ヴァイオリン(楽器)がはまる
私の肩は極端な「なで肩」です。
ビジネスマンなどが肩の片側に、ショルダーバッグなどを格好良く背負って、きびきびと歩く姿にあこがれたものだが、私の肩は、何せ極端ななで肩なので、ほんの数歩、歩いただけで、肩からカバンが落ちてしまう。
というわけで、ヴァイオリンを演奏する時にも、これまでの長い年月、色々な肩当や顎あて等を試して来たのだが、未だに私にフィットする肩当や顎当てにお目にかかったことはなく、未だに騙し騙しヴァイオリンを構えている。
私の「なで肩」は本当に特殊で、この30年間の間に、たった2,3人の子供だけが同じ「なで肩」をしている子供がいたぐらいの確率かな?
それが偶然、或る時に、(とは言っても20年以上も前のことではあるが、)生徒のヴァイオリンを選びに楽器店に行っていたときの事だが、生徒のために選んでいた数本の内の一本の楽器が、何と何の苦労も無く吸い付くように、私の肩にぴったりと納まったのだよ!
こういった状態を私達は「楽器がはまる。」と表現している。
ヴァイオリンとしては、250万ぐらいの新作の楽器なので、大して高価なモノではないのだが、その当時の私の経済状態では、ちょっと二の足を踏む値段だった。
楽器自体がもう少しよいものであったとしたら即、買ったのかもしれないが、楽器自体はあまり好みではなかった。
しかし何と、楽器が「はまる」のだよ。
楽器屋さんも「もう少し待ってみたら、もっと気に入ったものが見つかるかもよ。」と言ってくれたので、そのときは、自分の財布の都合もあって、諦めることにしたのだが、それ以降、20年たっても、30年経っても、そういった私の体にぴったりとフィットする楽器にめぐり合ったことは無い。
掘り出し物の非常に良い楽器は、幾らでも見つかるのに、私の体に「はまる楽器」は全く無いのだ。
確かにオケ練習やレッスンで子供達と一緒に弾くためには、「はまった楽器」は、楽器が体の一部になってしまうということでとてもよいことだ。自分が楽器を持っていると言う意識がなくなることはその分音楽や子供の教育に専念できるということでもある。しかしそのために肝心要の音(音色や音量などなど)を犠牲にすることは音楽家として許されることではない。
延々と楽器店に通い続けていると「これは一生の間に2度とめぐり合えない楽器だ。」と言うものに逢えるチャンスがある。そのときはいかなる困難を払ったとしてもそれを逃がすべきではない。
11億のストラディバリがもしその楽器であったら、私としては困るのだが、大体、私にはストラディバリ信仰は無い。ブランド信仰も全くないのだ。
私が偶然、トルテの名弓と、もう一人の名工の弓にめぐりあったときも「この弓は2度とめぐり合えない弓だ。」と思ったのは、何とトルテではなかったのだよ。
弓にはおかげで2度ほど素晴らしいものに出会えたが、ヴァイオリンやチェロに関しては「お前は私の永遠の恋人だ。」と言えるような楽器にはまだめぐり会ってはいない。
ピアノは弦楽器に比べれば、幾ら「スタインウエイだ。」「ベーゼンドルファーだ。」「いやエラールに限る。」などといっても、まだ機械の域を出ないしね。そんなに楽器として、あたりはずれがあるわけではない。
喩え、最高級のsteinwayのような名器と呼ばれるピアノであったとしても、弦楽器のように古くなって、どんどん値段や楽器的な価値が上がって行くのではなく、やはり単なる消耗品として値段は下がっていくんだよね。
話はちょっと余談になるのだが、もう20年以上も前に、日本で超有名な先生に師事をしている、ある小学生の男の子の両親から 「ちょっと相談に乗って欲しい。」 という事で、その子供の演奏を聞きに行った事がある。
両親が言うのは、「ある曲のpassageで、3度の和音を3度のままポジション移動そするのだが、その時に、どうしてもスライド(position移動)する時の音(ノイズ)が入ってしまい、半年以上そこの箇所を練習しているのだが、どうしても出来なくって、毎日親子で泣いているのです。」という話であった。
という事で、彼が演奏しているのをcheckすると、要するに彼の超有名な先生は、「ヴァイオリンを構える時に肩当を使用すると、楽器の振動を殺してしまうので、ヴァイオリンを演奏する時には、絶対に肩当を使ってはいけない。」という主義の先生であったのです。(手短に言うと、肩当を使わせないタイプの先生!)
ですから、その先生の演奏の時には、勿論、演奏中の話ですが、可笑しくなる程引っ切り無しに楽器を構えなおして演奏していました。
という事で、先ほどの生徒の話に戻って、要するに3度のダブルで指盤上を滑らせるので、楽器を親指と他の指で挟んだ形になって、そのスライド音が入ってしまっていたのです。
だから、私が彼のヴァイオリンのネックを持ってあげて、「私がヴァイオリンを支えているから、これで弾いて御覧なさい!」というと、一回で難なくクリヤー出来ました。
「つまり、肩当を使用していなかったので、スライドさせる時に、ヴァイオリンを親指で支えていたのが原因なのですよ!」と説明すると、ご両親がショックと驚きで「これまでの半年の苦労はいったいなんだったのだろう!」とつぶやいていました。
私に「これからどうしたらよいのでしょうか?」とアドバイスを求めて来たので、「あの先生は肩当を、使わせない、使わないのが主義なのですよ。彼はなで肩だから、肩当を使用しないと、親指でヴァイオリンを支える形になってしまいますよ。だから、他の先生を探す他はないですね。」とアドバイスしたら、一月もたたない内に、別の先生に換わっていました。(もっともそれから、2,3人は先生を換わっていたようですが・・・。)
今は、プロのオケでコンサートマスターをやっている有名なヴァイオリニストの小学生の時の話です。
「楽器が嵌らない!」というのとは、違って肩当の話ですがね。
蛇足:の追加です。
私達はFiori musicali baroque ensembleというbaroqueensembleで演奏活動をやっています。
baroqueを勉強しているのは、楽器のルーツを知る事が正しいヴァイオリン奏法を学ぶ事に繋がっていくからなのです。
ところで、baroque時代や古典派の時代にはまだ肩当はおろか、顎あてすらありませんでした。
つまりヴァイオリンは顎に挟んで演奏する楽器ではなかったのです。
古い絵画を見ると、ヴァイオリンを肩の下に当てるだけで演奏している絵がよく見受けられます。
同じようなスタイルの演奏は、今でもジプシーの人達が、殆ど肩と顎には挟まないで、演奏しています。
もし、先ほどの某有名大学教授が自分の主張で、「肩当は楽器の鳴りを阻害するから良くない。」と、主張されるのなら、当然、顎当ても外して欲しかったよね。
それなら、理屈が通るけれどね。
肩当だけ「使っちゃ駄目!」というのに、先生自身が顎あてを嵌めて演奏しているのは、ちょっと、ねぇ〜??