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figurationが転調されて、繰り返されるのですが、この曲のconceptであるquintZyklus(五度圏)のSequenzに従った動き(転調)です。


その次にthemaのritornelloが繰り返されるのは、88小節目からで、ritornelloWという事で、themaと、体位旋律Bとが、絡め合わせされて、2小節おきに5度圏に従って(quintZyklus)でSequenzされます。

e mollのT度の和音から始まって、90小節目からdominanteZyklusが開始されます。
最初は1小節半の単位で、Eの7から、A7⇒D7⇒G7⇒C5と展開されますが、(96小節)から一気に、展開する小節の単位が短くなって、半小節単位にstrettoで、C⇒F⇒D⇒G⇒E⇒A⇒H(=e mollのdominante)と展開されます。

ただし、Motivは1+2のMotivになっているので、(通常なら、1+1でなければ、偶数の繰り返しにはなりません。)ここでも、奇数の合計3の繰り返しになっています。

・・・・これも変則的なのですよ。

気がつかなければ、そのままなのでしょうが、まだVivaldiの語法を知らない子供達にとっては、感覚的には、不自然な動きになってしまって、覚えるのに難しいのですよ。

88小節





ritornelloの最後の繰り返しであるritornelloXのthemaは、themaが18小節あるのに対して、最後の繰り返しでは後半の9小節半しかありません。


最初のritornelloTの11小節目からの、quintZyklusのpassageは、5度のcanonで繰り返されます。
和音進行は、半小節単位にe⇒a7⇒D7⇒C7⇒fis7⇒H7⇒eとなります。


このritornelloのpassageは、34小節目のritornelloUでも、全く同じに繰り返されます。


しかし、3回目にこのmelodieが繰り返される時、つまりritornelloXの、最後のpassageの事なのですが、おしゃれなのは、最初の2回のthemaのmelodieが次のようになっていたのに対して、

105小節目、最後のritornelloでは、次のように、反対の音型をしたmelodieになっています。



RX、ここの部分105小節目の頭の拍のe mollのdominanteであるHの音からquintZyklus(五度圏)が始まります。
H⇒E⇒A⇒D⇒G⇒C⇒Fis⇒H⇒Eの109小節目でquintZyklusを一周します。




意識を持って聞かないと分からないchangeなのかもしれませんが、ただ、繰り返すだけではなく、ほんのチョッとした(ドイツ語でkleinigkeitといいます。)配慮で、単純なmelodieでも飽きさせないような配慮がなされているのです。

安直な子供向けの教材と思われるVivaldiのa moll等の曲かもしれませんが、見かけのシンプルさとは違って、本当は非常に優れた、考え抜かれた曲なのです。

音楽を演奏するだけと考える演奏家達が日本では大勢を占めてしまいます。
Vivaldiの作曲技法を理解して演奏する事と、
「弾ければ文句ないだろう?」という演奏では、根本的に音楽の深みが違います。
日本人の本当の演奏家が育たない理由もそこいらに見受ける事が出来るのかもしれません。

こういった、kleinigkeit(些細なchange)を正確に理解する事が、暗譜や曲の演奏を確実にする秘訣なのです。
但し、こういった事が書かれている参考書の類は、ありませんから、自分でコツコツと勉強しなければなりません。
それがVivaldiというか、本当の音楽に近づく秘訣なのですよ。



basso continuoについてのお話

もう一つの要素は、ritornelloの形式では、Aと変形されたA'、A"の間には、basso continuo(バッソ・コンティニュオ)による即興演奏のsoloの部分が来ます。

このbasso continuo(バッソ・コンティニュオ)という単語に対する把握が、難しいし、その単語自体が、珍しい聞き慣れない単語ので、baroqueの音楽への把握が難しいのかも知れませんね。

basso(バッソ)・・という意味は、勿論、イタリア語で、バス(低音)という意味で、bassoなので、特に楽器を指定している分けではなく、チェロやガンバ(viola da gamba)等の低音楽器であれば何でも良いと言う事を意味します。

次に、continuo(コンティニュオ)の意味ですが、映画等の最後に出て来る、continue(コンティニュー、続く)と言う意味で、basso continuoと、大きく言葉をまとめると、「常に弾き続けられる低音」と言う意味になります。

baroque時代の音楽は、特に、特定の楽器を指定しない事が多かったのです。
だから、violinのためのsonateであったとしても、recorderで演奏したり、オーボエ等の管楽器で演奏したり、つまり、そこにありあわせの楽器で演奏したのです。
soloの楽器ですら、そうなのですから、伴奏の楽器に至っても推して知るべしなのです。
celloやviola da gamba等の楽器は、当時の民衆にしては、結構高価な楽器だったのです。
celloやviola da gambaですら、高価だったのですから、Cembaloは、天文学的に大変高価な楽器だったのですよ。
私が音楽大学の学生だった時代には、未だ日本には、Cembaloが2台、3台しかありませんでした。
それも、 Neupertのモダン・アクションのCembaloです。だから、学生時代の私の夢は一生の内にCembaloを手に入れたい・・と言うのが、夢だったのよね。勿論、steinwayのgrandpianoとネ。

だから、当時の貧しい、楽器を買うゆとりのない一般大衆は、melodieはrecorderで、baroque時代の、鍵盤楽器であるCembaloの代わりには、ギターのネックの曲がったような楽器であるLaute(リュート)や、それでも高価である人達は、それこそ、もっと安価なギターで、演奏する事の方が普通だったのですよ。

ギターのような楽器を演奏する人の多くは、譜面を読めない人もいました。そのためにはタブ譜(Tablature譜)という、指使いだけや、こんにちのジャズchordのように、和音を表すTablature譜も有りました。

ドイツ民謡「小鳥は来たよ」の五線譜(上段)とギター・タブ譜(下段)

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