前ページ

オフイスのようなビジネスライクにレイアウトされた空間で、一見すると整理、整頓されたような空間であったとしても、一人の人が書類を探すのに3分の時間をロスしたとすれば、その会社全体の損失としては、数億という莫大な金額の損失に繋がる、というコクヨが出した統計があります。
 人がついつい、無意識にやってしまう、「物を探す」という動さが、会社の場合には当然の事ですが、極々普通の個人の仕事や勉強にとっても、「大きな弊害をもたらす」という事実には変わりはありません。

追記:
物を探す事について、その無駄を感じない人達は、そういった性格だと思います。
つまり、日常の生活そのもので、探すという時間のlossが、lossとして感じないのだよ。
私は教室の事務所の事をブラック・ホールと呼んでいる。
今一瞬に、仕舞った物が、次の瞬間にはもう出て来なくなるからである。
それよりも、大量に買った物が二度と出て来ない・・という事は、この狭い部屋の何処に、それがあるのだろう??・・何処にそんなスペースがあるのだろう??・・それこそ、ブラック・ホールなのだよ。

 事実、今日、椎名町の事務所に置いてある私のfileを、ハイツに持って帰るために探したとのですが、私が、ゴミ箱状態になっている椎名町の事務所を、1時間近く探したのだが、とうとう一つの資料も探しだせなかった!!

そういった日常の何気ない時間のlossの積み重ねが、大きな時間のlossになって、結局、仕事をする時間がなくなる(仕事が終わらない)・・・理由になっているのだ、・・・・と、再三再四注意しているのに、未だに、整理されていない。

また、今日は、楽譜を持ち帰るために、A4の袋を延々と探したのだが、袋類が大量にあって、A4の袋は結果的に無かった。
結局、今、私が、その時に使用していた袋から、中身を全部、外に出して、資料の持ち帰り用の袋にしなければならなかった!!

袋一つにしても、或いは、道具一つにしても、「探す」という時間のロス(無駄)が、如何に無駄なのか??・・という事が本質的には分かっていないのだよ。

それでは、幾ら、時間があっても、結局は、仕事の遅れに繋がっていくのだよ!!
私は袋類を、細かく色々と分類している。
A4が入る袋は、殆ど仕事上で使用するので、洗濯屋が付けたままで、返してくる服の針金のハンガーをペンチで切って、次のようなフックを作って、邪魔にならないトイレの前に、定形外の大きな袋と一緒に分類して掛けている。

スーパーやコンビニのレジ袋は、基本的には、大、中、小と三つに分類し、大は台所のシンクの手前に掛けておいて、台所ゴミをそのまま捨てている。
透明の袋や、色付きの袋は、分けてそれも分類して置いてある。

それらのレジ袋類は、パソコンのディスクの後ろ側で、丁度、死角になっている邪魔にならない場所に、ポールにフックを取り付けて、掛かっていて、仕事のゴミをそのまま捨てている。
死角なので、普段は明かりをつけていても真っ暗な場所で、この間は、思いっきり足の指をぶつけた場所である。右側の写真でも分かるように、部屋のあかりをつけた状態でも、これぐらい暗い。
私の弱い目では、足元を見る事は出来ない。
そういった場所は、乱雑になって、置き場所を選んでしまうレジ袋には、最高の置き場所なのだ。

私達のマンションでは、公共のゴミ袋を使用している人はいない。
マンション全員が、レジ袋にゴミを溜めて、それをゴミバケツに放り込んでいる。
レジ袋のサイズ中は、あまり使いでがないので、事務所との荷物の移動に使用するぐらいだ。

サイズ小のレジ袋は、ワンちゃんの「うんち入れ」に使用している。
ワンちゃんは、朝と夜にウンチっ歩をする。
しかも、一回でしてくれれば良いのだが、2回、3回ぐらいに分けてする事もよくある。
しかも、二匹なので、最悪、一日に5枚、6枚使用する事もある。
だから、レジ袋の小だけでは、足りない事もあるので、わざわざ、小のレジ袋をnetで購入してしまった。

ペットショップに売ってある専用の「うんちの袋」は、一枚の単価当たりでは、70円ぐらいに付く。
通常の使用量として計算しても、一日に散歩が朝晩の二回、二匹で、一匹は、二回に分けてうんちをする。
1日辺り、420円も掛かるのなら、それはとても無駄であり、それだけの費用は無理だ。

市販のレジ袋の小をnetで注文すると、単価あたり、1円もしない。
送料の方が高くつくので、向こう3,4年分ぐらい買ったよ。
それでも、小さな箱2個ぐらいだよ。


右側の写真は、レジ袋入れなのだが、赤は小、黒は大を入れている。
中サイズのレジ袋は、毎日の買い物で、溜まりに溜まるので、ゴミ箱をそのまま、中サイズのレジ袋入れにしている。

それから、透明なレジ袋と、色付きの中身の見えないレジ袋も分けている。
透明なレジ袋は、お弁当箱を事務所に戻す時に、お弁当箱を入れる袋が汚れないように、入れて返している。

色付きのレジ袋は基本は、燃えないゴミを入れている。
スーパーや、薬屋から帰って来て、袋を開ける時に、そのまま分類して入れてしまうと、袋を探す事は、絶対にないのだから、袋を探してイライラする事もない。

先程の、A4の袋の場合なのだが、私の場合には、針金のハンガーで作ったフックを、部屋の隅に引っ掛けて、そこにfile入れとして、使用している。

だから、仕事で、千葉の教室に行く時でも、file共々置いて来れるので、便利である。
この袋に直接ペイントマーカーで、Titleを書くとそのまま分類の袋に早変わりでそのまま仕舞えるしね。

要は、ただレジ袋の置き場所と、使うための分類を決めるというだけの事で、そのため(整理のため)の時間を使った分けではない。

この話を長々としたのは、この方法論は、総ての日常の時短の原則論であり、そのまま、時短の整理術に繋がるからだ。

仕事をする人は、仕事をする上での時間の時短を考えるが、私は日常の生活を時短をして、仕事の時間を増やすようにしている。
それが仕事をする人の、常日頃(所謂、日常)の姿勢だと思っているからだ。

いにしえの人達は、一事が万事ということわざでその事を教え諭している。



topへ

[探さなくてもよい上手な仕舞い方]

 上手な仕舞い方のコツは、次回にそれを探す時に、何を持って探すのかという事をよく判断しておくことです。
この文章は分かりにくいので、補足すると、仕舞う時には、その作業内容を分類して把握しようとする。
音楽の論文関係であったり、教育論文であったり・・という種別の分類である。
しかし、どういう趣旨で次に必要になるかは分からないのである。
教育関係に分類された資料であったとしても、必要な時には教育関係の論文の場合である・・とは、限らないからである。
だから、その資料がどういった分類の時に使用するのか?という分類法では、分類が不完全な場合がある。
それよりも、その資料が、基本的にどの項目に収まるのか?・・という事を中心に一般論で考えた方が見つける場合に利便性がある。つまり、誰でもがその分類を探すような一般性を持つ項目で分類する事が、コツである・・と言えよう。

 分類の仕方については、ホームページの別項にも書いていますが、基本的には、ツリー構造がbestです。
資料が増えてくれば、どんどん細分化させるだけなので、検索はとても楽です。

 もう一つの方法は、私が「芋づる式」と呼んでいる分類法です。

 この分類法は、ツリー構造では分類が難しい場合に用います。

大きくその二つが書類や物を仕舞うための、分類方法になるでしょう。

 教室には、というか、殆んどが私個人の譜面ですが、膨大な楽譜の資料があります。
楽譜だけを取って分類を説明すると、まずは、genre(ジャンル)による分類です。

 楽譜には、大きく分類した場合には、soloの楽譜とorchestra、室内楽の譜面があります。それ以外の楽譜は、facsimile等の特別な資料です。それは例外、若しくは雑資料になります。

soloでは、次に楽器別の分類になります。
ピアノやヴァイオリン、チェロ、コントラバス等です。それとは別にチェンバロやリコーダー等の楽器もあります。
教室で普段の資料としては、あまり関係がないのですが、歌曲や教育教材の分類もあります。

soloのヴァイオリンを取っていうと、無伴奏の曲と伴奏付きの曲に分かれます。
教材としてはエチュードというgenreの分類もあります。

伴奏付きの曲には、ピアノ伴奏のものと、チェンバロ伴奏の物では、時代も様式も全く違います。

ピアノ伴奏はoriginalのものと、orchestraからtransposeされたものもあります。
そういった分類の中で更に作曲家の生まれた年代順に並べます。

そうすると殆んど、楽譜を探さなくても、一発で目的の楽譜を棚から、探し出す事が出来ます。

ピアノの独奏曲の場合には、単純明快に作曲家の誕生日順に並んでいます。
それからsonate集とか変奏曲集とかZyklus(組み)になっている曲を纏めると、問題なく探せます。
ピアノの最初の分類は教育教材です。
つまりBeyer教則本やCzerny教則本等の無数の教則本類が一棚を占領しています。

当然、一番最後は現代曲ですが、その後にomnibusが続きます。
でも、全音や音友の名曲100選のような、曲は目的が教育教材なので、最初の教育教材の分類に入れます。

 分類をしっかりさせておくと楽譜を探すことはなくなるので、それこそ時短につながります。

事務所から、
「楽譜を先生に渡したはずだが・・」というmailがよく届きます。
ほとんどの場合には、思い込みなのですが、私は、その質問に一瞬で答える事が出来ます。
「置いてある楽譜をしまう場所は探したので、これ以上探す場所はない。」と、いう答えです。

ハイツは、何でも分類されて仕舞われているので、例え、私以外の人であったとしても、その分類のruleを覚えてくれれば、一瞬で探す事が出来ます。

椎名町でよく、私が怒る事があります。
それは、大切な楽譜を、コピーが終わった後でも、元の棚に戻さない・・という事です。

1万冊を越す楽譜の棚で、元の位置に楽譜を戻さなかったら、その楽譜は二度と日の目を見る事はありませんから。
次にその楽譜と偶然邂逅するのは、3年後か、さもなければ10年後も場合も、よくあるのですよ。

 どんな貴重書で、高価な楽譜であったとしても、どうしても、それが必要ならば、1万円掛けても、10万円掛けても、買い直しをすれば良いのですが、私の楽譜の場合には、今はもう出版されていない楽譜や、絶版の楽譜も多いし、最初から出版されていなかった楽譜すらあるのですよ。

ですから、一度失ったら、幾らお金を積んでも、二度と手には入らない楽譜もあるのですよ。
・・・そこの価値が分からないと、私の楽譜を使用する資格はないよね・・・・???
・・・・と思うよ???


topへ

蛇足ですがT

私が、周りの人に「整理整頓の話」をすると、必ずと言って良い程、決まり決まった言葉が返って来ます。それは、
「整理整頓をしたいのは、山々なのだが、そのための時間がない。」という答えです。
整理整頓が出来ない人の決まり文句です。

そういう事を言われると、ついついムカムカしてしまって、
「じゃあ、余っ程、俺が暇だとでも、言うのかよ!」 「時間はあるものではなく、作るものだよ!」なんて、反論をしたくなります。

そういう不毛の話はさておいて、そういった人達が整理整頓を出来ない理由の多くは、家中の整理整頓を、一日で片付けようとするからなのですよ。
 
いやさ、整理整頓の為の時間を、無理して作ろう・・とするからなのですよ。
そりゃ、時間が無いから、時短をするために、時間を作って、整理整頓をするなんて事は、そりゃ、主客転倒で、無理難題だわさ!!

整理整頓のための時間なんて、作れる程暇ではない・・という事を自覚しなければならないのだよ!!

私も、生徒を指導したりは、していないけれども、やらなければならない事は結構あって、それなりに忙しいのですよ。
だから、私も整理整頓のための時間は、中々作れない・・・、というよりも、若し時間があったとしても、体調的に無理なのだよ。

という事で、
「事のついでに、整理整頓してしまう」・・という、私の「怠け者の整理整頓術」は、勿論、とても簡単です。
(怠け者が、複雑な難しい整理整頓をする分けはないでしょう??)

大きく分けて、私の整理術は二つあります。
先ず、一つ目のの方法は、机の引き出し一個だけ、とか、冷蔵庫だったら、その一段だけを整理するのですよ。
ガラクタ類なら、ダンボールとか、折り畳みのカーゴに放り込んで起きます。
本棚なら、1段とか、それでも、多かったら、その、半分とかです。

それも、「思い立ったが吉日」と、ばかりに、一日でやる必要はないのですよ。
それを気が向いた時に、少しづつやるのです。
たった、一段だから、意を決してやる必要はありません。
寝るちょっと前に少しやったり、起きて体の慣らし運転のつもりで、ほんの5分10分やれば充分なのですよ。
整理の出来ない物は、雑の箱を作っておいて、そこに放り込むだけです。
その「引き出し」の整理が終わったら、雑の箱を整理します。

そこで、分類が出来ない物は、雑の箱を作っておいて、そこに放り込むだけです。
そして、元の箱の整理が終わったら、雑の箱を・・・・、ではなくって、捨てるのですよ。
断捨離!!ってやつね。

殆どの人達が、部屋の整理をする時には、「意を決して」・・やるようですが、私の場合には、
「鬱が酷くて、仕事が手につかない」ような時に、仕事をする事を諦めて、整理整頓をしたり、風呂の掃除や、トイレの掃除をします。
たまには、冷蔵庫を発掘して、古代の遺物を発見したり、処理をしたりします。

そうすると、何日か欝が続いている間に(欝が酷くなると仕事をしたくなくなるのだけど、だからと言って、テレビを見る分けでも、遊びに行く分けでもないのだから、・・・そういう時には、なるべく、体を使う仕事をするのですよ。そうすると・・・)、何時の間にか、ちゃんと部屋全体が片付いてしまうのです。
そうすると気分が良くなって、鬱もかなり改善されるのです。

でも、そこの所で、注意しなければならないのは、「片付ける」という事は、「見た目の片付け」ではないのです。
あくまで、使いやすいように引き出し(見つけ)易いように、「時短」を考えて、整理整頓をしないといけません。

そうしないと、直ぐにまた、部屋が散らかってしまうのですよ。
結構、そこで(何処にどう仕舞うかで)、頭の良し悪し、仕事の処理の速さが出てしまうのですよ。
アッ、ハッ、ハッ、ハッ!

私の場合には、本当は、1日、3分の整理整頓もしないことが多いのですよ。
つまり、書類や資料を出して、使い終わったら、元の場所に、戻すだけなのです。
仕舞う場所をちゃんと整理しておくのです。
次の時に一瞬で探せるように、配慮しながらね。

だから、仕事をした後の部分は、整理整頓されているのですよ。

だから、当然、仕事していない所は、いつまでも雑然としたままです。
でも、幾ら雑然としていても、仕事道具や資料類の置き場所はちゃんと覚えています。
そこは多分、私の性格なのでしょうね。
常に無意識に分類している。

歳をとったら、夜は殆ど目が見えなくなってしまいました。(これはメガネを掛けているか否かの話ではありません。メガネを掛けたまま、一生懸命メガネを探したりする事もあるのですからね。そりゃ、見つからんわさね!!)
だから、今は特に、書庫の中の資料を探すのが無理難題になって来てしまいました。
・・・という分けで、どっちみち、見えないのだから、明かりを消したまま書庫の資料を探したりします。
つまり、所詮は夜は書庫の本や資料の文字が読めないのでね。

私にとっては、真っ暗でも、平気で資料を探せるのですよ。
だから、事務所に行った時に、先生達が下に物を置きっぱなしにするのをいつも怒っています。
私の可哀想な目は、下に置いてある物が,殆ど、見えていないからです。
だから、誰かが、下に物を置きっ放しにすると、躓いて怪我をしそうになる。
でも、ハイツの、自宅では全くそういった事はありません。
下に物を置かないからですよ。
  
それに、既にある物・・ベッドやラックの足には、クッションが破れて捨てた後の中身のスポンジをカッターで切って、一度でも足がぶつかって痛い思いをした場所には、足の爪等がぶつかっても良いように、スポンジでガードを作りました。
チョッとした事なのですが、別にお客様や生徒達が訪れてくる事もないので、見た目よりも、怪我を防ぐことの方が優先なのですよ。特に歳をとってくると治りも遅いので、それこそ仕事に差し障りますからね。  アハッ・・!


左側の写真は、サイドテーブルの端に腰が当って、体に痣が出来る事が度々あったので、ぶつかる方の端を丸く、ノコギリで落として、ヤスリをかけてノコギリの後のザラつきをなくしました。

たった、1センチのエッジを取る・・・という、これだけの事なのですが、それ以降はぶつかっても、痣が出来る事はなくなったのですよ。
一瞬の作業なのですが、効果は抜群です。


さて、整理術のお話に戻って、二つ目の方法論ですが、これはもっと、簡単です。
私が仕事をする上で、必要な資料は、私がそれまでに整理整頓、分類したものではなく、教室の先生達が長年、適当にアーカイブに放り込んだ中から、仕事に応じて、必要な資料を必死になって、探し出さなければならない事が多いのです。

私の口癖は
「そこで、一手間」なのです。
一見すると、その一手間が大変に面倒くさく、一見、時短にならないように、思えるのですが、これは大変な時短のtechnicになるのです。

今、現在も
「一刻も争う、重要な書類が出てこない!」と、この2日、3日先生達が書類を探しています。
金銭関係、伝票関係の書類なので、
「出て来ない!」では済まされません。


つまり、先生達がそこいらに放っておいたゴミの山を、資料を探す時に、資料を探すついでに、その山となったゴミをcheckし、分類しながら、作業を進めれば良いのです。
捜す・・という一手間を、探すために既にやっているのだから、折角、checkした物を、
「これは、違う!!」と言って、元に戻す時に、分類しながら整理すると、それ自体が整理する時間になって、整理整頓する時間を作る必要はないのです。
一見すると面倒くさいように見えるこの作業は、資料が出て来なかった時に、元のゴミの山に戻してしまうと、また、同じ作業を何度もしなければならなくなって、それこそエンドレスの作業になってしまうからです。
仕舞い場所がなければ、箱を何個か準備して、その分類にゴミを放り込むと、もう一度探し直す時に、一部だけを探し直せば良いという、効率が産まれます。
そして、本当にそこに無かったのかを的確に判断する事が出来るようになるのです。

そんな、当たり前の事が何故出来ないのでしょうかね??
それには、理由があります。
整理整頓をしようとする時に、完璧に整理整頓をしようとするからです。
何か一つを探しているのだから、目的を探す事が優先なので、整理をする時間は無いのです。
それが当たり前なのです。

では、どうすれば、優先度を守りながら、しかも整理が出来るのでしょうか??
 勿論、それには、丁寧に一つ一つを吟味しながら分類する・・という事では、優先度は守れません。
どっちみち、ゴミの山を、ゴミの中に戻すのならば、そのゴミの山を、何種類かに分類すれば良いだけなのです。
論文の資料のゴミの山ならば、教育論文と音楽論文、後は雑の三つに分類すればよいのです。
そうすれば、ゴミの山は3分の1に減ってしまいます。

つまり、捜す・・という作業が、3分の1に減るのです。
時短のTechnikとしては、分類しながら、探したのだから、少し捜す時間に手間が掛かったかもしれないのだけど、次に探す時には、3分の1の時間で探し出せるのだから、仕事は確実に早くなっているのです。

 また、いつか、そのゴミの山から資料を探す必要性があった時には、そのゴミの山をまた、三つに分類すれば良いのです。そうすると、3分の1の3分の1になります。
ここまで来ると、もうこれ以上は分類出来ない所まで来ていると思いますよ。
分類出来ない・・という事は、探す必要がない・・という事になります。

 そうすれば、いつの間にか、綺麗に整理整頓されたhome図書館(アーカイブ archive)が出来あがります。
どっちみち、しなければならない作業ならば、普段の日常の作業の中に組み込んでしまえば、整理整頓が一瞬で出来てしまうのです。

 論文を書く場合には、同じ資料を何度も繰り返し、閲覧する事がよくあります。

でも、一度そこで分類して整理しておくと、再びその資料が必要になった時にも、もう探す必要はありません。
究極の時短になります。

膨大な資料類でも、必要になった時に、探さなければならない手間は同じなので、そこに「一手間」、ゴミの山の中にまた戻すのではなく、分類して戻せば、何時でも必要な時に引き出せる有効な資料の山になるのです。

繰り返し、言いますが、整理の為の時間は必要ないのですよ。

必要な書類を探す時に、ついでに分類して整理するのですから。

そんな、当たり前の事で、誰でもやっていそうな事ですが、実際には、そういった整理整頓をやっている人は極めて少ないのです。
それはどうしてでしょうか???

人間には、不思議な、不可解な思考のパターンがあります。

その仕事をしている時には、『それ以外の一手間が』、無駄で時間のロスのように思えてくる・・・という事なのです。

そこで感じてしまう時間のロスは、現実的には、プレッシャーのなせる業なので、実際の仕事上では、そのロスは存在しません。

チョッと蛇足になってしまいますが、分かりやすく具体的に説明します。
以前、合宿の子供達の食料を買いにコストコに行った時の話です。
先生達が子供達の食料品を調達している間、運転手の私は暇なので、教室の事務に使う用紙や私個人のプライベートな物を探していました。
先生が怒って
「今日は合宿の用意だけ!プライベートは後の機会に!」

次ページ