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だから、私がある人に
「タイマーを持ってくれば?」と、言ったら、「タイマーを探している間にパソコンの作業自体が終わるから!」と応えて来た。

たしかにその時の作業自体は、教室のタイマーを探して持って来る間に、出来上がってしまうかもしれないけれども、その次や次の次の作業も全く同じ作業を続けなければならない・・・という事ならば、タイマーで時間を計る事は、時短になる・・という事を忘れているのですよ。
時短とは、薄利多売の5円、10円の単位を積み重ねて大きな時間にするのだという事をお忘れなのだよな。

発表会では子供達の出入りの時間の注意で、
「一人15秒進行が遅れたとすると、最後の人の出番では30分の遅れになるのだよ!」と、注意しているのにね??

・・・・というか、そういった、先の事は、考えようとはしないのだな??

これは、一例にしか過ぎないので、本当は一時が万事なのだよ。
メールで仕事を頼むと、
「**だから、今出来ないので後で、します。」と返事が返ってくる。
その理由はその都度色々で、定かではないが、しかし、結局の所、その人が、後で仕事をした事はないし、その仕事が終わった事もない。
これも、やろうとしない人(やる気のない人)のお定まりの言い訳です。


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routine作業について

 時短の定形作業、あるいはルーティン作業には、ミスを少なくするという意味もある。
例えば、横断歩道を渡る時には、
「右を見て、左を見て」というのがある。
でも、もしこれがドイツだったら、
「左を見て、右を見る」のだが、それは、左側通行と右側通行の違いで、それぞれ自分に近い方を先に見ないと危険だから・・という理由で当たり前の話である。
でも、日本人はドイツでも右を見て左を見ようとする・・・それもルーチンの意味を見失っている事に原因があるのだよ。

それを日常に当て嵌めると、私の自宅で、薄型のテレビを買ったのだが、スピーカーが画面に対して、小さ過ぎて、画面全体に響いて、ビビリ音が結構うるさく出るようになって、耳障りなので、外付けでボーズのスピーカーを買った。
通販で2機種あったので、躊躇なく安い方を買ったのだが、新しい機種はテレビのオンオフとスピーカーのオンオフが連動していたのだが、そういった説明が全くなされていなかったので、安い方を買って、失敗してしまった。
値段が大分違ったのだが、それなら日常の事なのだから、自動でオン・オフの出来る高い方の機種が良かったのだが、返品は出来ないので、諦めて今もそのまま使用している。

という事で、テレビをつける時には良いのだが、テレビを消す時に、
「テレビを先に消して、スピーカーを消す」のか、「スピーカーを消して、テレビを消すか」の選択肢があるのだが、それが実際には、とても重要な大切な事になるのだよ。

一般的には、そんな、些細な事はどちらでも良いように思われがちだが、仕事となると、そうは行かない。
つまり、
テレビを先に消すと、音声がしなくなるので、スピーカーを消したのか、否かは、分からなくなってしまう。だから、スピーカーを先に消す方が、正解なのだよ。

スピーカーを先に消すと、テレビの音声が消えてしまうので、スピーカーの電源を切った事が確認出来る。
その上で、テレビを消せばミスは絶対に起こらないのだよ。
それが、定形作業(routine作業)をする上での、大切な意味(趣旨)でもある。

日本では、子供が左を先に見て、歩き出しながら、右を見たら、車とぶつかってしまうかもしれないのだよ。
右を先に見て、一歩踏み出した時に、左側から車がやって来たとしても、左の車の走っている道路には未だ距離があるのだから、緊急避難は問題なく出来るのだよ。

それが、「右を見て・・・」の意味である。
車の前を見て、右左を確認してから、車を出す・・というのも、そういった確認作業なのだ。それを怠るとぶつかってしまう。
子供にとっても、或いは、ひょっとしたら、大人にしても、そういった順序立ては、日常の生活に於いて、とても大切なのだよ。
車の運転でも、先ずは前方確認で、後方確認である。
それから車を動かす。
前方確認をしないままに、車を発進させると、大事故を引き起こしてしまうだろうよ。

全く同様のミスで、良く犯すミスがある。
それはパソコンのfileを使う作業である。
templateとして、fileを使用したりする時に、仕事がある程度出来てから保存すると、元のfileを誤って消してしまう事がある。
或いは、作業の過程で、ミスを犯してしまい、最初に戻ろうとした時に、最初のfileが無くて、どうしようもなくなる事が良くあるのだ。
ルーティン作業の遣り方としてなら、templateになるfileを最初に
「別名で保存」をして、そのfileで作業をすると良いのだ。
若し、誤って間違えたとしてもtemplateは残っているのだから、最初に戻れば良いだけなのだから・・。

つい昨日も、生徒が同様の間違いをした。
自分が作った表紙の上に新しい曲の表紙を作ってしまって、結局、二つ作ったはずなのに、その内の一つが消えてしまった、という事だ。
折角作った同じ物をまた、作らなければならないとしたら、これは膨大な時間の無駄であるのは、自明の理なのだが、そういった誤りを犯す人は、全てに渡って、同様のミスをする。

でも、その生徒が昨日、routine作業について注意をしたにも関わらず、今日もまた、同じミスをしていた。
「先生がtemplateを作った分けなので、当然、先生が別名で保存をした・・・と、思い込んでいた」・・という苦しげな弁解をしていた。
しかし、それは弁解にはならない。

先生がtemplateを作ったのだから、そのtemplateの保存は済んでいる。
そのtemplateを使って作業をする分けなので、templateは当然「別名で保存」してから作業しなければならない。
だって、確認は自分でするのが確認であり、人がやったと思い込むのは、proとしての作業ではないからである。
人に責任をおっかぶせていては、proどころか、社会人としての仕事は出来ないのだよ。

ルーティン作業の定義は、そういった馬鹿げたミスを防ぐ事にあるのだが、そういったミスをよくする人達は、そのルーティン作業を真面目にする事を怠るのだよ。

ミスを常に犯す人達は、自分のミスを反省する事はあったとしても、改善をしようとは決してしないのだよ。
だからまた、ミスを犯す。

mailが送られて来た、とか送られて来なかった・・とかの、馬鹿げたミスも、自分が送られて来たメールを読み返す習慣がないから、段々、膨大な未読メールの中に埋もれて行く。
「*日の*時頃**を頼んだのだが・・・」というと、慌てて膨大なメールの中から、日にちと時間で検索をして、やっとの事、探し出して、「ああ、忘れていた」という。

忘れて許されるのは、せいぜい、彼氏とのおデート・・・迄であって、一般社会の会社の仕事で、頼まれた仕事を忘れたら、即、首なのだよ!・・・首!!

 彼氏とのデートは、二人で仲良くケンカをすれば済む事だけれど、仕事では、
「出来たか否か??」「やったか、やらないか??」であって、その仕事に、「忘れました!」という弁解はないからね。

 outlookでは、そういったミスを犯さないように、タグの中に「フラグの設定」という項目がある。
そこで、来たmailに、「から、まで」を付ける事が出来る。
今日中から、今週中や来週中といったように、までの設定をする事が出来るし、または、outlookにはToDoもあるので、ToDoを使うのも、一つの手である。

携帯の場合には、そういった機能がないので、私は
保護を付ける事にしている。

私が仕事として以来したmailや、相手から仕事を依頼された場合、或いは、自分の買い物メモ等も「保護」にする事にしている。
勿論、memo帳も使うのだが、memo帳には、買い物リストとしての使用の方が多いので、仕事が派生した場合には、mailをそのままの方が、効率が良いからである。


しかし、私がやっている作業の多くは、endless作業である場合が多い。
論文や作曲等は基本的にはendlessの作業なのです。
「作曲が完成した!」と思っていたら、しばらく練習していると、また色々と手直しする箇所が出てきます。
だから、その都度、楽譜の手直しをしていたら、先生達に怒られてしまいました。
「もう楽譜は生徒に渡したのだから、今更変えないでよ!」とか、「本当にこれで完成稿ですか?」とかです。

でも、作曲はendless作業なのだよ。
仕事は完成する事はないのですよ。

どんな大家の作品でも、完成するという事は有り得ないのだな。
ダ・ビンチやゲーテにしても、死ぬまで自分の作品を手直しし続けているのですよ。

勿論、それは作曲等の作品だけの話ではなく、Pianoやviolinの練習にしても同じなのだよ!!
私が
子供達に、本当に教えたいのは、そこの所なのだがね??

発表会のための企画として作曲された曲は、発表会が終わると、事実上は、推敲は終了するはずである。
しかし、私の場合には、発表会が終わってその曲の役割が終わった後でも、その曲を推敲し続ける場合が多いのだよ。

その曲の演奏が終わった後でも、曲の推敲を重ねる分けなので、当然、演奏会の当日であったとしても、(八千代の対外出演であったとしても、出演者が子供達であったとしても、つまり、如何なる条件下であったとしても)気に食わなければ当日でも平気で変更します。
それが私のpolicyなのだからね。

子供達が学んでいる曲にしても、
発表会が終わったから・・と言って、それが合格した分けではないのです。

もし、その子供が
音楽に進むつもりなのならば、・・・否、楽器を学ぶのならば、いつでも演奏出来るようにするのが目的のはずです。
特にproとして音楽の道に進むとしたら、合格をする・・という事は有り得ません。
そのランクでは合格はあるかもしれませんが、そのランクで合格したのなら、次のランクを挑戦しなければなりません。
その曲の演奏が完成するという事は絶対に有り得ないのですよ。アハッ!

学校教育では、単元が終わるとその課程は終了する。
しかし、仕事はendlessで終わる事はないのだよ。
特に、音楽の場合にはね??

発表会は、一つの区切りに過ぎないのだよ。
同じ曲でも、次の演奏会のrepertoryに乗れば、また、練習しなければならない。

否、次の予定が無かったとしても、練習はendlessに続くのだよ。
線路のように・・・ね???
「線路は続く〜よ!ど〜こまでも〜〜」だなや???
それは、総ての芸術、職人の技に於いて、或いは、athlete達にとっても同じことなのです。


 まづ、会社に入った新人OL達がまず、会社で指導されるのが「お茶くみ、電話の受付、コピー作業」の三つです。
それが嫌なら、手に職(当世風に言うのなら資格という事かな?)を持って就職するか、永久就職すればよいのです。

先程も言ったように、色々な仕事のprojectは、必ず、幾つかの定型作業に進んで行きます。
教室では、finaleを使って楽譜を制作する作業であったり、ホームページの作業もありますが、一番分かり易い作業としては、一般的には「コピーの作業」でしょうかね。

しかし、コピーの作業と言っても、家庭のコピー作業とは違って、会社でのコピーは複雑です。
袋とじは勿論、両面のコピーや2up、製本作業やと、それこそエンドレスで覚える物があります。
今の業務用のコピー機は、scannerでPageを読み込むと、いちいち計算しなくても自動で、両面の2upの製本コピーが出来ます。
製本をする時には、必ず右側が奇数Pageになります。

両面のページは1枚のコピーの2upだったら、表面は2Page目と3Page目でPage数を合わせると、5になります。

裏面は当然、1Page目と4Page目だから、同じ5Pageになるのですよ。

コピー枚数が2枚の場合には、8Pageになる分けなので、合計は9の数字になります。

蛇足ですが、コピー枚数が3枚の文章になると、最後のページが(あってもなかっても)12Page目ですから、その合計は13になります。

だから、2Page目の裏のページは、??

それが製本の原理です。
これは会社では常識の範囲です。

個人の場合と違って、会社のコピー作業の場合には、単純なコピー作業でも、そういった知識が必要になるのですよ。

 コピー作業と言うと、
「A4で表面だけをprint outすればよい。」と勘違いしている人達がいますが、会社関係での作業ともなると、コピー作業と言えども、そんな簡単で単純な作業ではないのですよ。
単に、A4の薄紙をコピーするとしても、単に1,2枚をコピーする場合と、数百枚をコピーしなければならない場合には、ランニングコストの問題が起こってきます。

業務用のコピー機の場合には、A4、1枚のランニングコストとA3のランニングコストが同じ場合が多いのです。
教室のコピー機も、業務用のコピー機なので、A4とA3のコピー代は同じになります。

だから部数が多い場合には、A3にA42枚をコピーして、それを細断します。

そうすると、コピー代紙代が少なくて済むからです。

教室のコピーでも、毎月何万というコピー代がかかります。

勿論、コピー機のリース代は、教室の家賃よりも高価なぐらいです。
ですから、コピー代の経費といえども会社としては馬鹿にならないのですよ。

という事で、会社のOLでも、ちゃんとコピー作業が出来るようになるまでには、一年近くは掛かるのですよ。

電話の応対は、コピー作業よりも、もっともっと遥かに難しい。

単純な敬語法の問題よりも、会社として言って良い事と絶対に言ってはいけない事があるからです。
その受け答え一つが会社の存続(浮沈)にかかわる事だってあるのです。

仕事をミスしないようにする方法論で、有名なのはハインリッヒの法則であろう。
彼は、ある工場で発生した労働災害5000件余を統計学的に調べ、計算し、以下のような法則を導いた。「災害」について現れた数値は「1:29:300」であった。その内訳として、「重傷」以上の災害が1件あったら、その背後には、29件の「軽傷」を伴う災害が起こり、300件もの「ヒヤリとした・ハッとした」した(危うく大惨事になる)傷害のない災害が起きていたことになる。
ハインリッヒの法則は、よく知られている法則なのだが、そこに学ぶ人は少ない。

仕事を覚えようとする人が、コピーをミスしたとする。
しかし、そのミスには、その人の性格であり、その人の仕事の仕方の問題点がそのミスを誘発している場合が数多く見受けられるのだ。
事故を起こす人は、自分を過信している。
「絶対に自分は事故は起こさない」と信じている。
それで、ヒヤリとするミスや、ハッとするミスには、反省をする事はない。

しかし、私がそれを注意すると、その人は
「コピー代なんて、1枚2円3円の世界なのに、それを文句言う!ケチだ!!」としか、思われない。
その1円のミスを許す性格が、29の大きなミスと、1度の許されざるミスに繋がる・・とは、思わないのだよ。

私は、車の免許を取ったばかりの生徒達には、
「ヒヤリとする運転は絶対にしないようにする事」「運転中に、ヒヤリとしたら、その日、一日は同じヒヤリをしないように注意をしなさい。」という事を注意をする。

人間は、その日その日で、コンデションが変わる。
だから、その日にヒヤリとするとしたら、それがその日の注意点になるのだよ。
同じようなミスが必ず、その日の内にある。

次の日には、また別のヒヤリがある。
ヒヤリがなくなると、それは不注意である。
自惚れなのだよ!!


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究極の時短、外注と部下に任せる

結構、先生達の行動を見ていると、全く時短にならない行動をしている場合が多いのです。
一つ一つを取り上げると切りがないのかも知れませんが、しかし、それはその人の仕事に対する姿勢の問題なのですよ。
その姿勢が変わると総ての行動を変える事が出来ます。
一つの姿勢で良いとすれば、先ず、一番身近な所から始めれば良いのです。
その一つの例を挙げるとすれば、それは、「自分の仕事が終わるまで、他の人を待たせる」と言う事に尽きるでしょうね。
確かに、その人にとっては、自分のやるべき仕事が優先度は高いかも知れませんが、しかし、その時間、他の人は、ただ何もしないで待っている・・・というだけなのです。
これは究極の時間の無駄使いに過ぎません。

そこの所が分からないと、人を使う事は出来ません。
複合的に仕事をこなして行く立場ではない・・という事なのです。
それはそのまま、未だ、人を使える立場、levelではない・・という事になります。

私の知り合いで、仕事の出来るという意味で、とても尊敬出来る出版社の編集長がいました。
しかし、彼は余りにも仕事が出来過ぎるので、部下を養成する事が出来ませんでした。部下に頼むのよりも、自分でやった方が早いからです。
彼が、栄転で、編集部を開けた時に、10人の編集の人達が2年間総ての仕事をstopして、彼のやっていた仕事の後始末をしたそうです。
しかし、彼がどんなに仕事が出来たとしても、10人の部下を養成して、仕事をするのなら、もっともっと大きな仕事が出来たはずです。
それは、topと兵隊の違いですよ。

ホンのチョッと、部下に仕事の伝達、説明をして、それから自分の仕事に入ると、仕事全体としては、「時短」になるのに・・・といつも思うのですが、そこは見えないようです。先ず、これだけを片付けてから、説明するね??ってネ??いや、その時間が勿体無いのだよ。それが分からんとネ。
人の上には立てんのよ!!





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蛇足ですがU

 ドイツの学校のsystemは日本の教育systemとはかなり異なります。
小学校4年生の時に、大学に進学するか、職業に従事するかを決めて、大学進学を決めた子供はギムナジウム(中、高一貫の学校)に進学します。

 職業に従事する子供達はハンデルシューレ、所謂、職業(中、高)に進学します。
そこで、マイスターの資格を取ります。

 ドイツの大学生は不痛、6ヶ国語を普通に喋ります。
「しゃべる」というのは、その国の言葉で夢を見れるという水準のことです。

 
「何故、そんなに色々な国の言葉がしゃべれるようになるのか?」という事を、ドイツ人の友人に質問しました。
彼女は教えてくれました。 
「ドイツでは、小学生の時から、ラテン語とギリシャ語を徹底的にならいます。ラテン語なんて、今は何処でも話される事はないのだけど、ヨーロッパの言葉のルーツはその二つの言語からなるのだよ。ラテン語はフランス語やイタリア語、スペイン語になって、ギリシャ語からは、英語、ドイツ語に派生していきます。だから、オランダ語等は、英語とドイツ語の中間で、英語とドイツ語を話せると、何となく、判るようになります。」

 という事で、ホーフブロイハウスで、ビールを飲みながら、
「日本語はどうなっているの?」と尋ねられたので、「雨が激しく降ります。」という言葉を説明しながら、五段活用とか、文法を説明したら、その場で一瞬で、色々と活用をさせて行きました。
驚いて、
「どうして出来るの?」と聞いたら、彼女は「ラテン語は七段活用なので、日本語の変化は簡単よ!」と、説明してくれました。

 英語のS V O C等もそうですが、文法というのは、本来は、語学を学ぶ(話す)事が簡単になるようにするためのsystemであったはずなのですがね!

いつの頃からか、文法が文法のための学問に成り下がってしまったのですよ。
私達は、一昔前の教育で、英語の文法を先に学んで、会話は一度も習わないままに、大学まできました。

 だから、ドイツ在住の日本人でも、新聞は読めるけれど、ドイツ人とウイットにとんだ会話は全く出来ないという人達を多く見受けました。

日本人はドイツに留学しても、直ぐにコロニーを作ってしまって、日本人同士としか付き合わないからですよ。
今では、先ず会話を習って、それから、徐々に文法ですが、それは全く正しいと思いますよ。

表現は会話にはあるけれど、文法にはないからね。
言葉と時短は何の関係があるの?って???

言葉における、「文法」は本来的には、定型の括弧くくりの作業なのですよ。
数学の計算式も同じなのですよ。

だから、私は中学生の時に、先生に何時も、
「これは現実の世界では何を意味するのか?」と何時も質問していました。

 高校生の時に、
「現実の日常社会の中の計算をしているのに、何で虚数が出てくるのか?」と 、高校の先生に質問しました。
勿論、それを答えられる先生は一人もいなかったのですがね。

後に東大に行った同級生に
「先生に聞いたけれど、答えてくれなかったよ。」と言ったら、彼は「現実の家の中に線を引けないから、鏡を立てて、鏡の中で線を引くのだよ!」と明確に答えてくれました。
高校生でも、頭の良いやつは違うね!!

四角四面の答えじゃないんだよ。

 
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[feedbackについて]

Facebookではありませんよ!feedbackですよ!!

私が、人にものを頼む時に、その人の仕事が立て込んでいて、忙しい時にはよく、
「後で、時間が出来たらやっておきます。」と返事をされる時があります。

通常は、この
「時間が出来たらやっておきます。」というのは、婉曲的断りの言葉です。

しかし、希に、本当に、
「後で・・・」と言っている場合があります。
しかし、忙しさにかまけて、・・・で、そのまま忘れ去られて、その仕事のオーダーは二度と、なされないままになってしまいます。

要は、ヨージーの仕事の法則にもあるように
「後での仕事はない」のですよ。

「でも、本当に仕事が忙しくて出来なかったから」と、弁解される事もあります。勿論、仕事が忙しくて、私のオーダーの仕事を仕事のリストに加えることすら出来なかったのでしょうけれど、selectされた方としては、ちょっと頭に来ます。

会社として仕事を連携するのなら、そこで私が仕事をオーダーして、その間別の仕事を進めることが出来るのなら、会社全体としての仕事は捗る事になります。それが連携の仕事の仕方です。

ちょっと、意味合いは違いますが、私が連携する仕事でなく、一人の仕事をしていて、仕事が立て込んでしまって、超忙しくなって、締切に間に合いそうになくなった時に、よく私は人が驚く行動に出る事がよくあります。

それは、途中で仕事を投げ出して、部屋の整理や掃除、洗濯等、仕事でお座成りになってしまっている日常の仕事をするという事です。

仕事でバタ狂っている私が、突然そういう事を始めてしまった所を、初めて見た人が、「先生はついに、仕事を投げ出して、諦めに入った!」とか「ついに先生が発狂した。」とか、びっくりしていました。

私は通常では、仕事に遅れる事(締切に遅れる事)も、仕事をなげる事も絶対にしないし、やった事もないからです。

 

仕事が煩雑になって、追い詰められた時には、人の頭の中は無意識に混乱状態になります。

一度、追い詰められて混乱状態になった時には、人は無意識に同じ作業をしてみたり、間違えた方法で仕事をしたりと、負のスパイラルに陥ってしまいます。
そうなると、やる事なす事、一生懸命やればやるほど、仕事が逆に増えて、二進も三進も行かなくなってしまいます。

そういった時に、一番大切な事は、一度その作業を外から客観的に見つめ直してみる・・・と言うことです。
どうしたら、外から見れるか??と言うと、その意識を一度抜いて見ると良いのです。
仕事で行き詰まったら、部屋の掃除をするとか・・です。
それだけで、自分の意識から離れる事が出来ます。

ちゃんと、客観的に見えてくると、仕事の作業行程でバイパスを見つける事が出来たり、仕事の一部を人に頼んで、時短をしたり、或いは、その決められた締切ではなく、後回しにしてもよい仕事等も見つかったりして、手順を見直す事が出来るようになります。
それ等を上手くもう一度組み直す事によって、絶対に間に合わない仕事でも間に合わせる事が出来るのです。
本当に追い詰められた時には、そういったリスクに対応出来る能力も必要になります。
人生を悩む人が追い詰められていくのは、自分で自分を追い詰めるから、逃げ場がなくなるのです。
禅メディタチオンも、人間のそういった業から自分を解き放して、客観的に自分や周りを見る所から始まるのです。
心理学の内観法も同じなのですよ。
でも、内観や禅はそれ自体が難しい。
掃除や整理整頓なら誰でも出来るからね。

しかし、人は自分が追い詰められた時には、その束縛から逃れようとする事は、なかなか出来ません。
追い詰められて、何とかそれから逃れようとすると、ますます結果を恐れるあまりに、追い詰められて(というか、私に言わせると自分で自分を追い詰めているのに過ぎないのですがね)、混沌としたその泥沼の中から抜け出す事は難しいのです。
それを一般的には負のスパイラルといいます。
もう少し、分かり易く言うと、仕事が忙しくなって、その仕事がこなせなくなってくると、パニックになってしまって、仕事にたくさんの無駄や失敗が出てしまうので、ますます仕事が遅くなるというスパイラルに陥るのです。
そういった時に、いくら私がadviceをしても、誰もadviceを聞いてはくれません。
そして、無駄をイタズラに重ねて行くのです。
そういった、追い込まれた時にこそ、このfeedbackの手法が必要となるのです。
そこで、ちゃんとfeedback(客観視)をする事が出来れば、思わぬ上手い解決法が見いだせることもあるのです。
しかし、責任感があればあるほど、こういうふうに時間に(ノルマに)追い立てられた時には、feedback(自己分析)をするのは難しいようですね。

教室や会社の場合は、一つの作業工程を、他の人達と分担してこなすことがよくあります。
というか、それが殆どなのでしょうが・・・。

その場合でも、仕事の重要な部分の大半は、ベテランの人がほとんどの仕事をするので、任されている人になればなる程、時間に追われてしまって、他の人への仕事の発注が、ついつい、後回しになってしまう事がよくあります。
それは時短のメトード(の中での、人との共同作業)では絶対にやってはいけない事(下手なやり方)なのです。

つまり、時間のラグを考えてみると、人に発注した仕事はその仕事が出来上がってくるまでに、時間がかかります。
だから、先に仕事を発注してから、自分の仕事にかかれば、発注した仕事が先に出来上がるので、自分の仕事が終わってから、その仕事の続きをする事が出来るからです。
自分に時間が出来てから、仕事を発注すると、自分の仕事は一段落して、次の仕事に取り掛かれるはずなのに、その時に仕事を発注する分けなので、その仕事を完成させる事は出来ません。という事で、必然的に、一つ飛ばしに、その次の仕事を始めなければならないので、その発注した仕事を完成させるのは後回しになってしまいます。という風に、仕事は際限なく遅れて行ってしまいます。
時短は、薄利多売方式のように、3分、5分という時間を稼いで、一日の1時間、2時間という時間を作って行くのです。
でも、時短のやり方と原理は全く同じで、仕事に対しての要領の悪い人は、一生懸命に努力すれば努力する程、効率の悪い無駄な時間を増やして行くのです。

音楽の練習に於ける芦塚メトードは、無駄な無意味な練習を省いて、効率の良い必要最低限の練習をする・・・という事です。
必要、最低限という意味は、人間が本当に集中出来る時間は然程ないからなのです。
ですから、教室で2時間、3時間しか練習出来ない生徒が、某有名演奏家に弟子入りをしたら、5時間、6時間練習出来るようになったと、本人も親も喜んでしました。「やっぱり、有名な演奏家に習うと違うわね〜!」と・・。

しかし、それまでは、丁寧に一粒一粒の音を聞き取って、練習していたのに、指に任せてパラパラと早く練習して、すっかり自分の音を聴けなくなっていました。それぐらい神経を使わないのだったら、何時間でも練習出来るよね。

でも、音の響きや粒粒を丁寧に聞き分けて練習するのなら、学生なら、4時間が限度だと思うよ。プロでも、5時間練習出来る人は少ない。

ちなみに、5時間というのは楽器に向かって練習するという意味で、プロは楽器に向かって練習するよりも、楽譜に向かって研究している時間の方が多いのだよ。

ちょっとお話が横道に逸れてしまったけれど、要は無駄な時間を省く事が、仕事の能率化、効率化の基本なのだという事なのです。

外注は、その人が仕事をこなせるから頼むのだから、当然その分の時短になります。
だから、自分が仕事を終わって、その作業に取り掛かりたければ、幾らその時に自分の仕事が忙しくても、外注の仕事を先にしておかなければ、自分の仕事が一段落した時に、その仕事には取り掛かれません。
だから、どんなに忙しくても、外注の仕事を先にオーダーする事が基本です。
これも時短のtechnicの一つです。

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[脱線して…雑談]

多くの作曲家達は、作曲のアイディアをひねり出すのに、よく散歩をしていました。

ベートーヴェンには、アイディアに没頭するあまりに、山の中に迷い込んだり、隣の町にまで歩いていってしまい、浮浪者に間違われて牢屋に閉じ込められて、それを知った町長が慌てて駈けつけて、ベートーヴェンに謝罪をしたというまことしやかな逸話まであります。

私もリヒャルト シュトラウスが散歩中に使用したという、とても美しい筆跡の作曲のスケッチブックを持っています。(誤解のないように言っておきますが、「持っています。」と言っても、勿論、作曲家本人の直筆譜ではありません。ファクシミリ版です。)

クラシックの多くの作曲家達は(私も含めて)ピアノの前で作曲することは殆どありません。

シューベルトのように、飲み屋でビールのコースターに、作曲をする人も珍しいかもしれませんが、歴代の作曲家達が着ている裾の長いフロックコートのポケットは五線紙を入れるのにとても便利だと言っている作曲家がいました。

…私は、フロックコートは残念ながら着たことがないので、五線紙を持ち歩くという事は、あまりやった事はありませんが…。

ドイツ留学中は、私も、作曲の案をひねり出すために、部屋の整理整頓や掃除だけではなく、よく散歩もしていました。
ドイツの小さな町(Planegg)を取り囲む森はとても素晴らしく、リスや鹿などの小動物や、町の中でもハリネズミなどをよく見かけました。

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