先ず、この@の弾き方であるが、 日本人の場合には、auftaktの16分音符が雑で、乱暴で、しかも、次の付点四分音符を乱暴にaccent気味に演奏しているpianistが多いのには辟易させられる。
自分達が子供の時に、嫌々ながら習って来たtraumaとでもいうのであろうか??
auftaktから次の音へ移動する時には、曲が遅い曲の場合には、基本的にはauftaktの音価をほんの少し溜め気味にして、恰もglissandoが入るような感じ(所謂、legatissimo)で演奏するのが普通である。
譜例:Chopin nocturne Op.9Nr.2 Es auftakt 溜めの例
譜例:Liszt nocturne Nr.3 愛の夢(Liebestraume)等 auftakt 溜の例
譜例:Clementiの実際の溜の例
このAからDの音へは、Aの音を充分にsostenutoして溜めるのだが、そこは勿論、古典派の音楽なので、上記のロマン派の音楽のように溜めてしまっては、逆にみっともない。=溜め過ぎてはいけない。
溜めているのが、分かるか分からないかの古典派独特の微妙な塩梅で演奏しなければならない。
もう一つ注意しなければならない事は、auftaktは次の音符に対して、強拍になるという事である。
つまりAのturnの音が次のDの音に対して、弱く演奏するのは間違いである。通常の演奏の場合には、auftaktもあっさりとtempo通りに弾いて、しかも、auftaktの後の拍頭の音を強めに演奏してしまう。
全てが逆の演奏になってしまう。
これも、violinのauftaktの弾き方、声(cant)のauftaktの表現を知ればうなづける演奏法であり、「歌う」という表現法から来るnuanceなのだ。
「歌う」という言葉を表す単語:cantabile(カンタービレ) cant(カント) cantando(カンタンド) cantante(カンタンテ)
chante(仏シャンテ) [chantez(仏 シャンテ)
しかし、auftaktをsostenutoする・・という事が、定型のように考えている人達もいるのだが、それは間違いである。
auftaktがsostenuto気味に演奏される、・・という事はtheoryではない。
Bachの allemandeやcouranteのauftaktのように、正確に・・、寧ろ、逆に鋭目(するどめ)に弾かなければならない曲もあるからである。
譜例:Bach無伴奏cellosuite G allemande
indexのPageでも、ご紹介しましたように、今井顕校訂の原典版のsonatine albumのarticulationが、一番Clementiの時代考証的に正しい。
という事で、最初の1段を掲載しておきます。
譜例:原典版
一番、標準版と違っていると思えるのは、何と言っても、auftaktの16分音符にslurが掛かっていないことです。
bow-slurとしても、1小節目や2小節目にはslurがあるので、16分音符にslurが掛かっていないのは、意図的ですよね。しかも、指定はdolceになっています。
forte-pianoの独特の奏法には、所謂、Mozart奏法というBeethovenが「ブツブツしている」と悪評をした奏法があります。
MozartやClementi等の古典派の作曲家はfigurationで、主に作曲をします。Mozartのscaleも、このfigurationの一つのpatternなのです。速い速度で演奏されるfigurationを、その粒粒を際立たせるための奏法がleggiero奏法であり、Czerny奏法ともMozart奏法とも呼ばれるのです。
CzernyのEtudeやMozartのsonateの16分音符を、staccatoで弾く事は容易ではありません。
特に、現代のdouble actionのPianoでは、しっかりした音を出すために、鍵盤の底まで弾き切る力強いtouchが要求されます。
そういった現代のPianoのtouchに慣れた人達がforte-pianoのleggierotouchをする事は、殆ど不可能なのです。
だから、現代のpianistがforte-pianoを演奏すると、音が割れて汚い音がするのです。
それにforte-pianoの鍵盤のtouchの深さは非常に浅いのです。ですから、Pianoの鍵盤に触れただけで音が出てしまいます。つまり、全く力が要らないのです。
ですから、古典派のforte-pianoの曲は、腕や指を弛緩させたままで、非常に楽に弾けるのです。
ClementiやMozartの16分音符がslurが掛かっていないのは、speedの速い音を際立たせて演奏するためには、leggieroのtouchが最適なのです。ですから、CzernyやClementiのEtudeは基本leggieroの習得を目指したEtudeになっています。
leggierotouchのコツは、腕、手首、指の力を完全に抜き(弛緩させて)、指先のスピードだけで音を出します。
音の強さはベクトルで表されます。
つまり、速度×重量の値が、歪みの音(騒音)とかすれたノイズの音の間の音、所謂、楽音でなければなりません。日本人のtouchは、腕の重さを掛けて、ゆっくりと押さえ込むようなtouchが基本です。
そう言ったtouchを私は音殺しの音と呼んでいます。
melodieをleggierotouchで際立たせて、伴奏のBassfuhrung(ベースの音)を、重量のある重たい音で演奏します。和音は、腕を抑え気味に(touchを鍵盤から完全にはreleaseしないで)背景音(音殺し、音を霞ませる背景音)を作ります。それで、melodieとBas、それに背景音の立体性を出させて演奏させます。
これはロマン派の曲の場合のお話ですがね。
古典派のleggieroのtouchは、forte-pianoではとても楽だし、そのtouchでなければforte-pianoの軽やかな、明るい優雅な音の演出は出来ないのです。
このClementiの曲や、Mozartの曲が16分音符が、slurが書いていないのは、そのためなのです。