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finaleで音価の一括変換




2014/11/12 (水) 9:49
音源 最再々送
音源がmailで送れないという事なのですが、g-mailはwebmailなので、音源等も、問題なく送れると思います。

beatについて
beatというのは、勿論、曲を演奏する上での、拍子の中の律動の単位と・・・・、そういう風にClassic音楽で定義されている分けではなく、世界の音楽家達の共通認識としての意味ですので、音楽辞典や楽典の本には書いてはありません。
そういう風に定義されている分けではないのですよ。

しかし、・・・にも関わらず、世界共通の音楽家達の共通言語なのです。
rhythmというと、skipやそのbeatよりも更に細かい音符の単位も出て来ますが、そうではなく、その音楽を決定付ける拍動です。

楽典的な薀蓄を言うとすると、拍、と拍子と拍節法とか、律動等々、キリがありません。
もっと込入って来ると、Agogikやarticulation等々、次のstageです。

ところが、明らかに異なるこの言葉の定義の説明を、音楽辞典等で調べると、全部同じ答えが返って来ます。

その違いを理解するには、高度な音楽的な表現法と演奏力が必要になってきます。

rhythmと律動の違いを説明するのでも、容易ではありませんし、拍と拍子の違いを説明するのも、そんなに簡単ではありません。
ましてやAgogikともなると、大体、日本語の訳語すらないのですから。

4分の4拍子なら、4分音符が拍動になると思われますが、それは楽典的な知識であり、実際のrecording等の現場では、その音楽の最小の拍動を言います。

例を上げて説明すると、BeethovenのF DurのRomanzeは、4分の4拍子で、伴奏のrhythmに着目して、譜面を見てみると、最初のbeatは4分音符の和音の伴奏です。
次のStollenでは、伴奏の和音の刻みは、8beat(8分音符)の刻みになります。
最終的には16beat(16分音符)の刻みになって、曲は4拍子ですが、それぞれ、和音の律動を4beat、8beat、16beatと刻みを細かくして、音楽の緊張感を作り出します。

先程、音符の最小単位と言いましたが、実は、音符としては32分音符等も登場するのですが、それは、beatではないのです。

梨紗がkadenzの書き取りで
「kadenzは16分音符で書く」と勘違いしたのかは、私には分かりませんが、曲自体が4分の2拍子であった時に、16分音符のbeatの速度をkadenzの速度でも変えてはいけません。

これは、音符が実音として書かれているか、それとも装飾音として書かれているかにも、よります。
Peters版のこの楽譜に限らず、殆どの版はkadenzという事を表すために、小さな音符で書き表すことが多いのですが、それでも、装飾音のpointのsizeではありません。

装飾音として書かれている場合には、梨紗のように、音価を無視して書いても良いのです。
それ自体は音価と速度は無いと思ってよいので、・・・。

だから、梨紗が書き取ったYou Tubeのkadenzをeingangとしての装飾音として捉えるのなら、16beatで書きとってもよいのです。
(勿論、演奏する時には、16beatの音価は無視して演奏します。
つまり、この音価は便宜上のrhythmを表すだけの意味で、beat本来の意味はありません。)
Kadenzというのは、episodeやeingangよりも長大なものを言うので、上記の例には当てはまらないという事なのです。

「g-mailで送った音源は聞いたのか??」
と質問したのだが、聞いたかどうか??・・・という事も、うやむやにされてしまいました。
都合の悪い事は、うやむやにする癖が付いているのかな??
それでは、永遠にproにはなれないよ!!


下記の譜面は、今回のひかりちゃん用に、私が作曲したkadenzです。

芦塚陽二version





この律動の話は、普段のlessonやオケ練習で、常に私が、皆に注意している事で、それを梨紗が理解出来ていない・・という事は、ritardandoやaccelerandoだけでなく、rubatoのtempoの設定も全て、梨紗は、感情的、感覚的、情緒的に弾いているだけの、分かっていない、嘘の演奏になってしまいますよ。

儒教型、塾型の教育のように、先生の言う事を理解もしないままに、コピーするだけの音楽になってしまいますよ。

日本の家元制のお稽古事ならば、それでも良いのかも知れませんが、西洋音楽を勉強する立場だとしたら、そうは行きません。

世界をstandardにすると、家元制は成り立たないからです。

話は少し逸れてしまいますが、聴音でも、聴音のための聴音、所謂、「受験のための聴音」だけやっていると、本当の生の音楽は書き取れなくなってしまいます。

そのために、教室では、orchestraのpartから、自分の演奏するCembaloのpartのornamentを書き取らせたり、eingangやepisode、kadenzを書き取らせる事をよくします。

現実の音楽の書き取りでは、学校聴音では、筆が間に合わないし、実際の書き取りには、役に立ちません。
step oneでは、身近な教材としてaircheckをしますが、あくまでそれはstep oneに過ぎないのです。

今日は、テレビで小学生のための科学教室をネイティブの先生が指導したり、絵画の教室を外国の先生が指導したりしている教室の取材をしていました。

勿論、子供同士でも英語で会話しなければなりません。

英語のための英語教室ではなく、何かを学ぶための英語・・それは本来の英語の勉強の仕方であって、素晴らしい学び方です。
英語はcommunicationの手段でなければなりません。
communicationを伴わない英語の勉強は、本末転倒の勉強です。

私達が習って来た英語は、最悪です。
大学を受験するまでの6年間、大学を卒業するまでの合計の9年間、英語を学んでも、カタコトの英語もしゃべれない・・・そんな教育が、日本以外の世界中の何処でなされているでしょうか??

いや、摩訶不思議な日本の学校教育ですよ。

先ほどの、私塾の教育ですが、科学の実験を英語でする、或いは絵画教室、・・・それは素晴らしい!!
本当の英語の教育はそういったもので正しく学ぶ事が出来ます。

音楽もそのようでなければなりません。
というか、音楽の場合には、それ以上でなければならないのです。

しかし、今の子供達や保護者達は、音楽が音楽大学や、留学で学べる・・・と勘違いをしている・・・。
startが間違えていれば、目的地にたどり着く事はありません。

間違えた方法論で、間違えた勉強をしている、・・・だから、音楽でproになる事が、難しい事になるのです。

所詮は、勉強している場所が、違うのよね。
音楽は職業です。

でも、そのお話を音楽大学の院の生徒に話た時、
「私は一度も音楽が職業等という事を思った事はないし、先生達からもそういう風に言われた事はありませんでした。」と、素直に驚かれてしまって、私が仰天した覚えがあります。

私は、教室を作ったばかりの頃は、私は、自分の生徒を、弟子と生徒に、はっきりと分けて呼んでいました。
「この人は私の弟子です。」「この人は私の生徒です。」と言う風に、・・・です。

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