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 勿論、弦楽器のデタッシェの奏法に相当する「am/Abend und am Morgen」として、シラブルを切る場合は別にして、legatissimoの歌い方になると、「am(a)/Abend und・・」と後ろの単語を前の音符に引っ掛けて歌う方法と、「am/(m)Abend・・・」のように、前の語尾を次の音符に引っ掛けて歌う方法の2っ種類がある。



通常のlegatissimoの歌い方は、前者の例の次のシラブルの単語を前の音符に引っ掛けて歌う方法となる。

 

 

B: glissandoで音がと切れないまま次の音符へ繫がって行く事は、寧ろ特殊な例である。

オペラで女性歌手がよくやる手法であるが、器楽的には原則として使用しない。

電車が、駅を出発する時のように、最初はゆっくりと、だんだん速くして、次の瞬間に次の目的の音に飛んで打弦する。

 

C: 極めて例外として、次の音に入る直前に、少し下の音から入ってglissandoで上げて目的の音に入る方法がある。ジプシー音楽の独特の手法であり、サラサーテやモンティ等のジプシー風の曲によく見受けられる。

譜例: Sarasate Zigeunerweisen 中間部のglissando

[いつもの愚痴]

Pianotrioで音大出のピアニストとあわせているときに、弦がいつものようにエルガー的な「タメ」で演奏をした時に、ピアニストが「そこでテンポをずらされると、合わせられない!」と怒り出した。

そこで、私が間に入って「タメ」の必要性を説明して、納得してもらったのだが、今度は「『タメ』の長さが毎回違う!」とか、「『タメ』の後のテンポが変わる!」とか言って怒り出した。「それでは合わせられない!」「練習が出来ない!」と宣ふ(のたまう)のである。

「rubato」や「タメ」は、陸上のジャンプと同じなのだから、どれだけ「タメ」をするかで、次のテンポが決まる。それぞれの「タメ」の長さで次のtempo設定が自動的に決まるのだし、「タメ」の長さは「タメ」の前のbreathの深さや早さで決まるのから、それを感じれば次の速度は判るはずなのだ。幾ら個人プレイのピアノであったとしても、同じ「タメ」はそれこそ、ChopinのMazurkaなどで嫌というほど、勉強させられるはずである。「それが出来ない」、「感じられない」という事は、生きた音楽、・・・呼吸をした音楽を演奏した事がない、という事を露呈している事になる。

これこそはMetronomでは練習は無理なのだよね。

そういった音楽上のtempo設定を練習するためにMetronomの練習をするのだけれどね。

 

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「auftaktの拍(takt)よりも前に弾き始める奏法」

上記の「タメ」を、個人一人の伴奏でなく、オーケストラや室内楽の伴奏などで、複数の人達が伴奏に回る場合には、soloを受け持つ奏者がmelodieのauftaktで幾ら「タメ」をやりたくとも、伴奏に回る演奏者が「待ってくれない」 と言うことが間々ある。

勿論、上記のようなauftaktで、伴奏のpartが休みで、次の入りで入ればよい場合等は、どんなヘボ・プロでもちゃんと待つことは出来る。

あらかじめのお約束として伴奏の人達が 「待てる場所」と、音楽の解釈上(演奏の都合上)「待てないpassage」があるという意味である。

伴奏に刻みがあり、揺らしを持ってしても(そこでrit.を入れたとしても)不自然になってしまう、と言う場合等の例である。

その場合には、melodie(solo)を受け持つ人は 「タメ」の長さ分、定められた実際に入ってく音符よりも前に、「タメ」の長さの分だけ、少し早めに弾き始める事がある。

素人目には、分かりにくいのだが、そういった場合とよく似た、実際のtaktよりも早く弾き始めるもう一つのケースでは、「タイスの瞑想曲」や、所謂 「G線上のアリア」として名高いBachの有名なアリア等の例で、「いつ演奏者が弾き始めたのか分からないように、気がついたらいつの間にか弾き始めていた。」 という風に、誰にも気づかれないように、静かに入ってくる、という奏法がある。

演奏自体は曲の弾き始めの実際のtaktよりも早めに、聴衆には聞こえない音から、弓を徐々に動かし始め、taktの頭でやっと聞こえるようにする奏法もある。

 

それほどの神経戦ではなくとも、通常、「入り」の音符の「タメ」のauftaktの奏法は、ほとんどの場合には「膨らまし」を伴って入ってくる。

しかし、弦楽器や歌では当たり前のそういった定石の「入り」でも、ピアノではpianissimoから徐々に音量を上げて入ってくるという演奏は、ピアノの構造上、絶対に出来ない芸当である。

そのためにピアニストにはそういった奏法の「タメ」の感覚はあまり理解出来ない。

その感覚が理解出来ないと言う事は、当然auftaktの「入り」の感覚も理解出来ないということである。

作曲家の意図を正しく認識するにはピアニストと言えど、ある程度は色々な楽器の奏法に熟知していなければならない。

ヨーロッパの一流の演奏家達は色々な楽器に堪能である。ヴァイオリンのグルミヨーはMozartのviolinsonateを自分の伴奏で演奏したCDを出している。

(エッ~??!)

 

例を挙げればそれはきりがない話である。

しかし、ヨーロッパではすこぶる当たり前のこういった事が、日本の音楽界では認めて貰えないのだ。と言うよりも、知らないと言った方が良いのかな??

日本人の音楽家は頑迷に色々な楽器を勉強する事を「アマチュアだ!」といって、毛嫌いする。

ヨーロッパのプロの音楽家は、特に歴史に名を残すような作曲家は原則として、極限られた例外的な作曲家を除いては、複数の楽器に対して堪能である。

それは同時に作曲家の音楽の作曲上の表現力にも繋がっていく。

勿論、演奏家の演奏の表現力にもね。

 

[タメとこらえ性(堪え性)]

「タメ」を初めて指導する時には、なかなか充分に「待つ」と言う事が出来ない。「これぐらい待つのだよ!」と、具体的に何度教えても、待つ事が出来なくて飛び出してしまう。つまり「タメ」には強靭な精神力が必要なのである。つまり、こらえ性が無ければ当然「タメ」の演奏は出来ない。心の表現力の強さが必要なのだ。

それを、テンポのタイミングで覚えて、演奏しようとすると、それは素人目にもとてもlacherlich(レッヒャーリッヒ・お笑い)になってしまう。つまり、格好だけの気の伴わない、力の抜け切った演奏になるのだよ。

 

[subitoとAbschneidung(切断)]

subitoは強弱等につけられることが多いのだが、テンポが突然変化する場合にも、よく使用される。

しかし、困ったことに作曲家は慣習上subitoでテンポが変わる場合には、楽譜上にsubitoという記号を記載しないことが多い。

 

つまり、作曲の技法上の慣習では、楽曲のmelodieが完結しないままに突然別のmelodieに変わる時には、必ず、subitoで最初のmelodieのテンポから、次のmelodieのテンポへと、突然テンポを変化させる場合が多いのだ。

作曲家達は、曲が完結しないままに次のpassageに進む場合には、一般的には「melodieを切断する」という言い方をする。

通常は「切断」には、feintが伴う。

いきなりテンポを変化させるのは不自然だからである。

瞬間的にタイミングをずらすことによって、「切断」を意識させ、次のテンポへ自然に移行することが出来る。

強弱にしても、テンポの変化にしても、subitoには必ずfeintを伴うと言って良い。

 

[staccatissimoからlegatissimoまで]

staccatissimoからlegatissimoまでにはいくつの段階があるのであろうか? 

まず基本的なだんかいではstaccatissimoから始まったとして、staccato、mezzostaccato、legato、legatissimoなどであろうか?

しかし、話はそんなに単純ではない。

staccatoとmezzostaccatoの間にはleggieroもあるし、mezzostaccatoとlegatoの間にはnon legatoもある。

こう言った奏き分けは演奏法の話なので、そこまでは、「直接揺らしとは関係がない」と思われても致し方ないが、これにtenutoやsostenuto、ritenuto等の記号が入ってくると、これはもう、直接テンポに関係してくる。

と言うか、ピアノの生徒達は、mezzostaccatoとtenutostaccato、或いはsostenutostaccato、ritenutostaccato等の演奏上の微妙な違いを弾き分ける事が出来るのだろうか?

 

オケや室内楽では、一見するとAlberti-bassなどの、単純な動きしか演奏していないように思われている低弦のチェロであるが、オーケストラで常にbasso continuo(通奏低音)を弾かなければならないチェロの生徒達は、例えばVivaldiのconcertoの通奏低音の部分とsoloの部分の演奏の違いを弾き分けなければならない。同様に、tenutoやsostenutoの奏き分け、mezzostaccatoの奏き分け、或いは弦楽器にはベーブングと呼ばれる独特の非常に高度なlegatissimoの奏法もあるのだが、そういった奏法の持つ細かいnuanceを弾き分けねばならない。また、当然のことながら、そういった奏法はそれぞれが曲の持つテンポ感を微妙に狂わせ、変化させることになる。

傍から見ると単純な同じAlberti-bassの音を演奏しているように見えるチェロの動きですら、色々なnuanceの奏法をして音そのものを引き分けているのである。

色々な時代のオケや室内楽の曲を勉強していれば、結果として、当然こういったstaccatoからlegatissimoまで奏法の奏き分けや、表現の奏き分けなどが出来たとしても、それは音楽を学ぶものとして、弾けて当然のことである。

 

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記号として表された「揺らし」

 

[揺らしを表す音楽用語]

揺らしを表す音楽用語としては、テンポに関する用語は全て入ることになる。

rit.やaccelerando、或いは等の音楽用語に代表される一連の音楽用語である。

ということで、この項は、すこぶる当たり前の話なので省略しよう!

しかし、このテンポの変化にかかわる単語を調べるときに気をつけなければならないのは、

A群:だんだんゆっくりとなるもの、⇔ だんだん早くなるもの

B群:だんだん弱くなるもの、⇔ だんだん強くなるもの

このA群とB群の組み合わせがあるということなのだ。

 

つまり、だんだん弱くしながら遅くなるもの、逆にだんだん強くしながら遅くなるもの等がある。

その反対にaccelerandoの仲間で、だんだん速くしながら強くなるもの、だんだん速くしながら弱くなるもの、等もある。

それを分類して書き出すとよい。

 

その記号が出てきたところだけが、速度が変化するものがある。

その記号の色々も、楽典の本を参照してください。省略します。

sostenuto(ソステヌート)とtenuto(テヌート)の違いがある。

tenutoは所謂、日本語訳の「保持して」とか「充分に」とかでよい。

しかし、sostenutoはそれよりも少し、思わせぶりな「保持」の仕方をしなければならない。

もっと、より「保持してでなければならないのだ。

日本人の音楽家の先生達が勘違いしている単語にはrit.所謂、ritardandoとritenutoは全く別物であると言う事である。

rallentandoと言う音楽用語もある。それも、ritardandoやritenutoとは根本的に違う。

又、それに近い単語でよく混同される音楽用語にはsostenutoも入ってくる。

この音楽用語達の違いは、だんだん遅くなるものと、そこでいきなり遅くするものがあるということだ。

さて、この「だんだん遅くする」と言う音楽用語をひとつ例に取ってみよう。

Slentandoゆったりとのんびりとしていく

Calando  速度と音量に掛かり落としていく

Morendo  morireは「死ぬ」と言う意味です。死に逝くように・・とか言う意味合いを含みます。(死ぬ人は決して、力強くはないでしょう?息が絶えていくわけだから・・静かに・・・静かに・・・  ・・・ ・

Smorzando Morendoよりももっと穏やかな死を意味します。もっと・・・

Perdendosi 生きる気力がなくなった!(ちょうど、欝状態の私のように・・・)

 

これらの単語は通常私達が一番目にする、一般的に使用される音楽用語のほんの一部にしか過ぎません。音楽用語はお約束の用語なのです。だから、同じ意味を表す用語は基本的にはないのです。同じ意味を表すのなら、一つの用語で充分だからです。つまり、これだけの「ゆっくりとする」と言う意味の音楽用語があるという事は、それだけの「ゆっくりとする」 というnuanceがあるということなのです。

そのほかには、一般的な単語ではないので、此処には出てきませんが、(基本的に音楽用語はイタリア語なので)私はレッスンではドイツ語のBreit(ブライト・幅広く)という単語をよく使います。

それもイタリア語の音楽用語とは微妙に意味が違っていて、sostenutoとAllargando、Grandiose(グランディオーソ)の中間と言うところかな??

 

[音楽が停止する記号]

後は、その記号上で音楽が停止する( フェルマータ)fermata等がある。

fermataの場合には、演奏者はfermataの場所をあらかじめ知っていて、その前からfermataに向かって、「行くぞ!行くぞ!行くぞ!」と畳み掛けて、その頂点で、「行った!!!!」と爆発する。間逆に落ち着いて行って、fermataに入る場合も同じである。

 

それに対して演奏者は全然気が付かないで、突然目の前に断崖絶壁が現れた!と言うような表現がある。所謂、「Abschneidung(切断)」である。

音楽用語ではないのだが、ウィーンフィルの名誉指揮者であったカール・ベームおじさんの口癖であった、stehen bleiben(立ち止まる、立ったままで居る) というドイツ語がある。これは少し意味は違うのだが、「その場で為す術もなく立ち止まる」、という意味で遣われる。音楽が流れてきて、ふと気づくと後は、為す術もなく立ち止まらざるをえない、日本語では「立ち往生する」という感じであろうか!?

 

カール・ベーム先生がウィーンフィルのメンバーを前にして、「私はここでは可哀相なホルンにeinzatzを出さなければいけないのです。私が皆さん達に送れるeinsatzはもうありません。皆さんの責任に於いて、ちゃんと私の指示通りに入ってきてください。」 

世界に誇るウィーンフィルのメンバーが真っ青になる一瞬である。

残念ながら、このstehen bleiben(立ち止まる)やabschneiden(切断する)という言葉に対応する音楽用語はない。

演奏家が指導するときも、「こう弾くのよ!」と口移しで教えなければならない。

困った事である。

 

ところで、指示を出す(einsatzアインザッツ)、という単語は「指示を出す」と言う意味で、ドイツ語の辞書を引いても出てこない。「指示を出す」と言う単語は全く別の単語しか出て来ないし、指揮をするという単語もdirigiernやLeitungという単語になって、どこにもeinsatzeという単語は出てこない。

これも困ったものである。

誰が使い始めたのだろうか?einsatzeは、本来は軍隊用語で、音楽家は慣習的にその単語を使っている。

 

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[タイミングをずらす記号]

音楽記号とは関係がないのだが、曲のタイミングをずらす記号には、譜面上にも音楽記号の代わりによく書かれている記号でブレスの記号(ⅴ)やフェイント(feint)を表す記号(‘)がある。

 

[rubatoに対しての誤解]

ほとんどの奏者がテンポの「揺らし」というとrubato(ルバ-ト)の事を指すと、勘違いをしている。

しかし、rubatoの権化のようなChopinを含めて、作曲家達は、accelerandoやritardando等の記号を組み合わせて書いた「揺らし」と、「rubato」を明確に区別している。

Chopinはrubatoの演奏法に関して、手紙でかなり緻密な説明をしている。

それは、「rubato奏法」は、1~4小節ぐらいの間で、「早くしたら次は遅く」、或いは「だんだん遅くしていったら、次には早く」 と、大きく小節のつじつまを合わせなければならないからである。

最初の1小節が早くなったら、次の1小節は必ず落ち着いてテンポを収めなければならない。それがrubatoである。

rubatoという単語は盗むという意味を持っている。盗んだものは返さないといけない。beatがずれたとしても、大きな拍単位、或いは小節単位、もっと大きくphrase単位ではテンポのつじつまがあってなければならない。だから、早くしたら、遅くするテンポも自動的に決まる。少し早くしたら、少し落ち着けばよい。しかし、非常に早くaccelerandoしたら、急激にゆっくりしなければならない。そして全体の拍が合えばよいのだ。

それを、日本の先生達はad.lib.のように弾く。Rubatoは自由な揺らしではないのだが、そこのところが基本的に分かっていない。

但し、これも音楽用語の辞典では、「テンポを自由に弾く」としか、書いていない。

それが、誤解のもとである。

accelerandoやritardandoのように、早くしたり、遅くした分を次の小節で返す必要がないときには、Chopinはrubatoとは書かない。

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