それに対して、小文字dは、今までの問いかけを打ち消して、切望するような感じなので、訴えかけるような強い音のimageが必要なのです。ですから、音量ではなく、音の比重がより重たい感じでなければなりません。という事で、当然、vibratoも大きなvibratoになります。
この重量のある音を指や腕の力で出そうとすると、音的に割れた(歪んだ)汚い音や、押さえつけた嫌な音になってしまいます。
膝から体を落として、全体重を弓に掛けるように奏すると、深みのある重い音になります。
音の表現は、体でやるのが基本なのです。
特に重量感のある音を出すためには、体全体の重心の移動が欠かせません。
violin等の弦楽器を学び始めたばかりの生徒達は体の移動が全く出来ません。
だから、体を揺らそうとすると振り子のように上体が揺れてしまいます。
そうすると、楽器の構え方が不安定になって、弓の位置や、音も不安定になってしまいます。
正しい体の「揺らし」は、お臍の下の丹田の部分を水平に移動する事です。
昔の、侍の子供達は、上体が常に崩れないように、頭の上に水桶を乗っけて、その水をこぼさないように移動する訓練をしていました。
少しでも、上体が崩れると水桶から水がこぼれて、体中が濡れてしまいます。
冬の極寒の中での訓練は、とても辛い訓練でした。
今でも、色々なアジアの諸国では、行儀作法として、或いは物を運ぶ実用として、頭を常に水平にしておくという訓練をする国が多いのです。
頭の上のお皿に置いた水を入れたコップを乗せたままで、山道を普通に歩けるようになると、一人前で、お母さん達のお手伝いが出来るのです。
violinの場合も、楽器を構えたままで、上体を水平に移動させる事が出来るようになったら、音は安定して、体を「揺らす」事が出来ます。
次のstepでは、上下動なのですが、ツマ先を伸ばして、飛び上がるような姿勢は、比較的に簡単に習得出来ます。
見た目にも、恰好良く見えるので、performanceとして、美人ヴァイオリニストが(本当は女性の場合には、ヴァイオリニストとは言わないのでviolinistinとなるのですが)まあ、良くperformanceでテレビ等で見受ける事が出来ます。
しかし、右側の写真のように、上体は安定させたままで、膝を落として行くRakhmaninovの7小節目の後半からの体の移動は、上級クラスの生徒でないと、難しいようで、どうしても手弾きになってしまうようです。
27小節目からのMotiv深緑色は、黄緑のまとめ(収め)のpassageに挟まれて、その表現が難しい。
このpassageの元のpassageは、5小節目から7小節目の頭の音までのpassageの音価の変形と、挿入されたkleinigkeit(小さな挿入句)から成り立っています。
分かりやすいように、5小節目から7小節目迄のpassageと、27小節目からの挿入句を含んだpassageを比較して、下の段に表記しました。
上の図のような理由から、本来はまとめのpassageであるべきphraseなのだが、25小節目から26小節目の3拍目迄をdecrescendoして収めて、3拍目から4拍目で、急激なcrescendoで、Motivの拡大型から挿入句迄をfortissimoで演奏し、29小節目から、subitoで、収めに入る演奏が、一般的であります。
という事で、このpassageのdelicateな音楽表現は、本来の意味を理解して表現しないとその演奏は、かなり難しいのですよ。
実際の歌で歌う場合には、36小節目をfortissimoで歌ってきて、最高音の次のpassage(青で囲った部分)で、突然に、あたかもfalsettoのように、pianissimoで歌う歌手もいます。
「あたかも」というのは、歌唱技法がfalsettoではなく、fortissimoで、音の響きを広げて最大にkonsonanzを作って、その後、Cの音で、subito(突然に)で、声の芯の部分、(所謂、al
denteの芯の部分)を完全に抜いて、響(konsonanz)だけにする奏法は、ここの部分が最高音でもあるので、超高級なTechnikを要求されますので、世界的にも、その奏法(歌い方)で歌える歌手は、2,3人に、限られてきます。
baroqueの弦楽器では、よく知られた奏法なのですが、素晴らしい独特の響きがします。
しかし、その奏法は、非常に難しい技術を要するので、歌の場合には、よく似た効果を出すfalsettoで代用している人達もいます。
・・・・というか、それも無理な人達の場合には、そのままfortissimoのままで、青の部分も歌ってしまいます。
絶対数では、fortissimoで歌い込む人達の方が圧倒的に多いようです。
それは、仮にその青の部分をkonsonanzで歌えたとしても、その場合には、fortissimoで歌う部分をpianissimoで歌う分けなので、聴衆に対して最大のappealになるので、音価の倍以上の長さでsostenutoして歌うケースが殆どなので、ロングトーンを歌い切るだけの肺活量が要求されるからです。
fortissimoで歌うにしても、pianissimoで歌うにしても、この部分を一息(one breath)で歌い込むのは至難の業です。
では、超一流の歌手の人達はどうして、falsettoのような奏法をするのでしょうか?
それは、先程の、28小節目をfortissimoで演奏するので、また、最高音という事で、曲の最後に二つの山が出来てしまうからなのです。
それに、最後の37小節目を頂点にして、最大のfortissimoにしてしまうと、収めの長さが足りないままに、曲が終わってしまい尻切れトンボになってしまいます。
つまり、曲として、まとまりがつかなくなってしまうのですよ。
だから、一般的には、27小節目を、思いっきりfortissimoで歌うと、最高音の37小節目を抑え目に歌わなければならないのですが、それは、技術不足の人達には難しいのです。
結論は、いずれにしても、難しい。
でも、このお話は、歌の場合のお話で、楽器の場合には、関係ありませんよね。
でも、楽器を演奏する人達は、歌い手のこの難しさを覚えておいて欲しいのですよ。
練習もいよいよ押し迫って来て、昨日は自治会館でのsimulationの練習でした。
・・・という事で、発表会の進行やセッティングの反省等々で、練習する時間が1時間も遅れてしまったので、通り一篇、一度弾くだけの時間しかなく、one
pointのadviceも出来ませんでした。
・・・という事で、昨日の演奏での通り一遍のcheckpointを、下記に記しておきます。
Vocaliseの、確認事項です。
@曲全体のtempo設定を、かなり遅くしました。楽譜上に記されているMetronomのtempoは、無しになりました。本番のstartのtempoは85ぐらいを予定しています。
という事で、指揮のtempoに注意をして、練習の時のtempoで飛び出さないように気を付けてください。
また、曲の入りのtempoを遅くしたので、自動的に整合させるために、7小節目からのtempoのeilenも抑え気味に演奏する事になります。そこはcelloのsoloさんはしっかりと注意してください。