前ページ


私のmethodeでは、弦楽器の音出しには、3っつのパーツに分けて、捉えている。
音が出るまでの瞬間、所謂、音の立ち上がりの部分と、音の持続の部分、それから音が消えていく部分の奏法である。

生徒はそれらの奏法を個別に学ぶ。
日本のorchestraでは、@の三和音は、三弦を同時に弾く事が多い。
三弦を同時に奏くには、結構弓の圧力が必要になるので、当然、頭の和音の音には、何処にも書かれていないsforzandoが入るか、fortissimoで力強く演奏される。
それが一般的な導入である。

modernのorchestraで、modernbowで、現代的に演奏するのなら、そういった弾き方も可能なのかもしれないが、もし、まかり間違ってbaroquebowの短い弓でそのように演奏したら、弓が折れてしまうか、弦が切れてしまう。
baroqueや古典派のガット弦は、とても切れやすいし、そんなに力強く弓にpressureを与えたら、弓が折れてしまうかもしれない。弓が折れるか、弦が切れるかの二択になってしまう。

三弦同時の奏法は、あくまでも、現代の弓と現代の弦だから出来る技なので、古典派の正しい奏法とは言えないのだよ。
つまり、Haydnの時代にはそういった演奏は無かったのだよ。

拍頭に下の2弦を合わせて、それからゆっくりと上の二弦を弾く、・・・そして3和音の響きを引き出さなければならない。

もっとも、近頃のbaroqueviolinの奏者は、baroquebowを使用しながら、三弦同時は当たり前で、flying・staccatoや、vibratoの多用等を平気でやっている人を結構見受ける。
baroqueviolinを使用しながら、その楽器の特性や意味を理解しないで、物真似でbaroqueviolin奏者と自称しているので、片腹痛い!野狐baroque奏者と言えるのかな??

Dは、basso continuoと同じ、低音の動きである。
ここで注意しなければならない、もっとも大切な事は、殆どのorchestraが、このviolaとcello Kontrabassのpartをattackを付けて鋭くaccent気味に弾くという事である。
その為にこの曲の開始音はfortissimoで壮大に開始される事が多い。
これも、baroquebowの特性を理解出来ていない所に、その解釈の誤りがあるのだ。

violinで音を弾き始めるときには、まづその音の立ち上がりの違いをしっかりと理解しておかなければならない。

bowの弾き始め(所謂、音の立ち上がり) の3つの違いは、まづ基本は、理論上のdetacheである。
日本のviolinの先生達はdetacheを、弓のchangeをしっかりさせるために、accent気味に奏させる先生もいるようだが、それでは、detacheの意味はない。detacheとは、あくまでも、理論的なneutralな奏法であるべきだからである。

弾き始めのpointは、detacheに対して、弾き始めをハッキリとさせるための、clip奏法と、その逆の奏法である、弓に任せて、弾き始めの音の無い自然に音が出るようにする奏法がある。

現代人は、現代の奏法に慣れてしまっているので、通奏低音であっても、音の立ち上がりをハッキリとさせるために、clipによる奏法か、さもなくば、弓を抑えて撥弦をハッキリとさせる奏法が一般的である。
しかし、baroque時代の通奏低音の奏法は、左の絵のように、attackのない、自然に立ち上がる奏法が、正しいbaroque時代の奏法になる。

という事で、Haydnのcelloconcertoの最初の1拍目の開始音は、以上の点を留意して演奏すると、Haydnらしい可愛らしい典雅な響きがするようになるはずである。

次のAの奏法であるが、これは、記譜上の速記の問題で、実際には慣習的には、次の譜例のように弾かれた。
baroque時代から古典派の時代にかけては、休符を正確に記すという事の方が稀であったのだな。
Beethovenや、それ以降のロマン派からの作曲家達のように、作曲家が自分の曲を芸術として、長年温めるという事は、HaydnやMozartの時代迄は、なかったのだよ。Bachや多くの作曲家達は、cantataやsymphonyを1,2週間で仕上げて、しかも作曲の合間に、part譜を作ったり、オケの団員の指導をしたり、と兎に角忙しかったのだな。だから、Mozartのように、繰り返しのpassageは全く書かない作曲家もいたりして、楽譜は書き易やが一番だったのだよ。

次ページ