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仕事のmailや、保存が必要か否かが分からないmailは、必ず削除しないで、保存のfolderに分類して保存する事にしている。削除は何時でも出来るのだが、一旦、削除したmailは二度と閲覧する事が出来ないからである。

携帯にしても、パソコンにしても、mailはよく出来ている。

Outlookでは、未開封のmailは、封筒が閉じたままだし、返信済みのmailは←で赤(紫?)、転送は→で青色の矢印である。
Mailは読んだら、返信をするのが礼儀である。
特にmailの場合には、相手が読んだのか、それ以上にmailが届いたのかすら分からないからである。特に、生徒の場合には、仕事としての自覚がないので、読んでも返信すら来ない場合がままある。
Outlookの場合には、返信を強制させる場合がある。私は余り使わないのだが、時々返信を求めるmailで送ってくる人もいる。自動的に着いたという事を相手側に送る機能もある。
Mailで「読んだよ!」というだけなら、返信mailに「RJ」と打つ事にしている。「了解!」と単語登録で変換される。丁寧に返信する場合には、「RJS」で「了解しました。」となる。
キーを打つ回数はいづれにしても、2個か3個に過ぎない。
これだけの、mailを返すのは、礼儀で常識と解釈している。
ただ、返信には、返信の文章が必要な物があって、その場で読んだけれど、返信を打つ時間がない場合も多い。
その場合には、先に返信用のmailを一度、開いて、閉じておくとよい。
そうすると、そのメールは下書きのfolderに入る。

但し、返事を書き終えていないのに、間違えて送ってしまうといった事のないように、addressを削除しておいて、少しずつ気が向いた時に、時間を見つけては書く。
一気に書かなくて良いので、楽だ。
また、仕事を発注して、返事を待っている状態のmailには、フラグを付けて置くと良い。保留中の仕事や、留保状態の仕事は、タイムリミットにならないと、気がつかない事がよくあるからだ。

その他のメールに関するアドバイスは、ホームページのパソコン教室に書いてあります。

人によっては、
「仕事のやり方を改善しないと」というと、「新しい仕事を増やされる」と思って、逆にパニックを起こす人もいる。

仕事の進め方の改善法を教えようとすると、改善するための手順を教える前に、「自分の仕事のrotationが!!!」と言って、パニックを起こしてしまう。

仕事はその仕事量が増えてきた段階で、仕事の手順を変えて行かなければならない。

人は仕事の量が少ない時には、「そんな手順を考えるよりもやった方が早い」と言ってやろうとしないし、仕事の量が増えてしまうと、「そんな事を考えていると、仕事が間に合わなくなってしまう。」とパニックになって、仕事の優先度を作らないままに、兎に角「今日中の仕事」に追われてしまう事になる。
その結果、本当に重要な仕事を、間に合わなくなってしまったり、落としてしまったり、挙句は仕事自体が雑になって、信頼を無くしてしまう。

一人で出来る仕事には、限りがある。人と連携を取れるようになる事が、本当に仕事が出来るようになる秘訣である。
音楽の指導や、演奏活動を続けて行く事でも同じ事は言えるのだよ。

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論文のネタ集

13年2月28日からの論文
2013/02/28 (木) 11:32
「感情を込めて演奏する」という事は、「その時の気分を込めて演奏する」という日本人音楽家達の勘違い!

このお話はホームページ「芦塚先生のお部屋」の中の論文に何度も繰り返し、触れられて、あちこちの論文にも同様のthemaで掲載されている。  
本当はこの話を蒸し返すのは、「「耳タコ」であろう。

しかし、オケ練習でも、或いは人へのアドバイスとして、その話と似たり寄ったりの内容の話を私が繰り返しするのは、それが意外と分り難い話であるからだろう。  

つい先日のオケ練習ででも、子供達に「偶然」の定義の話をした。
自然界では、「当てずっぽう」なものは、必然的に「法則性を持って行く」・・・という話である。

2面しかないコインの裏表は、コイン投げを際限なく繰り返して行くと、1/2に限りなく近づいて行くという法則である。

東京で蝶蝶が羽ばたくとブラジルで洪水が起こるという、あの数学の法則であるのだよ。・・・・・アハッ!

その為に、偶然の数字の並びを作るには乱数表が必要となる。

二次大戦の時に、ドイツのUボートとアメリカ軍の暗号解読のための乱数表を巡る息詰まる攻防を描いた映画は必見であろう。  

ドイツ留学から帰国したばかりの頃には、「チェロ入門教本」や「Beyer研究」、その他多数の研究を同時に作っていたのだが、その中で、絶対に絶対音感を身に付けさせる為のmethodeである「絶対音感訓練」の教則本を1年掛りで作っていた。

しかし、ある任意の和音から、次の和音への進行で、絶対的に法則性を持たない完璧なrandomな和音を選び出して、連結するために、和音の接続の定義を作ったのだが、それを実際の課題(和音)に直す作業が意外と大変で困っていたら、当時私のチェロの弟子であった日本女子大の講師の先生が、日本女子大の大型コンピューターを内緒でタダで回してくれる事になった。

本来ならば、大型コンピューターのレンタル料は、数分単位で百万円ぐらいかかるのだが、空き時間を使って、内緒で、タダで・・ということだった。

コンピューター・プログラマーの彼女に数式を渡して、待っていたら、大学から電話が掛かって来て、1時間近く回ったままで、数百万の金額になるそうな・・・慌てて、コンピューターが「難しい」と考える計算式を幾つか省いて、見たのだが、今度は、和音進行のルールに当て嵌まらない。

仕方がないので、一番近い回答である乱数表を出して貰って、その中で法則性のあるものを、人力で省いて行ったのだが、それじゃあ、何のためのコンピューターか分からん・・・という事で、コンピューターで、必然的な和声進行をしないrandomな和音の進行の一覧を作るのは諦めた。 

という事で、コンピューターがダメならば、その和声進行のルールを私の祖母が好きだったダイヤモンド・ゲームのようなゲームに作り替えて、幾つかのサイコロ(サイコロには、6っの数字のサイコロの他に、4面体から始まって、普通の6面、8面、12,14、16、20、24、30、100と数限りなくある。)を買い揃えて、当時の私の生徒達や弟子達とゲームをして遊んで、数式のdataを取って、和音の進行表を作った。
一月も掛からないで、完全なdataが取れたよ。


日本に数台しかない大型コンピューターを回すよりも、人間の頭でやるゲームの方が余っ程早く計算出来たね。

改めて人間の頭の能力には驚いたよ。


「音楽の表現力」

これとは、別の話になってしまうが、以前も、同じ話をしたのだが、音楽の表現は、子供の年齢ではなく、子供の技術力で決まる。 

一般の音楽教室では、かなり優秀な生徒であったとしても、所詮、コンクールや音楽大学を目指している子供さん達とは、物の考え方が違う。

小学5、6年生の年齢になって、私の所に来ても、1年や2年ぐらいで、コンクールで要求される音楽の水準まで技術levelを上げるのは、基本的には幾ら私でも、教育上、技術の指導上、無理な話である。

しかし、音楽のシロウトである親は、時としてその無理難題を言って来る!!
今迄の、amateurとしての、趣味としての音楽の勉強をさておいて、
「日本の全国の学生コンクールに出場させたい」とかの、希望である。

教室としては、親の希望は、無理難題でも聞いてやらぬ分けにはいかぬ!

という事で、親の「たっての希望」で、子供が私に代わって間もない、未だ音楽表現が全く出来ない時期に・・・楽譜をrhythm通りにしか演奏出来ない段階で・・・生徒をコンクールに無理矢理出す事になったのだが、私のその時の苦肉の策は、音楽技術の指導の中に、音楽の表現や演奏の表情も含めてlectureする事であった。

めでたくコンクールの全国大会で入賞を果たしたその生徒に、審査員からの評価は「技術は非常に優れているが、音楽に対する表現がオーバーなので、感情をセーブして演奏するように!」だった。

これは「受けた!」ね!!

全国大会の審査員でも、「作られた感情表現」と、感情的な「オーバーリアクション」の違いが分からんかね??
アハッ!

舞台芸術では、何時、何時でも同じ表現をしなければならない。
「気分が乗らないから・・」という事では、役者は務まらない。
世間のお客様は、役者が恋人に振られようが、喧嘩していようが、いやさ、親の死に目に会えなかろうが、・・・そんな事は知った事ではない。
その役が楽しい役処ならば、ピエロのように、涙を隠して、笑いを取らなければならないのだよ。
「それは、舞台の話じゃないですか??」 って??

「音楽も舞台芸術だ!」 って言う事は知っていた??

知らなかった??・・・・えっ?!
「音楽は職業だ!」という事を私に指摘されて、驚いて腰を抜かしていた某音楽大学の院生じゃあないのだからね!!



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2013/03/17 (日) 4:47
太極に立って物を見るという事

「太極」なんて言うと、庶民の日常生活には無関係の話のように感じられてしまう。
しかし、親が子供の将来を考える時に、フィーリングラブのように「今が良ければ良いのよ!」何て事を言っているから、子供が道を誤ってしまうのだよ。
引き籠もり、然り、ニート然りなのだよ。
音楽の場合には、子供の将来が、これ程分かりやすいものではないであろう。

子供がプロを目指していたとして、音楽大学を卒業した人や、コンクールに入賞した人、果ては留学から帰って来て、演奏会を何度もやった人・・・それなのに、自称プロではあっても、傍から見ると、プロとは呼べないのだよね。

そういった現実を見ているのに、またぞろ、同じ道を歩もうとする。
音楽の道に限らず、一般の進学でも同じなのだよね。
一流高校を出て、一流の大学に進学する・・・。
でも私達から見ると、ちっとも一流の大学ではないのだよ。
一般常識はないし・・・、自分で物を考える事も出来ない。
だから、会社に入っても、人と協調する事が出来ず、ニートになったり、引き籠もりになったり、果てはホームレスになったりする。

2013/03/24 (日) 3:18
FW: yikのお説教
yikは米しか食べない!
魚野菜はほとんど食べないし肉も食べようとはしない!

私がyikに「 一生懸命にご飯を食べなさい」と言う意味は、「ご飯をたくさん食べなさい。」という意味では無いのです。
「おにぎり1個でも、心を込めて一生懸命に味わって食べなさい。」という意味なのです。

演奏には、誠実な演奏と、不誠実な演奏があります。
でも、誠実な演奏をするには、Pianoを一生懸命に演奏するだけではダメなのです。
日常を誠実に生きようとしなければ、演奏が誠実になる事はないのですよ。

「何故??」って??
だって、日常に不誠実な人間が、誠実な演奏を出来る分けはないでしょう??
「日常に、不誠実でも、音楽に誠実ならいいんでしょう??」
自分自身に不誠実な人が、何かに誠実になれる事はないんだよ!!
アハッ!
 

2013/03/24 (日) 13:08
テストの為、受験の為、コンクールの為、有名になる為、お金を儲ける為、、、etc.

人生の全ては「為、為、為」で、困ってしまいます。


その為がなくなれば、本当の本物を手にする事が出来るのですがね!
「放下著(ほうげぢゃく)」ですよ。

proの演奏家は、repertoryを作らなければなりません。
**の演奏会のために、準備するのではなく・・です。

proはApro、Bpro、Cproと演奏出来る曲を増やしていかなければなりません。
その曲をendlessで磨き上げていくのです。

だから、演奏会が終わったら、その曲の練習も終わりでは、proとは呼べません。
そこには磨き上げがないからです。
それでは水準が作れないからなのですよ。 
水準、Niveauこそが全てですよ。

2013/03/25 (月) 14:23
プロを目指すのならば、情報を正確に残す事が大切です!
演奏会の情報は、何度となく反復して聞いて、トコトン反省して練習の課題をしっかりと作り上げなければならないからです。
半年後、一年後に、本当にその曲の演奏上の問題点を探し出す(見つけ出す)事が出来る・・という事もママあります。
それこそ、「温故知新」です。

2013/03/31 (日) 12:59
だらしなさすぎなのは、子供ではなく、寧ろ、親自身ですよ。

子供に、注意をしている時に・・・、或いはadviceをしている時に・・・、寧ろ、その要因が親の性格にあると言う時が多くて、困ってしまう。

その中でも、特に我々を悩ませるのは、子供の指導上の親のジェラシーである。
特に、親と子供が同じ音楽をやっている場合である。
子供の成長を、認めないのはまだしも、それ以上に成長を妨げようとする行動には辟易させられる。

しかし、それ以上に子供にとって、大きな精神的な被害を及ぼすのは、母親の男の子への依存症である。
何時までも子供を赤ちゃん扱いにして、過保護にして、子供の健全な成長を妨げてしまう事は、その子供の一生に精神的な負担を与えてしまう。

しかし、親は自分が子供を愛しているから・・としか、思っていない。
本当の事を言うとそれは愛とは言わない。
それは子供を愛しているのではなく、自分自身の分身を愛している、自己愛にしか過ぎないからである。
言い方を変えると、子供の人格を認めているのではない・・という事なのだからだ。
しかし、今の親の素晴らしいのは、それを自分で認めている事です。
「私の子供はペットのように、おもちゃのように可愛い!」
でも、中学生の男の子ですよ???



2013/04/07 (日) 9:16
Re:ラロのスペイン交響曲のsforzando   
楽譜にそう書いてあるから、そう弾くというのは、あまりにも幼い!
楽譜からどう弾かなければならないのかを読み取って行く事が大切であるのだ!

proのviolinistから、
「sforzandoをsforzandoで弾いて、何がおかしいの?」って、怒られてしまいました。
アハッ!
無数のsforzandoがあるのに、それを認めようとはしないのよね??
困った!困った!!
 

2013/04/29 (月) 13:56
発表会の反省会の議題に関して
何時も、思うことは、反省点が裏方の進行の話だけで、不思議な事にソロの演奏の反省は当然の事、室内楽やオケの演奏の反省もない・・・と言う事は、おもしろい!
何故??

2013/05/06 (月) 7:15
夢を夢として終わらせるか、夢を現実の話として、自分の手にするか?についての、もう一つの苦言なのだが、
「一つの物を選択するという事は、一つの物を失うという事である。」という事である。

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