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さらに、古典派音楽の大きな発展は、それ以降の音楽の形式となるソナタ形式が確立され、その形式による交響曲や協奏曲などが数多く作られた時代であります。

また、楽器も、Cembaloに代わって、forte-pianoが登場したことにより、より大きな会場でも、豊かな音量で微細な表現を表現する事が可能になりました。

右側の写真はMozartFlugelと呼ばれているforte-pianoです。
Square型のPianoや、Cembaloのような型から、grand型のFlugel(羽)が羽ばたいているような型のPianoという意味です。




参考までに:Square型のPianoです。


写真のような、decoration型の豪華なSquarePianoは兎も角として、Mozart等々の作曲家達が所有したSquarePianoは、当時非常に高価だったFlugelに対して、安価に買えたからだという説があります。
しかし、forte-pianoは、未完成の楽器だった・・と、いう事が出来ます。

このBroadwoodのSquare型のPianoでは、安価という意味が分かりませんよね。

という事で、参考までに、もう一つのorthodoxなSquare型のPianoの写真を掲載しておきましょうね。






特に、Square型のPianoは、音量がなく、構造上、同音連打や音の伸びが悪く、Mozartの演奏するPianoの音がブツブツしていると、Beethoven達が批判していたのは、このSquare型Pianoの影響だと言われています。
Mozartの曲にtrillが多いのも、Square型Pianoの特徴だと言われています。
しかし、この説には、甚だ、疑問もあります。
先のMozart-Flugelの話はどうなっているのかいな??
Mozartの父親のLeopold の手紙では、Wien時代のMozartは、足鍵盤付きのforte-pianoを所有していた・・という話すらあります。








右側の写真がそのMozartの足鍵盤付きのforte-pianoと云う事で、資料に出て来ましたが、これは間違いですよね。
実際にforte-pianoで足鍵盤付きのforte-pianoの資料を探したのですが、それは出て来ませんでした。

多分、この写真は鳴り物入りのforte-pianoではないでしょうかね。
写真が不鮮明なので、定かではないのですが、足鍵盤ではなく、足pedal付きだったのではないでしょうかね。

Mozartが「Turkish March」を書いた1783年は、20万ともいわれるオスマントルコ帝国(1299-1927)の大軍がWienの街を包囲した歴史的な戦い(第2次ウィーン包囲)からちょうど百年目の記念の年でした。

100年も経って、Wienの街では、丁度20世紀初頭のorientブームのように、様々な分野で空前のトルコブームが巻き起こっていました。

写真は、1834年製のウィーン製ピアノです。
このピアノはトルコ式ペダルがあり、ペダルを踏むと、トルコ軍楽隊の打楽器のような音を出すことが出来ます。

このトルコブームに乗って、HaydnやMozart、Beethoven等がTurkish March(Marcia alla turca)を、作曲しました。

既製の楽器にさまざまな部品をとりつけるprepared pianoは、19世紀の始め頃には、発売時の初めから色々な打楽器が組み込まれたピアノが出回った。
右の写真はその一つでJacob Bertscheが1810年に製作した打楽器つきピアノである。多くのペダルがついているが、それらを踏むとドラム、ベル、グロッケンなどが鳴る仕組みになっている。
これらのピアノは18世紀末流行したトルコ風音楽を演奏するためのものであった。
しかし、Carl Czerny がこのような傾向を批判し、「damperpedalとuna corda以外は不必要」と発言した事と、このような流行に人々が飽き始めた事から、こういったprepared pianoは徐々に姿を消していった。

ハンブルク美術工芸博物館蔵


今までのお話は、Mozartは貧乏だから、安いSquare型Pianoしか持っていなかった・・というSquare型Pianoの話とは矛盾してしまうのですがね。

また、当時のforte-pianoは、ダンパーやハンマーの打弦の位置が、演奏の度に、調整をしなければならず、外枠もCembaloと同様に、木製なので、forte-pianoの弦の強い張力で歪みが生じるために、調整が必要でした。
本当ならば、外枠の歪みを防止するために、弾いた後、弦を緩めたいところですが、そうは行きませんよね。

宮廷等のように、楽器が、職人の手で常に管理されている分けではないので、個人で所有している場合は調律も自分でしなければなりませんでした。
でも、当時の若者達は、慣習的に、調律も出来たはずです。
Goetheの「若きウェルテルの悩み」Die Leiden des jungen Werthersの中でも、人妻であるシャルロッテの元に訪問する口実はPianoの調律です。

現代でも、Cembaloを購入する時には、調律を学ぶ事が、必要最低条件です。
Cembaloも外枠が木製なので、天候が変わって湿度が変わると、pitchが狂うし、音の強さも調整しなければなりません。
ですから、常に、bestな状態で演奏するには、しょっちゅう、調整もしなければなりませんでした。
勿論、これはproの音楽家の場合の話です。
一般の上流家庭の場合には、常に、ベストな状態でピアノを弾けたかどうかは、難しかったのではないでしょうかね?
でも、それが当たり前の時代なのです。
音が狂わない、今のPianoの方が、奇跡なのですよ。
便利になると、そういった、音に対する技術も失われてしまいます。

教室には私のspinetやCembaloを含めて4台のCembaloがあって、1台のpipeorganがあります。

右側の写真は、Cembaloの調律をPianoの子供達に指導している写真です。子供がマスクをしているのは、Cembaloのためではなく、今の子供達は皆、花粉症で、常時マスクをしています。
私達は、無農薬の回虫世代なので、アレルギーは何もありません。
ついでに、Cembaloをtuningする時のtunerですが、私の使用しているtunerは基本的には数台あるのですが、自宅に置いてあるtunerは超高性能のtunerで、純正調の調律が8種類予め内蔵されています。

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