弦楽器には、箱の中にラベルというものが貼ってあって、それで、その楽器を作った人が誰であるか・・という事が分かる。・・・と言われている。
自分の楽器のラベルの写真を撮るのが面倒くさいので、ネットで探したら、名古屋鈴木の分数のviolinのラベルを覗いている写真があって、これが一番分かり安かったので、コピペしておくとします。
オリンピックのように、パクリ問題が起こったら、その時に、真面目に写真を撮って、差し替えますので、それまでは、間に合わせで悪しからず。
Stradivariの銘器であってもラベルが古いだけで、同じなので、説明にはこれで充分だと思います。
つまり、実際には、何百年の間にviolinのふたは何度も開けられて、そのラベルも何度も張り替えられるのですよ!
それは、新作であるから、そういう事はない・・・と、思うのは、素人の・・・で、新作であろうと、オールドの銘器であろうと、価値のある楽器に関してはそこは変わらないのですよ!
買い手の人が、何の楽器(オールド・フランスの誰某とか・・)が好みならその人のラベルを貼って、ご希望の楽器が手に入りましたよ!と、売れば、高く売れるしね。
だから、私はラベルも鑑定書も全く信用はしていない。
この楽器は、正真正銘の本物なので、鑑定書を付けますか?と言われても断ってしまう。だって、一割も高くなるのだからね。
私が、掘り出し物として、よく買う楽器は、正真正銘のの偽物というお墨付きの入った楽器です。
ラベルは某だけど、そりゃ、ありえへんわいな!・・という話をよくする。
楽器屋さんも私がラベルを信用していない事は、よく知っているので、本当の事を教えてくれる。
つまり、本物である確立は何%である・・という風に、である。
私にとっては、楽器は道具であって、価値のある骨董品ではないのです。
美しい音が出て、音量があったとしたら、それが偽物であっても、見かけが、少々悪くても、一切お構いなしです。
私にとっては、音色と音量が全てであって、brandに対して価値を感じている訳ではないからです。
楽器には、本物と、偽物の区別がつかない楽器がよくある。
@本当の本物のStradivariとは、Stradivari本人が一人で作ったものを言う。
Stradivariの楽器が2000本あったとしても、正真正銘の本物のStradivariは20本はないと言われている。
A次は、絵画の場合にも、よくある事なのだが、Stradivariが手を入れたとしても、お弟子さんが手伝っている作品で、その手伝いの量で、その楽器の価値が変わる。
90%Stradivariで、10%がお弟子さんなら、その楽器はStradivariとして通用する。
しかし、その逆で90%がお弟子さんで、10%がStradivariなら、・・・・・実は、それでも本物として通用するのだよ。
こんにちでは、多くのStradivariの楽器も、Stradivariの師匠であるAmatiの作品も、寿命が来てしまい、楽器の役にたたなくなってしまいました。
という事で、その寿命を迎えた楽器の一部を使って、楽器を復刻する・・という事もあります。
そういった楽器の一つで、私が見ても、余りにも美しいので、買おうかな??という衝動が起こった程の楽器があります。
表板がStradivariで、裏板がAmati、横の板もGuadagniniかもしれない・・という、violinで、それでも、今の価格に換算すると1000万は行ったと思いますが、目の保養にはなっても、演奏には・・ということで、購入はしませんでした。
でも、美しかったな〜あ??
あそこまで、美しくなると、本当に人智の及ぶ所ではない・・という気がしてしまいます。
(つまり、神様が降臨して、手を差し伸べて、楽器を作るのを手伝った・・という意味です。)
B当時は、有名な名工とされる人達には、その人の工房があり、お弟子さんの育成と、楽器の量産の両方を兼ねていました。
Stradivariの工房には、常時6000人のお弟子さんがいたとされますが、真偽の程は分かりません。
という事で、Stradivariには、Stradivarischuleという、Stradivariに教えを受けて弟子達が作った楽器がたくさんあります。
今日、世界の人を悩ましている、正真正銘のStradivariの楽器の大半が、所謂、Stradivarischuleであるという事は、周知の事実であります。
また、Stradivarischuleの出身者の中には、結構、超有名になったviolinの名工がたくさんいて、Stradivarischuleとしての名前ではなく、個人の名前として、知られています。
その幾人かを、ご紹介します。
CはStradivarimodelという作品ですが、これは殆どのviolinがStradivarimodelなので、論外です。
D掘り出し物には、本当の本物の楽器であっても、寿命が来ていて、もう下取りに出せない楽器もある。それを承知で買うとそれは結構安い。でも買い替えは出来ないので、将来、もっと良い楽器を欲しくなる可能性がある場合にはお勧めは出来ない。しかし、その楽器を生涯の最終楽器にする場合には有効である。
どうせ、趣味でやっているので、これ以上の金額は出せない・・・とかいう場合である。
保留
巷の音楽教室の先生の場合には、近所の楽器店と付き合いがある場合が多い。
ここで、敢えて、「付き合い」という言い方をしたのは、巷の音楽教室の先生が特定の楽器店と専属契約を結ぶ場合は、ヤマハの専属契約のような例外を除いては、仮に、ヤマハの音楽教室であったとしても、利便上に過ぎないからで、paper上で契約をしている訳ではないからである。
特に、地方の楽器店の場合には、その音楽教室に注文を取りに行く事によって、先生の楽器購入や調律等のメンテ、或いは、生徒達の楽譜や楽器の購入等の紹介をして貰えるという利点が色々とある。その代わりに、発表会等のprogram作成や、発表会当日のクーリーや楽器運搬等の車出しのお手伝いや、楽譜等を割引して販売するという配慮をする。
という事で、勿論、生徒が楽器を買う時には、その先生はその楽器店を推奨する。
しかし、その先生が楽器を選びに行く、という事はない。
多くの場合には、生徒が先生のadviceに従って、そのランク(金額)の楽器を選んで、注文するのが普通である。
自分で気にいった楽器を選びたい場合にも、大きな楽器店(そのメーカーの本店のような所)に、行って、そこに置いてある数台の中から選ぶだけである。
私も、昔々、若かりし頃に、音楽大学に入学した生徒に頼まれて、仕方なしに、浜松迄、楽器を選定に行った事がある。
大学の先生の場合には、うな重が出ると聞いたのだが、一見さんだったので、寿司弁しか出なかったので、頭に来た!!(これは、冗談!!)
そこで、5台、10台の中から、一応bestchoiceを選んだのだが、その程度の違いなら、優れた調律師は幾らでも調整出来たはずなので、浜松迄行く必要があったのかな??・・・・と、未だに思っている。
Pianoの場合、(中古の楽器で、掘り出し物を探す場合以外には)、そのランクは、楽器の金額で決まるからである。
しかし、これが、私達、専門家にとっては、Pianoの「楽器選び」というものを、馬鹿馬鹿しいものにしてしまっているからなのだ。
このお話を一般論として話すのは難しい。
Pianoの場合と、弦楽器の場合、ましてや管楽器の場合には、その位置付けが大きく異なるからである。
楽器屋にとっては、売りにくい楽器を、売るのは営業マンの腕である。
私達のように、生徒の指導のために楽器を買わせる場合には、その生徒の技術の伸びが、楽器の善し悪しに直接関係してくるから、売りにくいような楽器は、努めて買わせないようにするのだが、ここは、餅は餅屋で、あの手、この手と、口八丁手八丁で、父兄や生徒を説伏に掛かるので、叶わない。
結構、騙されて、どうしようもない楽器を買って来たり、持っている楽器の価値を落としてしまったりする事も良くあるのだ。
楽器は、責任のあるしっかりとしたお店で買ったり、メンテナンスや修理をしなければならない。
そこを口八丁で、言葉だけは上手い、良識のない、不実なお店でメンテをしたりすると、その楽器を元の販売店に持って行っても、ちゃんと下取りをしてくれなくなる。
ましてや、口八丁の楽器店が下取ってくれるわけではないしね。
別にこの話は、楽器に限った話ではなく、一般論なのにね。
それでも、惑わされる人達がいるのだよ。
それが情けない事に、一般人ではなく、専門家であるべき、音楽家であったとしても、惑わされてしまうのだよ。
そういった人達の口車は、本当に上手い。
教室の生徒達が上手くなって来て、音楽の方へ進む事を考えるような頃になると、あちらこちらから、引っこ抜きが掛かって来る。
有名音大の教授や、まして某国立音大の教授でさえ、教室の生徒に引っこ抜きを掛けてくるのだから、見ていても浅ましい。
以前、困った事は、そういった一人に、教室の父兄がいた事だ。
「音楽の方に進ませたければ、音楽教室にいては、ダメよ!私は芸大の先生も知っているし、N饗の団員も知っているから、いつでも紹介してあげるわよ!」
そんなら、お前の子供を、その先生につけろよ!と言いたくなるのだが、
「私の子供は、趣味だから、ここの教室で良いけれどね・・??」と来る。困ったもんだ。
あんたは良くても、俺が良くないって!!
こういった話は、言っている本人は、元から「好意で言っている」と、思い込んでいるので、全く、本人に罪悪感がないので、本当に、始末が悪い。
「父よ、お許し給え!彼らは、自分の行いの何たるかを分かっていないのです。」(十字架上の七つの言葉)
今でも、教室に対して、迷惑を掛けた・・とは、全く思っていないのだから。
上にも書いているように、Pianoの場合には、量産品であり、日本の楽器の品質(機能的な)の落差は殆どのメーカーでもそう大きな差はない。
touchの好みや、音の違いがメーカーによって、少し顕著にあるだけである。
同じ金額だとしても、トヨタやマツダに行って、気にいった車を探すために、同じメーカーの同じ車種の車を、何台も乗りこなして、一台を選ぶ人はいるのかな?・・という事だよ。
それと、メーカーに行って、試乗用の車に乗って、運転の心地を試したとして、その試乗用の車を買って帰る人はいるだろうかね??
試乗用の車だから、色々とガタが来ているから・・といって、新車が来るのを待つのが普通なのだよね。
一般的には、ヤマハに行って、Pianoを試奏して、気に入ったPianoがあった場合には、そのPianoの新しいのを注文するのではないのかな??
弦楽器の場合には、一台、一台が手作りなので、それは全くないのだよ。
勿論、安い鈴木のviolinの場合には、メーカー品なので、車選びやPiano選びと同じようなものだけどね。
そこいらは、物に対する価値観が全く違うのだよな。
さて、Pianoを試奏して、Pianoの種類が決まったら、手作りでない限り、音の好みやtouchの好みは調律師の仕事になる。(この話は、Pianoに限っての話です。)
色々なPianoを弾き捲って、一台の気に入ったPianoを選び抜いたとしても、下手な調律師にそのPianoを弄らせると、そのPianoは見る影もないものに、変貌してしまう。
つまり、Pianoに関しては、Pianoを選定する必要はないのだよ。
ましてや、基本的には、Pianoの値段は、そのPianoの大きさで決まっている。
だから、入れる部屋の大きさや間口、エレベータの有無で、自動的に決まってしまう。