
だから、一芸を追求しようとする人達は、色々な事が出来るのです。
でも、一芸を追求するという事は、自分に都合の良い話だけではありません。
Genzmer先生から、注意された事は、proは先人達の作品を好き嫌いで判断していはいけない・・、世に認められているものには、どんな物でも学ぶべき物がある、ということです。



日本人特有の、儒教的な勘違いの、
「二兎を追うものは、所詮素人よ!!」の発想は放っておいて、作曲家は色々な楽器に堪能でその楽器の特性や、指のspielbarを、感覚として持たなければなりませんが、そこの所は、高校生の時に音楽の勉強を始めた遅く始めた私の、もっとも苦手とする所で、作曲を続けて行く上で、将来的にネックになるかもしれない・・という事は私自身も意識していました。

という事で、先ず、てっとりばやく、その楽器の演奏感、指の演奏感を身に付けるために、室内楽の勉強を始めました。
勿論、絶対君主的な作曲家という地位の私なので、声をかければproのorchestraの連中も、演奏活動に追われているsoliste達も、私の幼稚な室内楽の練習に付き合ってくれますが、幾ら、
「ビールは飲み放題!」にしてやっても、この私でも、流石に気が引けるので、可愛い優しい子供達にも、付き合って貰う事にしました。


右側の写真は、私が通奏低音のcelloを弾いて、子供達とtriosonateの練習をしている珍しい写真です。
何が、「珍しい、・・・・」のか??と言うと、写真を撮るのも、何時も私自身なので、逆に、私が演奏している所の写真は原則として、撮れないのです。

何故、他の人では撮れないの??って???
それは、この写真を撮った時代には、未だ馬鹿チョンカメラというのは無かったのですよ。
つまり、まだフィルムのアナログカメラの時代だったからですよ。
そういった理由で、写真を撮れる人が、教室に遊びに来るのは希なので、私のensembleをしている所の写真が残っているのは、極めて、希なのですよ。

しかし、デジカメの時代になった今でも、私の写真がないのは、同じなのよね。
撮る人は何時も私なので、人が撮ってくれない、と言う事は同じなのでね。

中学2年生の超美人のfluteの女の子と、小学6年生のviolinの子は、私の音楽大学の後輩の生徒達で、小学5年生のCembalo担当の女の子は、先ほど紹介した極めて少ない私の生徒の一人です。

勿論、初見大会で、fluteとviolinを弾いている子供は、その子供の先生達から借り受けた生徒です。
fluteの女の子は、超、肌が真っ白で、白雪姫かマドンナ(歌手の・・ではなく、神様の方の)ようなのですが、夏の間は、真っ黒けっけになります。
つまり、水泳部なのです。

超美人なのですが、しゃべり始めると、顔からは想像もつかない、とんでもない
「べらんめぇ」です。
「君は、しゃべらないと超美人だけど・・???」というと、彼女が「皆、そう言います。」と言っていました。
彼女のfluteの先生共々、よく私の室内楽の練習に付き合ってくれました。
先生が忙しい時には、子供だけで来てくれました。

勿論、この写真以外にも、オケマン達と合わせていた時の写真も沢山ありますが、それは、写真としては、余りにも普通過ぎて、面白くもなんともないので、ここではこれぐらいにしておきます。

うっかりと、fluteの中学生の女の子を
「超美人の・・」と書いてしまったので、早速、友人から「後ろ姿じゃ、美人かどうか、わからんよ!」と、お叱りのmailが来てしまいました。

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