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何を持って、「正しい」とするのか?・・・という事は、多くの音大生やPianoの指導者達が言う事は、師匠からどのように教わったか??という事に尽きる。
「私の師匠の言う事は絶対に正しい。」「私の先生が間違えた事を言うわけはないから、あなたの言っている事の方が間違いだわよ!!」って、なる。

しかし、
「師匠が間違えた奏法を・・・」、という話は、私の学生時代等の昔々には、未だ感情論に過ぎず、「何を持って正しい」、・・と言うのか、という理屈は、未だ、音楽を専門的に追求している人達にとっても一般的ではなかった。

しかし、1990年代以降は、古典楽器の復活や、パソコン等の発達による、著しい情報の共有によって、古典派の時代の当時の演奏styleをかなり詳しく知る事が出来るようになった。
そして、その理論を知る事は、何の目的でそのように装飾音を使用して、書かれたのか?という理由が理解出来るようになったのだよ。

その理論は、拍頭の音が非和声音である場合には、その音を装飾音のように、書き表した・・・と言う事は、baroque時代の速記法、所謂、通奏低音の書法によるものなのである。

通奏低音による書法(作曲法)はbaroque時代のみではなく、古典派の時代、つまりHaydnやMozartの時代迄、かなり厳密に守られてきた。

通奏低音とは無関係になった、古典派も後期のMozartや、Haydnの時代になっても、それに一見すると、ensembleとは無関係の、Pianosonateのようなsoloの楽曲に於いても、baroque時代からの通奏低音の書法の慣習は、作曲家の、和声学の基本的なルールとして、厳然とそのまま時代に引き続いて書かれていた。

このMozartの有名な「トルコ行進曲」の冒頭の装飾音にも、この原則が守られて書かれている。

譜例:7
譜例:original譜



baroque時代や前古典派の時代は、未だ通奏低音の時代という事が出来る。

通奏低音とは、室内楽やorchestra等で、Cembaloやorgelのような鍵盤楽器を用いて、和音を補填する時には、通常は、celloやviola da gambaのような低音楽器のpartをそのまま左手で演奏し、右手はそのpartの音符の上に書かれた数字を見て、和音を即興で演奏するという習慣があった。

(soloの曲なのに、通奏低音の書法で書かれている曲は結構多く見出す事が出来る。

[J.S.Bachのcapriccio]

次の曲は、J.S.Bachの初期の作品で、「最愛の兄の旅立ちに寄せて」という副題を持つCapriccioから、3曲目です。
譜例:8
J.S.Bach Capriccio


左手はあたかもchaconneのように、同じ音型を繰り返して行きます。
右手は数字付き低音の部分と、melodieの部分に分かれています。

この譜例のBachの名曲は、Beethovenにも影響を与えたオーストリアの作曲家 フックス(Johann Joseph Fux
 1660年 - 1741年2月14日)の著書「パルナッソス(芸術の山)への階梯(階段)」(Gradus ad Parnassum, 「古典対位法」とも呼ばれる)の影響を著しく受けている作品です。


このFuxの対位法の教科書は、J.S.Bachの蔵書でも確認されていて、名著である平均律のfugaにも多大の影響を見て取る事が出来る。またBeethovenも、この教科書で、対位法の勉強をした、と伝えられる。

また、Mozartの弟子であり、ケッヘル番号で知られているケッヘルが、Fuxの伝記と作品目録を研究して、出版した。
ケッヘルのこの研究の出版がきっかけになって、この古い宮廷作曲家の作品が、改めて陽の目を見る事になった。

Clmentiの同名のPianoの練習曲であるGradus ad Parnassumも、Fuxの影響からか、多くのFugaやcanon、等の対位法の作品を含み100曲に渡る大作なのであるが、現在、日本で出版されているGradus ad Parnassumは、カール・タウジヒ(Carl Tausig, 1841年11月4日 - 1871年7月17日ポーランド出身、ピアニスト)によってselectされた、その100曲の中の29曲に過ぎない。という事で、Clmentiの練習曲は、Czerny50番と同程度の曲集なのだが、実際のEtudeはそのような安直なlevelの作品ではない。
寧ろ、Tausigは100曲の中から比較的、簡単なfigurationの曲だけをselectしたと言える。
ClmentiのGradus ad Parnassumの全曲は、Edizioni Curci社から全3巻で出版されている。

話を本題のbasso continuoに戻すとして、この譜例の最初の4小節の左手の音符の上に書かれている数字であるが、Cembalo奏者はその数字の和音の指示に従って、右手で和音を即興的に演奏する。


それを数字付きバスという言い方をするのだが、Cembalo奏者等が、celloやviola da gambaの譜面とその数字だけを頼りに即興で演奏する場合、melodieの音がその和音上の音ではない非和声音の場合には、即興で伴奏する演奏者にとっては、その音が和声の中に含まれる音であるか、否かは、演奏する側には、いたづらに混乱を招いてしまう。

そのために、melodieの音がそのpassageの和声上で、非和声音になる場合には、その音が
「非和声音である」という事を明確に表すために、前打(斜めの打ち消し線)を伴わない小さな音符で表した。それを長前打音と言う。
長前打音(appoggiatura)は、・・・打ち消し線(Strich)の打線がないので、本当は前打(!!)と言う言葉は、矛盾しているはずなのだが・・)打ち消し線のない小さな音符で、書き表わすようになった。

つまり、この小さな音符で書かれた音が装飾音(acciaccatura)の場合には、原則としては、非和声音を表す小さな音符に打ち消し線が書かれて、その音符が装飾音である事を表すのだよ。

だから、敢えて確認するが、Mozartのトルコ行進曲の装飾音は、装飾音(acciaccatura)として打音(strich)を伴って書かれている分けではなく、非和声音を表す小さな音符(appoggiatura)として書かれているのに過ぎないのだよ。
(本来の音だからappoggiaturaなのだよ)

appoggiaturaの場合には、その演奏する単位の長さで書き表す事が多いので、この場合には、一般的に普通に演奏されるように、16分音符のターンのように演奏される方が正しい演奏である。


このMozartの書いたappoggiaturaと、間違えたacciaccaturaによる演奏の違いは、漫画楽典等で、昔々から随分延々と言い続けているのだが、こればっかしはなかなか治らんね!!
このホームページだけではなく、あちこちにも書いてはいるのだがね。

まあ、いくら書いても、俺の論文なんか、誰も読まんか・・・???

アハッ!


schleiferの例

このMozartのトルコ行進曲の場合の次の装飾音は、5小節目にschleifer(シュライファー)というglissando(若しくはportato)を表す装飾音が出てくる。
tempoが早いので、装飾音を強引に入れるために、殆どの初心者の場合には極めて乱暴に演奏される事が多いのだが、schleiferはglissandoのようなimageなので、柔らかく表情豊かに演奏しなければならない。
何度か、模範演奏をして、ゆっくりと演奏しても、充分にschleiferの装飾音は入るのだよ、と確認しながら、schleiferのtimingを指導するのだが、なかなか「鋭く弾かなければ、装飾音が入らない」・・という、思い込みが抜けない。

譜例:
一番上の譜例は、装飾音を拍の前に出す近現代の奏法です。装飾を入れるのなら、このtempoよりも速い速度は不可です。
真ん中の譜例は、標準のtempoで拍頭に合わせて演奏する例です。
一番下の譜例は、schleiferを一番遅いtempoで入れた例です。
その3種類の弾き方のサンプルを載せておきます。

先ずは、5小節目のschleiferの間違えた演奏の例なのだが、装飾音を拍の前に出す、出さない・・・という事よりも、装飾音の後の音が強くなってしまう・・という事の方が、実際の被害としては大きい。
近現代的な装飾音を拍の前に出す弾き方では、装飾音は弱く、一番強い音は最後の実音の音になる。
baroqueや古典派の時代の奏法では、譜例の
2段目と3段目の弾き方では、装飾音の頭の音が一番強くなって、実音は逆に抜きの音になって弱く演奏しなければならない。
この表現の違いは大きい。

譜例:9

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