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真夏の灼熱の中で、凍てつくように時が止まっている、不可思議な時の無い時間に存在している裸婦達のようなRenaissanceの絵画を見るような悲痛な響きのmonologueです。
これまで、多くのviolinやcelloのsoliste達が、どのように、演奏して良いのか、理解に苦しんで、色々な解釈に拠る演奏をしています。
それは、一つは、こんにちのように、period奏法が研究されて来た事によるsenzavibrato奏法が一般的ではなかったので、vibratoを入れたままで、そういった演奏表現を求めたとしても、それは無理だったからです。

それはmelodieの演奏ではなく、既にoperaのrecitativoの領域になります。

実は、この独特のmelodieは、Vivaldiのありとあらゆる曲の中に、重要なpointとして描かれて居るのですが、多くのsoliste達が、この不可思議なmelodieを、
如何に表現したら良いのか??・・と途方に暮れながら、色々な音楽表現による試行錯誤で演奏していて、未だに、定番の演奏styleが出来ていないのが現状です。

純音楽と描写音楽

Vivaldiの時代には、描写音楽というgenreでも、盛んに作曲されていました。
鳥の声や、小川のセセラギ等、その描写される頻度は、ロマン派の時代や近現代よりも、純音楽と描写音楽との境目は希薄だったのです。

右側の楽譜は、Vivaldiの「四季」の夏の、soloの部分です。
basso continuoの半音階の進行で、不可思議な転調が繰り返えされながら、recitativo風のmelodieが淡々と、歌い込まれて行きます。
しかも、長い!!
多くのsoliste達は、どういう風に演奏したら良いのかを途方にくれてしまいます。

Vivaldiの「四季」はSonettoを題材にして書かれている作品であり、その描写的な絵画の一部として、Vivaldiの独特の音楽表現が用いられたとしても、想像には難くありません。

勿論、このVivaldiの譜面の中のpassageにも、そのmelodieに表題が掲げられています。
Pocketscoreのイタリア語の表題にそのまま邦訳が書き込まれているのは、日本楽譜出版社のPocketscoreなので、その訳をそのまま掲載させて貰いますが、このpassageの冒頭には、Titleとして、
Il pianto del villancello=若者の涙というTitleが書かれていて、その後に音符の上に直接、牧人は北風の過ぎた後の自分の運命を嘆いて悲しむ・・と書き込まれています。

Vivaldiの「四季」は、そういった描写に対しての音楽なのです。


このpassageを音楽の表現として捉えると、eccentricなpassageになりますが、この独自なmelodieを、baroqueやRenaissanceの絵画をimageしながら演奏すると、不可思議だと思われた音楽表現が驚く程、ピッタリと来るのですよ。


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純音楽と舞曲

音楽大学の先生が、Menuettを指導する時に、
「この曲はもっと歌うように弾いて・・」「もっとlegatoを出すように指を寝かせて・・」と指導していたそうです。

巷の音楽教室の先生ならば、仕方のない話なので、私も何も文句は言わないのですが、超一流の音楽大学の先生では、チョッとどころではなく、非情に、問題です。

日本の先生達は、ChopinのMazurkaでも、Polonaiseでも、それこそValseでも、情緒的に演奏させますが、本当はそれは間違いです。
ヨーロッパの人達にとっては、MazurkaやPolonaiseは、日本の民謡のようにdanceを伴った音楽・・というか、danceのための音楽に過ぎないからです。
仮にそのChopinのPolonaiseがdanceのために書かれてはいなかった・・としても、Polonaiseである以上、Polonaiseのrhythmを踏襲しなければならないのは、当たり前の話であって、もし、そのrhythmが
「この曲は純音楽だから・・」と言ってdanceのrhythmを否定して演奏させるとすれば、その曲がPolonaiseである・・というChopinの必然は失くなってしまいます。

MenuetはBachのMenuetであろうと、TelemannのMenuetであろうと、それがMozartであろうと、Beethovenであろうと、MenuetはMenuetのrhythmであり、Menuetのtempoで無ければならないのです。

Menuetのstepは、baroque時代からこんにちまで、歴然として残っていて、私がドイツで見たB級のホラー映画のドラキュラ-の映画の舞踏会のシーンですら、男女が一列になって、Menuetを踊るシーンはちゃんとMenuetを踊っていましたよ。

でもそれは、世界中の映画でも同じなのですよ。
アメリカの映画でも、ヨーロッパの宮廷のシーンでMenuetを踊るシーンではちゃんとMenuetを踊っています。
勿論、Polonaiseも、Mazurkaも然りで、ヨーロッパの人達にとっては、danceの曲は当然踊りを伴うのですよ。
それを日本人のPianoの先生だけが、
「Mozartはdanceのために書いたのではないから」と一切のセオリーを無視して、情緒的感情的に指導する・・・、流石は、他所の国の音楽を勉強しているのに、その国の伝統を無視して子供達や学生達に指導している・・・、いや、巷の音楽教室の先生が・・なら、文句は言いませんよ。  そうじゃあ無くて、超一流の音楽大学の先生がそれを言うから許せないのだよな〜あ!!?(?`^´?)?



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