フィボナッチ数列とか言ってもよく分からんので、私達は、簡単に黄金分割比と言っています。
どうせ、近似値しか使用しないので、そんなに少数コンマのように正確に作曲する事はないからです。
Bartokは、元来は、建築や絵画の世界で使用されている黄金比によって、作曲をしました。
この増4度の音程は、比率で唯一割り切れない無理数なのです。ドからファ♯までとファ♯から上のドまでは同じ比率で、
しかも掛け合わせると2になる数・・・「1:√2」なのです。
√2=1.41421356・・・・・・という規則性のない数です。
因みに、ドイツのパトカーはサイレンをこの増4度に設定しています。
緊張感と、そこのけ感が良く出ていて、ドイツに行った時に、笑い出してしまいました。
アハッ!
(五度圏とは、和音の基音(ド・ミ・ソの三和音では、勿論、ドの音が基音になります。ド・ファ・ラならば、ファの音が基音ですよね。)
基本の音を理解した所で、和声学の和音の進行の基本で、五度圏と三度圏は、下方に、二度圏だけは上方に取ります。
という事で、調の中だけの五度圏との場合には、ドからファ、シ、ミ、ラ、レ、ソで一周します。
クロマティック、所謂、半音階を含んだ五度圏の場合には、音は12個あるので、その全部の音を表すと、ドから始まって、ファ、その次はシ♭ドイツ語ではB、(英語ではB♭)、ミ♭、ラ♭、レ♭、ソ♭・・・という具合に、12の音を巡る事になります。
くどくどと述べている作曲技法は、即興を的確に、(和音等を間違えないで)如何に楽に格好良く演奏するか??という・・方法論のお話なので、実は作曲家や演奏家に取っての、所謂、アンチョコなのですよ。
たかがアンチョコなのだけど、文章にすると、何か凄い難しい事をやっているように思えますよねえ。
作曲家、演奏家にとっては、アンチョコに過ぎないのですよ。
即興の名手と言われる人も、その即興の技術を楽譜に起こす事は稀です。
それは、単純に面倒くさい・・という事もありますが、それよりも、自分の技術を盗まれないようにする・・という意味もあります。
宮本武蔵の五輪の書を読むと、その殆どが、「以下口伝」とされて、答えは書かれていません。
日本人は、そういったソフトやイディアに対しての価値観が西洋人と比べると、かなり乏しいように、見受けられます。
ヨーロッパの笑い話ですが、或る人が、自分の体調の事を電話で友人の医者に相談していたら、「ここからは有料になるけれど・・」と言われたという、笑い話か、本当の話か分からない話があります。
それぐらい、自分の技術に対して、価値を持っているのがヨーロッパ人です。この事に関してはアメリカ人も同じです。
人間若い時には、自分技術をひた隠しに隠して、自分のi dentityをあげようとするのですが、人間、歳をとると、段々弱気になって来て、人から忘れられないようにする事を望む様になります。
神様ではない人間なので、不老不死は、願うスベは有りませんが、もし、自分が人々の心に忘れ去られずに、記憶されているという事は、すなわち、その人が生き続ける・・・という事なのです。
という事で、年を取ると、突然、自分の技術や作品を残したくなってしまいます。
もう、歳を取ったのですから、今更、技術を盗まれる心配は、もう無いからです。人が自分の技術を盗んだ・・という事は、その人が自分の後継者になった・・という事なのでね・・。
私は、若い頃から、自分が秘密主義であった事はありません。
盗めるものなら、盗んでみな??というのが、私の主義だったからです。
私に追いつこうとする人がいたら、私はサッサか勉強し直して、先へ逃げて行くからです。これが私の信念ですよ。
まあ、余談はさておいて、これがbasso continuoの意味であり、ritornelloの本当の楽しさの意味でもあります。
baroqueは即興の時代なのです。
これが、時代考証なのですよ。
baroque時代のviolinsonateやcellosonateの楽譜は、violinとcelloの2段譜になっていて、Cembaloのpartは書かれてはいませんでした。
corelliのviolinsonateの原譜の譜面です。
Basのpartの最初の4分音符の音の下に書かれた#は、3度上の音が#である・・という意味です。次の6の数字の上にシュトリッヒ打ち消し線のようなものが書かれて居るのは、これも#を表します。次の4の数字の横に+が書かれていますが、これは増4度を表しますので、この場合にはやはり、#になります。
Cembalo奏者は、cello(若しくはviola da gamba)のpartの上に書かれている数字(和音記号を表す)を見て、(あたかも、楽譜上に書かれたコードを見て演奏するジャズ奏者のように)、即興で右手のpartを演奏したのです。
低音の下に書かれた数字は、その音からの音程を表します。何も書かれていない時には基本形です。
この譜例は、Ricordi版の原譜のコピーなのですが、この場合のピンクで囲った「7」という数字は、低音ミの上に、3、5、7の和声を作るという意味なのですが、357の和音の場合には、3,5が基本なので7という数字だけで全部の和音(357の和声)を表す事が出来ます。
ここは和声の基本なので、子供達にも楽典の授業では、常に説明している所なのですが、例えば、ドミソという和音があった時に、基本形は、ドミソなので、ドの音から数えると、ミが3度でソが5度なので、ドに35と書くだけで、ドミソを表す事が出来ます。
第一転回形は、ミソドですが、今度は低音がミになるので、ミからソは3度、ミからドは6度なので、3を省略して6だけで、第一転回形を書き表す事が出来ます。丁寧に書く時には括弧を入れて(3)6と書き表します。同様に、第二転回形では、ソの音が低音の音なので、ドは4度、ミは6度なので、46の和音と書きます。逆の言い方をすれば、3和声で、46の和声と言ったら、第二転回形になるのです。
ジャズのchordの場合には、基本のchordの場合には、簡単に見えますが、和声が増える度に新しい、chordを覚えなければならないので、チョッと凝ったchordなどでは、理解不能なchord番号になってしまい、よほどの達人で無いと弾けなくなってしまいます。
その点、数字付き低音は、とても和声が楽ですし、無い音でも書き表す事が出来ます。
ラの音の上に245という和音だったら、どういう音になるでしょうかね?MozartのPianosonateなどに直ぐに出て来る和音なのですがね。
bezifferten Basという言い方もしますが、この beziffertenというのは、数字の書かれた(数字を振った)・・という意味になります。だから、
bezifferten Basで、数字の振られた低音という意味になります。
事のついでに、Basのpartを見てみると、ミ、ラ、レ、ソという動きをしていますよね。ミの五度下がラで、ラの五度下がレで、レの五度下がソになるので、五度圏のSequenzで作曲されている事が分かります。
Ricordi版では、61小節目は次のようにforteとPianoのcontrastを付けて、演奏するようにarrangeされています。
特にCembaloの通奏低音のpartはtacet soloで、単音で弾くように指示されています。
Vivaldi自身の指示ではないのですが、Ricordi版ではそのようになっています。
(Ricordi版では・・・という意味は、勿論、原典版では、そうはなっていない・・という意味です。)
もし、Concerto Grossoのように、orchestraのtutti、concertante、ripieno、basso continuo soloのように、演奏の規模をいくつかの段階に分けるとすれば、次のように演奏する事も出来ます。
この方法は、教室のkammerorchestra(室内オーケストラ)のように、orchestraの人数が少なくて、音量だけでは、forte、Pianoの対比が上手くいかない場合に、orchestraとsolo群(soloの複数形でsoliと言いますが)によって、音量だけではなく、音質の変化でその効果を表す事が出来ます。
次の場合(60小節目から64小節目まで) においても、forteとPianoによる対比ではなく、orchestra群とsoli群とsoliの3段階のgroupによる対比を試みる事が出来ます。
因みに、このソ、ファ、ミ、レのpassageが2回繰り返されて、3回目は断片とおしまいのkadenz(終止形)が繰り返されます。
image的には、この8分音符は音楽表現的には、全部の音をupで演奏するのが良いのですが、拍頭を表すために、最初の音だけをdownにして、残りをupで演奏する方法を取ることにしました。