一見すると回り道に見える指導法ではあるが、一旦、子供達が本当の意味でそういった事柄に興味を持ち始めると、自動的に向上心が芽生えて来て、実行力や決断力も自然に身に備わってくるので、結果は時短になるのだよね。
私のオケ練習を見学に来た人達が不思議に思ったり、膨大な無駄な遊びの時間を使っているように見えてしまう、私の雑談と子供達との無駄話や与太話のキャッチボールは、そういった子供達への音楽への興味や勉強するという事の楽しさを導き出すための私の独特の手法なのだよ。
[体力が]
歳をとることで、1番失うものは、まずは体力である。
世の中では、体力と気力を同次点に扱う場合が多いのだが、実際には体力がないにもかかわらず、気力だけで仕事をこなす人たちも多い。
反対に、十分な体力を持ちながら、やる気をすべて無くしてしまった人たちもよく見かけるから、体力と気力は別物として扱う方がよい。
体力と気力を失うことで、同時に失われていくものは根気であり、持続力、持久力である。
ということで、私の場合には、体力や気力、精神的な鬱と闘いながら、・・・というか、むしろ体調に相談しながら、無理をしないで体調を合わせながら、仕事を持続していくように試みている。
自分の若い時の体力をイメージして、無理矢理に自分を叱咤激励して仕事をしようとする団塊の世代の人たちをよく見かける。
それまでの、人生で過ごして来た勤勉さのなせる業なのだろうが、歳には逆らえないんだよ。
こういうところでは、私の独自の「怠け者の仕事術」が、そのまま体力の衰えに合わせたペース作りにも役に立っている。
一般的な人達の場合には、体力の衰えが、そのまま気力の衰えにつながって、人生に対する興味を見失ってしまう。
仕事の興味が希薄になると、当然その仕事の能率や完成度は極端に低くなってしまう。
同様に、自分の身の回りに対して、無関心になってしまうと、物事に対する興味が極端に失われてしまい、それが無意識に「記憶をする力」を段々と弱くしてしまうのだ。
これが加齢による記憶力の低下の根本原因である。
個人の能力とは直接関係のない話になるのだが、私の場合、加齢という事よりも、それ以前に、病気によって極端に体力が失われてしまったので、そこを補うためにパソコン等による仕事の機械化や、人を上手に使って仕事を全うする方法で、能率の衰えを乗り越えた。
「人を上手に使う」と言う意味は、「自分のやるべき仕事をそのまま丸投げにする」という意味ではなく、自分が弱い体力の部分や、私が定型作業と名付けているルーチン作業のところを、仕事を覚えようとする人たちに、仕事を指導する意味も兼ねて私の仕事を手伝わせるのである。
相手にとっては、仕事のやり方を指導してもらうというメリットがあり、私の場合には体力のなさで仕事が、遅れて行く部分を若者に補って貰って、仕事の能率を落とさないというメリットにもなる。
芦塚メトードで、繰り返し言っている「一挙両得」の法則である。
という事で、「人を上手に使う」と言う事を、今、教室の先生たちに指導しているのだが、それが意外と難しく、出来ないのだな。
人を上手に使いこなせなければ、弟子を育てる事はできないし、人を雇って、教室を拡大して行く事も出来なくなるのだ。
私の知り合いの人の例のように、あまりにも自分が多彩な仕事ができるために、等々自分の弟子と呼べる人を育てられなかった人を何人も知っている。
一般では、弟子を育てられる人は、その人の資質によるものだと解釈されていることの方が多い。しかし、人を育てる、・・・弟子を育てる、と言う事も、 1つの学びうる能力であり、技術なのだよ。
人を指導する事を学ぶ事が難しいのは、単に技術を指導する事ならば、カリキュラム通りにレクチャーしていけばよいわけなのだが、指導者を育てるとなると、単なる技術力だけではなく、その技術を子供達に指導するための、段階(step、stage、grade等)の把握や、子供や親の心理的な面のホローや、そういった、今現在何が子供達に出来て、何を指導すれば、子供達がオーバーフローになってしまうのか?という、技術や指導内容の構成を理解し、把握する力も必要になるからである。
そのためには、長いspanでの、指導者の主情的、感情的思い込みではなく、客観的な、冷静な子供の成長を観察し、分析し、判断出来なければならない。
ともすれば、指導者は、密に会話をしている親の話を鵜呑みにしがちである。
私は、「子供がそう感じていて、そう思っているのなら、子供の意見の方が正しい。」と先生達を叱咤している。
それが、明らかに子供の間違えた理解による誤解であったとしても、子供にとっては、それが真実なのだからである。
そこに、大人の経験値や常識や一般論を持ち込んで、子供を説伏する事は、絶対にしてはならない。
あくまでも、子供の立場で、子供と同じstageで、観察し、理解し、分析し、判断して行かないと、子供からのsymbthyは得る事は出来ない。
大人の持つ常識や世間一般の通説を子供の説伏に使ってはいけないのだ。
そうすれば、意外と大人社会の不条理が見えてくる。
そこから、子供に信頼される、本当に意味での教育が始まるのだよ。
子供達の疑問に、真摯に答えるという事が、良い指導者の条件であるのだよ。
それは、指導者の条件であり、指導講師であるためには、もう一つ、大上段の洞察力が必要となるのだ。
指導者を育成するためには、単なる知識を集合させる事ではなく、そういった全ての能力を統合する統合力や総合力、また根気よく指導するための忍耐力も当然必要となってくる。そういったものが、所謂、教室で言う所の指導講師(講師を育成する講師)には必要となって来るのだ。
そのためには、指導者の音楽や生徒、父兄に対しての、理解力や認知力、観察力、分析力、判断力、洞察力等々の能力を育成しなければならないという事なのだよ。
勿論、今までの話の中には、経営者としての、一番大切な「教室の経営と運営」という事は全く話ししていない。
経営的手腕は、指導の勉強とは、全く違った次元の話になるからだ。
[経営者としての可能性]
経営的手腕で一番大切なものは、先見の明である。
先見の明とは、一般によく言われるような、感覚的な情緒的な能力の事を指す分けではない。先見の明、所謂、予知の能力は、現在の会社を取り巻く環境の分析、観察、判断の結果導き出される計算上の必然であり、ギャンブル的な、賭けのようなイメージは全くない。
そこが会社を潰す人間と、会社を存続させて行く事が出来る人間の決定的な違いである。
ある会社が潰れるのには、会社が潰れるだけの必然的な理由がある。
しかし、多くの人たちはそこの所に気づかないし、また気づいていたとしても見ようとはしない。何故なら、人は自分の弱点を見ることが嫌だから、怖いから・・なのだ。
2012/06/14 (木) 23:16
legatissimo奏法は、Pianoや弦楽器、歌にもある。それは音楽の技術的な問題なので、「論文のネタ」にはならない。
正しいlegatissimo奏法を学んだ事のない音楽家の卵達が、見様見真似で野狐的なlegatissimo奏法で演奏する事で、探り弾きの負のspiralに落ち込んでいるのをよく見受ける、というだけの話だ。
音楽家の卵達の大きな勘違いは、ひたむきに練習をする事が、上達の秘訣であるように思っている所にある。
それこそ江戸時代の儒教的な、化石化した思考方法だよ。
今で言うと、「100回練習して出来なければ、1万回練習すれば良い」と言う誰かの言葉と同じなのだな。
私が芦塚メトードとして言い続けている事は、「誤った練習法で練習すると、100回誤った練習したのを、0にするには、100回正しい練習をして、やっと0回練習した事になるのだよ。」下手な練習ならば、しない方がましだし、悪い先生に付いて音楽を学ぶのなら、まだ習っていない生徒の方が、早く上達するのだよね。3年間、他所で悪い先生に付いて勉強して来た生徒を、ちゃんと伸びるように教育し直すには、0の状態まで持って行くのにやっぱり3年間かかるのだよ。
2012/07/01 (日) 2:34
[演奏家に不向きな性格の人]
人生の全てが「行き当たりばったり」の人はお稽古事には向かない!
特に、演奏家には、コツコツ型で、粘り強い性格が必要である。
かく言う私もかなり行き当たりばったりの性格である!
正に、演奏家とは真逆の性格である。いやあ、困ったもんだ!
という事で、私の悪癖である「行き当たりばったりの性格」を逆手に取って、「怠け者の勉強法」というのを作ったのだが、本当の怠け者(真性怠け者)には、そういった勉強方法すらかったるいらしい!
ちなみに、私の言う「怠け者の勉強法」とは、仕事をしていて、飽きてしまったら、そのまま放置する事である。放置する時に、その仕事の状態をfreezeさせる事がコツである。そのまま冷凍保存されるので、また、その仕事のIdeaを思いついた時には、冷凍されていた箱を開いて、そのまま仕事を続ければ良いのだ。
冷凍の箱には、楽譜や、その時の資料、或いは、鉛筆、memo用紙に至るまでそのまま保存されている。まるで、たった今まで人の居た形跡のある、珈琲カップには湯気のたったコーヒーが入っているような幽霊船のように・・・である。これが、怠け者の秘訣だよ。怠け者は、思いついても、仕事の準備をしている間に、その思いつきを忘れてしまう。だから、湯気のたった珈琲カップが出てくれば、その思いつきを忘れる事はないのだからね。
2012/07/31 (火) 13:46
芦塚メトードの第2の欠点
芦塚メトードでは、芦塚先生の言う事をちゃんと聞いていると、練習をコツコツしなくても、ある程度は上達してしまう。
そこで、勘違いしてしまう人達がいる。
「芦塚メトードで習うと、練習しなくとも上手くなるのだよね。」
そうじゃあ、ないのよね!
そういう風に思われると困るのだよ。
芦塚メトードでは、無駄な練習や意味の無い練習を省いて、必要最低限のcheckpointを、集中して練習するから、長時間の練習が出来ないのだよ。
それが、練習しないように見えてしまうのだよね。
だから、教室のスタープレーヤーの生徒が、教室に居る時には、2時間、3時間の練習しか出来なかったのに、日本人の有名な演奏家に師事した途端に、4時間、5時間も練習出来るようになる。
親は「やっぱり、有名な先生に付くと違うな〜ぁ!」と感心していたのだが、指先だけの練習で、音の粒々を聞こうとしないで練習しているので、練習すればする程、下手になって行くのを、本人も親も気がつかない。
「何故??」 ・・・だって、最初から、自分の音の粒々を聞いていないのだから、本人が下手になったのが分かるわけはないだろう??
当たり前の話だよ。
もう一つ困る事は、私のlessonを受けていると、自然にいつの間にか、どこをどういう風に間違えたのか?どういう練習をすれば良いのか?という事が自分でも分かるようになる事なのだな。
「それは、素晴らしい事じゃない??何故困るの??」
それはね、kkちゃんやBkちゃんのように、先生の前で一回演奏して、「此処と、此処がこういう風に悪いので、此処と此処は、こういう練習をしておきます。」
何て言われたら、それでlessonが終わってしまうのだから、だよ。
それに、生徒の方も、自分が悪い所が事前に解っているので、同じ事を同じように先生に指摘されると、結構、堪えるのだよね。
いやあ、困った!困った!
しかし、もっと困る事は、それでも先生から、改めてちゃんと注意されないと、段々練習しなくなってしまうのよね。
そこいらの勤勉さ迄は、子供の間はやはり無理なのよね。
自分の欠点が見えれば見える程、そこの部分からは逃げたくなるのは、人間の本能だからね。
それでも、ちゃんと勉強出来るようになるには、もう一段階も、二段階もstepupが必要なのだよ。・・・というか、それはもう、proの領域になるという事さ!!
[副科のlevelが低かったとしても、]
特に、弦楽器や管楽器を主科にして、Pianoを副科にしている生徒の場合であるが、Pianoの技術は拙いのに、音楽の解釈や、音楽理論に関しては、主科の上級者のlevelになるので、Pianoで演奏は出来ないとしても、音楽の解釈のNiveauは高いlevelの指導をしなければならない。
ともすれば、音楽指導の経験の浅い指導者は、Pianoのlevelだけで、その生徒の理解力を判断しようとする。そうすると、その生徒はその先生のlessonを信用しなくなるのだよ。
Pianoでは、実際には弾けなくとも良いから、頭ではちゃんとその理論を理解出来るようにする、という事が肝心である。
そこの所の指導は、慣れが必要で、すこぶる難しい。
2012/09/01 (土) 9:15
[今の子供達の口癖]
今の子供達はやりもしないで、「出来ないモン!」と言うのが口癖になっています。
「出来なければ、代わりに誰かがやってくれる…」 そういう普段の生活のパターンが、口癖になって身に付いてしまっているのです。
次の会話は私が、「出来ないモン!」と言う言葉が口癖になっている子供とお話しをしている風景です。
「出来ないモン!」
出来るか出来ないかは、やってみないと分からないでしょう?
「やったけど、出来なかったモン!」
出来なかったのを、積み上げて行くと出来るようになるのですよ!
ピアノやヴァイオリンを習い始めた時には、こんな難しい曲が弾けるようになるとは思わなかったでしょう?
出来ないことを積み上げたから、出来るようになったのだよ!
誤解のないように、補足説明しておきますが、私が指導している生徒には、「出来ないモン!」と言う生徒は一人もいません。
私のlessonでは、最初から子供が出来ないような練習は、絶対にさせないからです。
難しい曲を生徒に与える時にも、最初に練習法の説明や、その曲の中の抜き出し箇所の練習からスタートするので、曲を全部貰った時には、難しい箇所はいつの間にか自然に弾けるようになっています。その状態から、その曲の譜読みに入るのです。
それでも、ある程度年齢が上がってくると、趣味組の生徒では、自分の弾きたい曲と練習量が噛み合わない時などが出てくる事もあります。
しかし、それまでに、そういった練習法が身に付いていると、その曲を「出来ない」という事はありません。
それはその生徒が、色々な練習法を駆使して、その曲を何れ位練習すれば、弾けるようになるか、とか、練習時間が足りない場合にも、本人自身が、後どれぐらい練習を増やして練習すればちゃん弾けるようになるか・・を自分で判断する事が出来るからです。
[勉強のstep]
私が、親や先生達へよくするお説教です。
子供達が出来ない事を出来るようにするには、ただ「やりなさい。」と言うのでは、駄目です。
子供達が出来ない事が出来るようにするためには、課題の与え方にステップが必要なのです。
そのステップの勾配がならだかなら、子供達は行き詰まる事はありません。
そのステップが急勾配ならば、そのステップの間に、更に幾つかのステップを作って、勾配をならだかにしてあげればよいのです。
その方法論を作る事を教育というのですよ。
だから芦塚メト−ドでは無理なく、子供達が自然にいつの間にか出来るようになっているのですよ。
それは子供達が簡単だから、サラサラと出来るようになっている分けではありません。
子供達の前で一生懸命に道をならしている先生達がいるから・・なのですよ。
親も、家庭での教育で行き詰まったら、先生に相談すれば良いのです。
「餅は餅屋」なのでね。
2012/09/01 (土) 11:36
[芦塚メト−ドと無駄を省く]
芦塚メト−ドの一番大切なポイントは無駄な事を省くと言う事だ。
「決められた時間の中だから、決められたように、学習しなければならない!」と、いったような、教義優先のご都合主義からの脱却である。
儒教的な考え方でも、やりたくなくても、いったん決められた事はきちんと守る事をよしとする!
芦塚メト−ドは、そうではない!
常に万全を期し、万全に至らない時には、万全になるように、そのステップを図るようにするのである。
無駄なオケ練習はしない!
分奏が必要なら、分奏にかけるべきである。
分奏が全く出来ていないのに私がオケの練習の指導をしても、(Cちゃんのレッスンの時のように、)全く同じ事を全く同じように、半年間も言い続けるだけなのだから!
それでも、同じ話を初めて聞いた事のように、半年間も同じように聞いて、レッスンを受けていたCちゃんも凄い!
2012/09/16 (日) 0:56
論文のネタ集
[良い意味でのアマチュアイズム]
私が日本型の音楽教育を批判する時に、よく「良い意味でのアマチュアイズム」と言う言葉を口にしますが、その時に勘違いされる事は、私がアマチュアイズムを賛美しているように誤解される事です。
人は音楽への価値観を、大きくクラシックとかイージーリスニングとかいう分類をします。だから、クラシックはクラシックとして、大きな括りではなされてしまいます。
私は音楽家なので、人間としての生き方を音楽に求めます。
だから、私にとっては、音楽は宗教であり、哲学なのです。
しかし、音楽を通じて、有名になりたいとか、マスコミや華やかな世界で活躍したいと望む音楽との関わり方もあります。
その場合には、音楽は必ずしも、その人自身の人生の究極の目的ではなく、自分がメージャーになるための、単なる一つの道具に過ぎないのです。
クラシック音楽をやっているとはいっても、今の若者の大半は音楽をイージーリスニングの延長線上か、自分の技術をひけらかすパフォーマンスとして捉えています。
多分、音楽そのものの美しさや、感動をした事がないのでしょうね。
私は青春時代に、音楽に感動して、音楽の道を歩む事を決めました。
その青春時代の全てが音楽だけであって、脇目も振らずに音楽に邁進した時の気持ち、そういった青春時代にしか、中々持てない一途な想い、ひたむきさ、そういった意味での、所謂、「初心忘れるべからず」と言う言葉であり、決して音楽をイージーリスニング的に、軽く、ただ単に美しく、気楽に趣味的に捉える・・と言う意味ではないのですよ!
2012/10/05 (金) 19:13
教室のホームページ関係
音符の等分割と不等率分割
音符は等分割されるという定義でつくられています。
割り算は小学校の4年生で出て来るので、それまでの子供達に音符の説明をするのは難しい事があります。
「4分音符の半分の音符は?」と子供に質問をすると、「4を2で割るのだから、2分音符!」という答えが返って来る事があります。
音楽大学の学生に「64分音符を何個集めると、2分音符になりますか?」と授業の時に質問をしたのですが、即答した生徒はいなかったのですよね。
不思議な話です。
音大生は経験値として、音符を学んでいるからなのですよ。
音符の分割の定義が全く分かっていないのです。
64分音符とは、どういう意味なのか、その意味が分かっていないから即答出来ないのです。
答えは全音符が基本で、その全音符を二分割したのが、2分音符なのです。ですから、2分音符という意味は、全音符を2分割した音符という意味なのですよね。
だから、64分音符というのは全音符を64等分割した音符という意味です。
つまり64分音符を64個持ってくると、全音符になります。・・・というか、定義が逆でしょう??
だから、2分音符は全音符の半分なので、32個で2分音符になるのは当たり前です。
ここは、等倍の話だから、作曲家で勘違いする人はまず居ないし、そんな勘違いをした譜面は見た事がありません。
しかし、音符の単位に連符が入って来ると、事は複雑になります。
2を3に分割する場合には、それでも音符の単位の間違いは少ないのですが、Ravelのような大作曲家でも、チガーヌのような名曲にさえ、音符の単位の間違いがあるのですよ。
逆の3を2に分割する場合の音符の単位はよく混乱している譜面を見る事が多いのですよ。
作曲家は理論家ではないので、Schubertのような大作曲家でもよく間違いを犯す事があります。
「音符の単位は、・・??」 と一々、考えるよりも、「書く!」という事が優先してしまうからでしょうね。
でも、連符の音符の単位の考え方は、充分小学校にも理解出来るくらいに単純なのですよ。
原理を知っておくと、連符の単位で間違う事は決してありません。
全音符を1とすると、2分割された音符は2分音符になります。・・で、「1枚が2枚、2枚が4枚、4枚が・・・、パッと花菜散る凍りの刃・・・」
でも、4分音符に変わる前には、2と4の間なので、3等分がありますね。だから、全音符を1の単位にする時には、3連符は2分音符になります。
以下、同様に、4分音符のグループは、5、6、7連符で全部4分音符の単位です。
その次は、8分音符なので、次の16分音符まで、9、10、11、・・・15連符迄単位は8分音符の単位になるのですよ。
簡単でしょう??
表に書き表すともっと簡単なのですが、意外とその表を書き表している楽典の本は見た事がありません。説明すると当たり前の事なのですが、これもコロンブスの卵で、解ってみると・・・なのですよね。だから、歴史的な作曲家でも間違えてしまうのですよ。ついつい・・・!!
2012/10/23 (火) 16:23
[怠け者の仕事術]
[仕事は派生した時に必ず、一部分を一度はかじっておく事]
この、私の仕事術の法則(how-to)は、仕事が、発注されたままおざなりにされてしまって、いつまでも片付かないその理由が、その仕事を受けた人が仕事のimageを具体性に持たないで保留にしてしまう事に、そのおざなりの理由が起因する場合が多いからである。
仕事を受注した時に、その一部でも囓っておくと、その仕事の輪郭が朧ろげにでも把握する事が出来るからである。
そのために、昔、仕事を伝達するための書式(template)を作ったのだが、そのカードは仕事の打ち合わせの時にも使用しては貰えなかったので、そのままボツになっている。
仕事の手順を頭の中で作り上げる事が難しいからなのであろうか??
という事で、仕事を囓ると、何となくでも、朧ろげでも、仕事の輪郭が掴めるからである。
仕事の輪郭が分かった状態で仕事をするのと、分からないままに当てずっぽの状態で作業をするのとでは、仕事の速度は全く変わるのだよ。
これも一見すると無駄なように思えるかもしれないが、大切な時短のtechnicの一つなのだよ。
2013/01/31 (木) 14:05
「後で、時間がある時にやっておきます。」という人に・・・
ヨージーの仕事の法則
「仕事には、後の時間はない」
私のように基本的に一人で仕事をしている場合には、ちゃんと締切迄に仕事を終わらせれば良いのですから、「後で、時間がある時に、やっておきます。」という事を、言うのは可能です。
あくまで、自己責任の範囲としてですがね。
つまり、一人でやっている場合には、出来なかった時に、人のせいにすることも出来ないのですよ。
しかし、人との仕事で、「後で、時間がある時にやっておきます。」と口にする人で、締切の時間を守る人は極めて少ない。
というか、自分で勝手に、こちらが指定した締切日を変えて、「**迄に間に合えば良いのでしょう?」とか、臆面もなく言って来るから困ったものです。
つまり、人には、時間を守る人と、守らない人の二種類の人種がいるのですよ。
会社の仕事の場合には、一つの仕事は、どんどんprojectとして、次の人に受け継がれていきます。つまり、連携が大切なのです。だから、締切りは絶対の時間になるのです。
作曲が間に合わなくて、1日、出版社の輪転機を止めたとします。
大体その、損失は5百万ぐらいになります。
スタジオで録音の時に、誰かが遅れて来たので、録音が10分伸びました。
スタジオ代と録音技師に10分間の追加料金を払うのに、100万円かかったのですよ。
大きなスタジオでは、それぐらいは普通にかかるのですよ。
勿論、私達の仕事ではないので、私達が払った分けではありません。
私達は単に見学していただけだったのでね。
2013/02/02 (土) 20:06
[モンスター・ペアレンツ]
モンスター・ペアレンツとは、自分の子供の事に対して、自分の思い通りにならないと、我慢できないタイプの人達の事をいう。
しかし、子供の事に対して、「望んだ」…という意味は、必ずしも、「子供が望んでいる事を」・・という意味ではない。あくまでも、親が望んだ「子供に対して」という意味である。
しかし、大半のモンスター・ペアレンツの親は、親の望みが「子供の望み」でもあると信じているので、始末が悪い。
子供が教室の先生に対して、「help」を求めたりしているケースが多いからだ。
親は周りの意見が聞こえないので、「子供がそう言っている。」と説明しても、「そんな事はありません。子供とはよく話し合っています。」とか返ってくる。
挙げ句の果てには、「先生は嘘をついている。」とかいう話になってしまう。
公立の小、中学校に於いては、モンスター・ペアレンツは大問題になるのだが、私立や公立でも高校の場合や音楽教室の場合には、それ程、その解決は難しい事ではない。
学校や教室は義務教育ではないからで、他の生徒や保護者の迷惑になる場合には、その生徒をやめさせる事が出来るからである。
私達の教室でも、教室の規約に「退会勧告」という条文を入れている。
尤も、その条項を私達の教室が、追加した理由は、モンスター・ペアレンツが原因で、規約を導入した分けではない。
私達の場合には、有り難い事に、まだ、教室として、脱会を父兄にお願いした事はまだないからである。
退会勧告の規約を規約書に追記した理由は、教室外から教室に来た指導経験の未熟な先生が、生徒や父兄達と感情的に喧嘩をして、勝手にやめさせたりした事が、何度かあったからである。
本来的には指導に来ている先生達には、生徒を退会させる裁量権は原則として持っていないのだ。
だから、感情的に気に食わない生徒であったとしても、その規約に抵触する場合以外には、先生に生徒をやめさせる権限は原則としてないのだ。
教室の役員の先生達がその裁量権を持っている。
それも、基本的には何処の教室も同じである。
それは、実に当たり前の事で、その先生がその生徒と上手く行かなければ、或いは、その生徒を教えたくなければ、音楽教室では、他の先生が指導すれば良いからなのだよ。
教室の規約で、教室側が生徒に対して、退会勧告をする場合は、個々の先生の個人的な理由や感情ではなく、生徒や父兄の言動で教室に被害を受ける場合だけなのだよ。
また、この退会勧告に記載されている規約も、(教室の他の規約同様に、教室が独自に定めたものではなく)、一般の音楽教室の規約と同様に、殆どの音楽教室で共有されている規約である。
参考までに
退会勧告
月謝の滞納、教室に無許可の教室での営業活動、宗教の勧誘、教室の活動や先生の指導に対しての批判やそういった言動が著しく他の生徒保護者の迷惑になる等の場合には、教室から退会を勧告する場合があります。
2013/02/11 (月) 21:45
芦塚メト−ド
芦塚メト−ドがユニークなのは子供を叱咤激励するのではなく、子供が自分自身でやるようになるという事です!
先生の指導力が優れていて、それで生徒が上達している教室は数多くあります。
そこの問題点は、先生がいないと、(先生の指導がないと)生徒は上手く演奏する事が出来ない、という事なのです。
その点は、私達の教室は大きく違います。
生徒に曲の演奏の仕方を指導するのではなく、曲の色々なpassageの練習の仕方をlectureします。
だから、生徒が、他所から移って来た生徒の場合には、練習の仕方が分からない場合や、練習をする事自体に嫌気がさしている生徒も多く見受けられます。
だから、そういったすっかり練習嫌いになってしまった生徒に、「ちゃんと来週までに練習して来なさい。」等と先生が言う事はありません。
一人で練習するのが嫌なら、lessonの時に先生と一緒に練習すれば良いのです。
それだけでも、充分に上手になります。
たった、週一回の練習でも、先生と一緒に練習する場合には、無駄が全くないから、その生徒が嫌々ながら、1週間練習して来たのと、同じぐらいの成果を上げる事が出来るのです。
練習して、見る見る内に上手になるのなら、子供は自分でも「練習してみようかな?」という気に自然になって来るものです。
でも、始めて自分で練習する気になったとしても、それで上手く行く分けはありません。
先ずは、一人で練習出来た事を、褒めるのがコツです。それがsteponeなのですよ。
そして少しづつ、練習の仕方を学んで行きます。Step by step・・・!
一見すると、まどろっこしいようなやり方ですが、これが本当の時短になるのです。
本当に急がば回れの諺通りなのです。
先生との交換mailから発展させて
2013/03/16 (土) 6:58
[仕事の効率]
新幹線に無事に乗れました。
1時間半は寝れたから優秀な方だ。
今日のレッスンもして、四日市教室以外の仕事もして、夕飯も作って、四日市移動の準備もして、少なくても寝れたから、手伝いがいなくても、かなり効率は上がった。
2013/03/16 (土) 14:29
「仕事の仕方」の話だが、「仕事の仕方」は単なる方法論なので、仮にその仕事の手伝いが居たとしても、居なかったとしても、時間に間に合わせる事が出来ない人は、やっぱり、時間に間に合わないのだよ。
それは、寧ろ、その人間の「仕事の出来上がり時間のタイミング」に対する意識の問題だからなのだよ。
例えば、毎年というか、何時も「クリスマス会の人形劇の準備」に対して、「8月の休み中にprojectをstartしろ!」と説教しているのだが、「8月では、その気が起きない!」と却下されてしまう。
[長期作業と短期作業]
作業を並行で作業する場合には、作業自体には、長期的な作業と短期的な作業がある。
研修生の場合には、並行で作業をするときには、短期的作業に関しては大分、ミスなく気を付けて出来るようになって来たのだが、その作業は、その日1日の中でこなせる短期の作業を並行する場合に限られていて、長期的な作業の並行は、まだ上手く出来ているとは言えないようだ。
長期的な並行作業が出来ていないその根本的な理由は、私が何時も説教している「物をしまう」「整理する」という事とオーバラップして来る。
その仕事が単純な一つの仕事であったとしても、「仕事に振り回されて、時間を作れない原因」になっているケースでは、人はその仕事の締切が近付かないと、中々作業に入れないのが、根本的な原因であると思います。
長期的作業という作業には、大きく2つの種類があります。
その一つはprojectが大きく、長期に渡って作業をしなければならない作業という意味です。
もう一つの長期的な作業は、作業自体は、直ぐに終わる作業なのですが、それを常日頃しなければならないという、所謂、エンドレス作業です。
問題は、この「仕事内容はすこぶる簡単で、取り掛かっても直ぐに終わる作業なので、いつ取り掛かってもよいけれど、ついつい忙しさにかまけて、優先度の高い他の作業の後回しになってしまって、何時までも残っている」・・・という、「作業の取っ掛りが中々見えて来ない作業」についてです。
そう言った作業の場合には、私は「別の理由や口実を設けて」作業に入るという事をよくやります。
つまり、その仕事に対して別の付加価値を付ける事によって、作業に入る口実を作る‐のです。
その仕事に、何かの仕事を引っ掛けて、「別の口実(付加価値)をくっつける」という発想の転換は、普通には中々難しい事のように思われます。
なぜ難しいかというと、その一つのprojectの中の作業だけではなく、別のprojectを含めて、仕事の全体像が見えていないと、その作業に類似した作業を持ってくることは中々できないからです。
しかし、それもやはり慣れで、簡単な作業を一つの作業として、こなすのではなく、別の作業と一緒にprojectを組むという癖、所謂、並行作業に慣れていれば、簡単に、複数のprojectを一緒に組む事が可能になります。
その第一段階、というか、その並行作業の練習が芦塚メトードで言う所の定型作業です。
一般的なルーチン・ワークに似ていますが、意味はちょっと違うかな??
[作業の冷凍保存とfiling]
長期的な作業には、その作業をその場で終了させる事が出来ない場合には、その作業をSleepさせるための凍結保存する場所をちゃんと作っておく必要があると思います。
作業効率の悪い人は、この「filingの場所を作ったり、仕舞ったり、取り出す」という作業がとても下手です。
分類のコツは、分類が全ての(全体の)作業で統一性を持っていることです。
また、その分類のコツは、「教室に初めて来た人でも簡単にfileが探せるし、またしまうことが出来る」という条件を満たしていなければなりません。
そのために、私は、ツリー構造を用いています。
大項目から中項目へ、それからさらに小項目へと進んでいけば良いからです。
これは教室の分類項目ですから、教室のindexの分類に単純に従えば良いだけなのです。
一般的な分類の効率化の1番大切なconceptは、他人が来た時に、一々教えなくても、直ぐに探せるように分類しておく事です。
それ出来るようになると、「自分自身が何処にしまったかを忘れてしまって、物を探す」というような不仕末もなくなります。
くどい様ですが、教室のことをよく知らない人が、簡単に探し出せるように分類をする事が、自分が物忘れをしても教室を、教室の事務作業を、ブラックホールにしないようにするためのコツです。
という事で、事務所を効率的に、且つ又、能率的にするためには、ちゃんとしたルールに従って(つまり、情緒的感情的な分類ではなく)論理的にfileを分類して、完全に、「誰でも、何時でも」取り出せて、仕舞えるように、整理整頓する事なのです。
それと、長期的なprojectに対しての、人に任せられるpointや、同時に作業した方が効率のよいpoint、或いは、資料や道具の不足で無理矢理仕事をするよりも、道具を買うとかして、その後作業した方が良い仕事、後回しにした方が効率の良い作業等の、分類に対しての直感的なprojectを把握する力が、人を使って、大きな会社を経営管理運営する力になります。
そういった所を、意識をして、努力して訂正して行く事が、今の状況の改善にそのまま継って行きます。
Sent: Saturday, March 16, 2013 11:07 PM
Subject: RE: Marin Maraisの練習風景の動画
少しずつは長期仕事もやってはいるのだけど、なかなか成果が目には見えてこないな・・・。
やはり整理がなってないからだよな。
先日は動画のDVDの整理をして、オケ練習などのDVDをためていける場所は作った。
しかしまだレッスンビデオや演奏家ビデオなどの保存場所が整理されてない。
売り用CDなども整理し掛かってまだ出来ていないし・・・限りがないけどやらなければ溜まる一方だし、有効利用が出来なければ意味ないし・・・・と思って少しずつは分類作業もやってますンよオ。
2013/03/17 (日) 1:45
[今、何をしなければならないのか?]
仕事の仕方には、幾つかの重要なpointがあります。
先ずは、仕事の全貌を掴む事と、「から、迄」という時間軸をしっかりと把握する事です。
という事で、私が教室の先生になる事を希望していた弟子達に、最初に作らせた大きな作業が、「年間計画表」でした。
その教室の「年間計画表作成」の仕事をさせた意味は、 1つにはワープロの操作に慣れると言う意味がありました。
もう一つは、教室の行事の全体像の把握で、 「いま何をしなければならないか」を自分で把握するための勉強でもあったのです。
その「年間計画表」が、完成するまでには、丸々 1年掛りました。
ワープロで作らせたす年間計画表は、ワープロの時代には、大変な画期的な表で、膨大な手間と時間が掛かってしまったのですが、パソコンが発達した今現在では、すこぶるオーソドックスな表になっていて、Excel でも超、簡単に作る事が出来ます。
その基本的なチャートの考え方は、今では「ガントチャート」と言って、無料のテンプレートも沢山ネットに掲載されています。
だから、ワープロで昔作った物を、関数として、表に計算式を打ち込まなくても、単に表としてパソコンに移すだけなら、Excel でいとも簡単に書き表す事が出来ます。
そのチャートを忠実にExcel
で作っておけば、関数は後で入れる事が出来ます。
一般的にも、コツコツ型の人達は、与えられた仕事をコツコツとこなすのは上手なのですが、全体の構成を見ないうちに仕事を始めるために、よく仕事上の判断ミスや無駄な作業工程、同じ仕事を別のprojectとしてdouble-bookingして作業したり・・・というロスタイムによる原因から、仕事の締切に遅れを引き起こしたりしてしまう事があります。
コツコツ型の人間は、そこの所がウイークポイントなのですが、スロースターター型の人は、正反対のタイプなので、コツコツ型の作業は苦手で、中々出来ないのだが、その分、全体の把握や構成力、思いつきとresponseがあるので、人材の組み合わせを上手くやると、何とか「年間計画表」がなくても、落しをしないでやって行く事が出来ます。
しかし、この「やって行く事が出来る」・・・というのは、逆に、「年間計画表」が無くても、やれるから、「必要性が無い」という風に、勘違いされてしまいがちになります。
しかし、それは、偶然上手く行ったに過ぎないのです。
必ず、何時かは、破綻を来たします。
今回の教室のように、仕事の出来る人達が結婚や子育てで、教室を辞めて行く事は、会社としては当たり前の極々普通の日常の話です。
だから、常に、新しい人材を育てる事が、curriculumとして普通に出来るようにしておかなければんあらないのです。
新しい人材に、仕事を覚えてもらう上でも、先生達が若い世代の人に、ベッタリと付きっ切りになる分けには行きません。
ある程度は任せても、出来るようなcurriculumが必要です。
だから、新しく年間計画表を作成するのではなく、今迄使用して来た、教室の仕事の年間計画表のチャートから「から迄」を、きちんと理解する事が必要となって来ました。
しかしながら、人材の不足で、・・・或いは、人材は雇ったとしても、先生が教室の仕事と新しい人材を指導するための余力がないので、仕事を教えようとすると、逆に自分の仕事がこなせなくなってしまう…という、ジレンマに陥ってしまっています。
どういう仕事を、何時から、何時までに、しなければならないのか?という、指示を出すだけの事ですら、先生の自分の仕事との両立という点で、上手くこなせなくなってしまっていて、指揮系統、指示系統のコントロールの乱れは、教室が人材を育てる上でのネックになってしまっていて、それが、教室の仕事が遅れている、根本的な原因になっているのです。
そういった現状を改善するという意味でも、今現在、教室が最初にやらなければならない作業は、先生達がまだ中学生の時に、ワープロで作り上げた年間sCduleを、Excel にtransposeする仕事が最も大切な作業で、本当は一番早くしなければならない作業でしょう。
何故ならば、その年間計画表が昔にも増して重要な意味を持つようになって来ているのは、今は八千代の対外出演や、千葉教室のクリスマス会等のイベントや、四日市教室の出向とかweblesson等の不定期な仕事等を並行でこなさなければならないからで、横軸の並行作業に対して、縦軸の日にちと「から迄」を確実に把握して、且つ、一括管理する事が必要だからです。
今現在の教室の仕事の進め方は、四日市の教室のsCduleを考えている時は、四日市の教室のprojectの事だけ、千葉教室の発表会のprojectを考える時には、千葉の・・、八千代の時は・・、etc.と、それぞれを単独に考えて仕事をしようとしているので、仕事が無制限に増えて行くのです。
例えば、A先生に東京教室のprojectを任せたり、クリスマス会のprojectを別のB先生に担当させて行けば、問題は複雑化しないので、一般の会社では通常はそのように解決して行きますが、それでは、人材のロスや時間のロスはなくなりません。
一人一仕事では、結局の所、仕事を効率的にこなす、という事は出来なくなって、不必要な無駄は省けないのです。
一般の会社の場合でもそうですが、同じコピー作業を複数の人が別の色々なタイミングでやって来るので、コピー機に作業が集中したりして、結局の所、コピー機の台数が足りなくなって・・etc.会社が無駄に肥満し、経費の浪費になって、赤字経営の原因にもなるのです。
だから、一人一人が「落とし」や、「double-booking」等の仕事をする上での、初歩的なミスが無いように、パソコン上で、会社のprojectを総合的に管理する事が大切です。
それが、ガントチャートです。
私達の教室でも、パソコンが一般的になる10年、20年前から、それぞれの教室の発表会や年間行事等のsCduleと先生やassistantのsCduleをワープロで年間sCduleを作って、一括管理していました。
[定型のprojectと雑用]
発表会やおさらい会や人形劇等eventはそれぞれ一つのprojectとして分類すればよい。
その他に雑用があるが、実はその雑用には、またまた、「から迄」があるのです。それはその都度の「から迄」なので、年間や発表会projectのsCduleの中には入らないのだと思われがちなのですが、大きな年間計画表がある程度把握出来るようになると、その都度の「から迄」は、projectの中の決まったsCduleとして、きちんとあるべき場所に存在するのです。
[雑用(所謂、「から迄」の作業)の下準備]
次に大切なpointですが、「から迄」の作業の「から」には、必ず、取り掛かる前の段階で下準備があります。
仕事の下手な人は、「から」の作業に入ってから、「から」の下準備をしようとするから、仕事がどんどん遅れて行って、結果、何とか辛うじて、締切に間に合ったとしても、前日は徹夜作業になったりしてしまうのですよ。
下準備は、「から」を始める前に、事前に準備しておかなければならない作業である。としてこなして行く事が大変に思われる「から迄」作業も、実は不定期ではあるが、その殆どの仕事がprojectの中に含まれるのだよ。
とどのつまり、そのprojectを熟さなければならないので、この「から迄」作業が派生するのだよ。
という事は、この作業も一つの定型作業に過ぎないのだ。
そこが理解出来れば、幾つかの「から迄」作業を、一つの作業として一つの行程に収める事が出来る。つまり幾つかの作業を一緒にこなす事が出来るのだよ。
そこに、一般人には困難なハードルがある。それは、「から迄」作業の下準備をしようと思っても、中々仕事に入らない限り、何が本当に必要なのかが分からない・・・という事なのだよ。
一般人の場合には、作業に取りかかった後で「これがなかったから… !あれが足りなかったから…!池袋に買いに行かなくっちゃ! ! 」という風に、その都度仕事がストップして、別の作業が入ってきてしまいます。
Sent: Saturday, March 23, 2013 11:12
AM
携帯電話なら、少しでもバッテリーが減ってくると、皆直ぐに充電するのに、デジカメの充電に関しては日常的ではないので、必要になるまで、中々充電しようとはしない。
使う時に慌てて充電して持って行っても、結局の所、ミスを連発して仕事にならない!
それは家庭のやり方であって、絶対にミスが許されない「仕事」としての考え方ではない。
仕事とプライベートの考え方の差が分かっていない!
家庭の話ならば、「充電が完璧でなかった!」とか、「使い方に不慣れだった!」で、済ませられるかも知れないが、仕事なら、そうはいかない。
今までにも、何度もデジカメが充電不足のために必要な時に、その必要なアングルの写真が撮れない事が、よく(というよりも、結構頻繁に)あったのだが、「覆水盆に返らず」で、撮れなかった写真はいくら仕事上で必要な写真であったとしても、二度と同じ写真は撮れないのだよ。
「発表会にしても、レッスンにしても、一期一会なので、そのタイミングを逃すと、二度と同じタイミングには巡り会えないのだよ!」 という事を何度も言い続けているはずなのに、自分が、ホームページやパンフレット等の資料を作る立場になければ、所詮は、価値観の問題で、他人事で何度注意しても治さない!
注、ホームページを作っているのは私なのだが、レッスンや練習等で実際にそれをやっているのは先生達であるので、レッスンには価値観を持って下準備するけれど、写真やdataを取るという事は、二義的になってしまう、という意味です。
そういった、お話は何も充電に限った事ではない。
ここで、この話をする意味は、「下準備に対しての意識」の問題を提起しているのだよ。
一つの例えを話すと、新しい道具を買ったら、まずテストをしないといけない。
しかし、教室ではその時に差し迫って必要でなければ、箱を開ける事すらしないで、そのままになって放置されてしまっている。
そして、開封したのが、2カ月、3ヶ月後では、もし、その道具が初期不良の不良品であったとしても、保証すらして貰えないだろうよ。
それにテストという意味は、単純に、「正常に作動しているのか、不良品か」 を見る、という意味ではない。
教室用にデジカメを買った!或いは、ペンタブレットを買った!
それを本当に必要になった時に、その道具の使い方が分からないといって、取説に頼っているようでは仕事にならない。
仕事をする時に、道具の使い方をあれこれするようでは、仕事としては、成り立たないのだよ。
だから、買った時点で、時間を見つけて、その道具の使い方を、あらかじめ、研究しておかなければならないのだよ。
だから、せっかく、私が仕事が早く終わるように、有効な道具を買い揃えてあげたとしても、いざその時になって、使い方が分からないままに、旧態然とした昔のままの仕事の仕方をしている。
道具の使い方を覚えるより、仕事をさっさとした方が早いから、という言い訳なのだよね。
そりゃあ、そうだろうさ!
仕事をしながら、道具の使い方を覚えるのは、そりゃあ、無理だわさ!!
道具は使いこなせるようになってから、仕事に使うものなのだよ。
だから、仕事で道具の使い方の勉強はしない。
そんな大変な事はしないのだよ。
道具を使うときには、「取説通りにやる」人と、私のように、ちゃんとした簡単なprojectよりも、簡易化した手順で、必要最低限の情報の手抜き作業で道具のcheckをする人の二種類のタイプの人がいると思われる。
ある物を使ったり、情報をシンボル化したりして、操作を簡素かしてcheckするという事だ。
私が新しい道具を導入するのは仕事上で、人手を減らすという意味や仕事の時短を図るためであって、決して、新しい物が何でも良いからという意味ではないのだよ。
仕事が際限無く遅れて行く原因のもう一つは「物がない」ということである。
作業をしようとすると、カッターナイフがない、ガムテープがない。
プリンターの紙がない。・・で、仕事がstopしてしまう事だ。
次の「から迄」のまでに書いているように、仕事をしている最中にプリンターのインクが無くなった、印刷用紙が無くなった、という事で、一々、小物を池袋まで買いに出かけるようでは、とても仕事になったものではない。
仕事の時間や手間が際限なく増えて行くだけなのだよ。
[・・・から、迄の迄の話]
それと次に忘れていけないのは、「迄」のタイムリミットの決め方です。
殆どの人が、仕事の完成を「迄」のリミットにする、という事です。
でも、このやり方は、家庭の仕事のやり方であって、仕事としての、やり方ではありません。
仕事には、必ず「ダメ出し」があります。
タイムリミットはこの「ダメ出し」で訂正や修正をする時間を含んだものでなければなりません。
私が出版社と仕事をする時には締切日の3日前を、私の出版社への持ち込み日に決めていました。
そこで、幾つかのダメ出しが出たとしても、2、3日あれば、直前までの2,3回のダメ出しの修正は出来るので、その全てを納得の行くように加筆補正出来るからです。
私達の言う「ダメ出し」は技術不足という意味でも、完成度の不足という意味でもありません。
お互いの目標とする完成形のimageのすり合わせが、少しずれているだけのダメ出しなのです。
だから、2、3日程度の日にちでも、充分に修正が出来ます。
子供の発表会ではないのだから、発表会の当日までに練習が間に合わなかった、とかいう話は仕事としては成り立たないし、それは社会人の立場ではない。
要求された水準に応えるのが、プロというものです。
また、クライアントとの打ち合わせで、完全にお互いの目標がずれてしまっているようでは、それはプロとは呼べませんからね。
打ち合わせの段階で、ちゃんとした打ち合わせが出来るか否かも、プロの作業の一つなのですよ。
私達の教室は会社なので、よく若い青年が売り込みに来ます。
ベテランと、若手の売り込みの大きな違いは、若手の人達は、自分達が会社から言われた目標を何とか売り込もうと、一生懸命頑張ります。
こちらが、それを必要としなくても、自分が売りたい物の良さや効率を必死に説明するのです。
ベテランの人は、私の話をよく聞いて、今私が何を必要としているか、そこから何を売り込めるかを判断します。
その多様性が新人とベテランの差です。
ホームページの売り込みがよくあります。
一つのタイプは、私達の教室が「音楽教室だから」という括弧括りで、音楽教室の宣伝のホームページの売り込みに来ます。
要するに、一度も私達のホームページを見ないで、ホームページの売り込みに来るタイプの営業マン達です。
その人達には、「教室には今ホームページが立ち上がっているので、それをよく見てから、ホームページを作れるかどうか判断して、もう一度電話しなおしてください。」と言います。
それで電話が掛かって来た事は、ありません。
二つ目のタイプは、最初私達のホームページに目を通してから来る事は、先程の人達よりも優秀なのですが、如何にも素人っぽい、このホームページを見て、幾つかのサンプルを作って持ってくるのです。
しかし、実にテンプレートなのですよ。
ホームページを作成する時に、私も他の教室のホームページを参考までに、checkしてみました。良いホームページのレイアウトがあったら、是非パクリたいと思ったからです。
しかし、他のホームページも、殆どがテンプレートなのですよね。
業者の人が勘違いをしているのは、教室のホームページが、テンプレートを使用していないのは、テンプレートが使用出来ないからではなく、手作り感を出すために、ワザとテンプレートを使用していないのですが、中々そこの所が理解して貰えません。
私達が望んでいるホームページは、所謂、カッコいいホームページではなく、温かい人間味のあるホームページを目指しているのです。
そのための手作り感が欲しいからテンプレートを使用していないのですよ。
という訳で、「これと同じテンプレートは、全く同じ物がホームページビルダーにあるけど、まさかホームページビルダーではないよね。」というと、「否、いや違います。会社の独自のです。」とドギマギして弁解します。
出来なくって、素人っぽいのと、出来ても敢えて、素人風にしているのと、分からんかね〜??
それじゃあ、営業は無理だと思うよ???
[何気ない日常のmemoを取るという事]
コツコツ型の人間が本当にコツコツしなければない事は、何気ない日常の動作の中でふと思いついた事や気づいた事、そういった事を自分のパソコンにdataとして保存をすると言う事です。
不思議な事にコツコツ型の性格の人でも、そういった何気ない日常の中でmemoをコツコツと取り貯めるという事は、中々難しくって、出来ないようです。
つまり、所謂、勤勉な人達は、日常の何気ない生活の中で、コツコツとしているのではなく、ある程度、意を決して、時間を決めて、そこから仕事を始めるから、そういった極普通の一般的な日常の中で、思い付いた事をmemoに保存するという事が出来ないのです。
学校教育の欠陥かしら??机の前にキチンと座って、本やノートを準備してからでないと、仕事が出来ない。
それじゃあ、時短は出来ないのだよねぇ?!?!?!
時短は「ながら」なのだよ。
お茶を飲みながら、散歩をしながら、の「ながら」で仕事の話やメモを取れないといけないのだよね。
分かり易く、説明し直すと、勤勉な人達は、「お茶を飲んでいる時には、お茶の雑談」として聞いてしまいます。
だから、私が幾らその事について、詳しく説明しても、聞いた事にはなっていないのです。
ちょっとした、メモ的なお話、「その資料を今日中に出しといて!」とか、「*ちゃんにmailしといて!」とかいう仕事上のorderですら、「聞いてない!」になってしまいます。
私の場合には、歩いている時に、思い付いた事をメモして自宅のパソコンにmailで送ってしまいますが、そういったタイプの人達は、散歩をしながら、ふと思いついた事をメモするという事が、難しいのです。
「だって、歩いている時に、思いついたら、そこで立ち止まってmemoを出して、ペンを出して・・・??それじゃあ、散歩にならないでしょう??」云々!!
ダヴィンチを引き合いに出さなくても、すべての作曲家はメモ魔です。
作曲家の場合には、散歩は「アイディアを捻り出す目的」のためなので、そこで立ち止まったり、ベンチに腰掛けたりして、ちゃんと「アイディアをメモ帳に書き留める」のは、当然なのです。(ドイツでは散歩道のいたる所にベンチがあって、ゆっくりと風景を楽しめるようになっています。)
教室では、アイディアや仕事の打ち合わせを散歩でする分けではないし、日本の道には、物を書けるような、いや、老人がちょっと休めるような、ちゃんとしたベンチもありません。
ならば、歩きながらでも、memoが取れるように、携帯の録音機能を使えば良いのですよ。
昔の携帯は録音機能がなかったので、私は、昔々は高性能のカセットレコーダー、その次には、マイクロカセットレコーダー、その次には、デジタル・ボイスレコーダーを買って、持ち歩いていました。
今は携帯電話のボイスメモも、非常に高解像度になって来て、性能も良くなって来たし、携帯電話のメモリーも、8GのミニミニのSDcardを入れているので、情報が入らなくって困る事も無くなったので、写真やsCdule、住所録や、ボイスメモに至るまで、全部全て携帯電話で出来るようになったので、ボイスレコーダーのような単体のメモを持ち歩く事もなくなってしまいましたがね。
私も若い頃は、1度思いついた事は絶対に忘れなかったのですが、今は逆に、直前に思いついた事さえも忘れてしまいます。
という事で、私もきちんと思いついた事はメモを取るように、(今は)しています。
それで、これはいつも言っている普段の話なのですが、思いついた事や、仕事上のちょっとしたorderをmemoするように言うと、何時も「memoがない。」「書くものも,書かれる物もない」と言ってお座なりにされて、「仕事として」、或いは「adviceとして」も派生しないので、私が同じ注意を何度も繰り返ししなければならなくなってしまい、怒ったり、イラついたり、してしまいます。
私は同じ注意を何度もするのが大嫌いだからです。
それは、「時間の盗人」であり、時短の大敵だからなのです。(ディケンズの言葉)
また、人と、打ち合わせをしていると、「言った!」「言わない!」で揉める事がよくあります。だから私は、その場でたった今話した内容の話であっても、仕事の話は、確実に自宅のパソコンへ、携帯やパソコンからメールをさせるようにしています。仕事の話は、どんな些細な事でも、後で「言った! 」 「言わない! 」という事あるからです。その場合に、私は言った! 」 「私は聞いていない! 」で、揉めるのは愚の骨頂です。だから私の場合は、
「何月何日に、あなたがこういう風に言ったのだが? ! 」と、相手のメールを見せて、相手に納得させる事も出来るし、自分が間違えてる場合には、速やかに非を認める事が出来るからです。
私が通常、肌身離さず持っているものは携帯なので(多分、かな? ?かな? ?…でもよく、携帯を忘れるよね! ) 携帯から自分のパソコンへ覚え書きとして(防備録でも良いかな? )メールで送ります。
メールを打つ時間がない場合には、音声メモとして携帯に残しておいたり、文章が10秒以内なら、携帯に添付をして自分のパソコンに送ります。(私の携帯で送れる音声のdataの量が10秒までなので、)
防備録や人への指示としてなら、10秒でも充分です。
近頃は滅多に池袋まで行く事はないので、携帯のメモ帳に買い物リストを作っておいて、ビックカメラならカメラのイラスト、デパートでの買い物ならばデパートのイラストを携帯メモの最初に貼り付けておいて、買い物する時にその場所での「買い忘れの落とし」がないようにします。
買い物が済んだ分は、その場でメモを消すようにしています。
情報が少なくなると、買い物の時の「買い忘れ」が少なくなるからです。
そういったちょっとしたコツコツ作業に慣れてしまうと、上記の「から迄」の下準備作業も、作業に入るまでに、ある程度の情報がちゃんと上がっているので、下準備作業の落としもなくなってきます。
当然、下準備の作業で買い物があった場合でも、それまでの時間のゆとりの中で買い物がちゃんと終わっていれば、作業の度に「何がない!かにがない!」で仕事の進行を邪魔されて、作業の進行が遅れる事はありません。
[本当にあったプリント用紙がなくなって仕事を2週間、3週間に渡って遅らせた悪例]
或る先生が、私達の教室の先生から自宅のプリンターで資料をコピーをするように頼まれた時に、2度や 3度どころでなく、 「コピーをしようと思ったら、自宅にプリンターの用紙がなかった! 」とか「プリンターのインクがなくて印刷できなかった」という言い訳をして、その都度、2週間ぐらい教室の仕事を遅らせてしまった事があります。(何で、その間、教室にも来ていたので、教室のコピー機でコピーしなかったのかという経緯は私には、よく分かりませんが・・兎に角、仕事が2週間以上プリントが遅れたのです。)
私がその先生に、 「私の場合は、仕事道具類は常にスペアを準備していて、スペアがなくなった段階で、暇を見つけて池袋まで買いに行ったり、ネットで注文したりするのだよ! 」とアドバイスをしたら、先生曰く「スペアを買うだけのお金がないから… ! 」と答えてきました。
どういうこっちゃ? ?
理解不能! !
勿論、「お金がなくて、これからは一切プリンターを全く使わない」…という事ならば、その理屈も成り立つのかもしれませんが、現に普段は家族全員で日常的に彼女のオールインワンのプリンターをコピー機替わりとして使用しているのだから、その理屈は成り立たないのですよ! !
要は、「スペアーを買いに行くのが面倒くさい!」と言っているのに過ぎないのだが、どっち道、買いに行かなければならないのならば、時間にゆとりのある時に、さっさと行った方が良いと思うのだがね。私の場合には、プリンターのインクや紙に関しては、スペアーを何個も沢山買っています。本当に忙しい時には、プリンター用紙が1日でなくなる事もあるからです。
(私のプリンターは、業務用ではないので、教室のように、同じページを100枚も刷るという事はありません。せいぜい同じページを刷ったとしても、先生用に、参考までに2枚か、3枚を刷るだけです。
それでも、一文章が50ページぐらいになる場合もあるので、A4、1冊を一日で使い切る事だってあるのですよ。
普通は、色々な物のスペアーは1個ずつしか置きません。そのスペアがなくなった段階で、買い足して起きます。決して、無くなってから買い足すという事は絶対にしません。
この話は論外だとしても、スペアの道具がないということで仕事が滞ると言う事は、あってはならないことだからです。
仕事を速やかに滞りなく進行させるには、それなりの環境を整えることもとても大切なことなのです。
[人を使うと言う事と人を育てると言う事]
人を使うという事は、 1つのプロジェクトの中で、一つ一つの作業の中から、どういった作業ならば人にその仕事を任せる事ができるのか?という的確な判断が必要になる。
ただ単に、人を使うということではなく、人を育てていくと言う事ならば、安全策をとって、初心者でも出来る簡単な作業だけを人にさせる、という事だけではなく、折に触れて、少々難しい作業だとしても、いろいろと教えていかなければならない。
そうしなければ、教室にとって非常に重要な作業で、間違いが許されない重要な作業を任せられるように育っていく事はないからだ。
いろいろな作業を、段階別に配列して、作業のレベルを、その都度、少しずつ、アップさせていく事、それが、人材を育成する大切な基本になるという事なのだよ。
そういった話をすると、分かり切った話をしているように思われるかもしれないが、実はこれが意外と難しいのだよね。
つまり「少々難しくても…」という「少々」の作業には、それを指導する先生のアシストが必要になるからです。別の言い方をすれば、本当にその先生が実際に手伝って欲しい時間であり、タイミングはその先生が、いちばん時間がない…指導するゆとりがないタイミングなのです。
というわけで、その作業工程のprojectが始まる前に、指導する先生のゆとりのある時間内で、そういったprojectに取り掛かる(起こす)前に、その工程の中の難しい作業の部分だけを抜き出して、その範例を作って指導しなければならない、という把握が必要なのです。
そうすれば、project自体の「タイムリミット」が近づいてきた、本当に忙しい時に、「その仕事のやり方を説明するために自分の時間を削らなければならない」と言う、二重、三重の手間が防げるのです。
また、忙しくなってしまった時に、その作業工程を「あぁ、やれ!こう、やれ!」と教えたとしても、その時には、指導される側は、「言われた通りにやった」に過ぎなくなって、同じ作業をまた、任せた時にも、また、同じ「あぁ、やれ!こう、やれ!」を繰り返さなければなりません。
本人は時短をしているつもりになっていても、結果的には、無駄の積み重ねにしかならないのですよ。
人は万能ではないから、事前にどこをどういうふうに教えたらよいのかということを、判断しろと言う風に言われても、困ってしまいます。
実は、そこで先程のメモの話に戻るのです。
つまり今までやった作業で、どこで行き詰まったか、何が出来なかったか、そういったことがあったときに、ちゃんとメモがなされていれば、そこで何を指導しなければならないのか、ということを判断することはさして難しい事ではありません。
もし、自分にそこまでの時間的ゆとりがなければ、その仕事を学んでいる本人に、ポイントをまとめさせて提出させれば良いだけなのです。
何も自分がすべてをかぶる必要は無いのです。
本人が自分で自分のウイークポイントをまとめる方が、先生がまとめるよりも数倍効率が良いからです。
メモを取ること、ひとつをとっても、急がば回れの諺のように、そのprojectで必要となる技術を、時間のゆとりを見つけて、別の簡単な作業で指導する事は、しいて言えば、その一つ一つが時短に継って行くのですよ。
人の上に立つという事は生易しい事ではないと、一般の人達は言いますが、 1つの仕事の構造式や、全体の仕事の把握と言う事が、出来るかどうかという事が、人の上に立てるかどうかの別れ道という事だな!??
それに尽きるのよ!
2013/04/20 (土) 15:35
[上記のお話の繰り返しになるのだが]
今ネックになっているpointは2つある。
人は、自分のウイークpointを、幾ら注意されても、その人にとってのネックは、やはりその人のネックであって、中々そのウイークpointが改善される事はない。
もし、その人がそのウイークpointを、本当に「治したい」と思うなら、或る時、或る瞬間には、意を決して、本当に意識して、治そうとしないと、何時まで経っても直らないものなのだよ。
人が自分のネックになっているpointを治すことが出来ないのは、その人にとっては、そこに問題意識を持たないからなのだな。
私がアドバイスをすると、殆どの人が、「そういう事はない!本当に反省している!」 とその都度言うのだが、実際には、改善される事はなく、仕事をする時には、やっぱり忙しいので「そこまでは手が回らない!」とか、同じ弁解をする。
私がアドバイスした時に、「そういう事はない!本当に努力している!」と言ったはずなのに・・・、である。
実際に仕事をする時には、やっぱり、その時、その事自体が、自分のネックになっている・・・とは思わないで、唯単純に「仕事が忙しいから!」と、元の木阿弥の自己弁護で済んでしまっているのだよ。
で、私がアドバイスをすると、・・・・・・と、堂々巡りになってしまっているのだよ。
先ず、第一のpointなのだが、私の場合には「仕事が派生した場合」、その仕事の手順や、優先度、資料等の下準備等の全体的なapproachも、一人で考えるよりも、先生達と雑談をしながら、その話を煮詰めて行くというstyleを取っている。
お茶や食事をしながら、その時に決まった事を、仕事の内容を確定させて行くのだが、一般の人の場合には、散歩の時に話しをした仕事の話や、コーヒーを飲みながら話した企画の話が、打ち合わせという意味ではなく、単なる雑談になってしまっていて、その時にも、メモも取らないし、極端な場合には、雑談として理解していて、仕事の話をした事自体を忘れてしまっていて、改めて、仕事を始めようとする時に、また全く新しく最初からその話を、もう一度、しなければならない事が多い。
仕事の仕方が違う分けなので、仕方がないのかもしれないのだが、私にとっては、2度、 3度と、全く同じ、仕事の打ち合わせをしなければならなくて、限りない時間の無駄(ロスタイム)のように思われてしまうのだ。
しかし、その事について注意をすると、「散歩しながらは、メモが出来ない」とか、「コーヒーを飲んでいる時は、休んでいるのだから、その時にメモ帳や資料を揃えるのは大変だ!」と反論してくる。
「休む時には、休む事に徹したい。」という事は、ある意味、正しいのかもしれないし、「コーヒー・ブレイクというリラクゼーションの時間に、仕事をしたくない。」という気持ちも分かるのだが、私にとっては、何時までも、ウダウダと仕事が保留になっている方が、ストレスになるから、始末に悪いのだよ。
私にとっては、同じオーダーを二度、三度受ける事は、絶対に許せない事なので、雑談の時に仕事が派生すると、それをドンドン済ませてしまう。
そうすると、後で、「それは確定した仕事ではなく、考慮中の仕事なのだから、勝手に進められたら困る!」と、文句が来てしまう。
「じゃあ、仕事として、改めて、オーダーがない限り、仕事はしない!」と、宣言したのだが、実際にオーダーが出た時には、もうタイムリミットで、ギリギリの出来上がりになるか、徹夜になってしまう。
私は仕事は、派生した時に、済ませる癖があるのだよ。
そうしないと、徹夜をするのは嫌だからね。
プロとしても、徹夜でする仕事にろくな出来上がりはないと思うよ。そんなのは、やっつけ仕事だよ。
仕事は一度で済ませるのが、良い仕事をするコツなのだよ。
一度という意味は、勿論、やっつけ仕事という意味ではない。仕事が派生した時に直ぐに仕事に掛かると、何度でも、試行錯誤が出来るからなのだよ。
同じ注意を2度、3度受ける人は、要するに、何かの紙切れやメモ帳、等に、ちょっとメモをするという簡単な作業が、日常化出来ていないのだよ。
それなら、やはり仕事の効率という事は理解出来ないし、自分の身の回りを時短にして行く事は出来ないだろう。
それなら、何時まで経っても、その人の仕事は楽にはならないだろうよ。
その人の仕事の進行を見るのには、その人の携帯やパソコンを見ると、その人の仕事状況がよく分かる。(mailの中身を見るのではないよ!mailの分類を見るのだよ。)
仕事が忙しい人は、携帯のやり取りも、パソコンでの情報のやり取りも、一般人とは違って、日に100通以上のmailに目を通さなければならない事が多い。
だけど、仕事の上手な人は、mailの返事がdirectで返って来る。兎に角、早い!
仕事が遅くて、よく落とす人は、私がmailで送った仕事のオーダーを読んでいなかったり、読んだとしても、結局、忘れてしまって、そのmailが何処にあるのか、何時のmailかさえ分からない状態になってしまっている、と言う事を繰り返している。
mailの大半は、読んで理解さえすれば良い、というメールが多い。私はその日一日のmailで必用のないmailや、仕事の終了したmailは基本的に、その日の内に削除する事にしている。(けしてその場で、ではない。)その日というのは、その日の眠る前のベッドの中であったり、次の日になったり、2,3日経ったりした時には、そのmailの日付けを確認して、今日でない事を確認した上で削除する。その日の仕事でも、不要だと思われたmailが、そのmailの内容はたいして重要でなかったとしても、ただ単に、そのmailの来た時間が必要だったり、と言ったような、思いもかけない理由で必要になる事があるからである。