投石機自体の命中率の精度も、城壁を狙って、壁を壊すのが目的なのですから、かなり大雑把な程度で良いのです。
という事で、double actionの原理は、本当は昔々の技術の精度を上げたに過ぎないのです。
音楽の歴史は、音量の歴史でもあります。
少しでも、より多くの人達に、自分のメッセージを届ける事・・・、その為に音量という事が、常に優先されて来て、音の繊細さは失われていく、という必然的な法則がここでも繰り返されて来ます。
Chopinは、コンサート会場での演奏よりも、寧ろ、サロン・コンサートのような限定的な会場で演奏する事を好みました。
Chopinが愛用するプレイエルピアノが、大ホールに向かなかったせいでもあります。
Chopinは生涯、プレイエルのsingle actionの繊細で美しいtouchにこだわったからです。
しかし、私達にとっては、single actionのPianoで演奏をするという事は、Pianoを習い始める最初の時に、single actionで勉強を始めないと、forte-pianoの本当の音を演奏出来るようになるのは、難しいのかもしれませんよね。
ただ弱くtouchすればよい・・・という風に勘違いしている人達も多くいますが、それはCzernyのleggiero奏法の意味を理解していないという事にもなります。
音の強弱は、必ずしも、力で出すものではありません。
現代のピアニストはそこのところを理解していないのですよ。
力を完全に抜き切った手の脱力状態、完全に弛緩した状態からPianoのtouchは始まるのですがね。
それで始めて、forte-pianoですら、MozartやBeethovenの大オーケストラのconcertoが演奏出来るのですよ。
現代のコンサート・グランドで一生懸命力強く演奏しないと、concertoは出来ないと思い込んでいる。
それじゃあ、Pianoの演奏は分からんわね。
Mozartでも、Beethovenでも、forte-pianoで大オーケストラをバックに演奏会をしたのだよ。
それは音量の問題ではなくって、touchの問題なのだがね。
そこの所が、皆、分からない。
touchについてのお話は「touchについて」を参照して下さい。
というか、Pianoの先生達を対象にして書いているので、ちょっと専門的になってしまうので、面白くないかな??
私達が通常forte-pianoと呼ぶときには、Cembaloから移行したばかりの、初期のsingle actionのピアノを指して呼ぶことが殆どです。
しかし、ピアノが初めて作られた当時には、その呼び方もさまざまでありました。
参考までにいろいろな呼び方を載せておきます。
①ピアノフォルテ( Pianoforte)単純に逆にさかさまに呼ばれたもの
②ピアノ(Piano)同様にforteが省略されたもの
③ハンマーフリューゲル HammerFlugel
ハンマーはドイツ語でもハンマー(トンカチ・所謂かなづち)で、弦を叩くアクションの事を言います。そのものずばりハンマーで弦を叩いていたからです。フリューゲルは「鳥の翼」を意味します。胴体が(真上から見ると)鳥の翼のような形をしているところから付けられた名前です。所謂今日のグランド型のピアノです。
モーツァルト時代のピアノ (Ferdinand Hofmann, Vienna c1790)
④ハンマークラヴィーア Hammerklavier
ハンマーはそのままですが、KlavierのKlaviというのは、以前私のホームページのCembaloのところでも説明したように、鍵盤という意味でハンマーを持つ鍵盤となります。
Beethovenのソナタで有名ですよね。
ホームページの他のサイトでも、同じお話をしていますが、Beethovenが出て来たついでに、Beethovenは力強い音楽で知られているので、ついついBeethoven所有のPianoもdouble
actionの現代のPianoで演奏したように、勘違いをされる事が多いようです。
Beethovenがdouble actionのPianoに対して、どのような印象を持っていたのかは、上記のBeethovenの言葉に表されています。
ピアノの歴史
ピアノを発明したのは、クリストフォリ(1655-1732)が「1700年頃」に作ったという事になっています。
「・・・なっています.」というのは、当然、別の解釈があるからで、それは「弦を叩いて,音を出す鍵盤楽器」という広い意味においては、既に1440年頃、アンリ・アルノーが、チェンバロンに撥を取り付けて、弦を撥で叩いて音を出す楽器を発明しています。
これは図面だけが残っている事のようで、本当に楽器として、復元された事があるのか否かは、定かではありません。
当たり前の事ですが、ピアノが初めて作られた当初は、ピアノは「新種のチェンバロ」として受け止められていました。
私が調べた限りでも、1700年頃には、複数のチェンバロの工房で、新種のピアノへのアプローチがされていたようで、またそれぞれが発展して行ったり、統合されていったりしました。ですから、はっきりとPianoforteの発明家は誰かと言う事は、なかなか難しいことのようです。forte-pianoの開発は音域にも現れています。一番初期のモデルでは、音域は4octaveにすぎませんでした。
Mozart(1756~1791)の時代になると、その音域は5octaveになり、Mozartは5octaveのforte-pianoのために曲を作りました。
Beethoven(1770~1827)の最後のピアノ作品では、およそ6octaveで作曲をしました。