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しかし、上記の楽譜のように、同じcanonであっても、演奏会versionでは、violinの生徒達に負けず劣らず、激しく華やかにfigurationを演奏しなければならない箇所もある。
注意深く聞くと、色々なCDで、CembaloがtechnicallなfigurationをMeisterworkで繰り広げているのを聞く事が出来る。
上記の楽譜を制作した萩本美紀も、canonだけでも、3,4種類のversionを作ってTPOに応じて、彈き分けている。

ついでに言っておくと、そういったVirtuositatな演奏譜を作成するのは、私の仕事ではない。

中学生以上の上級生の専科classの生徒達や、先生達が演奏する楽譜に関しては、私がCembaloのpartを作成し、arrangeして、譜面起こしをする事はない。

即興演奏を自分で作る事も、Cembalo奏者の通奏低音奏法のcurriculumの中に含まれている、元々の課題なのだから、生徒達が自分で作って当然なのだからだ。


Vivaldiのa mollの話に戻って

次の話は、V楽章の139小節目からのSequenzの話である。

本来的には、141小節目のcellopartのシ♭やsoloviolinのミ♭は、ナチュラルである。

という事で、カッコ付き♭で書いた。

chromaticなquintZyklusのSequenzは139小節目と140小節目だけで、141小節と142小節はdiatonicになっているので、実際上はquintZyklusは2小節だけで、141小節目からのquintZyklusはもう既に壊れてしまってDiatonikな進行になっている。
つまり、DiatonikのSequenzでは、5度圏は成立しないからである。
しかし、141小節目の二つの音に♭を加えることで、E⇒A⇒D⇒G⇒C⇒F⇒H⇒E⇒Aと、quintZyklusは完全に完成させる事が出来る。

論理的には、こちらの方が理に適っているのではあるが、baroque時代には、そこまでの転調は・・??と考える人達が多いのだが、実際にはBachやVivaldi等も時折、思い切った5度圏を見せることはままある。
そういった理論優先の思い切った和声法の使用は、特に宗教的な曲の場合によく見受けられるが、これは数学的な理論と、宗教性の一致を試みたbaroque時代の考え方にもよる。

宗教的な神秘性が、音楽理論の齎すeccentricな表現に勝るからである。
勿論、Vivaldi自身が、そこまで、5度圏にこだわったかどうかは、知るよしもないが・・・、Vivaldiはカトリックの司祭であったことは、否めない事実ではある。


ChromatikのquintZyklus(5度圏)の例
(私の作曲による1声のみのbasso continuoであり、一番初歩のversionである。 右手を和音ではなく、1声の単旋律にした簡単versionのCembalo譜である。)

本来の音から外れる音をカッコ付き臨時記号で表したが、勿論、私が「このpassageはこの臨時記号のように演奏すべきである」・・と主張しているのではない。

音楽理論を優先して、作曲すると、このような和声進行になる・・・という遊びなのだからね。
くれぐれも、誤解のないように・・・!!

パソコンの音源なので、音は非常に悪いのですが、ただの参考までにということなので、悪しからず、ご了承ください。






いずれにしても、この曲を幼い子供の頃に勉強して来た人が、その記憶の中に141小節目のcelloのシ♭の音やviolinのミ♭の音、或いは142小節目のbasso continuo celloのシ♭を、刷り込まれてしまっていれば、この音の変更は多少は違和感を伴うかもしれないが、初めてこの曲を聞く人にはこの曲に於ける音の変更は、多分、聞いても分からないだろう。
それは五度圏がChromatikで演奏されたのか、diatonicで演奏されたのかの、大同小異のkleinigkeit(小事)であり、論理的にはどちらも間違いとは言えないからだ。


元のversionの音がどういうものだったか??分からないままに説明をしてしまったので、参考までに、日本で出版されている一般のヴァイオリン教則本に掲載されている、同じpassageの楽譜と音を掲載しておきます。
音源はこの楽譜からのパソコンの音源です。あくまで参考までなので、悪しからず



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