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次の小節は25小節目からの左手の装飾音の入れ方です。
この左手のpassageは、太鼓のimageです。冒頭の装飾音は太鼓のダブルのロールを真似したものです。
譜例:12




「トルコ行進曲の作曲される迄の時代的な経緯」
MozartのAlla Turca(トルコ風)という意味は、トルコ風、・・すなわち、オスマン帝国軍楽隊の行進曲を真似たものです。
右側の写真は、トルコのオスマン帝国軍の行進曲を演奏しながら行進する再現の風景です。
当時のハプスブルク家とオスマン帝国との確執は、神聖ローマ帝国のフランスのマクシミリアン一世が死亡する事によって、フランスがハプスブルク家から包囲されてしまうという、フランスとハプスブルク家の争いが発端でした。
フランス国王であったフランソワ1世は、敵の敵は味方という事で、ドイツ国内のザクセン選帝侯などのルター派勢力、ローマ教皇クレメンス7世などカール5世の敵対勢力と次々に手を結び包囲網を築きあげていった。その中でも最も強い軍事力を持っていたのがオスマン帝国である。これには挟み撃ちになったフランスの起死回生の策として、フランスとオスマン帝国が同盟を結ぶことによって逆にオーストリア本国を挟み撃ちにする狙いがあった。との勿論、
オスマン帝国とハプスブルク家の長年の戦争で、ハプスブルク家のハンガリーが奪われ、
Wienの街は、何度も包囲される(Wien第一次包囲1529年Erste Wiener Turkenbelagerung)・・という陥りました。
ハプスブルク家のハンガリーが元の領土を復活させるのは、トルコ軍が、1683年の第二次ウィーン包囲に失敗し、オーストリア軍、ハンガリー軍、ポーランド軍などの連合軍が反攻し(大トルコ戦争)、オスマン軍を打ち破った後の1699年、カルロヴィッツ条約の成立を待たなければならなかった。
(この節は、一部Wikipediaより抜粋)
その結果、戦勝ムードから、Wienにトルコブームが起こりました。
音楽でも、敵国であるオスマン帝国軍のトルコ風のエキゾチックな行進曲がWienの街でももてはやさり、沢山の作曲家が時流に乗って、トルコ風の曲を作曲しました。
Mozartも、このPianoの曲の「トルコ風」だけではなく、violinconcertoの第5番のV楽章や、オペラ「後宮からの逃走」等々の曲も作りました。

他の作曲家達も、このトルコブームに便乗してトルコ行進曲を作曲しています。天下のBeethovenも、例外ではなく、彼の有名なトルコ行進曲を残しています。
打楽器の多用、大大鼓やシンバル、トライアングル等の楽器で、華やかに??ケバケバしく??・・演奏されます。


ここからは、appoggiaturaではなく、前打音(acciaccatura)が多用されます。
この装飾音を頭に持つ左手の8分音符の連打は、オスマン帝国の軍隊の行進の時に使用された太鼓の、stickのロールのimageでしょう。

Mozartの時代には、まだ、snareは無かったので、jazzのようなsnaredrumは未だ使用されていなかったと思いますので、stickのロールの方が正解です。
オスマン帝国の民族衣装に身を固めた軍隊が、軍楽の太鼓に合わせて整然と行進する様は、今現代に見ても、とても素晴らしいし、格好いいものです。


いずれにしても、当時は前打音は拍よりも前に出す事はなかったので、古楽器的には、拍に合わせて演奏する方が、正解です。


蛇足:ではなく、脱線

ちなみに、ドラマ、「猫侍」のthemasongのbagpipeの演奏は、turkischmmarsch(トルコ行進曲そのものですよね。)
太鼓のstrokeも、トルコ行進曲そのものです。アハッ!







譜例:13

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