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orchestraのtuttiに、挟まれて行くB、C、Dは,、tuttiに対立する soli(solo楽器の複数形)で構成されるのだが、本来的にはritornelloのsoloの部分は、solisteやCembalistが、予め与えられた低弦のcello(或いはviola da gamba)partの数字付き低音、所謂、basso continuo上に、即興で技巧的(Virtuositat)なpassageを繰り広げる。

今日では、即興演奏というのは、非常に難しい技術なのだが、毎週、orchestraの曲を作曲しなければならなかったbaroque時代の作曲家達にとっては、orchestraのthemaAのみを作曲し、それを展開したthemaや、basso continuoでcelloのpartと和音を数字で指定して、演奏会当日、作曲家が自ら即興で演奏する事は、七面倒臭い作曲の仕事を簡略化するための、非常に有効な手段だったのだ。

また、転調だけで同じMotivを繰り返して演奏する5度や3度のSequenzの進行は、その即興性をさらない、有機的機能的にする、簡略化の為の手段でもあった。

ある意味、cheapな手法では、あったとしても、毎週を忙しく仕事に追われる作曲家達にとっては、有難い技術だったのだよ。

今日では、私達の教室の子供達のように、小学生の頃から、和声の基本を学んでいなければ、Cembaloを専門に勉強して来た音楽家達にとっても、Cembalo奏法を学ぶ上でのネックになっているのではあるが・・・!!

ちなみに、即興と言っても、情緒的に感情に趣くままに演奏すれば良いというものではない。

celloの奏する低音上に、Cembaloの演奏する和音の進行の中で、正確に演奏しなければならないからである。

作曲家がsolisteを兼ねていた、baroque時代の演奏家達だから、可能な技なのかも知れない。



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soloの部分の比較譜
通常はVivaldiも、soloの部分は、あたかもEtudeのような技巧的(Virtuositat)なfigurationに散りばめられたpassageや、basso continuo(通奏低音)のSequenzによる演奏上に、即興的なornament(装飾的な)Variationを、展開して行く事の方が一般的なstyleなのだが、この曲では、まるでBachのように、堅実にthemaを分解、発展させて展開をしているのは、当時の手法としては極めて珍しく、興味深い。

Vivaldiの非常に勝れた、作曲技法を、垣間見る事が出来る。







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