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originalの譜面では、このピンクの文字の所は、basso continuoの部分を除けば、orchestraで演奏されます。

Ashizuka-versionでは、Dittersdorfのcelloconcertoやviolaconcertoでも、soloの部分でorchestraの伴奏では、伴奏の音量が大きすぎて、重すぎるので、各partのパートのマスターだけにして、soliにして演奏させています。
発表会では、オケbackの子供達のconcertanteの演奏の勉強の意味もあるので、Pultmasterのsoliだけにはしないで、そのまま譜面通りに演奏させる事の方が多いのですが・・・。

余談の蛇足で、オケの序列の話ですが、::
Pult(プルト)という単語を、音楽大学の弦の学生ですら、partの他の国の言葉と言う風に勘違いしている人達が多いようです。
でも、Pultの本来の意味は、教会でお説教をする神父さん達が、聖書を置くための台(所謂、演台)を言い、それから譜面台を指すようになりました。一つの譜面台を二人で見るので、(譜めくりの時には、裏の人が捲ります。表の人は絶対に譜捲りはしてはいけません。わざと表裏という言葉を使いましたが、orchestraでは、指揮者を中心にして、左右にそれぞれの譜面台で客席側に座っている人が上位なのです。orchestraでは、客席から左側(シモテ側の一番前の人がconcertomasterと言い、orchestra全体のリーダーになります。譜面台は通常2列で、最前列が1Pult、2Pult、2列目が3Pult、4Pultと並びますが、人数が多い場合には、最前列に1から3Pultまで並ぶ事もあります。これは定形ではないのですが、日本のorchestraの場合には、orchestraの新参者は、Pultの最後尾ではなく、真ん中に座って、最後尾の奏者は、ベテランの奏者が座って、前と後ろからcheckをします。・・怖〜い!!)
弦楽器では、パートのリーダーの事を、Pultmasterと呼ぶ事が多いのですが、管楽器では、バンドマスターという人もいます。

masterの言葉の意味は、ドイツではMeister,所謂、親方として、職の技術を極めた人を指します。
ドイツの音楽大学でも、一般のコースとmeisterclassがあって、日本人でmeisterclassに合格出来た人は、こんにちまで一人もいません。

ドイツでは、violinistになるにも、pianistになるにも、このmeisterclassを卒業して、国家試験を通ってライセンスを貰わない限り、proのpianist、violinistとは呼ばれないのです。

先ず、このmeisterclassに合格出来た人が一人もいないので、ドイツの国家ライセンスを持った日本人のpianistやviolinistは、未だに一人もいません。

という事で、masterの言葉の本来の意味は、厳密には少し違うのですが、この場合には、慣習的に・・リーダーという意味でも構いません。
因みに、concertomasterは、男性の場合です。
女性のコンマスの場合には、concertmistress(コンサートミストレス)と言う言葉を使う場合もありますが、このmistressと言う言葉には、差別的な意味も含まれる、という事で、こんにちでは、あまり使われなくなって来ています。

ドイツ語では、簡単にコンマスの女性形であるKonzertmeisterinという言葉が使用されています。

(この譜面ではなく、細かく分析をした譜面を作ったのですが、homepagebuilder(このhomepageを作成したソフトです。)上のwebartdesigner(動画を加工するソフトです。)では、重すぎてhomepageに持って行けませんでしたので、参考までにpassageだけを掲載しておきます。)
49小節目の後半からは、ripieno solo(になります。

soloとは、勿論、独奏の事ですが、orchestraやensembleの演奏等で、soloを演奏する奏者が複数になると、soloの複数形のsoliとなります。
日本語には、元来、単数と複数の区別が無いので、曖昧にされてしまうようですが、ヨーロッパの原語では、そこは厳格に定義しなければなりません。

baroque時代の音楽の様式で、soloの曲として書かれている曲は、先程も書いたように、soloの楽器とbasso continuoで構成されます。(無伴奏の曲は、ohne Begleitung=伴奏無し・・と書かれています。)

triosonateと呼ばれる演奏形態は、後世の時代のQuartettに相当し、2本のsoloの楽器と、通奏低音(+Cembalo等の和音楽器)で演奏されました。triosonateなのに、4名で演奏しました。trioは3partという意味なので、basso continuoのcelloとCembaloは同じ譜面で演奏するので(melodieTとmelodieUと、数字付きのcellopartです。)、楽譜上は、trioで間違いはないのです。

という事で、
soloのconcerto(ソロ協奏曲)と対照的に、後世ならば、doppel(ドッペル=英語ではダブル)concerto(二重協奏曲)と呼ばれる演奏形態の協奏曲の他に、更に、所謂、Concerto Grosso(Grosso=グロッソ、英語ではgreat=大)大協奏曲と呼ばれる、多くのbaroqueの作曲家が使用した協奏曲の形式(形態)がありました。
です。

これは、先程のtriosonateをsoloのグループに見立てた、triosonate+orchestraの演奏形態なのです。

orchestraに対して、soloは、当然ですが、doppelconcertoのように、soloが複数いる場合には、soliで、Concerto Grossoのように、triosonateのように、orchestraのセクションとソロのグループのセクションの場合には、ソロのグループをconcertante(コンチェルタント)と呼びます。
小さなconcertoと言う、concertino(コンチェルティーノ)とは、意味が違うので、間違えないように注意してください。(concertoに対するconcertinoは、sonateに対してのsonatineと同じような意味になります。)

Concerto Grossoの中の、concertanteのpartに対比するのが、soloになりますが、そのsoloの事をripieno-soloと呼びます。
concertoに対してのripienoと思ってくれても、結構です。
また、concertoのsoloは、Principaleと書かれる事も、呼ばれる事も多いようです。
所謂、violinならば、Violino Principaleが、soloviolinの事になります。
Balletでは、topdancerの事を、Principaleと呼びますよね。

この音楽用語は、baroque時代の様式の音楽用語なので、普通の音楽用語辞典では、掲載されていない事の方が多いので、敢えて、詳しく細かく解説しました。
非常に紛らわしいので・・・・。

ritornellolのthemaを繰り返す時の、Vivaldi先生のtrick

先程も述べたように、themaのtuttiは、作曲家によっては、単純にそのまま繰り返す(repeat)人も多いのですが、Vivaldiの場合には、然程、単純ではありません。

Vivaldiのthemaは、日本では、お子様用の教育教材のように言われている、上記の「a mollのconcerto」のthemaも、簡単なmelodieであるのにも関わらず、どういう分けか、大変覚えにくい・・・のですが、
「どうして、こんなに簡単なmelodieなのに、何故覚えられないのかな??」と言われても、日本人の先生のように、頭ごなしで、単純に覚えようとすると、中々覚えられないのですが、Vivaldi先生の作曲技法のtrickが、分からない(理解出来ない)と、なかなか、「覚えにくい」・・・という、その理由が分かりません。
ついつい、先生は、
「何で覚えられないのよ!」とか、「弾けないのよ!?」と言って、怒り出します。

生徒が中々覚えられないので、
「何でこんな簡単なmelodieが覚えられないのか?」と、いざ、先生が、生徒に対して、自分で実際に歌って見ると、これが不思議な事に、なかなか歌えない。
改めて、
「えっ??何故??」となる。


Vivaldi Op.VNr.6 a moll T楽章のthema




演奏家の人達は、四の五の言わなくても、(所謂、理論的に理解していないとしても・・・)長年の訓練の経験と勘で、覚えてしまいます。
今更、
「覚えにくい!」 と言われても、先生は弾けてしまうので、子供達が弾けないという、その理由は全く分かりません。
という事で、
「ちゃんと覚えればいいのよ。」「努力が足りないのよ!」 と、いう結論に、なってしまいます。


私に言わせれば、
「それって、ちゃあ〜うんだよな〜ぁ!??」

子供達が中々覚えられない・・その原因は、Vivaldi先生が、自分の作品を聴いているお客様達を飽きさせないようにするために、
simpleなthemaに、ひと工夫して、飽きられないように配慮しているからなのです。

Vivaldiの「飽きさせないようにするためのその配慮」は、ただ受動的に音楽を聞いている場合には、なんの問題もないのですが、activeに勉強しようとして、覚えようとする側の子供達にとっては、そのVivaldi先生の「一捻り」が、暗譜をより難しくしてしまっているのです。

という事で、今回、Srちゃんが、themaを間違えて覚えた(或いは、混乱してしまった)のは、Vivaldi先生のお客様を飽きさせないようにするためのひと工夫である、trickに引っかかってしまったのが原因なのです。
だから、そのtrickをちゃんと理解出来れば、Vivaldi先生のtrickに引っ掛かる事は二度とありません。
でも、オケ練習の時に、芦塚先生がsrちゃんには、その事は注意したはずなのですが、srちゃんには、簡単な事で難しい事はない・・という事で、
「難しくはない・・」と舐めてしまったのでしょうね??
「覚えた」と、「うる覚え」の違いが分かるようになるには、もう一段階が必要なのですよ。

手品と同じように、コロンブスの卵であって、そのtrickを一度知ってしまうと、簡単で何も問題がないようなtrickなのですが、このようなホンの些細な一捻りで、お客様に飽きさせなくって、聞かせる事が出来るようになるので、そのVivaldi先生の作曲上の手法を勉強するのは、とても大切な事です。
ドイツ語では、(Genzmer先生は)そういったほんの些細な違いの事を「kleinigkeit」(小さな事)と言って、教室のlessonでも、とても大切に注意しています。

「でも、kleinigkeitは分かるけれど、それでもVivaldi先生のanderung(エンデルング変更修正改正)はおぼえられない!」

確かに、覚えるのが結構得意な子供達で、themaを少し変更して、Motivを増やしたり減らしたりしても平気な子供達がVivaldiのkleinigkeitは、覚えられない。どうしたものでしょうかね??

前振りはさておいて、いよいよ、種明かしですが、・・実は、人間の感性としては、偶数の繰り返しは、いとも簡単に覚える事が出来ます。
言葉を強調する意味でも、同じ音節を繰り返す言葉は、非常に多いのです。
refrainという言葉も、単純な繰り返しを想定しているのです。
段々、とか、侃侃諤諤なんて言葉も、同じ音節の繰り返しで出来ています。
ただ、繰り返しというのは、あくまで、偶数の繰り返しを意味しています。

人間の感性では、奇数の繰り返しは、中々出来ないのですよ。

日本人がよく景気づけにやる「3,3,7、拍子」というのがありますが、それは、「3,3,7」、という奇数の数字が集まったものではないのです。
「ちゃ、ちゃ、ちゃ、*」、「ちゃ、ちゃ、ちゃ、*、」「ちゃ、ちゃ、ちゃ、ちゃ、ちゃ、ちゃ、ちゃ、*」と4拍子で出来ているのですよ。
正しくは、「4,4,8拍子」が正解なのですよ。

*を無しで、手を叩いた場合には、何拍子か分からなくなって、混乱してしまいます。

Vivaldi先生は、その事を利用したのです。

例え、Vivaldiが司祭であったとしても、別に、katholiekの3という数字の偏重、所謂、三位一体とは関係はありませんので、悪しからず!?
3,3,3が神の数で、6,6,6が悪魔の数・・・なんていうオカルト映画もいいねぇ?
9,9,9というのはオーメンだったっけ??
3の3倍の数が9で、その9を引っくり返したのが、6なのですよ。

Beethovenの英雄Symphonieや、Mozartの魔笛のovertureも、Es Dur C(0の数)から数えて3番目の位置で、♭3っつの調で、3和音で、その和音が3回繰り返されて、・・・・という事で、3の数字に拘る事で、神の世界を表現しているのですよ。


そういった前振りを理解した上で、いよいよVivaldiの曲のAnalyse(アナリーゼ=分析)、つまり、本番の曲目の解釈に入ります。



次の楽譜は、この曲の冒頭部分、RTのthemaの1stの入りの部分です。

この曲のthemaは、上記の譜を見て、お分かりのように、themaは、MotivのA1+B3+C1という、甚だ、変形された構造で出来ています。
しかも、Motivだけではなく、小節数の全体も3小節という奇数の、甚だ、変形的な小節数になっています。

A1は、半小節ですが、auftaktの8分音符を持っています。
3回繰り返されるBは半小節です。
C1は更に、半小節に1拍という、半端さ!です。
そのMotivの複雑さは、逆に時代を下った方がsimpleになります。

これが、Vivaldiのthemaを演奏する時の、暗譜の難しさを生み出すと同時に、一見すると単純なMotivから作られている曲のように見えますが、実は、複雑極まりないthemaで、飽きの来ない捻りを醸し出す事にもなるのですよ。

themaはcanonの形式で作曲されています。
最初のthemaは次のように、模倣されて演奏されます。



最初のthemaでは、2ndにthemaが移った時には、対位thema(Kontrapunkt)としての対位旋律である、Bが書かれています。



蛇足ですが、この対旋律はド、ラ#は超難関で全く音が取れません。
同じ対旋律(Kontrapunkt)の次のpassageは、簡単なのですがね。



このritornelloTのthemaが再び登場するのは、ritornelloVの56小節目ですが、その時には、MotivBの繰り返される回数が3回から、2回に変わります。
つまり、Vivaldiのa moll Op.VNr.6の場合の時と同様に、ritornelloの繰り返しの度に、そのMotivの演奏回数が変わるのです。

また、MotivBが繰り返される時には、Kontrapunkt(対旋律)のmelodieとしてKontrapunktBが演奏され、声部の交代をします。
56小節

MotivはA1+B2+C1で、MotivBの繰り返しは、ritornelloTの時の3回の繰り返しが、ここでは2回になっています。


64小節目からはsoloとbasso continuoのripieno soloになります。celloとCembaloの左手は、themaAのMotivを繰り返して演奏します。

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