6小節目のsoloの入の後に見受けられるschleiferは心の緊張(pressure)を拭い去ってくれるように、柔らかでたおやかである。
schleiferは書かれた装飾音である。
書かれた音符のrhythm通りに演奏してしまうと、このschleiferの持つ独特の柔らかさ、たおやかさは表現出来ない。
現代の子供達や音楽家には、崩したrhythmであるこのschleiferを演奏する事が非常に難しい、と言う。
日本の音楽教育の場合には、キッチリとrhythm通りに演奏する事が良しとされるからである。
民族音楽(所謂、MazurkaやPolonaisez等)のように、swingしたrhythmは、音楽大学での勉強ではタブーとされるからである。
schleiferはsoloの部分だけではなく、曲の冒頭の最初のtuttiの7小節目auftaktから既に始まっている。
弾き方は、@のauftaktは充分にsostenutoをして、Aは拍の頭を膨らましてから、崩れ落ちるように、decrescendoして弾く。Bはカンニング・ブレス(素早いブレス)
decrescendoをしながらの、大きなdecrescendoで、私は、教室では段階のdecrescendoと呼んでいる。
正にボッティチェッリ風の、優美なしなやかさ(たおやかさ)である。
また、このたおやかなphraseを生かすために、schleiferを打ち消す諧謔的なpassageを挿入している。
少し端折るように、素早く奏くとよい。