ちなみに、言葉の問題ですが、この譜例の最後の小節では、celloのpartがorchestraのcelloと、soloのbasso continuoのcelloに分かれます。この場合には、cello群に対してですから、1solo(=celloのパートマスター1人で演奏するという意味なのでsoloです。
ripieno soloという場合もあります。
ここでは、solo violinとcello soloとCembaloが演奏するので、基本的にはripieno soliと言いますが、一人づつという意味を含めて、ripieno soloと書いてある譜面も結構あります。
(violinのsoloとPiano伴奏の場合には、soliとは言いません。violin soloのPiano伴奏でしかないのですから。)
orchestra自体が、こんにちのような大orchestra(所謂、50名や100名を有する多人数のorchestra)の場合には、ここまでの対比を作ると、寧ろ表現がoverすぎて、eccentric(エキセントリック奇妙・珍妙)になってしまいます。
本来のbaroqueorchestraのように、演奏人数が20名そこそこの場合には、この方法はバランスのとれた劇的な演奏効果を生み出します。
どういった、方法で演奏するのか??は、編成(人数)による選択肢でしょうね。
ritornelloの形式について、説明をする時には、orchestraのtuttiに関しては、かなり詳しい説明があるのですが、soloに関しては全くありません。
その理由は、soloのpartは、本来的には、即興で演奏された事が多いからです。
先ず、当時は、solisteは作曲家本人が兼ねている場合が殆どでした。
当時の作曲家は、自分の楽器であるCembaloとviolinはおろか、殆ど全ての弦楽器と管楽器を演奏出来ました。
それは、当時の作曲家達は、世襲の職業として、幼少期から、早期教育を受けて育ったからです。
basso continuo(通奏低音)というのは、ある意味、作曲の速記法です。
本来的には、violinのsoloを作曲家本人が演奏した場合には、Cembaloの奏者は、orchestraのcelloのpartとその上に書かれた数字を読みながら、そこに指示されている数字から、即興で和音やmelodieを弾いて行くのです。
本来的にはCembaloのpartは、celloのpartの下に、このような数字が書かれていて、それを見て、右手のpartを即興で演奏します。
上記の譜面を私が加筆した、芦塚versionのCembalo譜です。
baroque時代は、上記のcelloの譜面を見ながら、Cembalistは、Cembaloの右手のpartを即興で演奏していました。
下の楽譜は、同じpassageのRicordi版の楽譜です。