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ちなみに、72小節目(2小節目)の3拍目のFaナチュラルはFa#のままで、4拍目でFaナチュラルになる譜面も多い。

楽典的には、そのいずれも間違いには当たらないので、Vivaldiのfacsimileを見た事はないので、どちらとも言えない。

但し、VivaldiのSequenz的には、3拍目で和音が変わっているので、上記の楽譜の方が、可能性は高い。

もし、4拍目で音を変更するとしたら、下記の楽譜も可能ではある。この場合には、矢印の音は依音の非和声音になり、その次のナチュラルの音は、第七音になる。あくまで参考の譜例なのだが・・・



パソコンの音源なので、音は悪いのですが、依音の非和声音の参考までに・・・


Sequenzの進行は、即興演奏にとっては、とても大切な手抜き法である。

baroque時代は、作曲家がノルマに追い立てられる時代でもあったので、楽譜(演奏譜)を作成する上でも、即興演奏をする上でも、Sequenzの技法はとても大切な省略法であった。

Beethoven時代のkadenzのように、solisteが自由に転調やfigureの変更が出来た分けではなく、ripienosoloとして、basso continuoでCembaloやcelloが伴奏をしている上での、即興演奏なのだから・・、という制約上の即興の話なのだからね。


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出版社について
改訂版芦塚version制作にあたって

教室で使用しているscoreはRicordi版の指揮用のscoreである。
しかし、part譜はEulenburg版である。

通常は勿論、scoreとpartの版は必ず併せて買うのが常識である。

しかし、orchestraの楽譜は、そんなに売れる分けではない。・・・という事で、印刷部数も限られている。
直ぐに、品切れになってしまうのだが、その割には、中々再版をしてくれない。

という事で、scoreと同じRicordi版のpart譜の楽譜を注文した当時、出版社の在庫切れで、逆にEulenburg版のscoreも手に入らなかったからである。

当然の如く、版が違えば、articulationは元より、音符まで違うので困ってしまう。

はっきり言って、細かい音符に至っては、その比較の論文を書ける程、版によって違う。

殆どの版は、Ricordi版かEulenburg版を底本にしている。

その大本の版がscoreとpart譜も違ってくるから困る。


しかし、話はこれに留まらない。

若しこれが運よく同じ出版社のscoreとpart譜が手に入ったとしても、それで我々の負担は何等変わる事はないのだよ。

同じ出版社であったとしても、articulationや音符は、至極当然で、果ては練習番号まで違っているのだから、始末に悪い。

その節操の無さは、日本の出版社とは、大違いである。

どうして、そんな問題が起こるかというと、scoreを校訂する人と、partを校訂する人が違うからである。

scoreは当然、音楽学者が校訂をする。

それに対して、part譜は当然演奏者が校訂をするからである。

出版にお金がかかっている場合には、violinの校訂とviolaやcello、それにKontrabassの校訂者がそれぞれ違う場合もある。

そうなると、phrasierungは各パートメチャメチャで悲惨なものになる。

日本人は、基本的に全体主義で長い物には巻かれろ・・という風潮がある。

しかし、ヨーロッパ人は基本的に個人主義で、それぞれの主張を大切にする。
だから、一つの本の中で整合性が取れなかったとしても、それを気にすることはない。
その中の主義主張から自分に最もあったもの、symbthyを感じるものを選んで、自分の主義を貫けば良いのだ。

しかし、日本人には、印刷されたものは絶対であるという風潮がある。

だから、そんな混乱があったとしても、それでも、その出版されている楽譜に書かれた事を忠実に守って演奏している団体が居たりして、本当に日本人の演奏家達はeccentricで面白い。

教室ではそんな事をしたら、子供達に「先生!真面目にやってください!」と叱られてしまって、怖い!!

でも、どっちみち、子供達には、orchestraのbowtechnicの基本を指導する分けなので、楽譜に書かれているphraseやarticulationを忠実に守って練習する分けではないので、出版社の違いはそんなに大したことじゃないのだよ。

どっちみち、細かく当時の演奏上の慣習や、orchestra全体としての整合性や、構造上のphraseの違いで、phrasierungを全く最初からやり直すので、寧ろ、原典版のように、articulationやbow slurのような色々な無駄なものが付いていない方が有難いのだから・・。

原譜のscoreにはtuttiからripienoに変わる場所はこのように書かれている。

しかし、それでは、オケcelloやKontrabassのpartは、どう演奏して良いのか分からない。

同様に、ripienoからtuttiへの入りも、その開始音が分からない。

これまでは、細かい音の違いのkritikや、tuttiの終わりの音や開始の音を、練習中に生徒達に口伝で指示していたのだが、より正確さを期すために、芦塚versionを作って、solocello(ripieno cello)と、オケcelloとKontrabassを分けて楽譜に書き表して、混乱を避けた。

下の楽譜は芦塚versionのscoreである。ちなみに、通奏低音のCembalopart作曲は、当然、芦塚陽二の上級生用versionである。

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