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Op.3のNr6のa mollの.この曲の場合には、violinのpartが1stと2ndに分かれていないので、全体の楽章の中で、一番大きな人数を要するU楽章で人数が決まります。

一番、大きな人数というのは、全体の楽器の人数の事ではなく、U楽章で必要なviolinとviolaの人数という意味です。

下の楽譜は通常は、1stviolinにviolin1と2が、ディビジョンで記載されていて、violinのVは、通常は2nd violinとして書かれているのですが、それぞれのviolinを独立させて、一つの五線譜に書いた譜例です。

もし、この楽譜の通りにviolinT、U、Vを一人づつで演奏したとすると、violin全体では3人必要なので、とすると、violaのパートが2人では、violaだけが、強くなりすぎます。という事で、1人を降り番にしなければなりません。






理想的には、T楽章、V楽章を、solo1、violin2、viola2、cello2、Kontrabass1、Cembalo1の編成にして、U楽章は、viola奏者の人が一人、violinに持ち換えをすると良いのです。
T、V楽章の場合には、orchestraのtuttiの部分では、violin3、viola2、cello2、Kontrabass1、Cembalo1、で、とても良いバランスになります。
U楽章はviolaの一人がviolinに持ち替えて、solo1、violin3、viola1という、soli だけの編成になります。

通常の録音やコンサートでは、このU楽章もorchestraのtuttiとして演奏されますが、baroqueの様式としても、音的にも、このU楽章はtuttiで演奏するよりも、soliで演奏した方が、より響きが良いと思われます。

他のVivaldiの作品もU楽章はsoliで(と言うか、soloとripienoのbasso continuoのcellosoloとCembaloの3名で演奏される事の方が多かったからです。

Vivaldiのcelloconcerto d mollのU楽章も、本来は楽譜には何も書かれていませんが、tuttiがunisonなので、orchestraで伴奏をするには、強すぎます。

という事で、通常は各Pultmasterの人だけで伴奏のpartを演奏します。

子供達の演奏なのですが、前回の八千代の演奏の時にも、美しいcellosoloのmelodieをtuttiの刻みでかき消してしまうのは忍びないので、各PultのPultmasterだけのsoliにしたのですが、それでも強過ぎるので、2ndviolinを省いて、1stviolinのsolo、violaのsolo、celloのsoloのsoli、3本でripienoをしました。伴奏のpartが分かれないで、完全にunisonになっているので、それぐらいが限界でしょう。

Vorspiel(前奏)とNachspiel(後奏)のtuttiは、フルmemberで演奏して、soloの部分はsoliの伴奏です。

蛇足:Pultはpartの事ではない!!
@orchestraでは、基本的に一つの譜面台を二人で見ます。
同じpassageで二人が演奏を抜けてしまわないように、舞台の中心を境にして、客席寄りの人は演奏に専念し、譜めくりは奥側の人がします。
客席寄りの人がシテで、舞台奥の人がワキになります。

Aconcertmasterに対して、各パートのリーダーの事をPultmasterと言いますが、Pultとは、partのドイツ語ではありません。
ブラスバンドでは、Pultmasterの事を、partreaderと言ったり、バンドマスターの略でバンマスと言ったりするので、Pultという言葉とpartという言葉が混同されて解釈される事が多いようですが、その意味は全く違います。
Pultの語源はラテン語で、その意味は(上板が傾斜した机、書見台、教会の聖書台、譜面台)という意味になります。

つまり、譜面台の事をPultと言いますが、Pultmasterと呼んでいる時には、partreaderの意味で使用しているので、そこから混乱が生じているようですね。


参考までに
Vivaldi celloconcerto Op.26Nr.9 d の解説のPageはこちらから

You TubeのVivaldi celloconcerto d の八千代のコンサートでの演奏風景はこちらから

You Tubeでの八千代のコンサートの演奏風景です。曲はヴィヴァルディ、2台のヴァイオリンのためのコンチェルト イ短調 1楽章です。
Vivaldi doppelviolinconcerto a moll Op.3Nr.8 T楽章



Vivaldiのa mollのお話では、楽器の持ち替えを当然のように話ていますが、楽器の持ち替えは、日本の音楽界では珍しいようですが、ヨーロッパでは、至極当たり前の話です。

特にVivaldiの時代では、その方が普通の感覚でしたので、Vivaldiやbaroqueの他の作曲家達も必要最低人数を割り出す時には、持ち替えを想定していました。

私は非常に遅くから音楽の勉強を始めたので、日本人の先生に師事した事は、殆どありません。
そういった意味でも、日本の独特の西洋音楽に対しての考え方はあまり理解出来ません。

という事で、当然、私達の教室の生徒達も、教室のorchestraのmemberに入っているviolinの生徒達は、基本的には全員、violaの持ち換えが出来ます。

教室のPianoの生徒達がCembaloを演奏したついでに、Kontrabassの持ち替えを出来るように・・、普通に持ち替えをします。
教室の先生という立場では、ヴァイオリンからコントラバスまで、弦楽器全部の持ち替えが出来ます。
それが、ヨーロッパでは普通なのですよ。

だから、Vivaldiの考えた必要最低な人数ででも、教室の生徒達は演奏が可能です。

勿論、Vivaldiが指導をしていた、ピエタ音楽院の生徒達も、全員、色々な楽器の持ち換えが当たり前だったはずです。
それがヨーロッパでは、伝統的な普通の教育なのですから。

これも蛇足なのでしょうが、ドイツを中心にして、子供達の音楽教育についてお話します。

私のドイツ時代の友人(勿論、ドイツ人なのですが・・)が副校長をしている、ドイツ最高の子供達の音楽教育の学校である、レーゲンスブルクの教会音楽学校に、取材で1週間以上も寝泊りする機会がありました。

Wienのウィーン少年合唱団と同じように、ドイツ最高峰の少年合唱団を有する教会音楽学校で、バチカンの直営の学校で、男の子だけの学校です。

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