勿論、自分の好みの純正調を任意で作り出してmemoryする事も出来ます。
教室では色々な曲を同時に演奏するので、純正調に調律するのは難しいのですがね。
昨日は、梨紗さんのbaroqueviolinと斉藤先生のbaroqueviolinの音が噛み合わないので、音を揃えるためと、purcellのtriosonateのmelodieに合わせた音色を作るために、新しいgut
stringを買って来て、baroqueviolinの弦を張り替えました。
ただ、椎名町の事務所のCembalo(spinet)は、本当のbaroquepitchで、427cycleだったので、千葉のCembaloが、なんちゃってbaroquepitchの418cycleなので、その都度、tuningし直しをしなければならないので、「椎名町もなんちゃってbaroquepitchにして欲しい」という事で、急遽、5分ぐらいでtuningをやり直しました。
チョッと雑過ぎると思われるのかも知れませんが、実は、この所、雨が酷くて、湿度も超高いので、(大雨で、2015年の9月に大洪水が起こったのは周知の事実ですよね。) 真面目に調律しても、しょうがないし、練習時間もなくなってしまうからです。
それに、pitchを10cycleも下げたら、暫くは、弦が上がってしまうので、1,2週間の間に、2,3回tuningをし直さなければならないからです。
勿論、先生達も、gut弦を交換したばかりなので、baroqueのlessonをしようと思ってlectureをしていても、10分おき、15分おきに、中座して、tuningし直さなければなりませんでした。
baroqueでは、曲のimageで弦を変えたりするので、張替えは慣れないといけません。
BiberのRosary Sonate等では、曲の途中(楽章の間ではなく、1曲の途中です。)で、pitchを変えたりするので、前回の演奏会ではbaroqueviolinを2台、3台と準備して、曲の途中で持ち替えたりしました。
baroque時代のお客さんと違って、今のお客さまは、気が短いのでね。
梨紗さんがやっている作業は、gut弦を長さを調整して切って、endの玉を作っている所です。膝の前に置いてあるのはノギスで、弦の直径を図ります。弦の直径は0.02mm単位で違うので、その曲の最良の径の弦を見つけなければなりません。
そのために、このbaroqueviolinにとっての、標準の直径の弦を先ずは、探さなければなりません。
床に座り込んで、作業をしているので、不思議に思われるかも知れませんが、机の上では、楽器が板に直接あたるから、楽器が痛む事があるからです。
つまり、絨毯のように柔らかいものの上で作業する方が、楽器にとって、安全だからです。
baroqueviolinの場合には、総ての弦を総替えするのは、極々当たり前の事だからです。
まさか、机に、超厚手の絨毯を被せる分けにもいかないからね??
また、baroqueviolinの場合には、一種類の弦を選べば良い・・という分けではありません。
曲のimageのお話を引き合いに出さなくても、斉藤先生のlifeworkのBiberの作品は、scordaturaで作曲されているので、同じG線であっても、Bにtuningしたりするので、弦の張りが変わってしまいます。
だから、scordaturaの場合には、音の高さに合わせて、弦の直径も変えなければなりません。
その弦が、どの高さ(pitch)で、tuningされるのか、に依って、弦を選び直さなければなりません。
弦を選ぶのも難しい作業なのですよ。
さてさて、またまたforte-pianoの話に戻って、な、な、な、なんと、Pianoの外枠が鉄骨になるのは、1840年代からです。
外枠が鉄骨になると、張りの強い鉄線でも、張る事が出来ます。
鉄線だと、工業生産が出来るので、Pianoのコストも結構、庶民の手に届くようになってきます。
いよいよビーダーマイヤー時代の到来になります。
その時代になると、Pianoも工業生産になり、英国やFranceでの大型のdouble actionを持つPianoの生産が盛んになります。
つまり、forte-pianoの終焉です。
おお、神々の黄昏!!
話を戻して、forte-pianoの打鍵の機能のお話をしましょう。
本来ならば、このお話は、forte-pianoの所ですべき話なのでしょうが、Clementiのsonatineの作曲のお話にも関係して来るので、敢えてここでもする事にします。
forte-pianoの機構は、大きく「イギリス式」と「Wien式」の二つの形式に分かれます。
その違いは、音の出し方は、「Wien式」(跳ね上げ式)は鍵盤と連結したhammerを、鍵盤を押し下げることによって跳ね上げて弦を打ちます。一方「イギリス式」(突き上げ式)は鍵盤と連結していないhammerを押し下げることによって、下から突き上げて弦を打ちます。
この方式の違いが、single actionとdouble actionの違いに発展して行きます。
この打鍵の違いによる音の色彩の違いは全く別もので、「Wien式」のactionは、hammerが小さく、鍵盤の深さも浅く、軽快で明るい音色が特徴です。
それに対して、「イギリス式」のtouchは、鍵盤が重いので、touch(einschlag)が重く、、重厚な和音を奏でるのに適しています。
勿論、イギリス式のforte-pianoを開発するのにも、Clementiは多くの尽力をしています。
だから、当然、Clementiは、イギリス式actionの信奉者です。
Muzio Clementi(1752-1832) や「夜想曲―nocturne」の創始者として有名なフィールド John Field (1782-1837)
、練習曲で有名なクラーマ― Johann Baptist Cramer (1771-1858) が「イギリス式」を絶賛しました。
イギリス式actionは、Clementiが手掛けたPianoなので、当たり前の話ですが、FieldやCramerや Moscheles等の有名なpianist達は、Clementi-schule(所謂、Clementi門下生達)なのですから、イギリス式のforte-pianoの一派であるのは、当たり前の話です。
かたやJoseph Haydn (1732-1809) 、Mozart、チェルニー Carl Czerny (1791-1857)、シューベルト
Franz Schubert (1797-1828)、メンデルスゾーン Felix Mendelssohn (1809-47)、ロベルト・シューマン
Robert Schumann (1810-56)、クララ・シューマン Clara Schumann (1819-96) らは「ウイーン式」のピアノを好みました。
勿論、ChopinのFrance製のPleyelPianoも同じ「Wien式」のPianoなのです。
ChopinのPleyelのforte-pianoは、時代も19世紀になるので、音色も機能も殆ど、現代のsteinwayPianoとあまり変わりませんが、MozartやHaydn時代のforte-pianoは、音色も寧ろ、Cembaloに近い音がしました。
それは、forte-pianoの弦も細めであって、そのためにhammerも小さめで、hammerに被せてある布(皮)の材質に依って、音色が固くなったり柔らか目の音がしたりしました。
しかし、forte-pianoの歴史の中でも一番古いSilbermannによるforte-piano(J.S.Bachが酷評をしたという)を復刻した楽器によるBachの音楽の捧げ物の演奏を聴いた(私が未だ音楽大学の学生である頃、NHKの放送で聴いて)、baroque時代以降のforte-pianoよりも、現代のPianoに近い音がしていて、とてもbaroque時代に作られた楽器であるとは信じられないような楽器で驚いてしまった・・記憶があります。
勿論、You Tubeでも聴くことは出来ます。
forte-pianoは、Mozart時代からBeethoven時代に掛けて、一台、一台のforte-pianoが、全く別の楽器でもあるかのように、音色や機能も発展して来ました。
それは、楽器を製作するのが、未だに個人の家内工業に依っていたからです。(今でも、個人でPianoを製作している人がいます。やはり、個人の音がします。花園の黒Pianoもそういった個人製作の楽器なのです。
昭和30年代にRennerのactionにレスローの弦というのは、未だ殆ど、無かったのですよ。1ドル360円の時代なのですからね。)
forte-pianoに張られている弦や、hammerの材質や大きさで、所謂、悪評の高いブツブツしたforte-pianoの音がする初期の楽器から、Mozartのコロコロとした美しい音や、歯切れのよいtouch等、forte-pianoは一台として同じ物がないのが、現状です。(そういったhammerの材質等は、こんにちでも未だ謎なのです。)
私が子供達のために、forte-pianoを購入しようと思った時に、どの時代のどのforte-pianoに絞ってactionやhammerの型や材質を決めるかを思いあぐねました。
もっとも、発注するまえに、製作コストの面で諦めてしまいましたがね。
MozartやHaydnの時代のforte-pianoがカンブリア紀の楽器だとすると、Beethovenの時代は、次の現代のPianoに移行する黎明期と呼ぶ事が出来ます。
先ずは、その比べ用もない、表現力の差です。
Pianoの製作者達は、Beethovenに自分の制作したPianoを贈呈して、その楽器の持つ効果を最大限に引き出す曲を作って貰いました。
Walter 「Wien式」5octave PianosonateOp.13"Grande Sonate pathetique「悲愴」1798年作曲
Jakesch 「Wien式」5octave Op.27Nr.2 1801年「月光ソナタ」 Op.31Nr.2 1802年「Tempest」
erard(エラール)francで「イギリス式」のPianoを製作:ちなみに何故、イギリスだけカタカナか??というと、イギリスという地名は無いからで、日本語と原語では、地名、国名が違うからです。
1796年から、Beethovenに「イギリス式」のPiano(5octave半)を贈る。
Beethovenは erardPianoで、Op.53 .1803/04年「Waldstein」Op.57
Op.57 .1804/05年「Appassionata」
Op.58 .1805/06年Piano・concerto第4番
「Wien式」から「イギリス式」にPianoを交換した理由ですが、WalterやJakeschのPianoでは、damperpedalが膝で操作していたのに対して、ErardのPianoでは、footpedalになっています。
一番大きな理由は、そういった改良点でしょうか??
MozartFlugelの膝のdamperは、pedalの操作としては最悪です。
しかしBeethovenは、「イギリス式」のdouble actionのPianoには、必ずしも、満足はしていませんでした。
ベートーヴェンは「もし、こんな思いtouchのPianoを弾かなければならないのなら、もう二度とPianoの作品は書かない!」とまで、文句を言っていて、再び「Wien式」actionのPianoに、戻ってしまいました。
1796年にはJohann Andreas Streicherに、更に、1809年以降、改良されたPianoを借りて「Wien式」のPiano(6octave)を贈られて、Op.81aPianoconcerto第5番「emperor」を作曲しました。.
しかし、1818年にはBroadwoodが、はるばるLondon港からWienまで「イギリス式」のPiano(6octave)をBeethovenに献呈しました。このPianoは或意味、或程度完成されていて、この楽器で、Beethoven最後の3つのPianosonateOp.109(1820年)、Op.110(1821年)、Op.111 (1821/22年)という偉大なPianosonateを作り上げました。
Beethovenが最後に所有していたPianoは、Conrad Graf製作作のPiano(6octaveと4度)です。
BeethovenのConrad Graf のPianoよりも少し小さめなConrad GrafのPianoなのですが、SchubertのPiano(5octave)は、初期のSchubertが所有していました。また、このSchumannが結婚式の時に贈呈されたPianoも、Conrad
Grafでもあって、Clara Schumannの愛蔵のPianoでもありました。
このPianoによる、Beethovenの最後のPianoの作品は、Op.120の「DiabelliのValseのthemaによる33のVariation」やOp.126の「6つのBagatelle」等です。
19世紀の中頃からは、鉄骨で外枠を作った頑丈なPianoが作られるようになったので、forte-pianoの歴史は、Chopinの死と共に終わります。
それからは、double actionのmonster、grandPianoの時代になります。
なに、・・今のgrandPianoの事ですよ。
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