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私が初めてドイツの地に足を踏み入れて、アルプスのふもとの小さな村に語学研修のために2ヶ月程暮らした。この小さな村の小さな教会の礼拝堂にも、立派な(小型のポジティーフ・オルガンではなく)本格的なパイプオルガンがあって、Pianoがなくて練習が出来ない私のためにパイプオルガンを、ミサが行われている時以外は、いつでも快く貸してくれた。その頃の日本ではパイプオルガンはNHKと武蔵野音楽大学と・・・という風に、「まだ日本で2,3台しかない・・」という時代であったのだが、さすがにオルガンの国であるドイツでは、どんな小さな村にでも、素晴らしい本格的なパイプオルガンがありました。

 




 

今の人達には、もう理解できない事かもしれませんが、昔の(昭和20年代頃までの)日本もお寺がそう言った民衆の心を支える役目を持っていたのです。

また、蛇足ですが、パイプオルガンを調律するのは、まるで大工さんの作業のように、かなづちを持って、1本、1本のパイプをトンカチ、トンカチと調性します。大変な作業で何日もかかってやるので、本当に容易な事ではなかったからです。現代のパイプオルガンともなると、6千本、7千本というパイプのtuningをしなければなりません。それこそ、調律が終わるまで、1ヶ月、2ヶ月という、天文学的な作業です。だから、村のブラスの管楽器を教会のパイプオルガンのpitchに合わせる方が、数倍も楽だったわけです。というわけで、「Baroque時代のpitchや、古典派の時代のpitchをどういう風に調べるのか?」という事は、その時代のCD等の録音がなくとも、当時の保存されている楽器を調べる事で、正確に分かります。

それで、改めて、ヨーロッパの各地の村々に残っている楽器や教会のpitchを調べて見ると、前述の「baroque時代や古典派の時代のpitchは低い。」という通説は裏切られる事が多く、その村のpitchの中にはかなり高いpitchもあって、その中には現代の標準のpitchよりも遥かに高い448サイクルの村もあったそうです。

もっと困った事には、一つの村のpitchであったとしても、時代によって高くなったり低くなったりを繰り返した、痕跡があることです。曰く、それ程、pitchは情緒的で不安定なのです。

ですから、baroque時代や、古典派の時代は現代よりもpitchが低いと一般的に言われているのは、俗説であると言う事は、すでに証明されています。
(とは言っても、今でも専門的な音楽大学ですら、そういう風に教えているのですがね!)

弦楽器はガット弦の強さの問題があってそう簡単にpitchを上げる事が出来ませんが、逆に大量のブレスを必要とする管楽器は低いpitchは音が出にくくなってしまい、当然音の張りもなくなってしまいます。
高いpitchの方が息継ぎも楽だし、音に張りがあって、神々しく華やかに響きます。
だから、管楽器が中心の村ではどうしても、pitchが高くなる傾向がありました。

管楽器が村民を中心に発達して言ったのに対して、弦楽器は楽器が高価なことも、習得が大変難しいという事もあって、宮廷の中で職業として発達していきました。
地方の豪族達の知性と豊かさのステータスとして、イタリアから音楽家を呼び寄せたりしたのです。

というわけで、極端な場合には一つの村に、宮廷のpitchと教会のpitch等々、複数のpitchが同時に存在する事もまれではありませんでした。

(閉鎖性の強い村では、同じ村に住んでいたとしても、職種が違っただけでも、交流が行われない事は、そんなに珍しいことではありませんでした。
マイスターというかギルド制がそう言った閉鎖性を増長していたからです。)

しかし、そういった事は、時代が進んで、色々な村々との交易が頻繁におこなわれるようになり、文化的な交流もよく行われるようになると、色々な村と合同で音楽会を企画し演奏する機会も増えてきて、楽器のpitchの不統一は、そういったイベントなどにはなはだ不都合になってしまいました。
(当時の楽器は現代の楽器のようにpitchを微調整するための機能もついていませんでしたからね。)

そこで、かなり古い時代から、基準の音を決める必要が出来て、何度も話し合いがもたれてきました。
それがだんだん国際的になっていって、19世紀からは世界のベースで、何度も基準音を決める会議がありました。
そして、最終的には1939年ロンドンの国際会議でAを440Hz決めて、それが世界の標準pitchという事になって今日に至っています。

話は前後しますが、ここでもう一つお尋ねの、「それからなぜ教育関係は440なんでしょう?443にしてしまえばいいのにと素人としては思うのですが、理由があるのでしょうか?」 というご質問にお答えしようかと思ったのですが、それは諸説紛々で、どれが正しい答えなのかはわかりません。

「教会で神父達がグレゴリオ聖歌を歌うときにちょうどよい中間音域の切の良いpitchである。」とか、先日は「お産の時に産声を上げる赤ちゃんの最初の泣き声がAのpitchである。」という事を、まことしやかに述べている人もいます。(私は男性なので、その事実は分かりかねますが・・・。)

私がその事について、あまり深く追求しないのはその国際標準pitch自体が、最初から音楽家達にとって守られる事はあまりなかったからなのです。

つまり、通常のコンサート・ホールやorchestraは演奏会高度(pitch)というのを使用していて、通常は442から444Hzが普通です。
私達の教室も普段から443Hzの演奏会用pitchを使用してlessonしています。
教室の発表会や対外出演などはコンサート・ホールでやることが多く、殆どの会場のピアノのpitchが443サイクルになっているので、子供達が混乱しないようにするために443サイクルのpitchを採用しているのです。

また、会場のpitchが演奏会用の高度である、442であったとしても、violinが443で演奏したとしても、殆どの人達は違和感を持ちません。
orchestra等でも、violinやfluteのsoliste達は、orchestraよりも、ほんの少し高めに調律します。 そういったpitchを上げてtuningをる事をsolopitchと呼びます。
orchestraの音の洪水の中で、soloの音が埋没しないようにするためです。orchestraとpitchを変えれば良いという意味ではありません。もし、solisteが自分の楽器をorchestraよりも低くtuningした場合には、幾ら低くtuningしても、orchestraの中に埋没して聞こえなくなってしまいます。
でも、うわずって聞こえる程、あからさまにpitchを上げてしまっては、元もこうもありません。
お客様に悟られないぐらいの微妙な違いが大切なのです。
これは音楽大学等で学ぶものではなく、経験と実績による慣れなのです。

日本では、国際標準pitchの440Hzを意固地に守っている所は学校でのみ(当然、学校と言っても、専門学校である音楽大学は除きますが)です。
ですから演奏会のホールと言っても良いであろう、教育会館のピアノは意固地ついでに基本的な440で調律されています。

ここでも、先程のmailの後半のご質問、「443にしてしまえばよいのに・・。」 というお尋ねの答えは、その443サイクルと言う数字自体が、単に慣習的なものであって、その根拠とするに足るだけの必然的な理由が特別にはないということなのです。

演奏会高度は指揮者や演奏家の好みで決められます。
そこに根拠はないのです。

ベルリン・フィルは演奏会高度がとても高いので有名です。

しかし、orchestraのpitchは原則として指揮者が指定します。
その権限は指揮者にあるのです。
ですから、同じベルリン・フィルであったとしても、当然、指揮者が変わればオーケストラのpitchも変わります。
指揮者が特にオーダーを出さないタイプの指揮者の時には、オーケストラのpitchを指定するのはコンサートマスターの役割です。
勿論、ソリストが自分のpitchをorchestraに要求する事もよくあります。
Orchestraの奏者はその都度色々な注文によるpitchを、好むと好まざるとにかかわらず、弾き分けなければならないのです。

 

また、日本で一般的に市販されている日本製のorchestra用の演奏会用の楽器は、その殆どが442サイクルです。

それに対して、大概のホールのピアノは443サイクルで調律されていることが多いようです。

しかし、不思議な事に録音スタジオのピアノのpitchは442の場合が多いようです。

それも単なる慣習的なもので、何か根拠があってそうなっているのではありません。

というように、「基準になるべきpitchを何サイクルにするのか?」という事は、好みの問題であり、原則としてpitchに関しての決まりはないのです。

 

次のご質問の「国際標準pitchでAの音を何故440に定めたのか?」というお話ですが、まず考えられる事は、Aの音を440という区切りのよい数字にしたのは、octave上の音が880とか、octave下の音が220とかで、数え易い数字である事、という便宜上の都合もあります。

「440サイクルの2octave下の音は?」といわれた時に、瞬間的に「110!」と答える事ができますが、

「443サイクルの2octave下の音は・・?」と聞かれても、「110.75!」って、瞬間的に答えられる人は少ないでしょうからね。それでも、Octaveならまだいざ知らず、5度上の音や3度上の音も計算で出す事も実際の現場ではよくある事なのですよ。

 

学校教育においては、演奏会pitchのような、441から446に至るような、そういった確実性のないpitchの中からいずれかのpitchを標準pitchとして定めるよりも、国際会議で国同士で決めた区切りの良い国際標準pitchの方が、何かと便利であるという事で、440サイクルのpitchを採用した、というところでしょうかね。

また、学校は本来アカデミズムの権化ですから、一旦定めた教義は何があっても死守しようとします。
そこが、学校の学校たる所以です。

 

そう言った日本の小学校の教育上の依怙地さ、頑迷さの、その顕著な例は、「世界中で日本しか使用されていない、ドイツ式リコーダー」のお話をすると、その体質がよく分かるのではないでしょうかね??

ドイツ式リコーダーはヒットラーの少年少女親衛隊であるヒットラー・ユーゲントのためにナチの委託によってドルメッチ氏により開発されました。
当然、音楽的な価値は全くなく、負の遺産としての歴史的な価値しかありません。

また、そのドイツ式のリコーダーについては、それを開発した張本人のドルメッチですら、後年、自分の誤りを自分の伝記で自ら公表しています。

当のドイツですら誰一人その存在すら知らないドイツ式リコーダーを、世界中でただ一国、戦後60有余年の歳月を経た今でも、いまだに日本の学校だけが使用し続けていのですからね。

不思議な話です。

現在は、中学校ではもうイギリス(baroque)式recorderを使用するところがだいぶ多くなったようですが、小学校でドイツ式の運指を習ってきた生徒達は、中学校に入学した途端に、baroque式の指使いを新しく覚えなおさなければ、ならないのですがね。

それなら、最初からイギリス式のリコーダーで勉強すれば良いと思いますよね。

まだ、日本が大変貧しくって、富国強兵として、国のお金の大半が軍隊に行ってしまって、教育にお金を使う事ができなかった時代には、子供達に本物の楽器のイミテーションである簡易楽器や、実際には現実の社会では全く使用される事のない摩訶不思議な教育用楽器と言うものがあって、幼稚園や小学校で、そう言った楽器を使用して音楽を教えてきました。

その結果は、子供達は「学校の音楽は貧弱でつまらないものだ」としか受け取ることが出来なくなってしまいました。
経済的にはもうすっかり豊かな時代になっていたはずの、お母様達の子供時代も、しかし、簡易楽器や摩訶不思議な教育用の楽器に悩まされてきたのではないでしょうか?

世界に冠たる経済大国になった今現在、日本では教育にお金をふんだんに使う事も出来ます。

私も(というか、教室としても)幾つかの小学校、中学校にorchestraを作るためのお手伝いをしてきました。

しかし、それなのに、やはり相変わらず、学校では子供達のrecorderはドイツ式なのです。どんなに間違えた教育であろうとも、それを変える事は出来ないのです。

学校とはそういう所なのです。それこそ学校がアカデミズムたる所以なのです。

 

こんな事を言うと、オーボエ奏者に怒られてしまいそうですが、orchestraの楽器の中で一番音合わせがしにくい楽器がオーボエであるといわれていて、そういう事で、orchestraは慣習的にオーボエが基準のAの音を取り、それに弦楽器や管楽器などのほかの楽器があわせていきます。

こんにちのオーボエ奏者が正確なpitchを合わせられない分けはありません。昔からの慣習的なものですから、本当はオーボエでAを取るのは、差ほど意味はありません。標準Aのpitchが一番自然に出せる楽器であるからか、pitchを取りやすい音なのだからか、古の時代からの意味はもうありません。

 

余談ですが:

私の弟子が、今年の某音楽大学の受験生のための冬期講習を受けた時に、ヴァイオリンの先生から「ヴァイオリンの音を合わせるのにAの音を耳で聞いて調弦するのは、幼稚園生までだよ!大人になったら、チューナーは音を出さずに(ヴァイオリンの音も聞かないで)、チューナーの目盛りを目で見て合わせるんだよ!」と言われて、呆れて帰ってきました。

勿論、tuningの話だけではなく、その後のlessonの内容も同じように五十歩百歩で・・・ですが、それには、ここでは触れないことにします。

あまりにもばかばかしいので、言わずもがな・・ですかね。

彼女の話を聞いて、教室の先生達には信じられない話ばかりで、「うっそ〜!お義理でも音大の先生でしょう??」 と、カルチャーショックだったようです!!!ハッ、ハッ、ハッ!

 

余談の余談ですが:

某国立orchestraのコントラバス奏者の先生が、某名門学生オーケストラを指導に来ている時の話です。

そのコントラバスの先生が学生達に「長年のオケの経験でわかったことは、オーケストラでは音でチューニングすると喧嘩になるのでチューナーの目盛りで合わせたほうがよい。」と言う話をされていたそうです。

音楽大学の先生なら兎も角も、卑しくもプロオケの奏者の話としては、ちょっと笑えない話ですね。

 

余談の解説です:

どうして、こんな馬鹿げたお話がまかり通るのでしょうか?

つまり、プロのオケマンであっても、完全5度を正確に合わせると言う事が出来ないと言う悲しい現実があるからです。

では、どうして、プロともあろう人達が完全にpureな5度を作れないのでしょうか?

はっきり言って「pureな完全5度を作るのは難しいからなのですよ。」 ・・・アッ、ハッ!それを言っちゃ、元も子もないか??

私達の教室の生徒達が、プロにとっても難しいpureな完全5度を、なんなく作れるという事は、これは芦塚メトードの独特な指導法にその理由があります。

それは芦塚メトードにおける「間違いの練習法」というメトードによるのです。

「間違いの練習法」というのはtuningのメトードではありません。

「間違いの練習法」という大項目であり、その大項目の中には無数の中項目があり、更に小項目もあります。

例えば、子供がどうしてもある箇所をmisstouchをしてしまって、幾ら練習しても直らないとします。

私のメトードでは、その間違う音を意識的に間違えて練習させます。

Lisztのラ・カンパネラでは2octaveの速い跳躍があります。
誰もがFisの音を弾かなければならないのに、間違えてF?の音を弾いたり、Eの音を弾いたりしてしまいます。ですから、逆に2octave飛んでいる時に、先生が「F?!」とか「G!」とか叫んで、生徒はわざと間違えて先生の指定した音を弾きます。
それによって跳躍のintervalの感覚を身につけるのです。
 こういった方法論で練習をすると、生徒達は殆どmisstouchをしなくなります。
安定性が出来てきます。

今の「間違いの練習」の例は生徒を指導する場合の例でしたが、先生の場合にも、そう言った練習が必要になるケースがよくあります。その中の一例をあげると、私達の教室の先生は、当然、生徒の曲を模範演奏出来るまで、弾けるようにしなければなりません。ここまでは、どこの音楽教室でも同じでしょう。しかし、模範演奏が出来るだけでは、私達の教室の先生としては充分ではありません。

先生に与えられた、もう一つのしかも「最も重要な課題」は生徒の「間違い」をちゃんと真似して弾けるという事が出来なければならないという事です。

それも、「同じように真似をする」・・・・だけではなく、デフォルメしてオーバーに真似る事が出来なければなりません。先生が幾ら生徒の真似を上手にしても、生徒の方は自分が正しいと思い込んで弾いていたとすると、先生が子供の真似をして演奏しても、子供に分かってもらえない・・というケースがよくありえるからなのです。ですから、子供にも分かりやすいように、もっとオーバーに表現することが必要な場合がよくあるのです。

こういったことが出来るようになる事は、先生の技術の向上にとっても、とても良い勉強になります。

 

ちょっと長い、お話でしたが、今、お話をしてきた事と同じように、Pureな正しい5度を生徒達に指導する秘訣は、間違えた正しくない5度の響きを教えればよいだけなのです。

しかし、不思議な事に、そう言う指導が日本人の指導者には出来ないのだな?
・・・・・つまり、「間違える事を子供に指導する事は、教育ではやるべきことではない。」と思っている。(勿論、間違えて指導するのは、教育ではないのだが・・!!)

だから、痛みを知らない無慈悲な子供が育ってしまうのだよ!

 

音を合わせると言うのは二つの振動が完全に同調(同期)する事を言います。

二つの近いサイクルの音はほんの少しでもサイクルがあっていないと、余分な微細な振動を出します。
この余分な振動を全くなくすのが、pureな完全5度の響きを指導すると言うことです。

ピアノやCembaloの調律は弦楽器のチューニングと違って、平均律のチューニングをします。
ですから、弦楽器のようなpureな完全5度ではないので、最もっと高度で難しい知識と技術を要します。
ピアノやCembaloのチューニングに必要な事は5度をどの範囲までに狂わせるかと言う技術です。

そのもっとも一般的なピアノやチェンバロの平均律のチューニングには5度で音を合わせていく(狂わせて行く)、5度調律と3度で合わせていく(狂わせて行く)3度調律というものがあります。

5度や3度を狂わせていく、と言っても、あてずっぽうに狂わせるとそれこそ大変な事になります。

どの和音もめちゃめちゃの響きがするようになってしまうのです。ですから、それぞれの音を正確に狂わせなければなりません。
また平均律は半音の音程の幅が全てが同じであるように思っている人が多いようですが、実はそれぞれの半音の幅は同じ幅ではないのです。
ドとレ♭なら何セクト、レとミ♭なら・・と言う風に正確に決まっているのです。

というわけで、よく調律師が3度の和音を鳴らしながら、腕時計を耳に当てて調律しているという光景を見にしたことが・・・・・・、今時、あるわけないよね!!

今は電子チューナーのメモリ(針)だもんね!

ハッ、ハッ、ハッ!(笑)

 

 

私もCembaloを調律する関係上、5度調律、3度調律の両方で調律が出来るようには・・・、しています。
ですから仮にチューナーがなかったとしても5度調律か、腕時計で(私は時計は持ち歩かないのですが・・) 3度調律かで調律をする事は出来ます。
腕時計の秒針の音と3度の和音が引き起こす「うなり」の音をシンクロさせることで、微妙な音を正確に狂わせる事が出来るのです。

ですから、私にとってはpureな完全5度を作ると言う事は、いとも簡単な事です。

私がこれまでpureな完全5度ということばを使用してきた事を不思議に思われた方もいらっしゃるかもしれませんね。
「Pureな5度とは、完全5度のことではないか?」と思われたかもしれません。

その言葉の理由を次に説明します。

5度を完全5度に合わせる。しかし、生徒達に指導する場合には、困った事に、この完全5度の振動の幅が意外と広いのです。

その前に、少し長くなりますが、Aのpitchの事を説明しておきます。Pureな完全5度のお話の前に基礎知識として必要だからです。

 

教室の子供達は、正確に440、441、442,443、の違いを言い当てる事ができます。これは別に絶対音感がまだ育っていない生徒でも、Aの音だけは言い当てる事ができるのです。

しかし、弦楽器を正しくチューニングする場合には、その100分の1のサイクルまで聞き分けなければなりません。

極普通の一般の人には440.00サイクルと、440.03サイクルの違いを聞き分ける事は出来ないでしょう。

何故出来ないのか?

答えは簡単です。

テキスト ボックス: 参考:メトロノーム式のチューナー一般に市販されているメトロノーム式のチューナー(メトロノームとチューナーが一緒になっている機械)は非常に高性能なメトロノームでも、チューナーとしては440〜445サイクルまでの1サイクルずつの刻みです。
例外的にbaroquepitchの音を出すものもあり、438(435)とスライド鍵盤用の415サイクルが設定されています。
しかし、小数点以下のpitchの微調整を持っているチューナーは、特別なチューナーで通常、一般の店舗では販売されてはいません。

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