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芦塚先生が、教室を設立した当初は、芦塚先生も結構、methodeの宣伝を積極的にしたので、あちこちの音楽教室から、音楽が嫌いになってしまった子供や、練習を全くしないで、教室に行く事を嫌がっている生徒達が沢山やって来ました。
つまり、芦塚先生の、所謂、芦塚メトードのcurriculumの基本理念は、家で全く練習しなくても、教室に来て、先生と一緒に練習するだけで上手になるという、夢のような話でした。
だから、すっかり音楽嫌いになった生徒のお母様達にとっては、この教室は、渡りに船の、有難い音楽教室でした。
最初の間は、教える側の先生達も、芦塚先生の言う事を半信半疑だったのですが、実際に先生の指導の下で、教えてみると、不思議に、本当に上手くなるから、これは、不思議だ!!
・・・で、子供達も、最初は嫌がって、お母様が強引に引っ張って教室に連れて来ていたのに、喜んで来るようになって、次には、何と、家でも、自分から練習するようになって来るのです。
そこまで行くと、次はどんどん一人でに上達して行きます。
親は寧ろ着いて行くのが、必死なぐらいです。
ここまでは、叱らない、怒らない教育のお話です。
本当は、ここでお話をする内容では無いのですが、教室を設立した時からの、保護者の方からの相談があります。教室開設当初からの相談なので、芦塚先生のホームページのあちらこちらにそのお話が掲載されています。
・・という事で、またぞろ同じ話の繰り返しになりますので、他のページで既にお読みの方は、飛ばし読みをしてください。
子供が言うには 「教室で、先生と一緒に練習をしたり、レッスンを受けるのは、とても楽しいけれど、家で練習する時には、お母さんがすぐに怒るから嫌だ!」 といっている。・・・というか、そういった事を言う子供が多過ぎる。
親に訊ねると、「子供と楽しく練習する事は出来ない。」「怒らないで、叱らないで練習させるなんて事は、とても無理!」と口を揃えて言うのです。
しかも、親が怒鳴って指導しているのが、正しければまだ良いのですが、子供の方が合っていたりして!・・・本当に困る事があります。
芦塚先生の厳し〜い一言では、「親が子供に怒鳴っているのは、「教育をしている」という自己満足なのだよね。」 だそうですよ。
だから、怒鳴っている親の話を聞いていると、大人の立場ででも、理解不能な時が良くあります。つまり、親自身が指導する内容に自信がないから、怒鳴る事で親の権威を維持しようとする。
しかし、芦塚先生のお話では、子供が中学生ぐらいになった時には、もう親に反抗して何も言う事を聞かなくなる。
その時には、親は何でも子供の言う事を聞くどうしようもないダメ親になっているのですよ。
力ずくで教育や指導する場合には、その力関係がチャンと親の側にある時にだけ、有効なのですよ。力関係が崩れた時には、子供は自分の枠を守れなくなってしまうのです。
それが、最悪の状態で出た時の事を、SNBP(負の転換点)と言って、「あんなに親の言う事を聞いて、塾の成績も良くて挨拶もチャンと出来る子供が、どうして・・・」という、バットで親を叩き殺したり、秋葉原で無差別に人を殺したりする子供が出来あがるのですよ。
まあ、そこまでは行かなくても、親の言う事は聞かなくなるのは確実よね。当たり前でしょう???
芦塚先生は、「親の役割を、親は時計になりなさい。」「木の上に立って、子供を遠くから見守ってあげるのが、親の役割なのですよ。」と言っています。ソク啄の話
親は、子供が自立するように育てるのです。自然界の全ての動物はそれが出来るのに、人間だけが、それが出来ない。
子供に依存して頼ってしまうのですよ。
それが「子供の為に・・・」という一言です。子供はそんな事は望んでいないのに、「大人になったら、絶対に感謝するのだから」「あの時、親の言う事を聞いていて良かった、と思う時が必ず来るのだから・・!!」
そんなの、絶対ない!!・・ってば!!
芦塚先生の70年近い人生の経験では、「今、役に立たない物が将来役に立つようになるわけはない。」という事だそうですよ。
教育の本質は、勉強が楽しいものなら、勉強をする事が好きになるのですよ。勉強が辛いものなら、その辛いものは絶対に身につくワケはないのですよ。嫌な物を人間は無意識に排除しようという性質を持っているからなのです。好きな事は何時までも覚えていられるけれど、嫌いな事は次の日には忘れているでしょう??
本当に興味の有る事なら、無理をしなくても、どんどん覚えていくのが人間なのですよ。
だから、興味を持たせるようにすれば良いだけで、ガミガミと子供に接する必要はないのですよ。
子供の頃、ネグレクトの経験のある子供は、自分が親になった時にネグレクトになる確率が高いのも事実です。
楽しく勉強をしてきた親の子供は、母親になった時に、自分の子供の頃母親から受けた教育に感謝するでしょうね。
一生恨まれる親と、どっちがいいのかな??
「そんな事は分かっているけれど、子供に接した時に、楽しく出来ない。」
それなら、かんたんですよ。
親であるあなた自身が、「勉強とは辛いもので、その苦痛に耐えて勉強しないと勉強にならない。」と思い込んでいるのを直せば良いだけなのです。
芦塚先生の言う、人生は一度っきりなのですが、その人生は、今の積み重ねなのですよ。もし、明日、あなたや子供が死んでしまうとしたら、今何をしたいですか?
遠い将来の為に勉強をさせますか?
勉強をして、将来何になるのですか?
何になるかどうか、分からないのに、勉強をするのですか?
中学3年生でも、死ぬ子供は死にます。
そういった、体験を数多くして、人は歳を取っていくのです。
とても大切な事は、今どれだけ充実した日を送っているか??・・なのです。
で、次は・・・・
だからと言って、芦塚先生のlectureは、決して優しいだけではないのです。
芦塚先生のconceptは、(丁度、学校の教育とは正反対で、)出来ない生徒に対しては、叱らないし、怒りもしません。
優しく、易しく丁寧に、それに気長に指導します。
全く、同じレッスンを、生徒が出来るようにならないと、半年間に渡って、した事もあります。
その間、一度も、イライラするとか、感情的に感情を露にするとかしないで、優しく、易しくです。
これも、凄い忍耐力だ、というか、それはもう、不思議だ!!
学校の先生の場合には、生徒が出来なければ、叱って怒って指導しますが、芦塚先生の場合には、出来ない生徒に対しては、何処までも、優しく指導しますが、反対に出来る生徒に対して、結構、厳しい指導をします。
その分かり易い一例は、芦塚先生が生徒に呼びかける時には、原則として、「さん付け」や「ちゃん付け」で呼びかけて、敬称を略する事は絶対にないのですが、でもこれが、上級生に対しては、「名前の呼び捨て」にするのですよ。
教室の先生に対しても、よく「名前の呼び捨て」をしている時がありますが、それは、芦塚先生にとっては、その先生も昔は芦塚先生の小学生や中学生の生徒で、音楽を専攻すると決まった時から、呼び捨てだったからなのですよ。
しかし、名前が、「呼び捨て」になったからといっても、即、芦塚先生のレッスンが厳しくなる分けではありません。
そこには、「呼び捨て」のgradeの中で、チャンとした段階があります。
これが、プロversionになると、芦塚先生の生徒であろうと、教室外の先生であろうと、かなり手厳しいレッスンになります。(勿論、外の部外の先生に対しては、芦塚先生も「さん」付けや「先生」と呼びます。それは当たり前の話ですがね。)
しかし、その指導に関しては容赦は、ありません。何故なら、それは、そのレベルに到達すると、そういった厳しいレッスンに耐えられる能力や意識が出来て、そう言った指導が当たり前になるからなのです。
だから、幾ら音楽の演奏の技術が高くなったからと言っても、意識がそこまでのレベルに到達出来ていなければ、厳しいレッスンには付いて行けませんから、当然、幾ら上手でも芦塚先生のレッスンはそんなに厳しくはなりません。
たかが、日本の私立の有名音楽大学に進学するぐらいなら、ポニョポニョの厳しくない、楽しいレッスンでも、充分なのですよ。
何も音楽大学の先生に付いて、泣きながら、必死になってレッスンを受ける必要は全くないのです。
日本の音楽大学の水準はそんなに大変なものではないからね。
但し、この一文は子供の頃から、教室で音楽の勉強を始めて来た人達への話です。
他所の音楽教室で学んでいる教室外の人達が、この文章を読んでも、そう言った魔法のような保証は全くしませんので、悪しからず!!
あくまでも、芦塚メトードで学んで来た人達に対してのみのお話なのですからね。
ここで、芦塚メトードの生い立ちについてふれておきたいと思います。
芦塚先生は、色々な大学で音楽を教えていたので、約500人以上のピアノの生徒を教える、という得がたい機会を得る事が出来ました。
また芦塚先生自身の調査だけではなく、その他にも、いろいろな音楽教室を経営している友人たちや、芦塚先生のお弟子さんで、既に音楽教室を経営している人達の協力を得て、彼らの生徒たちの問題点等を、詳しく調査する機会を得ました。
そうして、小さな(修学年次前の)子供から、教育大学の学生に至るまでの生徒達が、いったいどういう所で、ピアノの練習に行き詰まったのかを、データをとって、細かく分析する事が出来ました。
またその頃、先生と懇意にしていた出版社の編集長さんが、「ピアノを習う人の約90%がバイエルの70番代から90番代の段階(必ずしもバイエル教則本でという意味ではありませんが)で行き詰まる」と、たいへん興味深いお話をなさっています。
では、なぜそんなにも多くの人がバイエルの70番ぐらいの初歩の段階で行きづまってしまうのでしょうか?
このお話をする前に、少しバイエルについてお話しておきましょう。
バイエルというと、教則本のタイトルと思われている方も多いのではないでしょうか。バイエルもツェルニーもブルグミュラーも、その教則本を作曲した人(作曲家)の名前です。
但し、メトード・ローズだけは、バラのメトードという意味で、人の名前ではありませんので、勘違いのないように。(昔、ピアノの先生がメトードが名前でローズさんという人だと思っていた先生がいたので、老婆心からです。作曲者の正式名称はエルネスト ヴァン ド ヴェルドという人です。ちなみに、バイエルさんは、フェルディナンド バイエルという名前ですが、今風に発音するとバイヤーさんになります。)
「バイエル教則本」は、ピアノを初めて習う人達のために作られたたいへん優れた教科書で、世界中で愛用されています。
日本だけでも、いろいろな出版社を合わせると今でも年間数万部売れている、いわばベストセラーであり、ロングセラーでもあるといえます。
しかしながら、残念なことに今日の日本では、バイエル教則本に対しての批判も多く聞かれるようになってきました。
また、先ほどお話したように、バイエルで行きづまってしまう子供が大勢いると聞きます。
けれどもそうした批判や行きづまりのほとんど全ては、バイエル教則本を正しい方法で利用していないことに原因があるのです。
どんなによくできた教則本でも、その内容を理解せずにただやみくもに弾かせていたのでは、上手にならないどころか音楽嫌いになってしまうでしょう。
良い薬は、正しい方法で飲めば、適度な量で効果を発揮します。
けれども間違った方法をしてしまうと、いくら飲んでも効かないどころか副作用で、死んでしまうかもしれませんよ。
(Beyer研究全3冊)
そこで芦塚先生は、バイエルがどういうメトードで教本を作ったのかという事を、バイエル教則本を細かく分析し、研究しました。
その詳しい解説は、「芦塚陽二のバイエル研究」という、膨大な本に著してあります。
そこにはBeyerの考えた、メトードだけではなく、その教則本を使用するに当たって、どういう間違いをどいう箇所でするか、という事まで、詳細なデータとして入っています。
研究を通じて、バイエル教則本には、ピアノを演奏する上での、非常に大切な基礎が、全てシステマティックに網羅されて、その構成上の上で、それぞれの課題が正確に書かれている、ということが理解出来、指導する側が、Beyerのメトードをしっかりと把握し、それを正しく生徒に指導する事が出来さえすれば、短期間で、大きな効果を上げる事が出来る、という結論に達しました。
実際のケースでも、たとえば、中、高生ぐらいに遅くピアノを始めたケースでも、平均3ヶ月、速くて3週間くらいでBeyer教則本を終了して、Burgmullerの教則本や、sonatineのlevelまで上達した生徒も数多くいます。
勿論、教育大学等を目指す特殊な必要に迫られた生徒の話ではありません。極々、一般の子供の頃、ピアノの先生が怖くて、ピアノが習えなかった生徒達のお話です。
ここまでピアノの技術についてのべてきましたが、ほかの楽器についてもすこしだけ、お話しておきましょう。
30歳でチェロの勉強を始めた芦塚先生ですが、そのころに習ったことを体系的にまとめてチェロの教本を作っています。
アマチュアの人でも1ヶ月(たった4回のレッスン)で簡単なアンサンブルが出来るようになる、という信じられないような教則本です。一般的には、チェロという楽器はその習得が大変難しく、音が出せるようになって、音階が弾けるようになるまでには、7年掛かると、一般には言われています。
だから、当然、チェロで他の人達とアンサンブルが出来るようになるには、それこそ10年、20年、辛い練習に耐えなければならない、というのが一般の概念です。
芦塚先生は「趣味で音楽をやるのに、そんなに基礎が必要な訳はあるか?!大人は子供とは違うのだから、大人のcurriculumで指導すれば、1月でensembleは出来るようになるはずだよ!」と豪語して、この教則本を作りました。大人なのだから、まず、楽器を弾けるようにして、それから気長に基礎を作って行けば良い、という逆転の発想です。
この教則本の一番のフアンは、先程の日本の大出版社の超有名編集長だった**さんです。
彼は「この教則本は出版しない。誰にも見せたくない。」とひた隠しに隠していました。
編集長がそういう事を言うのは、まづいんじゃない???
そのチェロ教則本は大人のためのcurriculumなので、指導の仕方や、方法論は子供達の指導の教則本とは全く違います。
子供の場合には、まず基礎をキチンと身に付けさせる事を先行します。だから、大人の場合とcurriculumが真逆になるのです。
という事で、芦塚先生は子供の為のチェロ教則本も当然作ってくれました。
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