BaerenreiterのArchiv部門で出しているbaroqueviolinによるレコードの演奏は、とても古式豊かで典雅で、丹精で美しいのだが残念ながら、CDに焼き直されたかどうかは知らない。資料のレコードが江古田の教室に置かれたままなので、私が江古田教室迄行くのは、とても遠いので、レコード番号や演奏者を控える事が出来ないので。
その内、江古田教室に行く事があったら、調べてきます。
他の演奏で、のornamentの理想的な演奏は、曲(楽器)は別の曲なのだが、同じHandel作曲のa mollのrecorderのsonateをマルチン リンデが演奏している盤が素晴らしい。
Musik fur Blockflote で版元はdeutsche harmonia mundi BMG bvcd-38025〜6で注文出来るかも知れない。
「・・・かもしれない」は、何せ情報が古いので・・・。
通奏低音の入り口は、和声学の数字付きbassの延長線上にあるのだが、出口は即興演奏やornament奏法等々とかなり広い分野に渉るのだ。
かの有名なbaroqueの大家であるTelemannや偉大なBachの息子で、(当時は父親よりも名声を受けていた)C.P.E.Bach等もbasso continuoの教則本を上下2巻で書いている程、幅広く、難しく、奥が深い。
また、和声学の知識ではなく、(和声をペーパー上で解くのではなく、鍵盤上で演奏出来る)技術が要求される。
だから、音楽大学の、生半可に囓ったぐらいの、野狐的な和声の知識では、通奏低音を演奏する事は、太刀打ちできないのだ。
しかしながら、Cembaloの演奏者は当然として、baroque音楽を学ぶものにとっては、ornamentの奏法と通奏低音をマスターする事程大切な事はないのだが、残念ながら、日本の音楽大学等でそういった技術を学ぶ事は不可能に近い。
私が未だ若かりし頃というか、ドイツ留学から帰国したばかりの頃、ある音楽大学の学長から、「通奏低音学科を作りたいから大学に来て欲しい。」という打診があった。
私自身は、作曲家でもあるその学長とは、一面識もなかったので、「どういう理由で私に・・???」と尋ねると、「通奏低音が演奏出来る、或いは指導出来る人は、日本には3名しかいない。その内の1名は、小林道夫さんで、既に芸大のCembaloの先生で、もう一人は・・、で、3人目があなたなのです。」という話だった。
勿論、当時はCembalo自体が非常に珍しい時代だったので、当然、未だ、basso continuoのカリキュラムの教材等も、出版されていなくって、全く手探りの時代だった。
唯一、私がミュンヘンで親しく、指導を受けた事もあるHermann Keller学長が、Schule des generalbass spielsという教本を出版していて、私も留学時代に、その教則本を購入して日本に持ち帰っていた。
しかし、その教則本は、MunchenのCembalo科の学生を対象にして書かれているので、非常に高度なlevelの教則本であって、和声の知識も覚束無い日本の音楽大学の学生を対象にして、その教則本を直接、履修させる事は不可能だった。
という事で、私に日本の音楽大学の学生のための通奏低音のカリキュラムを要請されたのだが、その音楽大学に就職する手続きの前の日の夜に、(な!な!何と、)その学長が急逝されて、その大学に通奏低音の学科を作る話は立ち消えとなってしまって、残念ながらそれから40年も経った今日でも、未だに、通奏低音とornamentの学科は日本の音楽大学にはない。
私は、私が指導した全ての受験生達に和声法を受験のcurriculumの一環として指導していた。
別に、入学試験に和声法の試験があるのは作曲科の生徒だけなので、本来的には必要はないのだが、和声の知識があって音楽を勉強するのと、和声の知識が無いままでの音楽の勉強では、曲の分析力や楽典等の理解力が、全くちがうからである。
日本に、帰国して、大学で生徒を指導し始めた時に、音楽の基礎を教える前に、それまで学んでいた悪い癖を修正するのに、その生徒が音楽を学んで来た時間と同じ時間がかかってしまう。か、中村紘子さんのように、最初から諦めるか・・という選択を強いられた。
音楽を指導するには、その悪い癖を修正しない限り無理なのだよ。
大学で音楽を指導して、proを養成する事に限界を感じた私は、人の勧めもあって、千葉に音楽教室を開設した。
初めの頃は、私も未だ若かったので、私自身が、生徒達を直接楽典を指導していたのだが、その頃は、教室の音楽専科の生徒に対しては、音楽理論の他に和声法も教えていた。
今現在(2013年前後)は、病後のために、月一ぐらいしか楽典の指導はしないので、和声をカリキュラム的に指導するのは不可能なので、教材を使用しないで、耳での独自の和声法の指導をしている。
Pianoの生徒達は、Cembaloの通奏低音の演奏は慣れているので、StamitzやVivaldi程度の通奏低音ならば、和声法をカリキュラムとしてlectureしなくとも、理論的にも間違いなく、作れるようにはなっている。
正しい耳が養われれば、通奏低音を理論として勉強しなくても、耳パクだけで演奏するのも、無理ではないようだ。
日本では、装飾音は、非常に軽く扱われていて、一様に(一種類のみの演奏で)鋭く短く演奏される事が多く、また、音楽大学の教授達も、そういう風に一律に指導する事が多い。
しかし、それはとんでもない誤解である。
日本では、装飾音の本来の意味が理解されないままに、装飾音の演奏が行われているからである。
実に面白いことだが、日本人と曲のimageがある。
短全打音は、短く鋭く弾かれる事が多いのだが、MozartのDivertimentoのニ長調のこの曲の前打音だけは、不思議な事に正しく演奏される事が多いのだが、そういうimageが先行していたからであろう。
譜例:Mozart 3Divertimentiより