先程も書いたように、このFrenchbowで、3点支持の弾き方をすると、弓は折れてしまいます。
かろうじて、何とか耐えていたFrenchbowでも、弓のスプリング(戻る力)自体は、もうめちゃめちゃで、何の力もありません。
3点支持の演奏家は、オールドヒルのような、剛bowが、その力尽くの圧力に耐えて、violinを破壊する事も出来て良いのです。
道具は適材適所でなければならないからです。
そうでないと、室内楽の演奏の本番中に、Frenchbowのviolaの弓を折った演奏家がいたそうです。
さすがは芸大生です。
感心!感心!
3点支持の信奉者達もそこまで来ると、筆舌に尽くし難くて、素晴らしい!!!
力尽くで音を出す、ロシア派の演奏家のviolinやcelloの音は、私は嫌いです。
確かに、力強い音なのですが、繊細な美しい音ではなく、ざらついた汚い音です。
私が未だ音楽大学の学生の頃、レオニード・コーガンのチケットが、仕事で、回って来て、仕方なく、演奏会に出かけたのですが、前半を聞いただけで、耳が疲れてしまって、途中で帰って来てしまいました。
そういった話はさておいて、3点支持の弓の奏法では、弦楽器の一番orthodoxな演奏法でも、演奏出来ない技術が幾つも出てきます。
例えば、orchestraで一番華やかな、highpositionで弓の先端で素早いtremoloを続ける、超カッコイイ奏法ですが、弓の先端を素早くtremoloで演奏するので、3点支持では無理なのです。
でも、殆どのorchestraの曲には、そのpassageは出て来るのですよ。
「出来ない!」では、オケの団員にはなれません。
ですから、proのorchestra等に入ったら、3点支持しか出来ないのでは、オケの団員にはなれないのです。
poのorchestraの団員なら、3点支持のままで、「それらしい近い音を出します!」という事では、首になってしまうからです。
ですから、proのオケマンが、通常は、幾ら3点支持で演奏していたとしても、その曲の、そのpassageでは、ちゃんと、一点支持で、その音を演奏し、そのimageを表現をしなければなりませんからね。
proには、「それらしい音」というものは、存在しないからです。
「弾けないから、それに近い音で弾く」と言う事は、所詮amateurの世界の話であって、proの世界には存在しないのですからね。
当たり前の事でしょう??
それがproで、proはproなのですからね。
どうして、日本人って、そんな、当たり前の事が分からないのかな??
外国の指揮者は、日本人とは違って、そういった所は厳しいですよ。
勿論、proのsoliste達も同じです。
写真の女の子の場合には、一般の日本人の女の子からしては、大変恵まれた体をしています。
演奏の写真を見てもお分かりのように、弓のSpitzeを弾いていても、腕や肘には未だ余力があります。
つまり、彼女の場合には、もし3点支持で演奏したとしても、Spitzeに弓が届きます。
それが、外国人のロシア派の人達が、3点支持の奏法に弱点を見いだせない理由です。
しかし、彼女のように、普通の日本女性の場合には、それだけリーチの長い女性は殆どいません。
彼女の場合は、例外なのですよ。
今は昔の、私達が若かりし頃の女性達は、160センチもあったら、既に充分に大柄の女性でした。
しかし、現在では、170以上の女性も決して、珍しくはありません。
180超の女性も普通にいるからです。
しかし、背の高い女性だからと言っても、3点支持で演奏する事が、より優れた演奏をしている事になる分けではないのです。
3点支持でSpitzeのtremoloを演奏すると、上死点と下死点で、弓に微妙な横揺れが起こるからです。
その音は注意深く耳を傾けると聞こえます。
それは、ノイズとなって聞こえてきます。
その音は、本来は「出てはいけない音」なのです。
正しい弓の持ち方さえすれば、演奏出来ない音楽表現というのは、有り得ないのですよ。
baroqueの音楽を生徒に勉強させるのは、その楽器のルーツを学ばせる為なのです。
時代を追えば、一番自然に弦楽器の技術を学びマスターする事が出来ますからね。
楽器が出来た当初から、violinは完成された型で出来たのです。
しかし、その後、時代のニーズに合わせて、改良(私は改悪としか、思えないのですがね・・??)を重ねて来て、その都度、本来のviolinに無理を強いて来たのです。
baroqueviolinから、現代のmodernviolinの改良(改悪・・??)のお話ですが、先ず、一番最初に改良された点は、音量を上げる事です。
大音量を出すための、楽器の改良(??)は、先ず、ネックを長くして、音量を上げることなのですが、そうすると、楽器の本体が弦の張力に耐え切れずに、楽器が割れてしまいます。
だから、楽器本体に圧力が掛からないように、ネックから力木を入れて、その張力に耐え抜けるようにしました。
勿論、baroque時代のガット弦では、その強い張りに耐えられなかったので、弦も、改良が加えられました。
また、そういった楽器の強い張力に耐える弓も改良されてきたのです。
強い張りに耐えられる楽器・・・・(´;ω;`)と、強い張力に負けない、「おしん」のような辛抱強い弓・・・これがモダン(現代)violinの大ホールでも、強い力で聴衆を圧倒する事の出来るviolin製作者の理想像のviolinと弓でした。
それは、音楽が貴族や、教会の人達の音楽ではなく、一般大衆のための、大ホールで、聴衆を圧倒出来る楽器という理想で、弦楽器だけではなく、同時にPianoも、single
actionのforte-pianoから、double actionの現代のPianoへと、或いは、管楽器も自然管の楽器から、ベーム式の、自由に調を選べる楽器へと進化を遂げて来たのです。
そして、強い音量を持つようになった現代の楽器・・・、
力強い音楽の作風で知られているBeethovenでさえ、double actionのPianoの演奏の困難さには辟易して、「私がdouble actionのPianoで演奏しなければならないのなら、私はPianoの曲を二度と書かない!」と言わしめたのです。
Pianoの詩人と言われる、Chopinは、生涯、自分の愛するsingle actionのPleyelのPianoで演奏をしました。
いち早く、double actionのsteinwayを愛用したのは、当然、Lisztです。
彼は舞台に2台、3台のPianoを置いて、弦を切ったり、hammerを折ったりして、演奏していました。
彼にとっては、hammerを折る事もperformanceの一つ、だったのですよ。
楽器は、時代が、近、現代に近付くに従って、進化を遂げ、力強く、豊かな音量を出すようになって来ました。
しかし、当然、ヨージーの法則のよると、失うものも多々出てきたのです。
その最たるものは、美しいpureな楽器本来の響きと、純正な和音(harmony)の美しさです。
強引に力で出した音ではなく、自然の楽器の共鳴によって出された柔らかで美しい響き、そういった響きは永遠に失われてしまいました。
例えば、orchestraは、色とり取りの響きがして、絢爛豪華です。
しかし、orchestraで総ての楽器が、一つの「ドの音」を、同じ音に揃える事は、至難の業なのですよ。
何故ならば、orchestraでは、clarinetのB管のドの音や、hornのF管のドの音があります。
色々な楽器がそれぞれの調の「ドの音」を出さなければならないのです。
そこに出て来る音は、正しく一つの音になったとしても、純正調のドの音ではなく、平均律の、間の抜けた、平均化された「ドの音」に過ぎないのです。
それこそ、文科省の求める真の姿ですよね。
だから、orchestraは文科省向きなのかな??
弦楽合奏や、ブラス等でも、同族の楽器が奏でるorchestraの和音は、puresoundなので、非常に良い響きがします。
その響きは、多種多様な楽器の集合体であるorchestraには出来ないのですよ。
3人よれば、文殊の知恵とか言いますが、烏合の衆とも言うのだよね。